タラレバゴルファー

先日のコンペの反省会がありました。
反省会には初めて参加してみましたが、天真爛漫そのもので和気藹々。

運営に関する反省会なのですが、話の中心はその時のプレーの言い訳ばかりでして、当日にもかなり聞いたことなのですが、言い訳がこんなに楽しく盛り上がることに、あらためてゴルフの魅力に気づかされました。

そこで、私の提案で、タラレバで各ホールのスコアを書き直してみることをやってもらいました。

3人の人が当日のスコアカードを持参していましたので、各ホールの欄の脇に記入してもらいました。

すると、100オーバーの人のは95、98の人のは88、92の人のは85となりました。

バンカー脱出に4打かかった人は一打で。
スリーパットの人はツーパット。
林の中で木琴のソロを何度かやった人は、何かの間違いで林の中には入らなかった。

OBや池ぽちゃの人は、そんなことはなかっとしたら、という塩梅です。

本人も、タラレバのスコアならいいのになあから、本当はこのタラレバスコアこそが自分の実力なのだと思い始めている様子に、なんとも言えない憎めない性格が垣間見得て面白いことになりました。

まさか、タラレバコンペを実施することはできませんが、この夢のようなスコアを希求するから練習をする意欲がいや増すのだと思うと、老人のゴルフの意味があるような気がしました。

ほとんどの人がエージシューターを密かに狙っているようなのですが、年を重ねればスコアが増えるので狙いやすくなる反面、老化という現実が実現を阻む。

思うように体を操れなくなってくると、若ければ、若かったらと、いつまでもタラレバゴルフは愉しめるということになりますね。

人生のタラレバ、歴史のタラレバ、ゴルフのタラレバ。
タラレバで落ち込むのではなく、良い結果だったのかもしれないという段階で思考をストップさせて「のんきな爺さん」を生きていくのも一つのスキルかもしれません。
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.31 2017 未分類 comment0 trackback0

単なる春⁉︎

もはや青春期はとうに過ぎ、街場でみる青春期にある若者がひたすら眩しく感じるようになってからもすでに幾星霜。

先日、同年輩の仲間たちと鰻重を食べながら、我々は、いま何期なのかと、例によって埒もない繰り言に時間を費やした。

失春期 灰春期 惜春期 労春期 など、様々に表現してみたが、どう表現しようが裏寂しさは隠せない。
会春期だという諦めの悪い人もいる。

ある者は残春期と表現したが、生ゴミ集積所のようなこの表現は全員から却下された。

有名なウルマンの詩がある。
群れ集う老人達が合唱するのは気持ちがよくないが、時折ひとりで読み返してみると、折ごとに違った味わいがあることに気づき、静かな感動が心の奥深くから湧き出て来る。

私も、いくつかの目標がありますが、達成できない悔しさが怒りとすらなることがありますが、そこは、達成したいという目標があるだけでもマシなのだと、己が怒りの炎を自ら消火して、炎立つ我が心をなだめています。

今年も春が訪れましたが、単なる春が来たのであり季節の花である桜が単に咲いているだけと、遠くから若者達を眺めていると一瞬のうちにそのシーンは消えて無くなる。

我が人生の青春も瞬きのうちに過ぎ去り、その残り火さえ存在しない今、ウルマンの詩に触れ、書斎の隅から残り火を探し出してみたい。

そして、火傷をしない程度に炎を立たせてみたいと思うが、問題は「欲」です。

ついつい、楚々たる炎のつもりが、炎炎たる炎にしてしまい我が身を焼いてしまう悪しき事例は事欠かない。

春をほどほどに愉しみましょう。
.30 2017 未分類 comment0 trackback0

力士の絆創膏と「忖度」

力士たる者、多少の故障を押して土俵に上がるのなら、その時は絆創膏やテープを除去して、土俵では綺麗な体で相撲をとってほしいものだ。

痛々しげな破れ障子や襖のような体で土俵にあがるその気がわからない。

スポーツマスコミは、ここぞとばかりに美談に仕立て上げ、力士根性物語に変貌させ、力士の鏡とすらもてはやす。

いい歳の横綱が優勝できたからといって涙を流しても批判するどころか、それすら美化し賞賛する。

「忖度」という言葉が、世間を騒がせている。
絆創膏やテープを貼りまくった破れ障子のような姿を相手力士に見せて「忖度」を期待しているのか。

では、相手力士も破れふすまのようだったらどうなるのか。

事前に情報を集めて、相手よりさらに痛々しく見えるように貼りまくり、相手力士に「忖度」を期待するのか、あるいは負け相撲の時に観客やファンに「忖度」を期待しているのか。

それよりも、破れ障子と破れ襖同士はどうするのか。気弱な人のよい力士のほうが「忖度」しすぎて破れるのか?。

ともあれ、美談仕立てを狙ったり、相手力士や観客に「忖度」を求めるような情けない姿をさらして欲しくない。
.27 2017 未分類 comment0 trackback0

リセットという好都合なもの

世の中では、人生をリセットできるという素晴らしく好都合なことがある。

このリセットはあまり事情を知らない者どおしであればさらに都合が良い。
あるいは、多少事情に通じてはいるが、そのことに頓着しないかどうでも良いことと無視できる者たちの間で都合が良い。

老人になるということは、このリセットの特権を享受できる最後の機会なのかもしれない。

先日、ゴルフ仲間の老人達十数人で茶飲み会をしました。

なんと、私を含めて全てがスポーツ万能で記憶力に優れた成績優秀者。
さらに、美女にモテモテの果報者で、仕事はよくでき‥と、いうところなし。

なぜか、この会にはやたらと自分を卑下し厭世家のポーズをとる人が居なかったせいか、やたらと明るい嘘つきばかりが揃っていた。

明るく罪のない嘘を、口角泡を飛ばして付き合うというのが、先行き短い老人だからこそ許された最後の愉しい「嘘つき大会」なのでしょう。

ただ、ままならないのは女房と子供達。

大なり小なり似たような事情を抱えているからこそ、そこには話題の連結器が機能しない。

もっぱら、自分個人に関する大ボラばかりだから心から腹を抱えて(大笑い)できるのでしょう。

全員が、シングルハンディキャッパーであるはずがないのに、何故かシングル級の練達の士ばかり。
ゴルフクラブを剣に持ち替えれば、名剣士剣豪ばかりになり、向かう所敵なしの豪傑ばかり。

なのに!
実際にラウンドすると、
スコアが、100〜120くらいになってしまう。
だが、それについては誰1人語ろうとしない。

これこそ、「大嘘つき大会」の暗黙のルールなのである。
.26 2017 未分類 comment0 trackback0

アンチエイジングゴルフ その5 スイングの生活習慣病

スイングの習慣病
生活に個々の習慣に由来する生活習慣病があるように、長く生きているとあらゆる面に習慣由来の病が住み着いている。

その病が、個体の老化とともに勢力を増し個体の劣化を増大させていることは、各方面の研究により明らかになってきている。

この習慣を軌道修正し、老化劣化の進行を遅らせようというのがアンチエイジングという試みでしょう。

この生活習慣病という考え方をゴルフのスイングに持ち込み、染み着き住み着いている悪癖を洗い出し、洗い流すことでスイングを改善しようという試みを始めてみた。

老化によって軸を保てないのか、軸を保てないスイングをしているのか。
老化で飛ばなくなったのか、飛ばないスイングをしているのか。

アプローチのミスが多発するのは老化によるものなのか、ミスを引き起こす打ち方をしているのか。
スリーパットが増えたのは、老化によるものなのか、甘い集中力と技能の劣化なのか。

これらを含めて、数十年のゴルフのスイングスイングの中にいつの間にか染み込んだ数多の悪癖を顕在化させ始めたところです。

若い頃、同じ年配のゴルフ練達の諸兄が腰痛に悩み首の痛みに悩む悩む様子を見ていて、ある時期から長続きするゴルフスイングに切り替えたことがあります。

捻りやねじりに手加減をするようにしたのです。いろんな障害はゴルフのみならず仕事にも生活にも破壊的影響をもたらすと判断したからです。

おかげで、75歳のいまでも肩、腰、首などの凝りや痛みは無く、マッサージなどとは無縁な生活をしています。

その代わりとストレートに関連づけられませんが、ゴルフについては文字通りのダッファーであり、飛距離も失い、たんなる非力なゴルフ好き老人と成り果てています。

そこで、一念発起。あと何年できるかわからないゴルフライフを名実ともに愉しむ為に真摯に取り組んでみることにしました。

スイングを徹底的に分析して、飛距離にもスコアにもこだわり、自分のゴルフ全盛期の老化版を招来させようということです。

さて、どうなりますやら。
.26 2017 未分類 comment0 trackback0

花見

春に3日の晴れ間ありというが、この三連休はまさにこのとおりの好天気が続いている。

老友たちと花見でもするかと企画していたのですが、まだまだ時期尚早。
だとは思っていたのですが、なにせ気が早いというか、せっかちというか、生き急ぎ癖が治らないというか、そういう人が1人いてこの人のペースで予定を立てていたのですが、案の定、天気は良いが花見には今ひとつ。

冬が去り始めて今年の冬を振り返ってみると、やはり暖冬だったのでしょうね。

数年前よりは、随分と軽装で過ごせたようです。去年今年と、私には画期的な軽装で過ごせたようです。

歳をとると、このことをすぐ自分の健康が優れているからだと思い込みたがるのですが、冷静に考えてみると、暖冬のよるものだと判断すべきなのでしょう。

今年も着用しなかった厳冬用の外出着をクリーニングに出さなくてはならない。
無駄な支出だから処分しようとも考えますが、来年、厳冬になるかもしれない。

寒さ対策もそうだが、災害対策なども、自分の年齢のことを考慮すると、若い人達と同じになってジタバタする気になれない。

外出時に災害対策用品をリュックに詰めて背負っている老人もいるようですが、まさに人それぞれで論評する言葉もない。

かと言って、今年、厳冬用の外出着などを処分して、もし来年が厳冬ならばその時はくたばっても良いと言うほどの決心はつかない。

平均寿命が新しく算出されて、男性は1年以上の伸びを示しているようです。

となると、平均寿命まであと10年近くあるとなると、厳冬用の外出着をシコシコとしまいこむしかなさそうです。

なんだか、年々歯切れの悪い人生になりそうですね。
.19 2017 未分類 comment0 trackback0

危険がいっぱい

電車のホームが危ない。
交差点が危ない。
携帯スマホが危ない。
歩道が危ない。
など、挙げればキリがない。

ホームでも交差点でも、先頭に立つのはやめた方が良い。
歩道では、ウインドウなどを眺めながらあるくのは危ない。
もっとも、これは歩きスマホと同質の危険だ。

携帯スマホの危険はもうかなり危険な事態に至っているようだ。
便利この上ない携帯スマホだが、それ以上の危険が育って来ている。

電車のホームでは、いつ誰がバランスを崩し線路にドミノ倒しになるかわからない。
いつ誰が意図的に背中を押すかわからなくなった。

交差点では、止まるべき車は止まるだろうとの想定で渡り始めるのは危ない。
止まるべき車が止まらないばかりか、あらぬ方向からブレーキとアクセルを間違えた車が突進してくるかわからない。

携帯スマホでは、巧妙な危険サイトの罠にはまりやすい。
特に、老人はミスタッチによる危険の呼び込みがある。

視力が落ち、多少ブレる指先で意図に反してタッチしてはいけないメールや広告にミスタッチして、危険メールの洪水に喘いでいるようだ。

利便性と危険性は両輪でやってくる。

新米若造の無謀運転を上回る高齢ドライバーの惹起する事故は痛ましい。

多少は不便でも、安全な生活を営んだ方がよさそうだ。

安全な生活は、テレビコマーシャルとは無関係なところにあり、其処は個人の工夫によって可能な限り快適な生活が営めるようだ。

特に、年寄りは妙に現代的ぶらない方が安全なようだ。
.16 2017 未分類 comment0 trackback0

アンチエイジングゴルフ その4 街場でワンラウンド

近年、平日のゴルフプレーはカートを使ってのセルフプレーが主流だという。

気の利かないキャディーを脅したり賺したりしながらイライラを募らせるプレーよりは、セルフの方が何かと合理的な面が多く気に入って入る。

ところが、気の利かないキャディーとはまた一味違うイライラ源がセルフプレーにはある。

多少(だけ!)上手いゴルファーがそれである。
とても上手い本物の上級プレーヤーに見られない兆候が見られる。

他人のプレーには一切関心がなく、むしろ邪魔と思っているのではないかとさえ感じる。
自分が打った球のところに1秒でも早く行き、次のショットをしたいらしい。

このような輩は、カラオケでマイクを離さない無礼者と同じで、カートのハンドルを離さない。

多少上手いので、ダフったりトップでモタモタしている同伴プレーヤーに内心苛ついているのが手に取るようにわかる。

私は、こんな多少だけ上手い奴が大の苦手というか、大嫌いだから、あまりカートには乗らない。
できるだけ歩くようにしている。

そのせいか、カート使用のラウンドの割には歩数計が高い数値をカウントしてくれる。

でも、昔の徒歩でトボトボやっていた頃と比べると運動量が低いことが気に入らない。

ところが、街場の練習場で100〜150球打った上に歩数計で一万歩以上のカウントをだしていれば、昔のワンラウンドと同じかそれ以上の運動量になる。

片道約一五千歩の練習場に徒歩で往復し、100級前後の球を打てば良いのだから、簡単なことだ。あるいは、日常生活で一万歩以上は難しい話ではない。

セルフプレーの時は、ゲームを楽しむだけで満足して、運動量は他の方法で稼げば良いと思うようになった。
.16 2017 未分類 comment0 trackback0

腹がたたなくなった

横の連帯こそ我が命とばかりに狭い道路を塞いで歩く中学生の男女にも腹がたたない。

スマホを見ながらノロノロと電車を降りてくる若者や、スマホを見ながらノタノタと乗り込む若者にも腹がたたなくなった。

電車内化粧の老若の女性にも腹がたたなくなった。どころか、その変貌ぶりを楽しみに眺めるほどである。
顔さえあればなんとかなる技術の高さに感心している。

狭い道路をで道をあけてあげたのに知らん顔で通り抜ける自転車の若い女にもまるで腹がたたない。

歯にはさまったパン屑が見えているのに、大声で話し大笑いするおばさん達にも腹がたたなくなった。

頭の悪い国会議員や大臣たちの下手な政治家ごっこにも腹がたたなくなった。
地方議員の、政活費か生活費か性活費か訳わからないことにも腹がたたなくなった。

面白くもなんともないお笑い芸人達がテレビを席捲していることはもちろん、政治経済を語り倫理を語ることにも腹がたたなくなった。

政財界、医療界、教育界、法曹界の犯罪にも腹がたたなくなった。

いちいち腹を立てていては身が持たないという危機管理が働いているのかもしれない。

このような、無頼な人間と私のような不感症の人間ばかりなることを心から願っている人間達が存在している。
その時こそ出番だと、虎視眈々と狙っている人間達がいる。

その人間達の中から一歩先んじて出張ったのが「森友学園問題」となっているのだろう。

出番をじっと待っている中枢は高度な頭脳集団だろうが、手っ取り早く蜜の味にありつきたい貧相な顔つきと小さな脳で生きている先っパシリが必ず居る。

そのパシリが籠池氏であり、それと同じレベルが某国某総理夫妻となれば、高度な頭脳集団の連中が切歯扼腕するであろう。

最近、再び腹が立ち始めた自分を持て余している。
なんとか抑えないと、高齢者が切れるとロクなことはない。
.10 2017 未分類 comment0 trackback0

春めいた

すっかり春めいた今日。
しかし、なんだか信用できない。
いつ北風が吹き荒れるかしれない。

三月四月の長期予想では寒いと出ている。
ここ数年の傾向は連休頃までは三寒四温を繰り返し、春のような冬のような半端な時を過ごし、連休明けから一挙に温度が上がり夏日が到来する。

その夏日は、秋深くまで続き、ある日を境に急に寒気団に襲われる。

そして長い冬が始まり、初夏の頃まで冬物衣類を仕舞い込めない。

極暑と極寒の頃を真夏と真冬と心得、その前後を夏期冬期と思うようにしている。

昔のような、詩的であり牧歌的な秋冬は無くなったような気がしている。

この春冬の穏やかな季節が曖昧になり、夏か冬かということになると、日本人の気質も変化するだろうと想像している。

いわゆる、日本的、日本人的情緒は消滅し、寒さ暑さと闘う日本人となるのかもしれない。

四季折々の曖昧で緩〜い感じのはんなりした昔の京女ような日本人は姿を消し、白黒ハッキリした明快な気質になるのかもしれない。
.10 2017 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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