ジム内の探索

新居住地の周辺の探索癖はジムなどの場合も同じです。

それまで35年間程会員だったジムを退会し、本格的にジム通いをしたくなったので自宅近くのジムに入会したのが昨年7月でした。

ジム内を隈無く歩き回り、諸設備を知り、あらゆるマシーンを試し、筋トレのトレーナーと会話を交わしたあとは、全てのスタジオプログラムに参加して、そのインストラクター達と二言三言言葉を交わした。

ジムのトレーナーは必要な時に呼べばよいのであまり神経質になる必要はない。問題は、スタジオプログラムの内容とインストラクターの質です。

社交ダンスとかベリーダンスやフラダンスは論外として、その他のエアロビクスやヨガについては慎重に選びたいからです。

あまりにも過激な動きのプログラムは老体には無理ですから、いくら魅力的でも除外せざるを得ない。

あとは、過激度をAとBランクに分けます。
その日の体調に応じてABともに、不調なら穏やかな方だけに参加します。

次に判定の重要なポイントは、インストラクターの魅力度と参加者の雰囲気です。

スタジオプログラムのインストラクターは女性が多い。自分の好みのタイプでなければ出ていても面白くない。

なぜなら、1つのプログラムで約1時間の間インストラクターを凝視しながら身体操作の真似をし学ぶのですから、嫌いなタイプでは身も心も目ももたない。

参加者のことですが。
日常生活にジムライフを取り入れ、時間を見つけては利用するということは、ジムにいる間も自分生活の一部となります。

そうであれば、同じプログラムの参加者は言わばその時間の家族のようなものであり、学校で言えばクラスメートのようなものです。

いろんなプログラムに何度か参加してみると、何か勘違いしてるんじゃないかという人もいます。私にとって不愉快な気分にさせられる人もごく少ないがいます。

せっかく良いインストラクターなのに残念ながらそのようなプログラムには参加できない。

そのような観点から探索を始めて約半年の間、空いた時間は全てジム通いに費やし、キチガイじゃないかと思われるくらい通いました。

その結果、そのジムはやめてしまいました。

ジムフロアとロッカーや風呂が地下二階。プールが地下3階という設営にも不安があるからです。
そんなことは入会前に分かることなのですが、プールはあまり使わないことと、自宅と駅の間に存在することを利点として選択したからです。

もっとも大きな理由は、人の噂を主食としデザートにするタイプの下町風の暇な主婦や年増の独身女性が多く、それぞれがグループを作り派閥ができていることに気づいたからです。

主食のオカズになるのも、デザートの一部になるのも、飲み物の一滴になるのも嫌だからです。

特に、新入会の者にひときわ高い関心を寄せるその種の人たちの標的になるのは御免こうむりたい。

魅力的なプログラムも2、3はあったのですが、傷をつけず傷をつけられないうちに退散することにしたのです。

たまにサウナをつかい運動の真似事をして風呂に入っているだけだった以前のジムとは違い、生活の一部に取り入れようというのですから、不快感に耐えてまで通いたくはない。

かくして、駅とは反対の位置に存在する、自宅からはむしろ近い処にあるジムに12月のうちに手続きを済ませました。

目下、探索中というところです。
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.26 2016 未分類 comment0 trackback0

探索か マーキングか 徘徊か

私は、転居の頻度が高い方だ。
そして、転居のたびに病的と言えるほど近隣を歩き回る。実際、家人たちからはまた始まるよと揶揄される。

自宅を起点として片道30分程を歩き、帰路は同じ道の反対側を歩いて帰宅する。
東西南北のみならず、北北西、西北西、東南東と道さえあれば具に踏破する(少し大げさ⁉︎)。

歩きながら、道路や家並みの気品や風格を判定し、匂いや見た目が自分の好みに合うか否かを直感的に判定しメモをする。

気分や体の調子のよい時と日常業務に支障のない時に行うので、すべてを踏破するのに半年はかかる。その頃には、自宅を起点とする全ての道路が地図上でマークされている。

その中から、普段の散歩道を選ぶのが私の遣り方となります。
最初の頃の道の姿形を忘れてしまっていることもあります。イメージが湧いてこなければ再度歩いてメモした判定と照合して、散歩道としての合否を決めます。

こうして決めた散歩道が朝のウオーキングのルートとなるわけです。
マンネリ回避の為に、5本程を候補としています。

往復1時間の行程ですから毎朝1つのルートしか歩けません。5本あれば、マンネリ回避には十分です。

探索は昼間に行いますから、ルート上にカフェが茶店があれば立ち寄ります。まさに犬がマーキングする様に似てます。

お気に入りの5本には、好みのカフェ茶店があることが条件の重要なポイントです。

無論、早朝のウオーキングですから、その時のルートには早くから営業するお店でなくてはなりません。

となると、出勤者を相手にする駅近くのカフェ茶店となります。
したがって、そのルートは駅近くを通ることになります。

そのような店は、実務的で味わいとは程遠いカフェですが、一休みと、朝のメールのチェックやウェブニュースをざっと読むには適当なのかもしれません。

昼間にウオーキングをするときは、小洒落た茶店で美人のウエイトレスが居るカフェ茶店でなくてはなりません(⁉︎)。

このような習性は、ジムなどに入会したときでも全く同じです。

ジム内の探索はすぐ終わりますが、スタジオプログラムの探索には時間と肉体疲労という経費を支払わなければなりません。
(続く)
.26 2016 未分類 comment0 trackback0

老人とカフェ

サイフォンで淹れる珈琲が値段の割に美味しいカフェがある。だいぶ前になるが、長滞在を断る張り紙を出したことがある店だ。

以来、客足が落ち、たまに行っても何となく閑散とした状態だったが、最近再び盛り返してきたようだ。

今日も、出かけた帰りに一休みしたくなりこの店の珈琲を飲もうと立ち寄った。

ほぼ満席の中から空いている一席に落ち着き、珈琲の到着を待とうと呼吸を整えていると、隣席の高齢夫人2人の会話の声が大きいのに気がついた。

すると、突然絶叫に近い甲高くて力強い声が耳に飛び込んできた。
通路を挟んだ向かい席に座る80歳代と思しき男性2人のうちの1人の声だ。

左隣の、機関銃のような会話の騒音と、向かい席の静寂のしじまを引き裂き続けける2人の老人会話に、疲れを取り美味しい珈琲を愉しもうとした私の思惑は無残にも打ち砕かれた感がした。

私もいつの日か同じようになるのだろうが、兎に角老人たちの会話はうるさい。

難聴のせいもあろうが、周囲への気遣いの繊細な感性はいつの日か何処かに置き忘れてきてしまったようだ。

また、周囲に聞かれたくないような秘密じみた話とてなく、話の内容が誰に聞かれようが恥ずかしくもなくなったのでもあろう。

ともあれ、高齢者のカフェの利用が激増している。ここ1年くらいで顕著な現象のようだ。

高齢者がこのような所に出かけてくること、人と待ち合わせて談笑すること自体はとても良いことだと思うし、推奨したいくらいだ。

ただし、高齢者が席巻するようになると若い客が離れてしまうような気がする。

私が住まいする地域でもリタイアした高齢者が目に見えて増加している。

これら高齢者によって浸食されるカフェ、ファーストフード店、喫茶店が次第に増えているようだ。

中には、杖をついて来る老人がいて、店員に財布を渡して必要な金額を取ってもらい自席まで運ばせる者もいる。この店がセルフサービスの店だから始末ががわるい。

その上、珈琲を飲むのも覚束なく危なつかしいので近くの客が世話をやくこともある。
寛ぐために入ったカフェで老人介護を余儀なくされる。

そうこうしているうちに、離れた席の老人がカップを取り落としてテーブルから床に飲み物をぶちまける。店員が飛んできてその始末に追われる。

このようなことが全国で展開されているのであろう。

自分もいつかはこうなる。つまり、杖をついてカフェに入り、支払いで客の渋滞を招き、震える手でカップを口に運び、時には運び損ないこぼすか取り落とす。

想像すると、今は空恐ろしいし、羞恥に耐えない。
しかし、その時の自分は、その全てがその時の全てであり、何も感じないのかもしれない。

元気で自立していれば周りに迷惑をかけないわけではなさそうだ。

そのようになれば、娑婆を動き回らずに自宅か病院にいる方が良いのかもしれない。

それはそれで、家族や介護関係者の手を果てしなく煩わせることを思うと、長寿するということは目出度いことではなさそうだ。

悩ましい!
.21 2016 未分類 comment0 trackback0

待つということ

不思議なもので、あれ程待つということに我慢ができなかった私が最近になって、待つということを厭わなくなった。

忍耐強なったわけでもなく、老成して大人に成った(?)わけでもない。
変わっただけだと思っている。
変えたのは「踏切」である。

所用で出かけるときはもとより、自宅に居る日でも頻繁に外出を繰り返す私は、駅への近道である国道は排気ガスを嫌うので、細い道路ではあるが裏道となる電車の軌道沿いを歩くことが多い。

その道路を往復すると2箇所の踏切を渡らねばならない。つまり往復で四回踏切を渡ることになる。

当地に来るまでは踏切とは無縁の生活だった。
ところが、当地は私鉄の踏切が近くにあり何度も立ち往生させられる仕儀に我慢がならなかった。

血圧が上がり、怒りすらこみ上げてきていた。
周りの人たちを観察すると、実に穏やかな表情をしていて、日常の中に踏切待ちは織り込み済み、待つのは当然という悟りの境地に達しているがごときだった。

右方向の電車の通過が終わりかけに左方向の矢印が点きまた待たされる。それが終わらないうちに再び右方向の矢印が灯くということも度々あり、頭の中では脳が沸騰しそうなくらいになったことも度々であった。

そのような場合でも、待つ人々の表情は能面のごとく変化はなく、自動車の運転手も自然体で電車の通過を待っている。

時折、遮断機をへし折り無理やり渡る人や自動車のことがニュースになる。
当たり前だよと理不尽な同意を内心していたこともあった。

ところが、足掛け5年経った今、踏切で血圧も上がらず、心拍も乱れずにじっと待っている自分に気づき慣れるということの怖さというより素晴らしさに瞠目している。

客観視すれば、私もなんら表情も変えず至極当然のような顔で待つ地元の人たちと同じようになっているのだろう。

そのせいか、知らないうちに並んで待つということもさほど苦痛には感じなくなったような気がする。

駅などの雑踏する場でも人の流れに黙って従う。買い物でもレジの前の行列に苛立ちや怒りがこみ上げてくることもなくなった。

この歳になって、多くの人にできていることが自分にもできるようになったという安心感と時には妙な満足感すら覚えることがある。

開かずの踏切という踏切があることはよく聞く。こればまた話が違うと思う。
そのようなところには住みたくはないし即刻転居するだろう。

しかし、この程度の踏切なら生活の中に受け入れて慣れることの方が賢明だろう。
この、待つ間に左右に体を捻ったり、爪先立ちをしたり、両脚に力を入れたりして少しでも無駄に待つまいとするセコイことをしている場合もある。

まだまだ、悟りというか諦観というか、近隣住民ほどの境地に程遠い自分を内心笑うこともあるが、平常心で待てる自分になったことは間違いない。

これなら、行列のできる法律相談所で並び待ち、最近愚かな発言した参議院議員である当相談所の元弁護士の愚説を拝聴する位の我慢はできそうな気がしている。
.20 2016 未分類 comment0 trackback0

スタジオで転倒者が出た

「プールはなさらないのですか?」
「スタジオで踊れる間はスタジオを愉しみ、無理なくらいに弱ったらプールにするつもりです」
数日前、高齢のご夫人と交わした会話です。

ドーンと大きな音がしたので全員がレッスンを中断しました。
件の女性が転倒したのです。

今日のスタジオはジャズダンスが行われていました。ヒップホップ調のものでかなり激しい動きがあり回転もありますので、私も足元には細心の注意を払ってレッスンを受けています。

何回目かの回転の際、その高齢の女性の脚がもつれたようです。

仕事柄、応急処置をしましたが、幸い頭部は無事でしたので擦り傷の処置で済みホッとした次第です。

ご本人の落胆憔悴ぶりは甚だしく、「私もそろそろプール行きでしょうか?」と、先日の何気ない会話を覚えておられたらしく、気弱な表情を浮かべながら呟いておられました。

先週は、高齢の男性がエアロビクスで転倒するということがありました。横に激しくステップするシーンでした。
この方は、軽度の捻挫。今は、ジムを休んでおられる模様。

勿論、 プールはスタジオが無理な人が行くというわけではありません。腰痛持ちの人や、その他多少体が利かなくなった人向けのプログラムがあるのでそちらに参加するということです。

せっかく元気に参加しておられた高齢者を突如襲うアクシデント。骨折もあるでしょうし、捻挫などこのアクシデント、脳に深刻な障害を生じ、これらを境に寝たきりになるということも稀ではないでしょう。

運動に怪我は付き物。

健康のために良かれと参加する運動が寝たきりの原因となるのですから、どこに陥穽があるかわかりません。

私も、今のところ飛んだり跳ねたり回転したりと歳を忘れて楽しんでいますが、いつ何どき陥穽にはまるかわかりません。

酒を飲みタバコを吸いながら好きなものを食べてグダをまいて居ながら元気な人もたくさんいます。健康的だといわれる生き方をしている人が、それが故に予期せぬ事態に至り苦しむ余命を生きるというこたは多い。

健康の王道を説く人は多いが、その人がそのように生きているとは限らない。そのように生きているとしたら、それも何だかつまらない人生のような気もします。

何が良くて何が悪いのか一寸先は闇というのが本当のところでしょう。

あまり、健康にシャカリキにならず、昔から良いと言われていることを、あまり無理をせずに自然に行いその人の人生を謳歌したほうがよさそうです。
.17 2016 未分類 comment0 trackback0

マンボやドドンパ

「おいくつですか」
「あと3日で74歳」
「ええ〜!ホントですか!」
この、若者によくある大袈裟なリアクションの真意はわからない。

激しいエアロを展開する、若い可憐な美人インストラクターとの数日前の会話である。

「よくやりますな〜」
「やれてませんよ。やってるだけですよ」
と、これはジムの高齢会員との遣り取り。

思い起こせば、モンキーダンスが日本に上陸し、奇異な感じがしたのが50年以上前。

当時の若者のダンスパーティでクラシックダンスが勢いをなくし、モンキーダンスやルンバやジルバが主流になり、ドドンパなどという愉快なリズムも人気となった。

ブルースやタンゴで女子大生を口説こうとダンス教室に通った貧乏学生も、そのレッスン料の元を取る間もなく気楽なラテンリズムに流されてしまった。

その後。社会人になってからも不良仲間と酒が入れば六本木や赤坂で踊りまくったものだ。

しばらく、そのような喧騒から離れていた。
かと言って、クラシックダンスに興じていたわけではない。

巷の社交ダンスの世界の雰囲気が好きではなく、ダンスそのものから離れていた。
巷の社交ダンスが持つ、独特の湿っぽさと暗さと猥雑感がとてもじゃないが好きになれなかったからだ。

ところが、昨年の7月か始めたエアロビクスやジャズダンス、それにズンバなるラテンリズムてんこ盛りのダンスで昔の感じが蘇り、心身共に楽しむようになった。

何かと絡んでくる高齢の者は、その当時、その群れに入れずに陰でグチグチ言っていた者か、心底軽蔑して眉をひそめていた者たちなのかもしれない。

その世代の構図は今もそのままで、陰でグチグチ言う者と、軽蔑する者と、自分も本当はやりたいのだが躊躇していた者に分かれる。

私は、こういうのが好きな方だし、若い頃は仲間たちとクラブになだれ込みガンガン踊りまくっていたので、まさに水を得た魚同然。

それに、ヒラメやナマズのような同年輩の眼差しなどはまるで気にしない。ましてや、この歳だから、やって楽しいことは遠慮せずやるタイプだから、益々愉しんでいる。

さて、先ほどの若いチャーミングなインストラクターだとの会話の続き、
「ゴメンね。壊れたロボットが一体紛れ込んでいると思って我慢してね!」
「足が上手く動かずについていけないんですよ」
「いーえ。十分踊れてますよ。これからも参加してくれると私は嬉しい〜!」

真意は定かならずですが、
この言葉に満足度200%の私なのです。
次回は、おだてられた豚になり、木に登ってみせようと密かに期している年甲斐もないお気楽老人なのであります。
.11 2016 未分類 comment0 trackback0

返還はやめた!

免許証の有効期限内に返納し、その日から5年以内に運転免許試験場に申請すれば「運転経歴証明書」が公布されるらしい。有料で。

これを提示すると数々の特典があるらしい。

「高齢者運転免許自主返納サポート協議会」というのがあり、この加盟店で特典が受けられるらしい。

他にも、銀行金利の上乗せや、ホテル・レストランの料理の割引や、引越し代が割引されたり、どこかではドリンクな無料になったりするらしい。

お年寄りが自主返納したらご褒美としてこのようなことが行われているらしい。全くくだらないことをするものだ。

また、高齢者の免許証返納は、人生の満足感や自立意識を奪うことだから、これに代わる何かを見つけてあげなければならないと言う者もいる。

高齢者が、車の運転をやめてくれたから安心したということだけでは済む問題ではない。
周りの人は、そこから派生する「高齢者の健康やリスク」について、社会全体で考える問題だと言う者もいる。

馬鹿馬鹿しくて腹が立ってくる話だ。

それなら、生き甲斐であり、自尊心ともなっている若者のバイクや自動車も同じではないか。

事故の頻度も確率も老人と大した違いはない。
その若者たちがローン破綻したり、家計が崩壊したりの場合にも、生き甲斐を奪い自尊心を奪うのだから何らかの対策や受け皿を社会全体で考えると言うのか。

優しすぎるというのか、馬鹿馬鹿し過ぎると言うのか、面倒見がよすぎるというのか、お節介すぎるというのか。
それとも、その考えるというシステムで何か商売を考えているのか、役人なら天下りポストを増やそうとでも画策しているのか?

諸説を知ると、まだしばらくは免許証を持っていたくなった。

やめるときは、返還はしないで運転を止めることにする。そして、甘やかされた特典などは享受せず、ただ運転を止めるだけにしたい。

75歳か80歳で免許証を取り上げ、運転禁止にすれば良いのだ。

自動車メーカーや販社のご機嫌など伺っている場合ではなかろう。

本当に高齢者のことを思うなら、やるべきことは簡単なはずだ。
.11 2016 未分類 comment0 trackback0

運転免許証のこと

誕生日を迎え、前期高齢者の最終となる。来年は後期高齢者のスタートに立つ。

考えることは数多あるが、その1つに運転免許証を返還するか否かである。

55歳以上の高齢運転者の運転中止による健康への影響調査というのがある。調査人数が少ないのでこれからの調査を待つ必要はあるが。幾つかの問題点は顕在化されている。

抑うつ症状が2倍近く高まり、健康状態や身体機能、認知機能の低下はもちろん、長期療養施設への入所リスクも5倍近くに上昇するという結果が出ており、死亡リスクアップとの関連も出ているらしい。

高齢者の生活満足度や自立は、自家用車を持っていることと自家用車を運転する事に比例するとは言われてきた。

ガレージに車があり運転免許証を持っていることが自信につながり自立心をも保ってきた、ということはあるだろう。

仕事が忙しい世代で、ドライブをする時間も無いのに自動車を持っていることが、生活満足度を上げている例はいくらでもある。
諸経費の支払いが家計を圧迫していても手放せない人は数多居る。

とは言え、高齢者の場合は、反射神経が衰え視野が狭くなり事故の危険性は本人が思うより増している。

高速道路の逆走、ブレーキとアクセルの踏み間違えなどによる事故の報道に接するたびに他人事ならず心を傷めることもまた事実である。

思案どころである。
.11 2016 未分類 comment0 trackback0

脛に傷を持つ

やましいことがあるということではない。
私も、長く生きてきたので1つや2つの傷が脛にないわけではないが、いまはそのことではない。

数年前から、冬場になると脛が乾燥の故か痒くてたまらないことがある。その頻度が年を重ねるにつれて増してきた。

昨年は空気の乾燥が強かったのか、自分の身体の乾燥の度合いが増したのか、例年になく痒さが酷かった。

止むを得ず、保湿剤を購入して塗ることにしたが、馴染みがなかったせいか、塗ることを忘れることがしょっ中で、夜間睡眠中に掻きむしっていたらしい。

脚の脛には沢山の掻き傷が生じ、今や、人前で裸になることはないが、ゴルフなどの時ですら恥ずかしくてならなかった。

昨年の夏からジムに通い始めた。
半パンツとTシャツ姿でジム内を闊歩している。

ふと思った。このまま冬に入ると、脛が傷だらけでとても半パンツでは過ごせない。

室内用スポーツウエアは着用したくない。
派手な色合いのモノとか、黒を選んでも何やら大きなロゴが書いてあるウエアは趣味に合わない。

色んな色の半パンツとTシャツを組み合わせて自分なりのウエアを楽しむためには、冬場の脛の傷をなんとかしなければならない。

というわけで、昨年の暮れから、「保湿剤」を積極的に使用し始めた。
そうと決めれば、どちらかといえば熱心な方なので、2〜3種類の「保湿剤」を揃えた。
一種類で良さそうなものを、複数種類揃えるところが私の馬鹿なところ。

外出時用、風呂上がり用、就寝時用の三種類を揃えたわけです。

そのお陰か、暖冬気味のお陰か、今年の冬は痒みもなく悩みがない。

せっせと「保湿剤」を塗るという行為を女々しいと決めつけていた自分とは別人のようなマメマメしさで塗りたくっている。

今では、ジムの風呂上がりに他人の目があっても平気になってしまった。

数年前なら、他の人がやっていたら「女々しい奴めが!」といまいましく思ったであろうに、いまや平気になってしまった。

それほど、冬の低湿度による乾燥肌に由来する「痒さ」が深刻になっていた。

先に書いた「ヌメヌメテラテラ老人」に年々なっていくのかと思うと気が滅入るが、老化すると抵抗力も落ち、掻き傷から感染するということも他人事ではない。

男の美学と言っても、甘利元大臣の「政治家の美学」と同じで、いい加減な矛盾だらけの代物であることがほとんどだ。

独りよがりと偏見に早くおさらばして、「保湿剤」でもなんでも、身体に良くて快適に生きられものならサッサと採用して気分良く生きた方が良さそうだ。

ただ、電車の中で「保湿剤」を手の甲に取り出して、したり顔で手に塗りたくるようなことまでしなければよい。
.06 2016 未分類 comment0 trackback0

ヌルヌルテラテラの老躯に驚愕

先日、ジムの風呂場の洗面所(女性用はパウダールームと言うらしい)に入ったら、全身がヌメヌメテラテラの老人がなにやら蠢いていた。

背中から尻にかけてヌメヌメととしていて、前にある鏡に映る顔も胸腹部もヌルヌルしている。痩せさらばえた胸部のアバラ骨は照明にあたり殊更浮き上がって見えた。

火星人か!と見紛うばかりの異様な生き物を見た思いがした。

骨が浮き出て張りのない皮膚に覆われた萎んだ風船のような老躯に「保湿剤」が塗りたくられたのだと分かるまでに数秒を要した。
呆然として見入ってしまったのだ。

老化の故に、人体が乾燥する。
特に表皮は乾燥により肌が荒れ、冬場は痒みが起きて、気が狂わんばかりになるという。

無論、私も例外ではない。若い頃は女性専用とすら思っていた「保湿剤」を女々しいと内心忸怩たる思いを抱きながら使用することが多くなってきた。

この、全身ヌメヌメの老人は一体どうしてこのようなことができたのか興味が湧いた。

隣に立って手を洗うフリをして観察していると、なんと!ローラーを使って体の背面に器用に塗っていた。

成る程!と感心した。
背中の中心部が痒くなることもある。この部分は「痒み止め剤」にしても「保湿剤」にしても塗ることは難しい。

何しろ、肩甲骨のの下部辺りには手が届かないのだから。

私は、孫の手のの先端曲部を使って塗っていたが、「ローラー」にまでは思い至らなかった。

しかも、80台半ばと思しき老人が1人で全身に塗りたくる姿には感動すら覚えた。

自宅の風呂に入り、湯上りに塗ってくれる連れ合いも今はなく、わざわざジムの風呂に来て自らローラーで「保湿剤」を全身に塗る老人を複雑な思いを去来させながら眺めていた。

痩せ細ったヌメヌメの老躯は、映像で見る火星人そのもののようで、このように記することの失礼は重々感じながらも、異様な光景に立ち尽くした。

これも、老化と闘いながら可能な限り快適に生きたい切実な人間の営みなのかと感動したのもまた事実。

長期高齢者であることは、なにやらとても大変なことなのだと思いを新たにした驚愕の光景だった。
.06 2016 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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