アンチエイジングゴルフ その3

友人曰く。
「おい、金で買えるアンチエイジングが先じゃないか?。クラブだよ。最近はいいクラブが出てるようだよ」と。

今使用しているクラブは、10年くらい前に揃えたものだ。
どんなクラブでも大差無い(自分には)と、その頃釣りもしていた私は、馴染みのメーカーであるヤマハのクラブで揃えた。

自分のスイングを棚に上げて、クラブに夢を託してさんざんクラブ道楽をしたあげく大したゴルファーになれなかった私には、夢を売るクラブで夢を見る気にはなれない。

確かに、クラブを新調すれば腕手の先は間違いなく若返る。どころか、腕から先は青春の真っ只中、若者そのものになれる。

それでは、私が求めるアンチエイジングゴルフにはならない。私が求めるアンチエイジングゴルフとは、
身体の捻り、腕の振り、ショットインパクトの力強い確かさなどの若返りなのだから。

もとより、新調したゴルフクラブがそのようなアンチエイジングの作用をしてくれるわけはない。

ショップの店員に相談すれば、印鑑証明つきの太鼓判を押すのだろうが、サプリメントと同じで、何の保証もない。

なんの保証も無い夢物語を売っているから商売ができている。そのものに罪はなく、買った人の問題にすり替えることができるからだろう。

だから、今のクラブでアンチエイジングに取り組むことで十分。
今のクラブで、私のゴルフは老化、劣化、迷宮入りのプロセスを辿ってきたのだから。

自分自身という不確定なものが取り組む試みなのだから、少なくともクラブなどの条件は一定にしておかなければ、客観性のある比較検討ができない。

まあ、やれるとすれば見た目。
ゴルフウエアなどのファッションくらいでしょう。農作業ウエアを麻布六本木あたりのタウンウエアにシフトすることくらいはしても良さそう。

老木が精いっぱいのお洒落をして骨を軋ませるのもまた一興。
お洒落ウエアが恥ずかしくて逃げ出したあげく、裸の王様のようなゴルフをするのもしれない。

なにしろ、ゴルフコースに行けば、裸の王様が団体で闊歩しているのだから、その方が目立たなくて安全かもしれない。
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.28 2017 未分類 comment0 trackback0

アンチエイジングゴルフ その2

健康法というのは実に厄介なものであり、その結果は不透明なものです。

いま、自分が採用している健康法が本当に自分にあっているのか否かはなかなか判然としません。

他の健康法を実践しながら自分と伴走しているもう一人、あるいはもう二人の自分がいて、それらと10年後、20年後に比較検討ができない以上、いま採用している健康法に賭けていると思わざるを得ない。

その上、いま、自分が健康であると自認していても客観的な証明はない。

血液データや各種映像に依るものは、参考にはなるが、その両方のデータは良いのだが歩けないとか、軽い運動すらできないということもある。

現在の自分は、それら医学的科学的データに問題はない。あるとすれば、老化によるレベルダウンがあるだけのようだ。

そこで、病院で血を抜かれたり、縛り付けられて映像を撮られたり、若僧の医者との埒もない会話で健康を判定する以外にもう1つ自分で納得のいく方法として、ゴルフプレーをテスターとして選んだというのが、アンチエイジングゴルフの意味なのです。

社交的意欲、行動を起こす気力、プレーをする体力。
さらに、年齢相応とはいえ積極的にプレーができるか。

向上心はあるか。
ミスヒットを改善する気力体力はあるか。
あげれば数限りない。

老いさらばえ、超高齢化してしまっていたうえに病んでしまっていた自分のゴルフが、年齢相応の元気を取り戻せたか。

これからは、自分の老化につれて同じテンポで老いていくゴルフができているか。

自分以外に同伴プレーヤーの判定などを参考に、自分の健康のテスターとしてゴルフプレーを使ってみよう。

肉体と精神。
社会性や各種運動能力の判定など、総合的に自分をテストできるような気がしている。
.26 2017 未分類 comment0 trackback0

アンチエイジングゴルフ

ゴルフをして若返ろうという意味ではなく、自分のゴルフプレーを若返らそうという意味でのアンチエイジングゴルフです。

ゴルフプレーの老化。
50歳代と60歳代は、40歳代までとは違ってゴルフに熱心ではなかった。20代、30代ではゴルフといえば目を輝かし、40代は競技ゴルフに熱中していた自分とは全く違ってた自分になっていた。

ワンパターンの趣味に愛想が尽きて、他の趣味に気を向けるようになったからです。
ゴルフの会話に飽き、ゴルフ仲間に倦み、ゴルフ場までのドライブが面倒くさくなり、ゴルフの全てに興味をなくしたのが50歳頃でした。

爾来、練習はおろか、クラブ競技には不参加。
自分が幹事をしていたコンペとそれに絡む義理コンペへの参加、仕事上やむを得ない付き合いのプレーなどに限定してしまった。

私のゴルフは、私が歳をとるにつれて老化してしまいました。
ここ10年は、よたよたプレーで、見るからに老人ゴルフであることは隠しようがなくなっていました。

私自身が健康に不安を感じたのが60歳代。
その頃のゴルフは、同伴プレーヤーに申し訳ないというより、彼らに無礼な程の非道いゴルフになってしまっていました。

それでも、ゴルフができれば良いではないかと自分を慰め、初心者並みのプレーをしながらゴルフのお付き合いをしていた。

その考え方に転機が訪れたのが70歳を過ぎてからです。
各種の試みの結果、自分健康が回復し始めてきた74歳になってから、いろんな意欲が旺盛になり、ゴルフプレーのヒドさをも深く恥じるようになったのです。

昨年2月から1年間、ほぼ毎日のようにゴルフの練習場に通いスイングを続けました。

まずは、ゴルフスイングのための筋肉。
骨と関節をスイングに慣らす。
スイング中の体勢の保持。
マインドのコントロール。

やるべき練習ポイントは山ほどある。
20歳で始めて以来、自然に身につけてきたものをあらためて最初からとなると実に膨大なポイントがあり、しばし呆然とするほどです。
.26 2017 未分類 comment0 trackback0

マイペースの加齢なる歩行

マイペースの加齢なる歩行
やっと無駄な足掻きをしなくなった。

朝のウオーキング時であれ、普段の歩行時であれ、若者から追いつかれ追い越され引き離されていくことに気持ちが慣れて来た。

つい最近まで、歩行時に前方の人にターゲットを絞り、追いつき追い越すことで歩行のペースを上げ、有酸素運動の効果を上げようと試みてきた。

私に追いつき追い越した若者は、少し間があいてから追いつくべくペースをあげていた。追い越されてすぐに競争的になるのは鬱陶しいと思われるので10メートルほどの間を空けてからにしていた。

しかし、なかなか追いつけない。どころか、間が空く一方。
小走りになるか、股が裂けそうなくらいに大股にしなければならない。だが、それでは長続きしない。

自分よりだいぶ小柄な女性が相手でも同じという事態を何度も経験して、やっと無駄な抵抗をやめることにした。

自分なりのペースで、一歩一歩踏みしめるように、呼吸が無理にならないように、踵から大地を踏み足指の働きを感じながら蹴って歩くということを確認しながら歩くことにした。

ただひたすら先を急ぐ若者たちとは違った歩き方が老人にはふさわしい。

老人の歩きは、先を急ぐ歩きではない。
これからの自分の人生をできるだけ自力で歩き続けることができるようにとの目的で、鍛錬することである。

姿勢を保ち、歩行関連筋肉の動きを意識しながら、あるいは関連関節の動きを感じながら、「歩ける自分」を保ち続けることが、老人の歩きの目的の1つである。

「俺は目的が違うのだから、どんどん追い越して行ってくれ」と思いながら、加齢なる歩行にシフトチェンジをした次第です。
.25 2017 未分類 comment0 trackback0

マーシャルがやって来る

あるコンペのメンバーの一人は78歳の女性である。
この女性は、昨年末に続き今年の1月のコンペでも優勝した。

無駄がなく欲もなさそうなシンプルなスイングから放たれるボールは、ナイスヒットのときもミスヒットのときも殆どまっすぐである。

バンカーを避けて放たれたボールは見事にバンカーには入らず、グリーンエッジに達する。
そこから、8割がた2打でカップに入る。

片や、同伴の私を含む3人の爺さん達は、小鼻を膨らませ吐く息も荒く力強い(本人にとっては!)ショットを放つ。

ボールの行方は右翼と左翼の行き別れ。ダフリトップの農作業。

冷静にして沈着な老婦人の周りで右往左往のチャンチキ騒ぎ。

一人の女性をめぐって、盛りのついたオスの求愛騒ぎにしては、客観的にはジジーとババーの季節外れの盆踊りにしか見えないところが物悲しい。

あがってみれば、100を切れない男達を尻目に93であがった彼女はハンデが23。
ネット70で楽々優勝。

情けなさと恥ずかしさで悄然とする同伴ジジーの心中を察して、労りの言葉をかけてくれる彼女が憎い!

この女性と同じ組になると必ずマーシャル(プレーが遅いぞと、警告に来る者)に付きまとわれることだけには閉口する。

ゆっくり思考し、タップリ時間をかけてセットアップしたのちに放つボールが素晴らしいので、とりたてて文句も言いがたい。

その分、我々ジジーがプレーを急いで帳尻を合わせている。

これは、断固!言い訳ではない!。
.19 2017 未分類 comment0 trackback0

驕りたかぶらずに生きていける

NHK番組 「小さな旅」
新潟 村上市

朝日連峰の山懐に抱かれた新潟県村上市の山熊田集落は、毎年2メートルもの積雪がある豪雪地帯。とち餅作りやしな布織りなど、山の恵みともにある暮らしを訪ねる企画でした。

番組内容は、
山形との県境・朝日連峰の山懐にある、新潟県村上市山熊田集落は、毎年2メートルを超える積雪を記録する豪雪地帯で、雪に閉ざされる冬、人々は厳しい自然と一途(いちず)に向き合いながら暮らしている。

山の恵みを生かして作るとち餅にふるさとの思いをのせる人。女性の辛抱強さが紡ぐ伝統の「しな布」。山の恩恵を授かる猟師と、そのたくましさに憧れて移住してきた人。山とともに、たくましく生きる人々を訪ねるものでした。

この中で、東京から移住してきたという若い夫婦の妻の言葉に、此処では「驕りたかぶらずに生きていける」というのがありました。

晴れやかな表情、穏やかな表情、控えめながらも自信に満ちた表情がとても素晴らしく、早朝のウォーキングから帰宅した私の心を打ちました。

「驕りたかぶらずに生きていく」。
若い女性の言葉に教えられた気がしました。
.16 2017 未分類 comment0 trackback0

運転免許更新というデイサービス

更新を逡巡することなきにしもあらずでしたが、高齢者講習なるものに参加しました。

さる自動車学校に出向き受付カウンターで住所氏名を書く段階から手元を凝視されているような気がして、この段階からチェックされているのかと多少の緊張感を覚えました。

6人の老人達が一室に案内され、二人の教官から講習を受けました。

数枚の書類が渡され、その都度住所氏名生年月日などを記入させられ、それら1つ1つが答案用紙のごとく記載間違いありやなしやが試されているようでした。

その他は、
絵の記憶ごっこ。
落語家による交通ルールなどの解説や高齢者による事故多発のビデオ鑑賞。
各種目の検査ごっこ。
シミュレーターによる運転ごっこ。
そして、最後に実車による運転ごっこ。

各種のごっこが終わったのがかれこれ3時間後。一連の流れは、話に聞くデイサービスの1日のような感じでした。

天下り利権設立デイサービス・センターで半日ほど、あやされ、すかされ、少し脅かされた他愛のないものでした。

修了書を貰ったその足で運転免許センターに行き、もう一度目の検査があったが極めてスムーズに免許証の更新が終了しました。

8000円ほどの出費で1日遊ばせてもらったようなもので、苦笑いを禁じえない複雑な1日となりました。

免許証返納も悪くはないが、更新することで取り敢えず現在の基準で標準の機能を持つ高齢者だという証しにはなるのかな、という気がしてきました。

センターで撮ってもらった顔写真は皺が多く、いかにも老人顏であることにガッカリしました。

普段、自分の顔を鏡で見るときには不快な皺は見ないでいるということが歴然としました。

機械による客観的な描写によると、まごうかたなき老人であることを見せつけてくれる写真であることに些か悄然としました。

3年後の更新を望むなら、団塊世代の老人人口洪水で、講習を受けることすら競争が激しくなるそうな。

3年後には78歳になりますが、「標準の証し」として、老人講習を受け免許証の更新をしてみるつもりです。

運転をするか否かは、状況による判断を自分でするつもりです。
結構臆病なたちですから、78歳以降は、運転しないペーパードライバーで甘んじていると思います。
.16 2017 未分類 comment0 trackback0

梅花の芳香

毎朝のウオーキングの帰路、ある御宅の塀から溢れ出ている満開の梅の花に鼻を寄せ胸いっぱいにその香りを吸い込み、春の到来を五感で感じています。

このお屋敷は、ジムで親しくしているご老人の御宅で、そのことを先日ご本人に話をしたところ、満面に笑みをたたえて喜んでくださいました。

「ぜひ、庭に入って存分に楽しんでください」と、嬉しいことを仰って頂きました。

このところ、立ち並ぶお屋敷の塀に沿って歩いていると、其処彼処から春の芳香が漂い本当に気持ちがよく心が静まります。

どちらかといえば、几帳面で綺麗好きな奥方のいる御宅の庭の整然とした美しさには感動を覚えます。この際、そこのご主人のことには触れますまい。

せっかくの庭が荒れている御宅の前を通る時は心が沈みます。
そのような御宅は、玄関まわりも掃き清められておらず、奔放な生活ぶりが垣間見られます。

それでも、季節になると花々は逞しく存在を誇示します。
そのような鼻にはには、力強い主張を感じます。

この季節、これからのウオーキングはこのような花々との語らいが興趣を掻き立ててくれます。

もう歳ですから、早朝ウオーキングは控えめにしたいのですが、すでに生理現象になっているみたいで、気がつくと歩いているという現状です。

自分中にある、「塀の花マップ」に新しいマークを加えながらまだ当分続きそうです。
.06 2017 未分類 comment0 trackback0

天下り?

文科省の天下りが取りざたされている。

そも、天下りとは、
あまくだり【天下り・天降り】
(名)スル
①(神や天人などが)天上から地上におりること。
②官庁から民間会社へ、または上役から下役へ出される強制的な押し付け・命令。
③高級官僚が退職後、勤務官庁と関連の深い民間会社や団体の高い地位につくこと。「━人事」「中央官庁から━する」
ということですが、子供でも周知の言葉です。

何年か前、高校の同窓会で、霞が関の下級役人だったと認識していた者が、退官後何処そこに勤務して今は悠々自適であることを話した後、「いわゆる天下りをした」ということを口にしたことがありました。

座は一瞬白けましたが、そこは夫々が気持ちを立て直して何事もなく会は進行しました。

私は、「天下り」という言葉に長いこと違和感を覚えてきました。

「横滑り」とか、「再就職」でよいではないか。

あらゆる分野で、横滑りか格落ち再就職ということは行われており、高級官僚にのみ特定して使用されてきた「天下り」を、木っ端小役人までがその気でいたことに少なからず衝撃を受けました。

官僚達が天上人、あるいは殿上人と認識し、その人達を有り難く迎える組織や渋々迎える組織がある以上、なくなることはないでしよう。

言わば、人材の贈収賄みたいなもので、利権の温床である限り、これからも続くことでしょう。

発覚はもとより織り込み済みで、その対策と事後処置ではすでに出来上がっている。

マスコミの大騒ぎも足の速い台風みたいなもので、すぐ通過して台風一過の青空が約束されているのだから。

せめて、「天下り」とは言ってほしくない。
「官僚の再就職」と表現してもらいたい。
.06 2017 未分類 comment0 trackback0

2月は冬眠

1月下旬から2月いっぱいはゴルフの予定はなし。寒さが緩む日もあるが、じっと我慢の日々。

1月中旬、2日連続プレーということがあった。その二日間はたまたま強烈な寒波が関東を覆った日で、厳しい寒さの中でのプレーとなった。

ところが、風が止み陽射しが強いとやけに暖かい。上着のダウンの着脱にイラつきながらも、寒いよりはとマメに対処しながらプレーをした。

ところが、2日目の日となるとなんとなく着脱のタイミングもチグハグとなり、多少汗ばんだりしたものだから、時には薄着でプレーすることもあった。

すると、たちまち身体は冷え、汗が残っているからダウンを着込んでも身体が冷えていくのがわかる。
体温調節機能がパニックに陥っているのが明らかな異常事態となった。

ラウンド終了後、帰路の車の中で湯冷めを警戒して風呂にも入らず、しばらく休養したのちコンペの成績発表もそぞろにコースを後にした。

案の定、翌朝、寒気がするわけではないのに熱がある。食欲はあるのに美味くない。

喉に炎症があり鼻水が出るでも咳が出るでもない。ただ、発熱の故、身体がだるい。

仕事の日だったので、出勤はしたが、仕事をする自信が湧いてこない。
仕方なく、その日の仕事を全てキャンセルさせていただいた。

その日、早めに帰宅してベッドに倒れこみ、夕方目がさめると体調はすでに回復していた。

風邪だ、インフルエンザだと思い煩う前に、体熱調節機能が回復したようだ。

2日連続のゴルフで、睡眠不足、気温変動、寒波に対する精神の焦燥などいろいろあるが、要するに老化で、微妙な事態に対する能力がダウンしていることは否定できない。

どんなに魅力的なゴルフのお誘いがあっても受けてはならじと、頑としてゴルフのスケジュールは入れていない。

老化とは、静かな生活をプレゼントしてくれる素晴らしい制動機なのだと思いを新たにしている。
.02 2017 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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