最近の私の運動とその目的

以前のような気迫のこもった運動は影を潜め、高齢者らしい、控えめな運動量になりました。

エアロビクス週に2回。
ヨガを週に2回。
ボディーコンディショニングを週に1回。
ゴルフエクササイズを週に5時間。
ウオーキングを毎日1万〜1万5000歩。
などが主たるものです。

ジムに積極的に通って一通りのメニューを体験した結果、対象を随分と絞りました。

理由は、1つは、健康維持のためにジムに通っているのに食事のリズムを狂わせては本末転倒となるからです。したがって、夕方から以降のプログラムを割愛しました。

2つは、今年の3月にアキレス腱の外傷を経験して、気付かないうちに疲労が蓄積していることがわかったからです。

3つ目は、よく言えば真面目、悪しくいえば、年甲斐もなく若い人たちに負けまいと無理に背伸びする悪い性分が直らないので、体に対する負担がバカにならないからです。

その分、私が自分でゴルフスゥイング・エクササイズとよんでいる運動を、好きな時間に好きなペースで行うようにしました。

コースではとても実践できないスゥイング。
理想的なスゥイングといわれる方法を時間をかけて練習しています。

長年の悪い習慣が染み込んでしまい、手の施しようなのない末期癌のような私独自のスゥイングから見れば拷問のような美しいスゥイングを
無理やり行って、眠りこけている筋肉を引き延ばしたり縮めたりしています。

そうすると、もう少し肩や背中に筋肉が欲しいとか、太ももにも欲しいとか、二の腕にもとかなにかと欲求が起きてきます。

それについては、自宅でやるかジムのトレーニング室で行うなどをしたくなってきます。

余生を、長くなくてもよいから自立した生活ができるようにしたいからという理由で鍛えていたのですが、目的が最近変わってきました。

できるだけ長くゴルフをプレーしたいという目的に変わってきました。

漠然とした健康で長生きという目的より具体的でわかりやすくなりました。

循環器系も呼吸器系も消化器系もそれなりに順調でなければコースに出て18ホールズのラウンドは叶いません。

捻挫・突き指・ちょっとした外傷でもあれば、それだけでラウンドは叶いません。

遠くを望見していたような目的から、足元を見つめるような、天気予報のごとく当てにならないものから天気実況のようなものに変化しました。

スコアなどはどうでもよい。
1日ラウンドする気力と体力があれば良しという心境です。

幸い、ゴルフ仲間には事欠かず誘いはたくさんありますのでありがたいと思っています。

あとは、ゴルフにおいて叶わぬ夢を追わないことと、スゥイングの修正より、若い者に伍して頑張ろうなんて悪い性分を修正することに専念したいと、本気(⁉️)で想っているところです。
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.31 2016 未分類 comment0 trackback0

選手達を「この子達」と言う監督達の胡散臭さ

甲子園野球の監督達がよく口にする言葉に、「この子達がよく頑張ってくれた」と言うのがある。

昨日のプロ野球日本シリーズの優勝球団の日本ハム栗山監督も、「この子達‥」と言うコメントをしていた。

私には、落ち着きの悪い違和感を覚える表現である。
高校野球でも不適切な表現だと思っていたのに、まさに大人のプロ野球チームの監督が選手のことを「子供達」と表現するとは!

チームは家族、選手は「我が子達」という構造なのなのだろうが、私にはとても容認できない認識だと憤りを覚えた。

家族である球団の「オヤジ」として、選手を愛し選手の面倒を見るというのが、高校野球でもプロ野球でも監督のあるべき心構えだと認識しているのなら、これらはすべて「子供の遊戯の集団」であり、選手達は自立してプレーなり仕事をしているとは思えない。

日本的「おもてなし」にも、同質のものを感じるが、湿度と粘質の高い気持ちの悪い監督達の認識だと思う。

私だったらと想像すると、できるだけ早くこんな湿っぽい集団から独立してアメリカなりどこか外国に逃げ出し、1人のプレーヤーとして、1人の独立した人格を前提としたプロ野球選手として相対してくれるところに移動したくなる。

優秀な学者や、ビジネスマン、芸術家が海外に活動の場を移したがるのがよく理解できる。

監督などの迷惑な親意識とネチネチした嫉妬や、実力主義でない年長者意識などの、全身にまとわりつく粘質な家族意識に、我慢の限界を超える有能な才能が出てくるのも止むを得まい。

課長ごときがオヤジ意識を振り回す会社、陰湿な家族意識の医局や研究所など、優秀な才能を家族意識の中でもみくちゃにしてしまう。

「オヤジ意識」を振り回すことによってしかリーダーの務めを果たせない無能な指導者によって、どれほどの日本の才能資源を枯らしてしまったのかを、昨夜のプロ野球で再認識した。

私は、野球中継を観ることない。
例外は、日本シリーズの優勝がかかった試合のみであり、昨夜はじっくりと観戦した。

そこで、栗山監督の「この子達が‥」の言葉を耳にして、この世界もこうなのかと慨嘆した次第。

日本のプロスポーツ選手達の陰気な雰囲気が理解できたような気がした。

いま、オリンピックを控えてなにかと取り沙汰される「日本的 おもてなし」にも同質な嫌悪感を感じている。
.30 2016 未分類 comment0 trackback0

超高価ゴルフクラブ!

先日、日本オープンが終わって間もなくの「狭山ゴルフクラブ」でプレーをした。

その折、噂には聞いていたが国産超高価クラブというのに初めてお目にかかった。
フルセットで500万円ほどするらしい。

所有者はリタイアした普通のサラリーマンだった人らしい。
よほどの資産家か株成金か土地長者なのだろう。

私もそうだが、コンペの参加者が群がってなんだかんだと取り沙汰する光景が物悲しくもあり滑稽でもあった。

その人が私と同組となっていたのがなんだか煩わしい。
と、悩ましく思っていたら案の定。

プレーは二の次で、クラブの保全管理に小煩く立ち回るそのプレーヤーが腹立たしい。

腫れ物、宝物に触るような苛立たしい所作は、プレーの進行に差し障るばかりでなく、我々同伴プレーヤーの神経を逆なでしてやまない。

仄聞するところ、そのような高価ゴルフクラブを所有する者たちだけのコンペがあるはずだから、そちらのコンペに参加して伸び伸びとプレーしてもらいたいものだと内心憤慨するが、下手に注意すると反応が怖いのでじっと我慢の1日になってしまった。

しかし、そのような超高価クラブ所有者だけが一堂に会したコンペとはどのようなものなのかを想像すると面白い。

殿か姫様にお仕えするシモベのようなプレーヤーばかりで、殿や姫のごときクラブに傷がつかないようなショットをするプレーとなるとどのようなゴルフを展開するのか見学してみたいものだ。

これは観賞用で実用に供するものではありませんと、売る方が目的を限定して販売してもらいたい。

鼻垂れ小僧が大人になって、泥濘があることを承知の上で超高価な晴れ着を着てぬかるみの前で「俺はこんな所は歩けない」と、訳のわからない戯言をこねているようなもので、はた迷惑この上ない。

途中休憩の1時間の間に盗難にあわないようにキャディーのみならず、キャディーマスター室のスタッフにまで長々と頼み込む姿がいじらしい。

いっその事、一度車の中にしまいこんで、午後のプレーの際に再び持ち出してくればよいのにと、他のプレー達と小声で囁き合った。

「次回のプレーのときは普通のクラブを持っておいでなさいよ」と、余計なことをいうのが好きな私はついに言ってしまった。

すると、「残り少ないゴルフを、このクラブでやりたい。そのために買ったのです」と。
「だったら、普通に取り扱って我々に迷惑をかけなさんなよ」とは言えなかった。
.27 2016 未分類 comment0 trackback0

セルフプレーとはいいもんだ!
気が利いたキャディーならまだしも、気の利かないキャディーに当たればその日は一日中軽い鬱に見舞われる。

これが、ウッカリ結婚した女房だったら人生は壊滅状態に陥ると、想像しただけでも空恐ろしい。

その点、セルフは良い。
クラブの選択もグリーンの読みも全てが自己責任。

グリーンでパターの度にキャディーになんだかんだと問いただし、しかも高飛車な訊き方で、入らなければお前の責任だぞと言わんばかりの
勢いで念押しをする。

そして、毎回見事に外すバカプレーヤーにも困ったもので、これがどいつもこいつも入らなかったことをキャディーの所為にする。

アホキャディーには必ずバカプレーヤーがセットになるところに妙なるところがあるのが面白いが、こちらの脳が地崩れを起こしスリーパットの連続となるとゴルフは不健康スポーツとなってしまう。

その点、セルフプレーは実に良い。

ところが、先日プレーした千葉の某クラブでは、キャディーが全員美人揃いであるばかりでなくレストランのスタッフもモデルクラブからピックアップしてきたような目も覚めるような美形揃い。

キャディーとしての能力は問わないというのが、このような場合の昭和生まれのジジイたちの暗黙の了解事項なのだが、このような場合でもネチネチ絡みつく野暮な奴がいる。

キャディーをチェンジする資格がない以上、このような不愉快なプレーヤーを排除するのが、ゴルフをして健康的なスポーツとして楽しむに必要条件となる。

排除するのに無駄なエネルギーを使いたくなければ、こんなプレーヤーがいるコンペの誘いを断ればよい。

智慧ある名プレーヤーである、かのシャーロックホームズならばどのようにするのか、タイムスリップして教えを請いたいところだ。
.27 2016 未分類 comment0 trackback0

放牧

数日前、千葉の奥地で開催されたコンペに参加してきました。

18ホールズ ✖️ 3 、54ホールズの大規模ゴルフ場でした。初めての体験ながら、あまり良くない予感に幾ばくかの恐れを感じていましたがまさに的中。

アプローチから見える駐車場にはビッシリと車が停められ、玄関前は10台ほどが列をなしていました。こんなことは初めての体験で、すでにプレーヤー達は殺気立っている様子。

クラブハウスは、焼け跡のバラックよりは少しましな物で、フロントの前にも人だかりがしていて、我先に殺到するような有様に戸惑いました。

キャディーマスター室の前は、スタートを待つ人や喫煙者で人混みができ、大声で仲間と話す声もひときわ甲高い。

次から次に集まってくる牛馬をうんざりしながら放牧する作業しているような扱いを受けて、やっと準備が完了。

練習グリーンに行ったら、新宿駅の雑踏のような混雑ぶりで、ガニ股の人の脚の間を転がすような感じ。
先の見通しの良いガニ股があったのでその方向に転がしたら、なんと!女性の股下でした。

さて、放牧されたコースに行くと、何処となく緑が美しくない。殺到するプレーヤーに踏みしだかれた芝草は疲れ果て過労死寸前の状態。

バッティンググリーンにあがると、老化現象なのかアチコチにハゲがある。エアレーションの穴と撒かれた砂が物悲しい。

さて、午後のラウンド前に例によって食堂へ行くと、高層ビル工事現場の飯場のごときレストラン。

すっかり食欲をなくしたものの、メニューからトンカツを選んだら、豚の煎餅のようなカツが運ばれてきた。
添え物の卵焼きは、戦後に流行った卵の増量作戦のようなものが仕込まれた妙な色合いをしていた。

パック料金に含まれている昼食のようでしたが、箸がすすまず、ここで俄かに断食の決断をしました。
「私は昼食抜きの生活なので」と言い訳をして、ほんの少し食して箸を置きました。

隣席のプレーヤー達は、酒盛り状態。グビグビと日本酒を喉に流し込み、怒鳴りあうように楽しそうに会話をしている。

プレー後、風呂にも入らず早々に引き揚げて帰路につきました。

放牧の牛馬から人間に立ち戻るのにしばしの時間が必要でした。

コンペの主催者から、12月にも開催する旨のアナウンスがありましたが、また、このコースらしい。

親しい人からの誘いで参加してみたものの、プレーに関わる数多の悲哀を上まわる悲惨な心境を思うと、今からお断りする理由を思い巡らせているところです。

よい体験をしたと思わざるをえません。
.22 2016 未分類 comment0 trackback0

教え魔虫にかまれた

インドアでゴルフの練習をしていると顔見知りの老人が1人シワシワと近づいてきた。
この練習場に生息する教え魔というお邪魔虫数匹のうちの一匹。

私の斜め前方で腕組みをして凝視し始めた。
呼吸が乱れる私もだらしがない。
スウィングが乱れるとたちまちその虫の餌食になることは明々白々。

自然界に生息する私の知る限りの虫には無頓着なのだが、このての虫には多少緊張する。
気構えに左右されるスウィングがたちまちおかしくなり始めた。

すると、そのタイミングこそ絶好の食べ頃だとばかりにその虫が襲いかかってくる。
その襲撃から逃れるのは難しい。

追いはらうわけにも叩き潰すこともできない。
私に襲いかかってきたのは、いまはクラブを握らない84歳のジムの長老たちの1人。

ゴルフ現役時代の赫々たる戦歴も知らなければ、いまのスウィングを見たこともない。
所詮アマゴルファー、よほどの人でなければ大したことはないはず。

ところが、そのご老人は、教え魔となってから数年、日本アマのチャンピオンだったかのごとくの言動をすると評判の御仁。

左腕の伸びが足りない。
スウィングが早すぎる。
ヘッドアップしている。
バックスウィングのとき左膝が伸びている。

私が必死で巡らした急拵えの結界を難なく突破して来た。そのタイミングは絶妙。さすがに教え魔として恐れられているその道の歴戦の強者。

難聴なのか、声もでかい。
狭い練習場の静寂は破られ、ご老人の声がガラスを振動させるほどに響き渡る。

5打席の練習場の全員がレッスンを受けるはめに陥った。

2人はうまくタイミングを掴んで引き上げたが、私の戦後の人はなんとか耐え忍んでいてくれた。

老人は、特有の鈍感さと繊細さを同居させている。その繊細さを傷つけては気の毒なので、私もなんとか耐え忍ぶ。

その不快さを誤魔化すためになんとなく笑顔を作ってみるが、歪んだ笑顔になりかねない。
笑顔を修正することに専念するあまり、ご老人の教え通りに身体が動かない。

チョット休憩してご老人のご高説を拝聴して心機一転、その教え通りにするしかこの場を早く終わらせる術はなしと悟った。

ご老人レッスン教師さまにとっては60点くらいのところまで達したところで、こ奴はこれくらいが関の山と諦めさせることに成功した。

やっと解放されたときは、心身ともに疲れ果ててしまった。

今後は、このご老人がフワフワシワシワと舞い込んでくる時間帯を避けなければならないという、新たな課題が生じた。

効果抜群の防虫剤を手に入るれまで、逃げ回るしか策はなさそう。
.14 2016 未分類 comment0 trackback0

ホールインワン保険という摩訶不思議

狙っていれば偶然で達成することがあるのがホールインワン。
同じように、いくら狙っても達成できないのもホールインワン。

中部銀次郎氏は、4回のホールインワンをしたがすべてミスヒットだという。
何故なら、彼はいつでもピンを狙わずグリーンの中央を狙っているので、ホールインワンはミスヒットの結果だという。

「言ってみたい!」、その一言。

だから、貴方はホールインワン保険に入らなくてもよい。
何故なら、貴方はいつでもピン狙っているから。
そして、必ずミスヒットをするのだからカップインするはずがない。

「言ってみたい!、この一言。

私は、狙ったことはないし、最近はグリーンにワンオンすらままならないのでホールインワン保険の必要は全くない。

54年に及ぶゴルフの中で、「あわや!」ということすらなかった。

万万が一、そのような神の戯れが起きても、「祝ってくれ」という気もないし、友人知人に記念品を贈るなんて気はさらさらないのでホールインワン保険はやはり必要ない。

この世は分からないことばかりだが、ホールインワン保険に加入してまでバカ騒ぎをする習慣です。

ホールインワンを達成した場合に自らの祝賀会を開催したり、記念品を配ったりする慣習は、他の国ではあまり見られません。せいぜいホールインワン話を肴に乾杯が行われる程度です。ただし、主にアジア諸国で、日本人の影響を受けたと思われるイベントやプレゼントはあるようです。

しかしながら、全体的に日本ほどホールインワンに対して「特別な出来事・生涯に一度の奇跡」というイメージはありません。

日本でのゴルフと言えば、金持ちの道楽のイメージがありました。ですから太っ腹なゴルファー達には、ホールインワンという嬉しい出来事をお裾分けするような感覚があったのでしょう。

また一説には、滅多に起きないような事態が発生したことで、それ以上の不測の事態が発生しないようにとの願いを込めた厄除け的考えがあったとも言われています。

どちらにせよ、ホールインワンに対して特別な意識を持っているからこそ「何かをしなければ」という思いに駆られるとともに、ホールインワンという凄いプレーを、他の人に知らせて自慢したいけれども“タダ”では申し訳ないという日本人的謙虚さが反映しているのではないでしょうか?

自慢したいのと謙虚さが同棲しているところに、今の日本が抱える矛盾の一端が垣間見えますね。

自分のプレーに対して自分でお祝いをするという、なんだか恥ずかしいような行為ですが、日本のゴルフでは、それが当然の計らいだったのでしょう。

中部銀次郎氏のようにミスヒットが生んだ偶然と、淡々としている方が私は自然だと思えますね。

「お前にホールインワンが出たらどうする?」と問われれば、勝手に大騒ぎしてくれたその時の同伴プレーヤーに、お騒がせしたお詫びに、クラブハウスでご馳走でもして「それでお終い」です。
.12 2016 未分類 comment0 trackback0

お笑い芸人とは?

漫才師でもなさそう、落語家ではまるでない、お笑い芸人とは何者達?というのが、ここ2、3年の間私にはわからなかった。

お笑い芸人とは、自分勝手に大笑いする芸人なのだと思えば得心した。

お笑い芸人とは、笑声の挿入と本人の作り笑いを構成して放映中ひたすら笑いっぱなしの虚しい「芸ノー人達」のことだと思えば得心した。

聞けば、デビューして20年とか30年の人たちらしい。
この人たちが活躍(?)し始めた頃から30年近く、私は殆どテレビを観ていなかったことになる。

近年、テレビを観るようになって、お笑い芸人という人たちを知った。

最初の頃、ひとつバカ笑いでもしてみようと思い、この人たちの番組を観てみたが、なぜか面白くない。しかし、番組全体は笑い声が溢れている。

その後、何度か観てみたがまるで笑えない。
しかし、本人達は大笑いをしている。番組参加者達と思われる人たちも大笑いしている。
不思議なことがあるものだと、何度か付き合ってみたが笑えない。

自分がおかしいのかとも思い、気持ちを素直に整え直して臨んでみたが、笑えるどころか腹が立ってしまった。

私が落語離れをしたのは、林家三平とか立川談志などが持て囃されるようになってからだ。
片やバカバカしく、片や妙に偉そうなばかりでアホらしい芸とやらにホトホト困り果てたからだ。

「山のあなあな」とかを繰り返す摩訶不思議な落語家などもそうだった。無理をして見続けてみると虚しさと悲しさの感情を抑えがたく、とても笑える代物ではなかった。

その上、
現在のそのお笑い芸人達の一部には「巨匠面」しているものすらいる。

空虚な乾燥した集団の笑声の挿入と自分達で笑いあう「お笑い芸」だと思えば納得はするが、こちらが笑える芸ではない。

早くテレビから、このような人達を追放して、かつてのような本物の漫才師や落語家に活躍してもらい、腹を抱えて笑えるようしてもらいたい。

先日。「笑点」という番組を観てしまった!。
落語家達もおかしくなってしまったようだ。バカバカしくて大笑いできるのならまだしも、物悲しくなってしまうようでは体に良くない。

「お笑い番組」をみて、嘆き怒る私がズレてしまっているのだろうか?

ならば、このままズレっぱなしでいたほうが良さそうな気がしている。
.09 2016 未分類 comment0 trackback0

真相は逆なのだ

20歳のときに始めたゴルフですが、以来50余年。最近再びゴルフにたいして沸々とたぎるような情熱がほとばしるようになって制御が難しい。

この半年、保土ヶ谷や霞が関などのコースから、平日割引クーポンのようなものがあるクラスのコースまで、様々なコースでプレーする機会があった。

そこで面白いのはドレスコードという代物です。厳しいコードを強いるところもあれば、かなりくだけた形(なり)でも可能なところもある。

「ゴルフは紳士淑女のスポーツ」であるとはよく知られること。

これは、紳士淑女でなければゴルフをしてはならないということではない。
ゴルフクラブでは「紳士淑女のごとく振舞え」ということが真相。

でなければ、悪徳政治家や詐欺師まがいの人達が一流コースでプレーしていることが許されるはずがないし、メンバーになれるはずがない。

高額の入会金や年会費を支払うことができるのは、法人会員か資産家の個人でなければ不可能なこと。

真の意味があるとすれば、その真の意味で、資産家で紳士淑女となれば、日本広しといえども数は限られるし、ゴルフに興味がある人となるとさらに限定される。

一流法人といえども、そこの役員が一流の人士である証とはならない。

そうすれば、スコットランドの真似をしたければコース側としてもなんらかの歯止めはかけなければならない。

それは、「頼むから、どんな奴であれ、コースに来た時だけは紳士淑女であってくれ!」ということになる。

つまり、ゴルフの場合は、娑婆でのことは関知しない、クラブハウスとコースにいるときだけは、真似事で良いから紳士淑女を演じてくれというのが本音であり、真相だろう。

トイレで、紳士用淑女用というのは、お願いだから汚さないように綺麗につかってくれ。
紳士淑女が必ずしも綺麗ではないが、紳士淑女の語感がもたらすような使い方をしてくれ!
さもなくば、清掃の人件費がかかり過ぎて困るからというところだろう。

ある暑い日に、ポロシャツの裾をズボン中に入れないままうっかりキャディさんマスター室の前に行ってしまったことがあった。

そのゴルフ場のロビーはさながら小型スーパーがコンビニのようになっていて、どこを歩いても商品に身体が触れるほどの過密展示状態。

このような猥雑なカントリークラブの体験はあまりないので、私もついうっかりしてしまった。

ところが、キャディーマスター室の前で、地元のアンチャン風の職員から、「お客さん、シャツの裾をズボンちゃんと入れてください」と注意されたときは、恥ずかしさで茫然自失。

自分のうっかりだらしなさに恥じ入りながらも、これが日本の紳士淑女道だと再認識した次第でした。
.08 2016 未分類 comment0 trackback0

ジム的生活

じむてき【事務的】とは、
感情を交えず、事務を処理するように冷静に物事を扱うさま。「━に処理する」「━な応対」などと使うことは小学生でも知っている。

たまに、「毎日どのように生きてる?」という、ドギマギするような質問をストレートにされることがあります。

このようなときは、一瞬の間をおいて、「ジム的に生きてるよ」と答えることにしています。

奔放に生きている時代の私を知る人は、「へー!信じられないねー」と反応するし、生真面目で几帳面な時代を知る人は「相変わらずのようだね!」と反応します。

もっとも、「事務的生活」なんて表現はありませんので、皆さんそれぞれ理解の幅を拡大して解釈してくれているのでしょう。

もちろん、杓子定規な面白くもなんともない生活をしているわけはなく、若い頃より今の方がもっと奔放に生きているような気もしていますが、奔放の方向は大きくスライスしたりフックしたりして、奔放の王道を歩く元気はもはやありません。

「ジム的生活」に対する反応は相手の思いのままに放置して、反応に応じて、その流れのままに話を合わせています。

相手が私に対して確立している人間観を今更変更してもらう気もないし、もしそのように思うと膨大なエネルギーを要することになります。

もとより、几帳面な側面といい加減な側面の両方を持ち合わせている自分ですから、相手の反応に間違いがあるわけではありません。

ただ、一面のみに偏っている相手の話のペースに合わせるのに存外エネルギーが要るのと、内心肯定したり否定したりしながら応じることに面倒くさくなることは確かです。

人生という川の流れも、急流もあれば、停滞して淀んでいるときもある。美しい自然景観の中を流れているときもあれば、諸種の排水で汚染された状態のときもある。

その時々に触れた相手が居る訳で、いちいち今の自分の流れに引き込むエネルギーはすでにないし、する必要もないでしょう。

「ジム的」と、私が表現するのは外でスポーツをする機会も減り、ふと気がつくと読書に没頭して運動不足で脳が停滞する傾向にあるのを打開するために、ジムに行き大汗をかくことで体調の辻褄を合わせていることをサラッと言っているにすぎない。
.08 2016 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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