暑くて熱い夏

オリンピックがやっと終わり、テレビも冷静さを取り戻してくれるかと思いきや、よくもまあ次々と世間を騒がす事件というものは起きるもので、相変わらずの喧騒の毎日が続いている。

「オリンピックは参加することに意義がある」とかなんとか言われていた時代を長く生きてきた身としては、日本の変わり身の早さにいささか面食らっている。

獲得メダルの数を競う事が、今年ほど強く前面に出てきたことはないように記憶している。

これは大きな変化であり、控えめといわれた日本人が臆面もなくオリンピックの舞台で勝負に勝ち、経済のみならずスポーツでも世界の強国にならんとする意志の表れでもある。

選手たちの意志や思いはまだまだ純真なもので、「父や母のため」であり、「監督を信じて努力した」結果であり、どうせやるなら、メダルをもらいたい。

それも、銅よりは銀、銀よりは金が欲しいという程度のもののような気がする。

ところが、一方では、オリンピックはスポーツの世界戦争の如き取り組みをしている国もある。

それが近隣の国となると思わず競い合うようになりやすい。

そして、それが国家間の戦争の代替行為となりやすい。

次期東京大会のメダル獲得目標を掲げる事自体は大いに結構だと思う。その為に若者たちのスポーツへの関心が高まり、我が国の若者の体力が向上し健全な競争心が涵養されるならますます結構な事だと思う。

しかし、一方、メダル獲得数を競い合う事を通して、国家間の競争心を植え付け、競争心が闘争心にまでエスカレートされる事に危惧を覚える。

当面の仮装「競争相手国」が近隣国であるだけに、競争が闘争にスライドしやすい危うさを覚える。

四年後のオリンピックまでの4年間を為政者がどのように利用するかを凝視していたい。
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.26 2016 未分類 comment0 trackback0

フラッグ ハンド オーバー

次のの開催国日本にオリンピック旗が渡された。
その式場のステージに女優の「アキ竹城」さんが立っているのかと目を疑った。

まさかそんなはずはないと、目を凝らして見たほど都知事の小池百合子さんの貫禄たるや大したものだった。

思わず、小池百合子さんの未来の姿を見たような気がした。
和服の襟から雨が降り込んでさぞかし大変な状況だっただろう。

しかし、現在の女丈夫ぶりと近未来のさらなる女丈夫ぶりを想像する限り当分何があっても大丈夫そう。

艶っぽくしなやかでしたたかな、初めての女性都知事の粘り腰を期待してやみませんが、危うい側面も多々ありそうで、都政のこれからが大変です。

女の敵は女のとはいえ、「他人不幸は蜜の味」というのは、女より男の方が得意とするグルメの傾向と言われます。

密かに蜜を舐めたい男が多い都政の修羅場を乗り切るには、本物の「アキ竹城」のような凄みのある貫禄を身につけた方が良いのかも。

その後の「安倍マリヤ」ならぬ「安倍マリオ」には呆れてしまった。世界に恥を振りまいた愚挙の極み。

聞くところ、森喜朗氏の発案に安倍晋三氏が乗ったものらしい。

このコンビが作り出す「東京オリンピック」に不安を感じる。
.26 2016 未分類 comment0 trackback0

盛夏のカフェ

ある日の新宿のカフェでの情景。
鶴のように痩せた長身のという表現があるがまさにそのような老人が1人カフェの片隅に座っていた。

なにが気になったかといえば、原宿の竹下通りに来た近郊の少女が食べるような「‥パフェ」なるものを前に深いため息をついていたからです。

パフェは今や200種類以上あるといわれ、フルーツ各種にスゥイーツ各種を東京タワーを超えてスカイツリーほどの高さにまで盛り上げたかと見紛うばかりの、極彩色の豪華な食べ物として甘党には堪えられない代物‥らしい。

炎天下で息も絶え絶えになった甘党の老人の頭の中では200種類のパフェが乱舞し、急ぎカフェに入りどれでもいいから早く食べるように唆していたのかもしれない。

早速飛び込んだカフェで「‥パフェ」と注文したのだろう。

それから、おそらく差し出された氷水を何枚か飲んだのかもしれない。

混んでいた店内だから、「‥パフェ」が運ばれるのには多少時間を要したのかもしれない。

「‥パフェ」がサーブされた時には身体はすっかり冷え切って、薄手の半袖シャツでは過ごし難いほどの店内の冷気に気づいたときはすでに手遅れ。

目の前の「‥パフェ」のタワーが南極の氷山の如く迫ってきていたのかもしれない。

痩身長駆の老人は既にカフェ内の寒さで鳥肌が立っていたのかもしれない。
そこに、さらに氷山が運ばれて来たのだから堪らない。

そのタワーの一部にわずかな崩れがあるのは、それでも勇気を奮って鍬ならぬ小さなスプーンで削り取って口にしたのかもしれない。

でも、寒くて寒くてこれ以上は食べられない。
食べれば風邪をひくか腹を壊しそうな恐怖に襲われていたのかもしれない。

じっと「‥パフェ」を睨みつけるように眺めながら長嘆息をしている姿が気の毒でもあり滑稽でもあった。

私もそうだが、ひとはいまの苦痛を逃れることに汲々として、一寸先は闇とも言うが、一寸先のことすら考えられない。

外科の教授の手術のアシスタントをしていた若い頃、教授の口癖であった「予測の行為ができるか否かが大事だ」というのをよく思い出すが、出来るようでできないのがこの予測の行為である。

でも、今時の夏場のカフェが寒すぎるくらいに冷やされていることくらいは予測ができる。予測なんて代物ではないといえるくらいの常識の1つ。

カフェに入れば瞬時に身体が冷え切ってしまう。

老いた身なのだから、カフェに入ったらまず冷たい水でも飲んでから、身体の事情にあったものをオーダーするくらいのユトリがほしいものだ。
.19 2016 未分類 comment0 trackback0

ホットかアイスか

先日、いつものようにカフェで涼をとりながらメールをチェックし、日刊紙を開いていた。

隣の席に中年の女性が2人、火照った身体を急いで冷蔵庫にという体で着席した。
さながら、湯たんぽが二個搬入されたかのようだった。

1人はホットコーヒーを、もう1人はアイスコーヒーをオーダーした。

「あらあなた、夏でもこんなに冷えたカフェではホットを飲むべきよ」とホット女性が甲高い声を張り上げた。

すると、アイスの女性は多少意固地になって、「私は夏はアイスと決めてるの」と言い張ってアイスコーヒーをオーダーした。

太めの2人の女性は吹き出る汗を拭き吹き忙しい。その最中、ホットの女性が吹き出る汗にもめげずに「身体を冷やすと健康に良くないのよ」となにやら健康論をブチ始めた。

それにしては、2人とも冷え切った水を一息で飲み干していた。

炎天下を急ぎ足でこのカフェまで歩いてきて、まだ息が上がっているせいもあって声が大きいし高い。
隣席の私の集中は邪魔され、その話が一段落するまで目も手も止めて天上を眺めることにした。

ホット女性の身体を冷やすの論はなかなかのもので、概ね的を射たものだった。
感心しながら拝聴しているうちに、ホットとアイスが運ばれて来た。

フェイクのミルクと甘味料を使用しないところはさすがだと感心した。2人ともブラックのままに口をつけていたので安心して自分の作業に戻った。

20分ほどしてふと隣に目をやると、何をそんなに話すことがあるのかというくらいお喋りに夢中。

アイスコーヒーは緩くなり、ホットコーヒーは冷房のせいで冷えてしまっている。

つまり、お喋りに忙しい2人のコーヒーは殆ど同じ温度になっているのが可笑しかった。

中華医論によれば、南方の産物であるコーヒーは身体を冷やすと言われている。
紅茶の方は逆に温める飲み物に分類されているようだ。

因みに私は、冬は外が寒いのでホットコーヒー。夏は店内が寒いのでホットコーヒー。
年がら年中ホットコーヒーをオーダーして一口目の暖かさで暖をとっている。

それにしても、最近の夏の店内は寒すぎる。長居しないで早く出てくれということだろうから、早々に手仕舞って店を出ることにした。
.15 2016 未分類 comment0 trackback0

新鮮なオリンピック‼️

連日、熱戦が繰り広げられているリオ・オリンピックに私も熱い声援を送っている。

過去のジムライフとは違って、心機一転!、健康維持のためにジム通いを始めてかれこれ一年。

揶揄気味の視線を多少は感じながら、スタジオプログラムに相変わらず参加しています。

そして、身体操作が意のままにならず、全てのエアロ系のプログラムではホゾを噛む思いを繰り返しています。

以来、体操に限らずあらゆるスポーツ選手の身体操作能力の素晴らしさに、あらためてではなく、初めて注目するようになりました。

机上の学問(学問という言葉も死語になりつつありますね〜)に重きをおく思考回路を生きてきましたが、運動能力という能力の偉大さに感嘆し感動する昨今です。

あえて単純化することを許されるならば、脳のどの分野が優れているかの違いであって、いずれも優劣をつけがたい能力であることです。

社会システムが学力評価をもとに構成されているが、いったんことがあれば身体操作能力の優秀なものにとって代わられる。

学校でも、学力偏重になることなく、身体能力にも軸足を置いたシステムが必要であり、人間の評価が学力偏重になることを改める必要があるだろう。

最近、身体能力の優れた運動系の人達の凛々しい顔つきやメリハリのある身体操作に見惚れてしまうほどの自分に驚くことがあります。

そのような観点から、このオリンピックを観戦してみると、過去の自分が感じたものとは全く違った世界が見える気がしています。

きょうも、これから、壊れかけたロボットを無理やり動かすような情けない身体操作を他者の目に晒しながら、スタジオでヨタヨタと踊りまくって(自分としては踊っているつもり!)、枯れつつある我が脳の担当分野に水と栄養を補給する作業をしてきます。
.11 2016 未分類 comment0 trackback0

天皇のお言葉

午後3時から10分間、私もテレビの前で畏まって映像を見、お言葉を拝聴した。

終戦時の玉音は家族全員でラジオの前で頭を垂れて拝聴したらしいが、私はよく覚えていない。

産炭地の空を覆った焼夷弾や防空壕生活の記憶は未だに生々しく残っている。

終戦時の玉音と今日の天皇の談話が重なるのは、戦時中生まれが故の世代的なものなのだろう。

生前退位については関係各位の速やかな対応を心から願いたい。

今日、気がついたことがあります。

天皇には好悪の念を向けたことがないということです。
昭和天皇にもそうだったことをあらためて思いました。

権力者に対しては好悪の念をもろに向けているはずなのに、何故か、天皇をそのような目で見たことはない。

私の世代は、象徴としての天皇しか知らない。

権力者に利用される天皇しか知らない。

喜怒哀楽を極限まで抑制し、日本国家と国民統合の象徴として生きるということは、このような人物像を呈するものなのかと思う。

高齢者、世間で謂う超高齢者の天皇には残りわずかの時間を本当の意味での人間天皇として生きて頂いて良いのではないか。

今日、初めて好悪の念を感じない人物を凝視し、そのお言葉を拝聴したことに感動しました。
.08 2016 未分類 comment0 trackback0

気になる会員

ジムには様々な人が多様な営みを見せてくれる。その中に、とても気になる興味深い人がいます。

女性で、年の頃は50歳前後かと見えますが、上背があり全身にたっぷりと脂肪が纏わりつき、威風堂々たる風姿の愛想のいい人です。

ジムに来るや、そのまま2階のマッサージチェアが並ぶラウンジに直行。

彼女にとってはサイズが小さいチェアに上手く身体を畳み込み、キチキチという状態ですが、それなりに落ち着くようにも見えます。

立位でも盛り上がっている腹部は、無理やりチェアに押し込んで座った後では、彼女の眼下にテーブルのようになっている。

つまり、本だろうが、持参した駄菓子だろうがなんでも置ける携帯テーブルのごとしです。

問題なのは、それからです。
数時間の間、テレビを観たり読書をしたり居眠りをしたりして過ごしているのです。

ただそれだけ。
他の人に聞いてみると、ほぼ毎日そのようにして数時間を過ごしているらしい。

しかも、古い会員らしく、その彼女がジムで運動をすることも、スタジオでエアロやヨガをすることを見たことはないという人がほとんどです。

私も、このジムに入会後半年以上になりますが、気になり始めてから今日まで、マッサージチェアにスッポリ嵌まっている姿以外を目にしたことはない。

イメージトレーニングをしているのかと思ってもみるのですが、ほとんどテレビを観ているか居眠りをしているので、何かの目的で積極的にイメージすることは不可能のようです。

ジムに来るだけで痩せる。
ジムに来てラウンジでジッとしていても痩せられるということが全く不可能とは言い切れませんが、この場合はそれとは違うようです。

数年間、彼女をよく知る人によれば、その姿に変化はなく、最近ますます肥満が進んでいるらしい。

1日のうちの数時間、煩瑣な日常からジムに逃避して、ユッタリとした時の流れに身をまかせることが彼女にとって至福のひとときなのかもしれない。

彼女の脳にとっての安息のひとときかもしれないし、身体の休養にとって代えがたい価値あるひとときなのかもしれない。

運動をするつもりで入会したが、なんらかの理由で運動をするより安息の場としての利用価値が優勢となったのでしょう。

せめて、毎回10分でもよいのでイメージトレーニングをしてもらいたい。そして数ヶ月後にその成果をみてみたいと思いますが、頼むわけにもいかず、余計なお世話をするわけにもいかず、今日も、ますます窮屈に座っている彼女を複雑な思いで見ているだけです。
.08 2016 未分類 comment0 trackback0

身体を動かさなくても、筋肉が鍛えられる!

健康的な身体でいたい、と思っている人はたくさんいますが、なかなか忙しくて運動する時間がないのも事実。

運動する自分を想像するだけで、実際に筋肉増強が可能だという説Michael Mosley教授研究チームがこのほど発表しました。

この説は、アスリートが「ライバルより自分のほうが優れている」と思い込むときに使う、“Mental Imagery”“Motor Imagery”と呼ばれるイメージトレーニングと同じ手法です。

調査結果
今回の研究では、多発性硬化等により、運動をしたくてもできない人を含めた7名のボランティアに1か月、週5回のメンタルエクササイズを行ってもらった。

調査前に、「腓腹」というふくらはぎの筋肉量、筋肉の強さを測定した後、筋トレをしているイメージをしてもらうという形をとった。

少なくとも一週間に15分、50回は筋肉を動かしているイメージをしてもらい、1か月後にまた筋肉量等を測定した。

驚くことに1か月後のトレーニング後、筋肉の強さは平均8%上昇!
結果、1人の女性は数値が33%も上昇した。
筋肉の強さは変わりましたが、当然ながら筋肉量は増えていなかった。

“すごい結果だよ。筋肉自体を大きくするのが目的ではなかったから、筋肉量は増えなかったけどね。” とはMosley教授の言。

どうしてこんなことが可能なのか。
電気刺激による測定で、その答えが明らかになった。

筋肉を動かしているイメージをすることで、被験者は筋肉繊維を普段より使っていることが分かった。

つまり、普段、筋肉繊維を50%程度しか使っていない被験者は、70%近く使うようになっていた。ということです。

脳はイメージトレーニングでリハーサルをしていた場合、普段よりも多くの筋肉を活性化させるよう指示を出すようです。

神経科学の分野では、以前から「脳と身体は密接な関係がある」と、ずいぶん前から立証されていたため、科学者にとっては驚愕の結果…!というわけでもないようです。

考えるだけで理想的なボディを手に入れることは難しいと思いますが、仕事中のイメージトレーニングで少しは効果が期待できるかもしれませんね。

寝たきりの人達も、筋肉を動かしているイメージを持つことでなんらかの効果を期待できるかもしれません。

時間と頭は使いようということなのかもしれません。
.08 2016 未分類 comment0 trackback0

トト姉ちゃん

仕事の一線を退いて以来変化した毎日の生活習慣の1つに、NHKの朝ドラを観ることがあります。

「あまちゃん」をみ始めてから、なんとなく毎日の生活のリズムの1つになっていまいました。

そして、現在の「トト姉ちゃん」。

これほどNHKならではのドラマはない。

それは、広告をいっさい拒否して、スポンサーの意向に左右されない雑誌作りのドラマであるという点です。

雑誌・暮しの手帖は我が家でも連れ合いが熱心に愛読していた関係から、広告を載せない雑誌という点にひとかたならぬ関心を持っていたことをよく覚えています。

このような雑誌についてのドラマは民放ではとても実現できないドラマでしょう。

これは、民放というのは、スポンサー次第で報道内容はいかようにも操作される。
NHKだからこそ、スポンサーのいないNHKだからこそこのようなドラマを作れるのだということを暗に示しているようなもの。

その点では、このドラマの楽しみ方は素直に受け入れられるのですが、NHKには、企業のスポンサー以上に強力なスポンサーが居ることを忘れてはならない。

視聴料金を強制的に徴収し、潤沢な財源を保証してもらっている国家権力という強力にして強大なスポンサーを背負っているということです。

この圧力の前には、文句なくひれ伏し、報道内容の手加減は極めて当然としているNHKの体質を看過できない。

製薬や食品業界などの直接の関与はないとしても、国家権力を介しての間接的な情報操作は日常茶飯に行われていることは、毎日の報道の内容を具に視聴していると明白である。

国家権力の統制下にある「公共電波」というものを利用している限り、ノンスポンサーで自由な報道というものはこの国には存在しえない。

新聞各紙は、権力と同衾を恥もなく言明しているものから、チョット脅かされれば即座に縮みあがって腰が抜けてしまうものまで様々です。

ネットのゲリラ的なものには信用を置けるものの判別は難しく、我々には公正な報道というツールが存在していないことは残念なことです。

それでも、ドラマ「トト姉ちゃん」の中で、精一杯NHKが、民放との差異を主張している姿勢に苦笑しながらも、偏向しないで頑張ってくれよと毎朝観ている次第です。
.03 2016 未分類 comment0 trackback0

有名人の死

このところ有名人のの死が盛んに報道されている。死者のご冥福は心から祈るのは当然だが、マスコミが煽るほどにはシンクロできない。

永六輔氏には興味がなかったし。大橋巨泉氏は嫌いな人だった。
ウルフ・千代の海の死には残念な思いがしている。

大橋巨泉氏は、その全盛期には、彼がテレビに出ているとすぐに他のチャンネルに変えるかテレビを消していた。

当時の、ハッパフミフミなどとおちゃらけた軽薄そのものの有り様は、彼以降のテレビ界を愚劣なものにしてしまった罪は重い。

生来の遊び人気質の彼にとって、テレビ界は遊びながら金と名声と地位を得る格好の「場」だったであろう。

だからこそ、その死がテレビ界を挙げて悼まれ、追悼特別番組が組まれたほどだ。

そのテレビ界でも、彼のような人物の評価がこれほどまでに高いことに内心面白くなく思っている人たちも多いはずだが、視聴率第一主義のテレビ界ではその死を臆面もなく利用せざるをえない現実にほぞを噛んでいるはずだ。

永六輔氏にしても、大橋巨泉氏にしても、稀代の遊び人をここまで好き勝手にのさばらせた日本のエンタテインメント界の今日の惨状を思えば、彼等を大げさに追悼することには大いなる疑問を感じる。
.03 2016 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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