どのようにして体温を1度上げたのか

体温とカラダの関係とは
A: 体温の役割と重要性
36.5℃前後を保つことはとても重要で、身体の細胞の新陳代謝が活発になり、免疫力も高くなり、健康的で病気に罹りにくい状態を保てる。

しかし、体温が1℃下がった35.5℃前後になると免疫力は低下して、風邪や病気にかかりやすい身体になる。

B: 低体温になりやすい生活習慣
低体温を引き起こしやすい生活習慣として、次のようなものがある。

・冷房が効いている部屋で長時間過ごす
・運動不足
・湯船で入浴しない(シャワーのみ)
・朝食を食べない
・冷たいものや甘いものなどの食べすぎ
・ストレスが多い
・睡眠不足

私の場合、
働き盛り時代の私はそのすべてに該当していました。
・ 強烈に冷房が効いた電車で往復する。
・12時間以上、冷房の効いた部屋で仕事。
・あとは、冷房の効いた場所で過ごすか同じく

冷房の効いだ自宅で過ごす
・たまのゴルフかその練習以外の運動はしない
・自宅で湯船につかることはなく、たまにスポ
ーツジムやゴルフ場で湯船につかるのみで、
自宅では殆どシャワーのみ
・朝食は珈琲一杯のみ
・酒を飲めない代わりによくカフェに行くが、
アイスコーヒーを主として飲んでいた
・人並みか感受性の問題で人並み以上のストレ
スを感じる毎日
・甘いものが好きな上、麺類が好き。たから炭
水化物の摂取過剰の毎日
このように、低体温の人特有の生活習慣を着
実に実践していたことになる

その結果、
40歳代から70歳くらいまでの間の私の体温は35°台の前半だった。しかも、体重はいつの間にか90kgオーバーとなり、各種の身体症状に見舞われていた。

しかも、毎年、暮れと春先には定例行事のように風邪を引き、数日療養するしまつだった。

70歳になり、仕事を離れ自分の身体を構う時間ができて最初に取り組んだのが体温を1度上げることだった。

上記のすべてを改善し、たんぱく質をたっぷりと食べ、ビタミンEと鉄分の摂取に気をつけた。

炭水化物系を控えめにし、たんぱく質と脂肪の摂取を増やしたことの効果も無視できないが、上記の生活習慣の改善が一番だと思っている。

風呂には毎日入るという多くの人にとって普通のことをし、ヒートショックプロテインを期待して熱めの風呂にじっくり入っています。

血圧の上は130以下ですので、熱めの風呂にも入れます。
と言っても、42°c位ですが。
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.31 2016 未分類 comment0 trackback0

長期高齢者の趣味

来月2月には私も74歳になる。
70歳代の半ばということになるが、名実ともに高齢者の中に一歩踏み込んだ気がしている。

あと何年という漠然とした自分の生涯のことも、74歳、そして来年からは後期高齢者というステージに立つことになると幾分先の見通しがよくなってくる。

つまり、あと10年を生きれば85歳。
男の平均寿命をはるかに超えた年齢であり、すでに鬼籍に入っているかもしれないということが想定できる年齢である。

幸か不幸か、今のところ鬼籍に入ることは想定外だが、この先の10年は身体の変化も著しく、それに伴い精神的な面での落ちこみでもあれば一挙に老化は加速され、何があっても不思議ではないだろう。

もし、85歳に到達してまだそれなりに元気で自立した生活を維持しているなら、その先は自分では読めない「長期高齢者」としての生活を営まねばならない。

「長期高齢者」とは、60歳でシニアと呼ばれ、何かとシニアとしての優遇を受けたり、シニアとしてメインから外されたりし始めて以来、高齢者としての生活を長く続けている人を指す私の造語です。

「長期高齢者」は、心身ともに衰えが進行し、今日は無事だったが明日のことは過ぎてしまわねば語ることができない、それよりも明日の朝無事に眼が覚めるか否かの保証もない「生の営み」をしている人たちのことをいう。

一方、「短期高齢者」は、シニア、あるいは高齢者と呼ばれ始めて間もなくこの世と決別した人たちのこと。

私の現在を考察してみると、なんらかの不測の事故に遭遇しない限りどうやら「長期高齢者」になりそう。

不測の事故の場合は、その事故の種類にもよるが、がんなどについては予めどのようにするかは考えておかねばならない。

約40年前、父が73歳でがんに罹患した時、今でいう放置療法を採択して、入院はしていたがそれ以上の医療の手はかけなかった。鎮痛剤を使用してもらったくらいだった。

手術にしても、放射線療法にしても、大した効果もない上に、残り少ない父の生活のQOLは著しく悪化することを鑑み、医師の兄とも相談の上放置療法を採用した。

父は、たいして苦しまずに寿命を終えたことを思えば、私もがんに罹れば同様に放置療法を第一に選択して寿命を全うしたいと思っている。

近藤誠さんが提唱する「がんの放置療法」は、現代の我々に死生観を問うているのだと思っている。
がん組織が除去されれば幸せな人生を取り戻せるわけではない。
がん患者ではなくなったということに過ぎない。

五体と五臓六腑が不満足の状態で、著しくQOLが損なわれる生活を望まない。

残り少なくなったとはいえ、可能な限りQOLを保ちながら、話し、笑い、好きなものを食べて生きられる方を選択しようとは思っている。

これから10年。
不測の事故は避けられず、がんに侵されない保証は何もない。

それでも、それなりに健康な85歳を目指して可能な限りの試みは継続してみよう。

誰からも望まれない試みかもしれない。
自分だけのチャレンジングな行為であり、趣味的なものかもしれない。

そうだ、趣味で良いのだと思う。
私の趣味の1つ。
85歳の時に、それなりに健康で自立した老人を目指すという趣味。

それは悪趣味だよと、ある人たちからは揶揄されるかもしれないが、趣味とは、他者の許可を必要としないものだ。
.28 2016 未分類 comment0 trackback0

新しいジムに通い始めて

早2ヶ月。
35年間在籍した都心のジムから自宅近くのジムに替わり、そこを半年でやめ、今のジムの会員になって2ヶ月が過ぎた。

相変わらず、興味が持てないマシーントレーニングはしないで、スタジオレッスンばかり受けています。

一通り全てのレッスンに参加して、内容よりもインストラクターの魅力を主体にレッスンを選択するつもりですが、まだ未参加のレッスンが幾つも残っています。

年齢にかかわらず、美人で若々しく溌剌としたインストラクターをチョイスします。

無愛想で顰め面のインストラクターは、その内容がどれほど良くても、愉しくも面白くもないのでチョイスしません。

インストラクターの表情を見ながら、身体操作を真似るのですから、好みの顔であり、美しい身体でなければ愉しくない。

此方は、健康維持と体つくりのためとは言え、遊びであり愉しみなのですから、自由で我儘です。

学校と違って、お仕着せのプログラムではないのですから大いに助かります。

学校時代も、嫌なタイプの教師には辟易とさせられた経験は誰しもあるでしょう。
あの教師でなければ、あの科目はもっと成績を上げられたのにといのは誰しも共通の体験でしょう。

この自由な選択のためなら、ジムの2箇所3箇所に入会してプログラムを組み立てたいくらいです。

そんなに走り回る時間も経費も無理だとすれば、今のジムで慎重にチョイスする他はありません。

仕事などの関係で、是非とも参加したいレッスンを受けることができないというのが2、3ありますが、間もなく自分のスケジュールも出来上がりそうです。

親が決めた結婚のような渋々というのも1つ2つありますが、ま、仕方ないでしょう。

多少の妥協は浮世渡りに必須のテク。
妥協!
この嫌なこととはなかなか縁が切れません。
この世に生きている以上仕方ありませんね。
.23 2016 未分類 comment0 trackback0

疲労困憊の男性トレーナー

ジムのスタジオレッスンでは男性トレーナーのレッスンは受けないようにしている。
特に、中年男性では尚更です。

30年くらい前に1度と3ヶ月前に1度の計2度しか男性トレーナーのレッスンは受けていない。

30年前のは、これを男がすることかという偏見。3ヶ月前のは、生活臭が漂うレッスンに辟易したからです。

女性のトレーナーの場合は、趣味と実益を兼ねたレッスンだと受け止めることができるから、その時間をこちらも楽しく過ごせる。

男性トレーナーの時間は、同じ男として辛さを禁じ得ない。
生活のための辛い肉体労働をしていることに、ある種の同情を感じ、心から楽しめない。

これも、偏見だとは思うが、レッスンを受けることが苦痛です。

ある日、ジムの片隅でメールをしていたら、トレーナー姿の男性が腰痛に顔を歪めながらストレッチをしていた。

体が不調な会員が、身体の歪みを直したくてジムに来ているのか。でも、顔を歪めるほどの痛みがあるのなら他の方法を選んだ方が良いのではないかと思いながらチラッと目をやっていた。

暫くすると、その男性がスッと体制を整えてスタジオに入って行った。
その時間のレッスンは男性インストラクターのレッスンなので出るつもりはなかったが、その男性に引き摺られるようにスタジオに入ってしまった。

件の男性がそのレッスンのインストラクターだった。しばらくノソノソしていたが、時間になるなり、別人の様な笑顔になり、身体もスッと伸び、軽やかにエアロビのレッスンを始めた。

先ほどの苦痛に歪んだ顔と恐る恐る腰を伸ばしたり捻ったりして痛みを緩和していた所作を見ていた私は気が気ではない。

しかし、レッスンが始まれば、先程とは打って変わって軽やかに舞い、軽やかにステップしている。

心身の不調を無理やり押さえつけ、仕事のために無理に無理を重ねる男性達に共通の仕事への自己規制には心痛むものを感じ、こちらも心からエアロビにのめり込み楽しむというわけにはいかなかった。

不健康で、息も絶え絶えの医者が健康を説き、養生を説き、治療行為を行っている様なもので、患者の方が医者を労わり、健康を説き、養生を勧めたくなるようなものだ。

生活を背負っての肉体労働は良いとして、明らかに疲労困憊していて、しばらく休養が必要なインストラクターから健康のための運動レッスンは受けたくない。

出来れば、20代から40代の若い女性の溌剌としたレッスンを受けたい。
彼女らの中にも、生活を背負っての仕事の人も多いだろうが、何故か男性ほどの深刻さを感じない。

彼女達の中にも身体の不調を感じている人は居るのだろうが、なんとなく男性から受けるものとは印象が違う。
これが美人なら尚更。

かくして、今日も美人で溌剌としたインストラクターのレッスンを受けることに。

この種のものは、生活を背負った男性よりも女性の方が適正なのかもしれない。
さすれば、街場の医者も女医の方が良いのかもしれない。
.23 2016 未分類 comment0 trackback0

基礎体温のこと

この5年間は風邪をひかない。
暮れと春先には定例の季節行事のごとく風邪をひいていた6年前までの自分とは明らかに違っている。

風邪に対して過剰な防衛をしているわけではない。普通に過ごしているが、風邪をひくことはなくなった。
半分は毎日が日曜日の生活をしているのだから、疲労もストレスも少なくなっているからだろうと言われればそうかもしれない。

だが、意図して改善したことがある。
それは、基礎体温を1度強あげたこと。

伊豆の石原Dr.が提唱する方法を始め、基礎体温アップのhow-toは全てとは言えないが、かなりのことを実践してきた。

基礎体温を上げると次のようになるといわれている。

・基礎代謝が上がり、太りにくい体に
・ストレスに強く、病気になりにくい健康な体に
・新陳代謝が活発になり細胞レベルから若々しくアンチエイジングに ・エネルギーを消費する体になり、内臓脂肪の解消につながりメタボ対策に
・血行がよくなり血液量が増え、細胞に十分な酸素と栄養が供給される
・骨そしょう症の予防に
・腸のぜん動運動が活発になり、便秘や大腸がんの予防に
・脳の血行がよくなり、記憶力低下や認知症の予防に

1度のアップに約1年を要した。
生活全般を見直し、すぐできることから始めて1年後、35度前半の体温は36度7〜8になった。

36度1分くらいで熱感があり、体がだるくなっていたかつての自分とは別人ようになっている。

薄着になり、冬の寝具も軽量になり、体重は大幅に減少した。

なんら対策をしなかった今の自分。
講じた対策の一部しかしなかった今の自分。
対策の半分しかしなかった今の自分。
これらを今の自分を比較することはできない。

何割が有効で、何割が無効だったかの検証は不可能。

よしんば、自分に有効な方法が他の人に有効とは限らない。

しかし、もし私が「体温を上げると健康になる」という本を書くとなれば、それなりにまとめ上げるだろう。

さらに、本が売れるためにはもっと刺激的なタイトルをつけ、各種方法の中から1つを選び、それを強調することになるのだろう。

巷に氾濫する健康本にはこのように、検証不可能なことについて、検証が不可能だからこそ書きたい放題、言いたい放題のものが多い。

お先走りのいい加減な医者ほど断定的なもの言いをして素人を誑かしているような傾向がある。

医学の説には卓袱台返しのようなことが多い。
健康法を生活にとりえれるには慎重でなければならない。

テレビも新聞も雑誌も権威ではない。
世界的に権威があると言われる医学ジャーナルも必ずしも信頼は置けない。

せめて、商業ジャーナリズムの犠牲にならないようにしたいものだ。
.23 2016 未分類 comment0 trackback0

老児園

だいぶ前、「日本一高いスポーツジム」というテレビ番組があった。
放映日を楽しみにして観てみました。

場所は確か高崎でした。
大都市だとはいえ、こんな地方都市に「高額・高級スポーツジム」があるのかと、内容を追っていると、何の事はない、会員の平均年齢が全国一高いスポーツジムの話でした。

地方都市の高齢化は著しいので、高齢者をターゲットにしたジムが成功しているという話でした。

そこには、ご多聞にもれず、驚異的に健康な高齢者が存在し、ニコニコ笑顔でトレーニングに励んでいるというお定まりの構成。

日本では、高級とは高額であるという事が一般的。入会資格は、入会金と会費が払えるか否かだけが審査のポイント。

実際は、どのクラブもマナーの悪い会員の存在によって似たり寄ったりというのが実情。

その中で(この言葉遣いは安倍総理出現以来頻繁に使われる言葉。全てを包括して曖昧にする巧みな言い回しで現在永田町の流行り言葉!)、高額はともかく、高級というものに対する評価は、バブル期以来混沌としたままの日本。

「日本一高い」という表現の中に、日本一高額で高級なスポーツジムとはどんなジムだろうと期待して観た私のそれは見事に外された。

テレビ・雑誌の見出しの見事な奸計にはめられた思いでした。

でも、「老児園」でニコニコと楽しそうに過ごす老人男女の屈託のなさには、何となく嬉しいような、悲しいような、無駄なような、壮大な浪費のような、複雑な気分になりました。
.14 2016 未分類 comment0 trackback0

成人式 熟女の行進と健康長寿教の信者達

街場は、式を終えた成人の若者がゾロゾロ歩いている。
成人なのだから大人であることは確かだが、熟成しすぎたような女性の新成人にいささか戸惑いを覚える。

一方、男性の方はいささか頼り無げで足腰が定まっていない。女性の群れの後ろをついていく男達は、熟年主婦に引っ張られるチワワのように見える。

逞しさという点において、圧倒的に女性に軍配は挙がるようだ。

通常、筋力において男性に劣るが、妊娠子育ての役割を担う女性の身体は、生理学的には男性よりかなり優遇されている。

だから、更年期以降は見放されるというか、生理学的優遇から、中性化か人によっては男性化していくことによって男女の差は少なくなる。

生活環境の進歩と食の進歩は、男性をより虚弱に、女性をより早く成熟させる方向に向いてきたように感じる。

虚弱と過成熟の男女が、同じ成人式に出て街場を群れて歩く光景にはいささかを超えた違和感が醸されている。

ジムでは、同じ世代の高齢者の群れが飛んだり跳ねたり、手足を動かして、「健康長寿教」の祈りを合唱している。

ここでも、シッカリ婆さんとヨタヨタ爺さんが
同じ「健康長寿教」の神様に向かって信心を競っているが、勝敗は明らかである。

超熟女と超虚弱爺の集う光景は、今日の街場の成人式に出た男女と似た光景だ。

子孫を残すという大命題を担う女達の掌の上で、いいように使い古されて処分される男達という構図が実態なのだろう。

子が育てば男の役目は終わり。
女は再び孫という子育てに専心する。
古びた男は殆ど生ゴミ状態。

女にも、社会にも役立たなくなった男は殆ど生ゴミ状態。

ジムで、健康長寿教に捧げる毎日を送る男達は哀れなのかもしれない。
本人以外は誰も「御利益」を望んでいない。

今日のジムでの活動は終わったのでまだよいが、先に街中の光景を見た後では、とてもじゃないが、飛んだり跳ねたり、捻ったり伸ばしたりの「踊る健康長寿教」の信者のような真似はできない。

老女から「今日も頑張るのよ、いいね、分かったね」と言われる老人が、同じスタジオで壊れたロボットの様にヨタヨタとエアロをする姿に複雑な視線を向けた後の街場の光景だったから、尚更感傷的になったのかもしれない。
.10 2016 未分類 comment0 trackback0

健康年齢とストレス

街中でも、カフェでも、ゴルフ場でも、ジムでも、老人が多い。
病院でも、介護施設でも老人が溢れている。

幸い、私は前者の方、つまり健康な老人たちの群れの中にいる。
その群れの中で周りを見渡してみると、怪人とも言える恐るべき老人がいるこに驚くことがある。

酒を飲み、タバコを喫い、あらゆる食べ物を何ら意に介せず口に入れ殆ど丸呑み。

そのような老人一人Aさんと知り合いになった。会話の中でそれとなく日常を聞いてみた。

85歳。夫妻で息子の所帯とと2世帯住宅で生活している。孫が二人。

妻は妻で勝手に自分の生活スタイルを貫き、自分は自分の生活スタイルを貫いている。

夜は9時には寝て朝は5時に起きる。排尿の為一二度起きるが、大して気にならない。

朝は決まった物を長年食べているので妻も自分も面倒なことはない。
昼は夫々別なことが多いし、夜は大体決まった時間に妻が用意してくれたものを食べている。

買ってきた弁当のこともあるし、スーパーのお惣菜のこともある。時折、妻が料理したらしいものを食べるが、出されたものを食べるだけ。

傾向としては、肉類が多い。野菜は妻から強制的に食べさせられるが、適当に付き合っている。

日中はこうしてジムで過ごしている。
プールで遊んだり、トーニングマシーンで遊んだり、ラウンジでテレビを観たり昼寝する。

たまには、仲間とゴルフに行って、ゲートボール紛いのプレーをして遊ぶ。
時には、妻の映画好きに付き合い、上映中は殆ど寝ている。

現代の都会のホッテントットのような人だ。

「ストレスは?気にやむことは?」との私の問いに、「そんなものは何もないよ。考えればあるのだろうが気にしないよ」。

健康でありたい、長生きしたいと願う老人は多い。
そのために、あらゆる種類の健康法を追求して努力している人は多い。

私は、健康を害する最大のものはストレスだと思っている。

最大級マグニチュードの地震のようでもあるし、微振動を繰り返し発生し、ある段階で大崩壊をもたらす地震のようなものがストレスだと思っている。

老若男女を問わず、その健康を破壊する最大の要因はストレス。あらゆる努力を全て打ち消してしまうのはストレス。

高齢者が、可能な限り健康でいるためには、「思い悩む」という事を可能な限り少なくすることが大事だ

少なくするためにストレスを感じてはならない。
ストレスを感じない鈍感さが大事。

かの老人に感じるのは、ストレスを丸呑みして胃酸で殺菌し、消化してしまっているようだ。
ストレッサーを、嚙み砕き味わうというステップを素早く回避しているようだ。

「あっそう」「そうなのかい」と、次々に襲ってくるストレッサーを全て丸呑みして我関せずの体だ。

若い頃はそうはいかない。いちいち受け止めて対策を講じなければならない。そうしなければ生活が成り立たない。

そのストレッサーの猛爆撃の下を掻い潜ってやっと生き延び、高齢者となる。

高齢者となれば、ストレッサーにいちいち反応しない。
ストレッサーか無くなることはありえないのだから、全て飲み込む。

噛んで味合うことはしない。

私は、沖縄の言葉である「なんくるないさ」というのが好きだ。

高齢者向けの健康法や健康情報はありすぎるくらい世に溢れている。

そのどれも貴重なものだが、根底にストレスをストレスと感じない鈍感さが必要な気がしてならない。

あらゆることに鈍感になっているのにも拘らず、「不満」というストレッサーだけに敏感な高齢者は多い。

「韜晦」という言葉がある。
「韜晦」が習慣化して「鈍感」という境地に達してみたい。

かの老人の話を聞いてみて、私はまだまだいろんなことに反応し、ストレッサーを嚙み砕き味わい批判している。

ストレス対策を講じよう。
これが余計なこと。
ストレッサーをパクリと飲み込み、「ストレスってな〜に?」という域に達したいものだ。
.07 2016 未分類 comment0 trackback0

ショートカットは危険

今朝、ある四つ辻で自転車と散歩中の老人が激突して、老人は二ヶ所骨折の重傷。自転車の若い女性は顔面打撲という事故があった。

私は、事故後の警察の現場検証が行われている場面に遭遇したので、事故の瞬間は見ていない。

しかし、あわや事故!という瞬間は、自分のことを含めて何度も目にしている。

狭い道路でも、先の四つ辻で左折の場合は予め左側を歩き左折する。一方、歩行者からは見えない方向から来る自転車や歩行者は、先の四つ辻で右折しょうとするなら、予め道路の右側を進行してくる。

そして、両者はできるだけショートカット気味に左折右折をしてくる。

見通しのできない四つ辻だから、出会い頭の衝突の危険は常にある。

自動車を運伝している場合は、交差点で左折する場合は予め左側道路を走行するのがルールみたいなものだ。中央寄り車線から交差点でいきなり左折する者はいない。この場合は、ショートカットをしているのではなく、事故回避の当然の行為である。

ところが、事故誘発の行為となっているのが、目的の場所に可能な限り早く到達したいという、人の習性というか、身勝手というか、浅慮というか、とかくせっかちな傾向にある我々の行動が誘発する事故は多発する。

駅の雑踏も、次の改札口に早く到達したいという必死の形相の人たちで、乱反射の混戦状態になってしまう。

当然、衝突寸前の場面は毎日多発し、現実に衝突が起き小競り合いが頻発する。
先を急ぐ切羽詰った形相の人たちが行き交うラッシュアワーの駅構内は戦場というに相応しい状況である。

私も、毎朝のウオーキングの際に、駅に向かう猛スピードの自転車の大群を躱しながら、何度も危険な場面に遭遇している。

だから、交通量の少ない細い裏道を選んでいるが、この道路は狭すぎて、歩行者道路と自転車道路と、たまに通る小型車の区分が定かでない。

従って、人を含めたあらゆる物が混然として、安全な通行が出来なくなり、つい立ち止まり状況が整うのを待っての通行となることもしばしばある。

全国津々浦々、人と自転車と自動車の衝突の危険は、人と人、人と自転車、自転車と自動車に限らず発生頻度はかなり高い。

私も、毎朝のウオーキングをするようになってから、歩行者の事故回避と自己防衛コツを多少は身につけてきた。

それでも、何日かに一度は危険な場面をかろうじて避け得てなんとか無事に過ごしているというのが実情。

これに、最近は、スマホ自転車、スマホ自動車ばかりでなく、スマホ歩行者が増加しているのだから、危険は増す一方。

最近は、小学生の登校時のように、辻ではいちいち立ち止まり安全を確保している。

それでも、ついうっかりして、ショートカットで右左折しょうとして衝突の危険に遭遇することがある。

「辻での右左折」には、殊更気をつけるようにしたいと、改めて思い知らされた今朝の衝突事故でした。
.07 2016 未分類 comment0 trackback0

謹賀新年。 紅白もいいもんだ

昨夜は、紅白歌合戦を観て、ゆく年くる年に移り、除夜の鐘を一発聞いてテレビを消して寝ました。

大晦日の昨夜、紅白歌合戦を最初から最後まで観ると決めていました。長い人生で初めての試みというほどのことではありませんが、幾つかの目的があったからです。

歌詞に関心が湧いたからです。
もう1つは、歌いながら踊るタレント達の身体操作に興味を持ったからです。

歌詞の方は、今まで歌詞なんかに興味はなく、歌番組は漫然と全体を眺めているだけで、この歌手は美人だなとか、この歌手の声はいいな、程度の関心しか示してきませんでした。

ある時、ある演歌歌手の歌を割と真剣に聴く機会があった時、歌詞に感じるものがあったからです。以来、時折、歌番組を観る時は歌詞に注目するようになりました。

恒例の年末の国民的行事とNHKだけが豪語する紅白歌合戦では、一年の総括としてどんな歌詞が歌われているのかを知りたかったからです。

現代の国民の心情が分かり、人情が分かり、世相が垣間見えるかと思ったからです。

もう1つは、身体操作です。
日本のテレビ黎明期には目を覆いたくなるようなシーンの連続でまともに観てはおれない惨状でした。

踊りが合わない、尻餅をつく。脚が上がらない、短い腕で背中を掻くような振りには絶望的になったものです。

ところが、最近、ジムでエアロビクスやジャズダンスなどのレッスンを受けるようになって、インストラクター達のスタイルの良さ、長い手脚、見事な踊りを見せつけられるようになり、認識を新たにさせられるようになりました。

そういえば、たまに観るタレント達やバックダンサー達の踊りがとても上達し、「美しい!」と感じるほどになっていることを再認識する機会が多いことに思い至り、何かの機会にじっくりと鑑賞してみたいと思っていたからです。

大晦日の紅白歌合戦はそのよい機会だと思い、年越し蕎麦を啜りながら、ミカンを食べながら、NHKが求める国民の在り方を過ごしてみることにしたのです。

電話が何本かあり、メールが入り、その返事などで感度も中断しましたが、概ね観ることができました。

見るに堪えない奇っ怪な歌手も何人かいましたが、概ね、唄も上手く、ダンスも美しく、ショートしては随分とレベルが上がっていることが分かりました。

NHKの都合、芸能界の都合が優先したプログラムはほぼ醜悪だったのではないかと感じました。

歌詞はテロップで流れるので、崩しまくった勘違い歌唱をする歌手達のものまではっきりと理解できたのは助かりました。

私が年寄りの故か、戦後の惨憺たる苦労を踏み越えたという歌詞以外は、ウツの者の独り言ようなもので、何を歌っているのかわかりませんでした。

ただ、ショーとしての鑑賞対象としてビジュアル的には随分と美しくなったもんだと感心しました。

フィギュアスケートでの浅田真央のように、尻餅をついて無様な、悲惨な姿を晒す者もいないという点で、安心して鑑賞できました。

今年の暮れも、NHK的過ごし方をしてみようと、今から思っています。
ただ、気疲れすることは確かですね。
.01 2016 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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