華麗に非ざる加齢なるスイング

自分が思っているほど他の人が認めてくれているわけではないのですが、ゴルフスイングは美しくあるべきだと思ってきた。

ダンスでも、姿勢良く美しいポスチャーでなければ観ている者には、下品で卑猥に見えてしまう。

私にゴルフを教えくれた人も、何はともあれ美しいスイングを身につけなさいと、それはうるさかった。

バックスイングは勿論だが、フォロースイングは特に華麗であるべきだというのがその人の強調して止まないことだった。

私のスイングを見て不満足そうだったが、美しいに越したことはないと、以来50年以上、そのことは心の隅に置き、頭の棚の中にしまって練習を重ねてきた。

最近、その華麗であろう、華麗だったかもしれないフォロースイングに加齢の兆しが、あるいは加齢そのものが見られるようになった。

フォローをとりフィニッシュした途端のヨロヨロは頻発、止まれずに一歩踏み出すということが度々となった。

自分ではバレーのような、あるいは日舞のようなメリハリと思ってきた キメ を気にせずスイングすれば、ヨロヨロも一歩の旅立ちもなく止まれるが、それはまさに加齢なるスイングそのものだと認めざるをえない。

もう、妙齢の女性にレッスンする資格も何もない。
爺仲間に紛れて加齢なるスイングを競う合うしかない。

加齢なるスイングの中でも少しはマシな華麗なるスイングに自己満足するほかはなさそう。
あるいは、たまに出来た華麗なるスイングの途中で軋む背骨の音に怯えるほかはなさそう。
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.28 2017 未分類 comment0 trackback0

自転車のアクセルとブレーキ

数日前、ジム友でありゴルフの仲間である78歳の男性が、自転車で転倒して脚の骨折。
入院レベルのものであり、本人の落胆ぶりは大変なものです。

曲がり角や人通りの多い歩道などに侵入した自転車との出会い頭の衝突の危機に遭遇した人は多いはず。

ごく僅かな隙間を素早く進入して無理な通り抜けをする自転車は多く、その自転車使用者は老若男女を問わない。

自動車のみか、自動車にもアクセルとブレーキがある。ペダルがアクセルだ。
最近頻発する自動車のアクセントブレーキの踏み違えは自転車にも頻度の高い事故だ。

ブレーキレバーを引いて一旦停止すべきところを、ギリギリのスペースを狙ってペダル、つまりアクセルを踏んで通過しようとする。

通過してホッとした一瞬の気の緩みが人との出会い頭の衝突となる。

あるいは、死角となる角を曲がるとき、右側の安全を視認して曲がった途端に左側の人なり自転車なりに衝突する。

これらは、日常的に目にする危険な状況である。

高齢者が急増している昨今、自転車を利用する高齢者男女が多い。
老人世帯の買い物に自転車は不可欠だという。

若者の無謀運転、冒険運転、肝試し運転の犠牲となった人は数多あり、老人のそれなりの無謀運転の犠牲者もまた多い。

自動車の歩道への突然の侵入、交差点でのハンドルミスのみか、同質の事故が自転車にも急増している。

歩行者の自衛が肝要となった。
国際的にも、国内的にも、地域的にも、町内レベルでも危険がいっぱいの世の中になってきた。

早朝のウオーキングですら、全身ハリネズミのごとくセンサーを張り巡らせていないと暴走自転車と張り合うことになる。
ノンビリと歩いてはいられない。

さで、件の男性の場合は、練習用のゴルフクラブを数本入れて背負い、奥さんから頼まれた買い物荷物を前後に積み、狭いところを通り抜けようとしたところ、ゴルフバッグが電信柱に引っかかりバランスを崩して転倒したらしい。

骨折したこと自体をお見舞いの対象とするしかないようです。
.28 2017 未分類 comment0 trackback0

2つの決意


スコットランドのゴルファーにとって、−10°の日は小春日和で絶好のゴルフ日和だという。
なんでも、ゴルフ狂のバルフォア首相の言らしい。

今年は、初打ちとその後一回のラウンドをしたのみで、次の予定は3月にはいってから。

「寒稽古」という言葉に弱い。
武道武術が殊の外好きなせいもあるが、寒稽古には男のロマンがある。

しかも、寒稽古には一段と腕を上げることが約束されているようなチカラを感じる。
寒稽古をやらない冬は、初詣をしない正月のようでもあり、当選したいのに立候補しない片隅の街場の政治好きのようである。

そこで、1つ目の決意をした。
スライスをなおそう。引っ掛けをなおそう。
ダフリ&トップをなおそう。
スリーパットをなくそう。
それには、「寒稽古」あるのみ。

近くの200ヤード打ちっ放し練習場には、アプローチ、バンカー、パターの練習場もある。

北風は打席の正面から吹き付ける。寒稽古にこれほど相応しい場所はない。
「寒稽古の醍醐味」に不足はない。

今日の気温は3度。
バルフォアおじさんなら「初夏のようだ」と言うかもしれない。

クラブを数本持ち、玄関ドアを開け2、3歩出たところで、瞬時に
2つ目の決意をした。

なにも、こんな寒い日に無理をすることはない。
.23 2017 未分類 comment0 trackback0

内風呂とはうらやましい

下戸というものは無粋なもので、人生の愉しみから見離され、人生の悦楽とは無縁の街道を旅する哀れな旅人なのかもしれない。

ジムの大型ジャグジー風呂に入り、サウナと水風呂を何度か往き来し、毎日のことで出る垢もないだろうに長い時間をかけてゴシゴシ洗いあげた挙句、最後の仕上げの湯舟でいうことが素晴らしい。

「さあ、これから家で内風呂だ〜〜」
ときた。

そうか、帰宅までの間に多少冷えるであろう身体を自宅の風呂でまた温めるのかと思いながら聞き流しておけばよかったものを、余計な事を訊いてしまった。

「また、御宅で風呂に入るのですか?」と。

80歳前後と思しき老人は、ニンマリ笑って、その質問待ってましたとばかりに、小鼻をうごめかしながら得意げに語りはじめた。

「内風呂とはねー、身体の中、腹から温まる風呂のことだよ。
つまり、帰宅したら女房が準備してくれている『熱燗』をキューッとやるんですよ。これで、身体を内と外から温めて、私の今夜の仕事はおしまいというわけですよ」

寒波襲来の冬空の下、駅周辺の「内風呂屋」は賑わい、「立ち風呂形式の内風呂屋」すら立錐の余地なし。

そうか!
このような酒の世界は知らなかった。
「内風呂ねー」

すっかり感心して思いを巡らせていた私は、つい長風呂をしてしまい、湯舟を出るとフラッとしてしまった。
.23 2017 未分類 comment0 trackback0

愚考と愚行も人生の楽しみ

先週、2日間連続で好きなことに熱中した翌日、発熱してしまいました。

喉は痛くない、咳は出ないというわけですから風邪でもインフルエンザでもなさそう。
無理をすればできないことではなかったのですが、仕事を休み運動スケジュールをも無視してひたすら睡眠をとりました。

翌日朝には熱も下がり、体調は八分方戻りました。あとの二分は気分の問題。

寒波の中をで無理をしたのが災いの元。
しかも、2日目は早めの風呂にもかかわらず就寝が遅くなったので、いわゆる湯冷めをしてしまい、体温調節機能が不全となったようです。

数年の間風邪を引いたことはなく、今回はいよいよ風邪をひくほど弱ってきたかと、しばし思い悩みましたが、たいしたこともなく素早く回復できたのでホッとしているところです。

確かなことは、寒冷の中で寒さに耐え、しかも軽労働とはいえ体力を消耗することに身体が悲鳴をあげたのだと思います。

しかも、睡眠不足というあってはならないことが身体にさらなる負担をかけてものと思われる。

これくらいならいいだろう、もう少しなら大丈夫だろうと、自分を偽りながらついつい無理をすることはよくあることです。

自分を上目遣いしながら自分を偽り誤魔化す行為はよくあること。
その都度手痛いしっぺ返しを受けてきたのに、これくらいならいいだろうと繰り返し愚かなことをするのが私の悪い癖。

それでも、切り抜けてこれたのはすでに昔の話と断じざるをえないようです。

怪我による行動制限、疾病による寝たきりなどの生活はできれば避けて通りたい。

そのためには、そろそろ自分の身体を脆いガラス食器のごとく取り扱わなければならないようです。

なぁーに、ただ無理をしなけりゃ良いのですが、その無理の限界が分かるようでわからない。

ことに臨んで、その時の気力と体力に左右されてしまう。ただ、その気力と体力が火事場の馬鹿力のように瞬時のことかもしれない。

その瞬時の時間巾が瞬きの如くなっているのに、その瞬時の間に都合よく瞬時の判断をしてその後その判断に従い不測の事態に遭遇するのかもしれない。

瞬時の判断、瞬時の欲望、これを排除してしばらくやり過ごし、その後冷静な判断をする。
これがなかなかできない。

その瞬時の判断と欲望は阻止できないが、行動に移すことに間をおくことは可能かもしれない。

判断と欲望がおぼろになり、行動はさらにおぼろになれば少なくとも危険回避はできるかもしれないが、それは呆けたということになる。

安全だが、なんにも面白くない。

つまり、これからも愚考と愚行を懲りずにに重ねていくということが実態なのでしょう。

そのうち、なにが愚考かなにが愚行かが判然としなくなる時必ず来る。

それまでのささやかな楽しみが愚考と愚行の繰り返しなのかもしれません。
.16 2017 未分類 comment0 trackback0

春まで我慢

我慢というほど気を入れているわけではないが、ジムでのスタジオプログラムから遠ざかっています。

昨年2月頃、右脚アキレス腱に軽い衝撃を覚え放置していたら、3月のはじめ頃にアキレス腱の部分断裂であることが分かり、その後約3ヶ月の間とても不自由な生活をした経験から、冬場の激しい動きは自重しているからです。

春になれば、3月に入れば、再びスタジオで飛んだり跳ねたりして、瞬発力やバランス感覚能を鍛えようと楽しみにしています。

が、果たしてそのようにやれるのか否かに不安があるのが、高齢者の哀しさ。

昨年末以来自治しているので、3ヶ月間のブランクができます。

冬場は我慢して春から頑張るぞー、も若者の話。
その頃には、一冬越した老体にはさらなる老化劣化が進行している。

春になってスタジオに入ったはいいが、戸惑うばかりの浦島老太郎になっているかもしれない。

少なくとも、肉体を使うことに関しては、3ヶ月後や半年後のことに思いを馳せ楽しみにすることには何の保証もない。

毎日、コツコツ継続して尚且つ右肩下がりの坂を下り、次第にあるいは急速に転がり落ちるのが老体の定め。

となると、足首に急激にして強烈な負荷をかける動きはスルーしながら、鈍感なお嬢様のような所作をしながら参加している方が良いのかもしれません。
.16 2017 未分類 comment0 trackback0

老猿を「老いざる」と読む 小椋佳さんの意気軒昂!

今年の小椋佳さんからの年賀状は、元気が溢れるものだった。

体が許せば2017年には数十回の公演をこなすとのこと。この数十回というのがとても良い。

私より幾つか若い人なのだが、それでもかなりの老体。全国を講演して回ることがどれほど難儀なことかの推測だけはできる。

かつて、私が幹事をしていたゴルフコンペがあった。年に5回のコンペを20年間継続したものだが、そのうち10年間ほど熱心に参加していた頃の佳さんが懐かしい。

堂々たる体躯から力一杯打ち出された白球は右や左の旦那様。
それも、半端でなく飛ぶからOBエリアがあれば間違いなく飛び込む。

OBエリアがなければ、隣のコースか崖下に飛び込むのだから、かなり悲惨なゴルフだった。

それでもめげずに筋肉の思うがままにふるまわせ、他人の講釈など聞く気はない。

すでに銀行を退職し歌手として多忙を極める中、体の鍛錬は怠らなかったと見えて、大きな体は筋肉で充満していた。

そんな小椋さんがまだまだ老いるはずはない。
彼の年賀状に納得したのは当然。

公演のタイトルは、「老猿」だそうです。
「老い猿」とみるか、「老いざる」とみるか、今年は公演に行ってみたい。

老いてますます人生を楽しむ友人の姿を見るにつけ、素晴らしいと心から拍手をしたい。

私も、頑張るというとすでに悲壮感が漂うことは否定できない。

頑張るとは言わずに、愉しむというのが適当な表現だろうと思う。
.05 2017 未分類 comment0 trackback0

初詣ー鹿島神宮

「予定を前倒しして、明日行かないか?」と、昨夜地元の友人Aに電話をしました。
友人Aは「じゃあBに電話してみるよ」。
友人Bから、「CさんもOKだそうだ」と返事。

こうして、昨年打ち合わせていたように、Aさんの車で鹿島神宮へ向かった。

予定していた日に私に拠ん所無い用事が生じたからですが、時間貴族というか時間富豪の3人には渡りに船だったようで助かりました。

私は、時代劇の剣術道場の掛け軸になっている、「鹿島神宮、香取神宮、八幡神社」にひとかたならぬ興味があり、中でも鹿島神宮には熱い想いがあります。

子供の頃、父から寝物語にたくさんの話を聞いて育ちましたが、特に印象が強かったのが、剣の達人塚原卜伝の物語だったのです。

私がこの世で初めて知った剣豪は「塚原卜伝」でした。その寝物語の時に時に、鹿島神宮のことが出てきたのかどうかは覚えていませんが、中学生の時に読んだ塚原卜伝で鹿島神宮のことを知りました。

以来、いつかは参拝したいと心に期していました。市川市に住むようになって、鹿島神宮が急に身近なものとなりました。

爾来、今回で5回目の参拝となりました。
近いにもかかわらず、香取神宮には未だ行っていません。

来年には、鹿島神宮から香取神宮を廻って初詣の参拝をしたいと思います。

人出は多いが、空気が澄んで、神気も霊気もたっぷり充満していて、呼吸のたびに血液が浄化されるようで、心地よさは最高です。

此の地で呼吸するだけで十分満足ですので、初詣のお祈りは、此の満足に対して心から感謝するのみです。

帰路、4人で豚骨ラーメンを食べました。
私は6年ぶりの豚骨ラーメンでしたせいか、とても美味しく、身も心も温まり、こんな美味しいものと久しぶりであることが多少悔やまれました。

デップリ太った友人Cさんは、「あまり美味しくはなかったね」と私に呟きましたが、否定も賛同もせず曖昧にやり過ごしました。

とんでもない!
麺も、チャーシューも、モヤシも全て美味しく、肥満しているCさんの隣にいた私は、安全のためスープは残しました。

そのことが悔やまれてならず、慚愧を1人噛み締めながら、今度は1人で何処か名店を検索して1人で出かけようと算段していました。

あと1回、付き合いで初詣に行かなくてはなりません。
初詣さえも浮世の付き合いがあるのですから、浮世というものもなかなか信心深いことをさせてくれるものです。
.03 2017 未分類 comment0 trackback0

謹賀新年

心地良い気候に恵まれた新年が明け、穏やかな元旦を迎えることができました。

まだ、初詣でには行っていません。
歩いて5分のところに由緒ある立派な神社があるのですが。

毎朝、ウオーキングのルートに入れている神社です。毎朝拝んでいますので、「また、お前さんか」と神様に言われそうなので。

時間はたっぷりありますので、三ヶ日が過ぎてから、落ち着きを取り戻した頃を待って神社に行くつもりです。

三ヶ日は、ウオーキングもお休みしていますので、神様も「お前さんのことは見飽きたよ。毎日毎日よくも願ったり祈ったりすることがあるものよ」とは仰らないでしょう。

なにも新年だからと殊更、お参りをしてもしなくても良いとは思いますが、気持のメリハリのために行くようなもので、それなりに精神の安定の効果はあるのではと思う程度の定番行事です。

何をするにも、現役の忙しい人達の邪魔をしないようには心がけて日常を生きています。

本当に忙しい人達が群れているところに行くと、心拍数は上がり、血圧も上がる。
なにもしていないのに、何かをした錯覚に陥る気がするようになりました。

自分が主体的に何かをやった気になれるためには、ピークをずらしたりタイミングをずらしたりすることが良いような気がしています。

皆様におかれましては、本年もお健やかにお過ごしなさいますよう祈念いたします。

健康と穏やかな心。
年寄りにはとても大切なことだとつくづく思います。

この穏やかな心というのが私には苦手なのですが、だいぶ訓練ができてきました。
今年は、さらに磨いていこうと期しています。

そして、避けられない加齢に伴う様々を、可能な限り意識しないで生きていけるようにしたいものです。
.02 2017 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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