新都知事誕生

小池百合子さんが圧勝の選挙となった。
増田さんも鳥越さんも冴えないオッさんだから、彼らが都知事になってもなんの期待もできないし、ワクワク感のかけらもない。

私は1週間前に不在者投票を済ませて今日の結果を楽しみにしていたのですが、下馬評通りの展開となったようです。

まあ、この3人の中では小池百合子さんが1番ドラマ性があり、なんらかの興味深い事象が発生しそうな予感があることは確か。

そこが女性がトップとなった時の意外性の発揮であり、安倍さんや自民党に対する恨みつらみがどのような形をとって具現されるかが興味深い。

敵失を含めて、時間の経過とともに書き換えてきた都知事選挙ドラマは完全に小池有利となり、最後は世の女性の圧倒的な支持を獲得することになった。

その周りで、鈍感なオッさんが2人ピエロを演じたようなもので、女性の怨念のパワーを理解できない男の哀しさか。

途中で完全に脇役と化してしまった増田・鳥越両氏はさぞかし苦しい選挙だっただろう。

ポピュリズムとか、戦後の日本型民主主義とかなんとかは今回は関係なさそうだ。

自民党都連の闇を牛耳る時代遅れの男とオリンピック・パラリンピックで蠢く魑魅魍魎を明確に指名して糾弾するかのような「女の度胸」に多くの女が喝采を送り、男達にも共感を呼んだ。

無能か有能かしれない官僚上がりの元地方県知事と、高齢で健康不安がある元ジャーナリストが敵う相手ではなかった。

先が予見される2人の男より、小池さんの方に予見できない波乱の要素があるという点でも、小池さんに託してみようという都民は多かったのではないか。

女のパワーの凄さにとことん振り回されてきた体験から、小池さんに言い知れぬ底力を嗅ぎ取った私は、3人の中では小池さんを選ぶことに躊躇はなかった。

増田・鳥越両氏には、才能も魅力も感じなかった。
ここは、小池さんの女の魔力に期待してみたい。

安倍さん、森の蜃気楼さん、都連の闇の権力者を自作自演して成功してきた内田さん。
この3人の男達が、小池さんに振り回される政界と利権業界の凄惨な修羅場をみてみたい。

金銭疑惑で退任した猪瀬・舛添両氏も小池さんを応援することで復活の可能性があるのかもしれない。

都政の闇を一度は歩いたことのある2人は、小池さんにとっては頼り甲斐のある道案内となれるだろう。

女の一念岩をも通す強烈なパワーに期待するが、道案内人を間違えるととんでもない方向違いとなってしまう。

都連の闇に対する意趣返しをこの際、小池さんと一緒になってやってみるのも良かろう。
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.31 2016 未分類 comment0 trackback0

追い立てられる

先ほど出がけに郵便箱から取り出した郵便物は、某ホテルからの「お正月プラン」なる案内だった。

カード会社からの機関紙には秋冬ファッション情報と紅葉狩りグルメ旅行プラン 。

今から、今年の猛暑予報にどのように対処しようかと思い巡らせているというのに、秋だ冬だ正月だと急き立てられる。

こうして逞しい商人たちに追い立てられるようにして今年もすでに半分以上が経過した。

1年間を、その季節なりにその月なりにその日なりにゆっくり噛み締めながら生きていきたいと思っても、耳目に触れる言葉や文字は何歩も先の世界に自分を追い立てる。

先日は、今年の暮れのゴルフコンペの予定が飛び込んできた。

毎年のこととはいえいい加減にしてくれと内心叫ぶが、一億の民全てが我先にと争って生きている現代では、のんびり構えていては何も出来ないということなのだろう。

ある日、「温泉に行きたい」と思い立っても気に入った場所の気に入った旅館をというわけにはいかない。

少なくとも1年前には予約しておかなくてはならない。

若い頃から、「3日後のことは分からない」などと言い、先のことを予約するなどということはしない方だったので、今の時代は、私のような者はますますやりにくい。

温泉旅行や観光旅行についてはメインストリートを歩けないオチゴボレのようなものなのだろう。

「そんなに先のことは分からないよ」などと言っていないで、その時が来たらその時だとばかりに先へ先へと突っ走らなければ人並みの楽しみは得られないのかもしれない。

でも、私はそのような生き方にシフトはできそうもない。
その時になったら、その時に可能なことで精一杯愉しむ。
それが不可能なら諦める。

外国人の観光客も急増している現在、ますます競争は激しくなっているらしい。

もっとも、外国人観光客については「水物」であり、為替次第であっという間に急変するだろうからそれほど気にもしていない。

それより、独りよがりの「おもてなし」なんて余計なことが残留して、年増の深情けのようなサービスに悩まされたくないと心配しているだけだが。

それにしても、今日の某ホテルからのお正月プランの案内をゴミ箱に捨てながらも、なんとなく世間から取り残されていくような寂寞感に寂しさを覚えるのも老人を生きている証なのかもしれない。
.31 2016 未分類 comment0 trackback0

ダンスショウを観に行った

昨日の土曜日、北沢タウンホールまで出かけてダンスショウに興じた。

ジムで、Jazz Dance のレッスンを受けている。
その美人インストラクターから招待状を頂いたので、花束を抱えていそいそと大汗をかきながら炎天下の下北沢へ出かけた次第です。

無論、ダンスショウに興味はあるのだが、下北沢というのにも心を動かされた。

学生時代、駒場の悪友や新劇の若手俳優たちと激しく議論し、飲めない酒に酔い潰れた下北沢には格別な思い入れがあるからです。

以来、50年ぶりの下北沢。
街の再開発に伴う発展ぶりや、下北沢劇場などができ相変わらず若者が集まる街としての情報は知っていたが、私の記憶にある下北沢とは違っているのだろうと思い、機会はあったが訪れることは避けていた。

炎天下の午後だから、街をつぶさに観察することはできないし、開演時間も迫っていたので、15分間ほど徘徊してタウンホールに急いだ。

住宅地の一隅にある隠微な感じの怪しげな街の雰囲気は無くなり、単なる流行りの繁華街になっただけの典型的な再開発タウンにはがっかりした。

舞台は、インストラクター嬢が所属するダンス教室の発表会。

ジャズダンス、ヒップホップ、ストリートダンスなどがこれでもかとばかりに繰り広げられた。

実は、このようなダンスショウは初めての体験だが、新しい出会いは新しい世界を見せてくれる。

行くのを内心躊躇しないではなかったが、良い機会だからと出かけてみた。

存在は知ってはいたが凝視したことのない人々の営みが舞台狭しと繰り広げられたのには圧倒されてしまった。

普段、ジムのスタジオでキビキビしたキレの良いダンスを見せてくれるインストラクターが群舞の1人であったり、ソロの踊りでは、スタジオで見る以上の切れ味鋭く目を見張るような身体操作を見せてくれたのには正直、感動してしまった。

見るもの聞くもの全てが、いつの間にかマンネリ化しているとは思っていたが、知らない世界に誘われたことに素直に応じてみて心から良かったと思ったひと時でした。
.31 2016 未分類 comment0 trackback0

Windows10にアップグレード

無償upgradeを残すところあと1日になってやっと作業をする気になった。
ほぼ1年間の間、やろうやろうと思いながら先延ばしにしてしまった。

老化とはこういうことを言うのだろうと、作業をしながら1人で苦笑していた。

娘に、今作業中だとメールしたら、私は使えないソフトがあると困るのでupgradeしないと返事があった。

ただ、そのメールの冒頭に「おおお!」とあったことがおかしい。
「爺さん、頑張ってるじゃん!」という感じがありありと出ていたのが面白い。

平素は全てiPhoneで済ませているのでパソコンを開くことが少なくなった。

だから、パソコンにしか入らないメールのキャッチが遅れて失礼することが多くなった。

もうパソコンはやめてiPhoneだけにしようかと迷いながらupgradeを先延ばししてきたのだが、あと1日とアナウンスされるとなんだか急に背中を押されてしまった。

Windows10の操作にはすぐ慣れたが、大した違いを感じない。
自分中でパソコンの比重が軽いからなのか、老化のせいで違いに鈍感なのかは分からない。

パソコン界の最前線にいるという安心感がしているだけだ。

娘が言うところの、使えなくなったソフトがあるのかもしれないが、どれが使えなくなったか定かでない。

そのうち、「あれっ?」となんとなく気がつくのだろうが、それまで放置するほかはない。

wifi通信を使ってモバイルを駆使すれば、iPhoneより強力なのだろうが、もうそんな場面は必要ない。

通信機器界の最前線に朦朧として漂う単なる一老人となったことをしみじみと感じている。
.31 2016 未分類 comment0 trackback0

自転車操業な日々

猛烈な猛暑に見舞われている。
まだ序の口で、今夏は例年以上の猛暑が列島を襲うと予報されているようだ。

早朝のウオーキングを日課としている私にとって、このところの暑さにはいささか閉口の体です。

今日も朝のウオーキングをすませシャワーを浴びて一息入れ、諸々の雑用を済ませてホッとしているところに友人から電話があり、昼過ぎに私を入れて4人で相談したいことがある旨の連絡があった。

指定の場所であるカフェまで、歩けば片道4,000歩位。

電車で一駅乗れば、駅から500歩くらい。
タクシーを呼べばほんの数分。

私が選んだのは、炎天下をテクテク歩くという、傍目にはあまり利口ではない方法だった。

老人は歩かなくなると歩かなくてもよい口実に事欠かない。
私には、3日歩きをサボるとそのまま歩かなくても済む生活になってしまう恐怖がある。

私の身体も、
創業以来70数年のオンボロ会社のようなもの。
取り扱い製品も、経営方法も時代に合わなくなっているのに細々と操業している会社のようなもので、ちょっとでも立ち止まると倒産という事態に陥る危機的な状況。

動いていなければ動けなくなる。
気持ちをかきてていなければ、気力も湧き上がらない。

心身ともに自転車操業のような毎日であることを常に感じながら生きている。

だからと言って、炎天下を4,000歩歩くことが健康によいのかとなると甚だ疑問なところ。

帽子とサングラス、それに日傘をさして紫外線から身を守りながらとは言え、炎天下の4,000歩をドボドボ歩く老人の姿は合理的でもなければ知的でもない。

立ち止まれば倒産という危機的事態にある自転車操業の会社みたいな、人生の終末に近い老人の血迷った所業にしか見えないだろう。

往復8,000歩。
なんだかんだで今日も13,000歩は歩いた。

これから訪れる猛暑な日々、このような自転車操業を続けられかどうか不安でもある。
.18 2016 未分類 comment0 trackback0

健康寿命という曖昧なこと

健康寿命(けんこうじゅみょう、英: Health expectancy, Healthy life expectancy)とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。

WHOが2000年にこの概念を提唱した。平均寿命から日常的・継続的な医療・介護に依存して生きる期間を除いた期間が健康寿命になる。

平均寿命は寿命の長さを表しているが、健康寿命は日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間を表し、健康寿命が高いほど、寿命に対する健康寿命の割合が高いほど、寿命の質が高いと評価され、結果として医療費や介護費の削減に結び付く。

世界保健機関も世界各国の政府や保健医療政策を管轄する行政機関(一般的には保健省という名称である)も、健康寿命を高め、寿命に対する健康寿命の割合を高めることを重要な政策目標にしている。

とまあ、このような堅苦しい面倒臭い定義をしているのが健康寿命だが、つまりは医者や薬や介護の世話にならずに、老ぼれながらもそれなりに元気で生きている間のことをいうことらしい。

生まれてこのかた健康寿命を生きてきたが、幸いにして74歳の今も医療と介護の世話になっていないということでは健康寿命の真っ最中であると言えるだのだろう。

QOL、つまりQuolity of Life を問われると途端に自信がなくなる。

質の高い人生をしているかと問われれば気恥ずかしくなってしまう。

ただ、医療と介護の世話になっていないことだけが問われるのならばまさにQOLの高い人生を生きていることは確かだ。

かと言って、五臓六腑隈なく健全でなんら問題はないかと問われれば、全く自信はない。

頻繁に検査を受けてはいないし、もっぱら自己診断で、根拠のない自信をもとにしているのだから怪しげなものだ。

部屋のタンスの裏の埃を見つけ出して「掃除ができていない」と騒ぎ立てて、タンスに傷をつけ、畳に傷をつけて「埃」を取り出し、「これで良し。掃除はうまくいった」と言うような検査を受ける気もしない。

毎日が絶好調であるはずもない。
仔細に身体の調子を問えば、なんだかんだと不調であることは多い。

だが、しばらく休養したり、食事に配慮したり、適度な運動をしているうちに体調は戻りなんら支障を感じなくなるということの繰り返しである。

こんなことがQOLの高い生活なのだというのなら、そのとおり、「私は質の高い生活をしてますよっ!」というしかない。

そうだ。
健康寿命とは、人生の質を問題にしてはいない、寿命の質を問うているのだった。

QOLと健康寿命とは違うのだろう。
.18 2016 未分類 comment0 trackback0

わけのわからない乳酸菌飲料

これは、朝ドラ「トト姉ちゃん」の一方の主役、暮しの手帖編集長の花森安治がかなり昔に書いたコピーで、今でもそのまま通用する鋭いコピーである。

ヨーグルトの棚の前に立つとため息が出るほどの種類がしのぎを削っている迫力にタジタジとさせられる。

どれが効くのか、各社の製品に記されているコピーを信用できるのか全くわからない。まずもって本当に乳製品なのかから疑ってみたくなるほどである。

私はここ数年、高千穂牧場のヨーグルト(生乳100%プロバイオティクスBB12 無香料 発酵乳)を好んで食べているが、これとてこれといった確信が前提となってはいない。

なんとなく好感が持てた。
という程度の動機にしか過ぎない。
過去数十年、いろんな製品を摂ってきたがどれが効果があったのか皆目定かではない。

便秘に効いたかと自問してみても、ヨーグルトを欠かしたことがないので、まずもってヨーグルトなしとの比較ができない。

ある種のヨーグルトを変えた時に、前のものより効果があったような記憶はあるが、それもすぐ元の木阿弥だったような気がする。

現在摂取中の高千穂牧場のヨーグルトはここ3年間ほど愛用しているが、私の居住地に数多あるスーパーの中でも一店しか扱っていないので調達に苦労することがある。

苦労するのは本当だが、入手できないことを喜ぶこともある。
ヨーグルトの浮気を公然とできるからである。

高千穂牧場の製品に決めてはいるが、何事をも疑ってかかる私は、これでなければならないというほど思い入れてはいない。

地元で手に入らなければ探し求めて都内を彷徨うなんて病的なこだわりはもとよりない。

家に帰ったらワイフが居ないので公然と浮気をする‥ことは簡単にできないだろうが、世の中に出回っている商品で何が何でもこれでなければと拘るほどのモノは殆どない。

高千穂牧場のヨーグルトがなければないで、これ幸いと、わくわくしながら他社のものに手を伸ばす。

ヨーグルトも時折変えてみて腸の様子を探ってみることも必要だと言われるが、左程大きな変化を感じることはない。

微妙な差異を覚えることがあっても、結局は元の木阿弥のような気がする。

いっその事やめてしまっても大差ないのかもしれないが、薬ほどの重篤な副作用は今のところなさそうなので、これからも適度に浮気をしながら、気に入ったヨーグルトを食べ続けるだろう。
.18 2016 未分類 comment0 trackback0

ユニクロ 後日談

今日、1人のご婦人から、「先日はありがとうございました。なんだか主人があか抜けしたようです」と礼を言われた。

内心を詮索するより素直に受けておいた方がよかろうと思い、私も愛想よく応じた。

「あのようなカラーコーディネートは自分たちではなかなかできません。この際、私も少し変えてみようと思っています」と言われるに及び、まんざらでもない気にしてもらえたような気がしています。

これでまたジムの中の人間関係が複雑になったなあと、煩わしさにいささか後悔しないでもないが、降ってわいたような話だだったとはいえ自然な成り行きでもあった。

当地に住むようになって5年。出来るだけ人間関係を複雑にしないように用心してきていたのだが、最近は煩わしいと思うくらいの人間関係になってしまった部分もある。

ジムでは孤高を保つ。この積りでいたのだが、別にそれほど拘るほどのことでもない。
むしろ拘る方が滑稽でもありストレスが溜まってしまう。

自然に振舞ってできる人間関係ならそれもまたよし、と思うようになった。

ジムのゴルフ練習場の常連の中に毎月コンペを開催している2つのグループがあるようだ。

これらの誘いも適当に応じて何人かの親しい仲間を作るのもまたよしと思っている。

なんらかの理由で煮詰まって苦痛になればジムを退会すれば済むことなのだから。

歳をとったら友達が大事だという話をよく聞くが、煩わしい人間関係ははむしろ逆効果。

人間関係は煩わしくなるのが当然のことであるから、煩わしくならない距離感が大事。

この適当な距離感という結界を平気で跨いで入り込んでくる輩が居る。

このような人は、結界の外に上手く押し返せばいいだけのこと。ことを荒立てなければよい。

とは言え、老人になってからの友人は案外楽しいところもあるようだ。
なぜなら、人は老人になると次第に幼児化してくるからだろう。

ある意味、子供の群れのようになってしまう。
喧嘩もあるだろうが、子供の喧嘩だと思えば大したことはない。

しこりが残るようなら、それはまだまともな老人になれていないのかもしれない。
.07 2016 未分類 comment0 trackback0

老人4人 ユニクロに繰り出す

早速、4人でユニクロの大規模店に繰り出した。私にとっては、想定外のショッピング。しかも、自分のものではなく他人の買い物。

それも、ワイフであれワイフでない女性のものであれ、男、それも70歳代の老人ための買い物という前代未聞のショッピング。

3人は事前に申し合わせでもしていたのか、私のチョイスに一切の意義は唱えず、「ハイハイ」と全面的に受け入れのつもりのようで、買い物はスムーズに進んだ。

ボトムは短パン。上はTシャツでいいのだから選ぶ方の私は楽なもの。

赤や黄色。黒やピンクとシンプルな無地のもので上下を選んであげた。

ジムで時折開催されるスポーツウエアの販売会で買い求めた、アシックス、ミズノ、アディダスなどのメーカーのロゴ入りの一見派手なウエアを着ていた人たちですから、なんだか戸惑いは隠せない。

ネオンサインが煌めく池袋の繁華街から急に地味な過疎の山里に来たような感じがしたのかもしれない。

色合いはソコソコ派手なのだが、「どうだ‼️」と言う感じのロゴがないのが寂しい気がしているような心情が伝わってくる。

ところが、試着ルームで着こなした姿を見るとなんとなく求めていたものに近づいた満足感が表情に出てきたようだ。

俄かファッション・コーディネーターの私も、次第に楽しくなってきた。老けた弟達に服を選んでやっている気分に浸って、一万円の予算を数千円オーバーしてしまったが、裕福な3人の老人はそんなことは気にしない。

和気藹々のうちに買い物が終わり、近くのカフェでお茶する頃は長年の友人のような気分になってしまった。

ロゴについては、同じ品物がロゴ入りなら半額でなければ買わない。ロゴ入りのウエアを着るならメーカーからスポンサー料が出なければ着てやらない。

ロゴ入りであるというだけで割高なのは理屈に合わないなどの私のポリシー(⁈)を得意げに披露したのは余計なことだったが、いたく得心しくれたのはありがたかった。
.07 2016 未分類 comment0 trackback0

ファッション・コーディネーター⁉️

老人を3人引き連れてユニクロの大規模店に繰り出したのは3日前のこと。

愛想が良くて人見知りしないタイプの人というものは居るものだ。
誰にでも親しげに話しかけて、相手の気をそらせない特技を生まれながらに備えているらしい。

アディダスの大きなロゴが目立つスポーツウエアを着た70代と思しき男性が、ロッカールームで私に接近してきた。

何度か目礼程度は交わした相手だが話をしたことはなかった。
その男性がいきなり、「貴方のようなウエアを着たい」、「どうしたらそんな服が手に入るのか教えて欲しい」。

「そんなセンスはどこで身につけたのですか?」と、話は此方がドギマギするほど真向割の単刀直入方式。

もちろん、センスなんて好き嫌いのあること。たまたま、その方の気に入った身なりを私がしていたにすぎない。

このストレートさを素気無く無視することはできなかった。

「私はメーカーのロゴ入りの服は着ない」とか、ごく普通のウエアを着てジムにも来るし、ゴルフでもそうしている。などと、二言三言話しに応じたところ、「私も是非そのようなウエアが欲しいので指導してくれないか」ときた。

稚気溢れると言うか、無邪気でストレートな物言いに嫌味や打算を感じなかった私は生来のお節介気質がムクムクと首をもたげ始めた。

この爺さんの要求に応じてやるのも一興だと気持ちが傾いてきた。

相手のことがよく分からないので、ひとまず「ユニクロ」に連れて行こうと内心決めて、「それでは一緒に買い物に行きますか」と応じてしまった。

すると、彼の親しい仲間だという2人が是非にと加わり、私を入れて4人の爺さんのユニクロ・ショッピングという展開になってしまった。

私の身なりをいまいましく思う人、無関心な人がいる中で前向きな関心を強く持っていたらしい人たちのようだ。

「取り敢えず一万円の予算にしましょう。もし気に染まなければタンスのデットストックになっても後悔しないで済むでしょう」という事で話は決まった。
.07 2016 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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