今日の健康(体力)を明日も

去年の大晦日と今年の大晦日ーつまり今日ですがーの自分の健康と体力を厳密に比較する方法はない。

仮に、体力増強を願っても所詮叶わぬ足掻きだろう。急速に進行する老化の狭間にあるのだから、自分では認識できなくても健康度も体力もそれなりに下がっているのだろう。

この一年も、自分の健康年齢というものを強く意識して生きてきた。
医者はもとより、他の人の世話にならずに自分の望むことをし、自分の身の始末を自分でできることを目指してきた。

健康増進、体力強化と言われるが、自分としては増進と強化という文字は除外している。
その代わり、維持という言葉を意識している。

今日の健康と体力を明日も願っていろいろなやってきた。
明日の状態が良ければ、その状態を明後日もとということ。

その願いが叶ったとしても、1年間が経過した時点での棒グラフは、幾分右下がりだろう。これが当然だと容認している。

幸い、今のところ悪くなった臓器も無ければ代謝の異常も無い。整形外科的症状も無ければ、脳の障害も見当たらない。頭が悪いだけと言う自虐的冗談も言う気にならない。

便秘などの消化器障害も無ければ、目も歯も悪くない。
歯目・・の「・・」は衰えたが、これにはいささかの未練もない。

ただ、左耳の難聴が唯一の機能障害であることは事実。これはもう治ることはないと諦めている。脳のCTなどで調べはしたが確たるものは無い。

子供の頃、中耳炎にしばしば罹っていたせいかもしれないし、当該部の循環の障害かもしれない。後講釈は多々あるが、所詮単なる詮索にしか過ぎない。治らないと諦めれば、治療の対象ではない。

そう思えば、イチョウ葉エキスも不要なら、難聴回復耳トレなるプログラムの客になることもない。治らないストレスを抱え込むこともない。

今は、片耳の難聴だけだが、来年以降いろんな障害が起きるかもしれない。
救いを求めて右往左往しないで、その障害と自分の人生との折り合いがつくものか否かを基準にして対応すれば良いと思う。

このような思いで、来年からも、「今日の自分を明日も」との願いで生きていきたい。

もう、進歩も成長も願わない。
日々の努力の中で偶々得られた進歩・成長があればーそれも一瞬のことだと思うがー僥倖だと思い、喜びすぎないように一人静かに悦に入ればよい。

人生観、死生観、遺伝情報、生活環境、性別年齢の多様性の中で、健康法の普遍性は無い。
自分の好きなように生きて、寿命が来れば消えればよい。

普遍性は無いと言い切った中にも、なんらかの共通点なら見出せるのかもしれない。その共通点が普遍性というほどの説得力は無いまでも、なんらかの参考になることもある。

このような思いで、来年もまた記述を継続しようと思っています。

皆さま、佳き新年をお迎えください。
平成27年 大晦日
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.31 2015 未分類 comment0 trackback0

私とジム その10 ジムから逃げ出す

今までのジムをA、これからのジムをBとしましょう。ジムAを12月いっぱいで退会、ジムBに12月1日から入会。今月は、二箇所のジムにダブって通っていました。

Aを止めた表向きの理由は、地下2階にあるジムとスタジオと風呂、地下3階にあるプールは、肝っ玉の小さい自分には不安で落ち着かないということにしました。

実際、地下一階のレセプションフロアーから地下2階と地下3階に至る階段は狭くて曲がりくねっています。

小さなエレベーターは油圧式で動きが緩慢。
入会して内部に慣れてくると、最初に気がつくべきポイントに迂闊であったことにホゾを噛む思いがしました。

約半年、住まいの近くのジムで健康維持のために、ジムライフを本格的に生活に取り込むべく利用を開始して以来、多彩なプログラムの方に気が取られ、一定時間を過ごす環境という点には気が向かずにいました。

都心の大ホテルのジムに30年間、会員として在籍していた間は、たまにサウナを使い、たまにプールを使い、たまにトレーニングマシーンを使うという程度のジムとの関わりでした。

幸い、30kgほどの体重減に成功し、年齢相応とはいえ健康体を取り戻した私は、この健康維持のためにジムライフを生活の中に取り込むことを開始しました。

今まで気にもしなかったジムの各種プログラムに関心を持ってみると、成る程、健康と運動についてさながらスーパーマーケットのように多種多様な商品が並べ立てられていることに目を瞠る思いがしました。

あの商品、この商品と試食を繰り返し、自分の身体と精神に合うものを渉猟することに夢中になり、生活環境にまでは気が回らずにいたのです。

だいぶ慣れてきて、商品についての分別がつくようになってみると、次に気になるのは、数時間を過ごすジムでの生活環境とそこでのお定まりの人間関係です。

暇なというか、恵まれたというか、そのような近隣の主婦が多い会員の中には、忍者のごとくすり寄ってきてプライバシーを聞き出す職人ような技を駆使する者もいます。

次の日には、その情報が粉飾され拡大されて流布されてしまう。戸惑いながら対応すると、さらに脚色され化粧を施されて全く別人の話になってしまう。

考えてみれば、このジムの立地は駅に近く、当地ではどちらかと言えば下町。
気のいいおばさんたちと言えばそうも言えますが、兎に角、人の噂が3度の飯の合間のオヤツのように好きな人達です。

ジムが提供する商品には気に入ったなものがいくつかあり、その商品を提供する人物も魅力的なものもありますが、いかんせん人間関係が煩わしい。

このような人間関係に身を置いた経験がない私には、手に負えないレベルに達する前に逃げ出した方が安全だと思うようになりました。

早速、もっと自宅に近い、住宅地の中にあるジムに入会の手続きをしました。このジムも大差ないのかもしれませんが、人間関係が目的です。

ジムAでの人間関係が腐敗発酵し倦んでしまう前、まだ新鮮なうちにやめることを選びました。一部の人達から惜しまれるうち好機だと判断したからです。

ジムAに在籍を続けていたらあと1年もしないうちに、人間関係のストレスで健康維持のジム通いが健康破壊となり兼ねない。

さて、新年からはジムBでの健康維持の運動が始まります。ここでは、どのような生活になるのか、不安と楽しみが交錯しています。

ここは、比較的高齢の男性が多いような気がします。これはこれで魑魅魍魎の巣窟だ。
この環境で快適に過ごせるか否かは全て自分次第。

新たな挑戦です。
薬だけではありません。
あらゆるものに副作用が付き物です。
.29 2015 未分類 comment0 trackback0

ジムと私 その9 ズンバに痺れた!

過去、4人のインストラクターのレッスンを受けてきましたが、今日受けた、5人目のインストラクターのズンバは格別激しいレッスンでした。

エアロ系では、ワンレッスンで約5,000歩のカウントが出ますが、今日のは7,000歩位出てしまいました。レッスンによってこれほどの差が出ます。

ズンバとは、
Zumba(ズンバ)は、ラテン系の音楽とダンスを融合させて創作されたダンスフィットネスエクササイズで、その特徴は、速いリズムと遅いリズムの曲が組み合わされた、ダイナミックでエキサイティングなインターバルトレーニング形式のワークアウトです。

Zumba(ズンバ)エクササイズは、心肺機能を向上させるとともに、多くのカロリーを消費するので、脂肪を燃焼させる効果が期待できます。又、レジスタンストレーニングと組み合わせることにより、主要な筋肉を鍛えることができます。

Zumbaはパーティーのような雰囲気をかもしだします。ステップや複雑なコーディネーションにこだわることなく、エキゾティックなラテンのリズムに乗って、ホットでセクシーな爆発するようなラテンの世界に身を任せてパーティーを楽しめばいいのです。

Zumba(ズンバ)は、急速にフィットネス界にセンセーションを巻き起こしています。Zumbaは、誰でもが参加できるワークアウトです。今までのエクササイズでは体験できないエキサイティングなZumbaを皆で楽しみましょう。

Zumba(ズンバ)は効果的!
Zumba(ズンバ)は、エアロビクストレーニングをベースとして、レジスタンストレーニングや体幹トレーニングの要素も取り入れていますので、いろいろなフィットネスの目的を達成することができます。しかし、何と言ってもZumba(ズンバ)の素晴らしい点はその楽しさです。Zumba(ズンバ)の楽しさは、参加者に運動を継続させる動機付けとなります。Zumba(ズンバ)は、体に効果的であるばかりでなく、心にとっても効果的なエクササイズなのです。(webより転写)

いままで体験したズンバのレッスンが緩めだったのか、これは簡単で楽だと侮っていましたが、今日のレッスンでは、途中で脚がだるくなり動きが止まりそうになりました。

エアロ系は、有酸素運動をしながら歩行カウントを稼げる上にあらゆる方向に動き回り、回転もありで単にウオーキングをしているのとは比較になりません。

今日のレッスンに耐えられるようになれば、まだまだ私の脚力は捨てものではないと自負できるでしょう。
.22 2015 未分類 comment0 trackback0

心と体が一致しない

引退表明をした澤穂希選手の言葉です。

これほどストレートな表現で引退表明をしたズポーツ選手を知らない。

この言葉を聞いて、何の関心もなかった澤穂希というアスリートの人間としての確かさに感心し、この時からこの選手のファンになってしまいました。

卓越した身体操作と頭脳プレーの両輪で成立するズポーツというものに、最近格別の興味と感心が私の中に芽生えてきました。

これは、例えばエグザイルというダンスチームやAKB48なるアイドルグループにも言えます。

1人で演ずるのではなく集団であれほど素晴らしい身体操作の美しさを表現しかつ歌まで歌いながらとなると、かなりの才能がある人たちだと思えるようになりました。

サッカーにしろ、アイドルグループにしろ、1人のメンバーの心身の衰えはグループにとって致命的ダメージをもたらします。

自分の衰えを否が応でも認識させられますし、グループから排除のムーブメントが起きて当然のことです。

一方、老人達の心と体の連携の衰えから、ブレーキとアクセルの踏み違えなどの操作ミスから大きな交通事故が多発する昨今、老化というものが、社会集団の中で致命的ミスを引き起こすことに思いをいたさねばならない。

しかし、現実的に集団の中という認識を持ちにくい状況である人たちがほとんど。

俺はまだまだできると思うのは、何かの事故を起こすまで客観的に事態を把握できないからです。

最近、ジムなどで集団の中で複雑な身体操作を演じている時に、「自分ばまだまだできる」という思いと、実際には「何だか変だ」「自分だけズレている」という現実の認識の間で感じる「衰え」に、否定し難い厳しい判定を下さざるをえないことが多々あります。

このような、厳しい自己判定の機会がないままの老人達が高速道路を走り、混雑する市街地を車で疾走することの恐怖は計り知れない。

運転免許証の交付には、認知試験だけではなく、通り一遍の実技試験だけではなく、総合的な身体操作と脳の機能をテストするべきだと思うようになりました。

私は、今は運転はやめていますが、免許証は持っています。
「いつでも運転はできる」というのが正直な私の認識です。

これで何かの事故を起こせば、命取り。
自分の命取りならまだしも、他人の命まで奪うという最悪な事態に直面するかもしれない可能性が日々増していることを、もっと端的に自覚させる良い方法がないものか。

タバコの副流煙にはヒステリックな割には、自動車の排気ガスについて沈黙を守る。
自動車販売のマーケットの縮小を恐れて沈黙を守る。

個人の自由は次第に制限がかかり始めている昨今、販売の自由と購買の自由には極めて寛大であることに違和感を覚えています。

自由を制限すべきところに甘く、制限すべきでないところに厳しいという、ご都合主義のやり方は、究極、肝心なところで民主主義社会のおける人間の生き方に大きな混乱をもたらすと思います。

高齢者に自動車を買いたい自由と売りたい自由を容認することは、自分なり他人の命を奪うことを黙認していることになる。

もっと多くの被害者が出てから年齢制限に踏み切ろうということであるのか。

我々、高齢者は「心と体の不一致」について謙虚に思いをいたさねばなりますまい。
.20 2015 未分類 comment0 trackback0

ジムと私 その8 健気なインストラクター達

午前10時にジム入り。
100球ほどゴルフの練習をして、エアロビクスのレッスンを受けてシャワー。
髭を剃ってジムから外出。雑用を幾つかこなしカフェで一息。

夕方、ジムに戻り、ヨガのレッスンを受けて入浴。帰宅して夕食。その後は、下町ロケットの総集編を観て本日は終わり。気楽な1日のようですが、老いた身には結構な負荷がかかります。

健気なインストラクター。

誰の場合でも言えることですが、とにかくインストラクターが懸命に勤める姿が健気です。

15名に満たない生徒。
ダラダラと開始する生徒の気分高め、全員の身体がシンクロして動き始めるまでの時間、その10分くらいの間のインストラクターの苦労は並大抵ではないようです。

自分のプログラムの人気度を高め、生徒に達成感を味あわせるために心身を懸命に働かせるインストラクターを見ていると、私もつい本気になってしまいます。

多分、インストラクターの身体はボロボロで精神のストレスは半端ではないだろうと、余計な斟酌をしながら、汗をかきかきリズムテンポに遅れないように必死で飛び跳ねている自分も健気だと思います。

そういうインストラクターと生徒がシンクロした時、オーケストラが最高潮に達するかのような最高の空気が出来上がります。

インストラクターという指揮者のもと、10幾つかのパートが最高のパーフォーマンスを発揮する。この瞬間は、運動をしているというよりは、インストラクターとともに何か大きな仕事をしているようにすら思えます。

世の中には本当にいろんな世界があるものです。そして、いろんな仕事があり、多才な人物達が活躍している。
最近、つくづく感じ入っています。

我が身を削って指導してくれるインストラクターの渾身の指導をストレートに受け止めて、老身の崩壊を出来るだけ先延ばしできるよう、真面目な生徒で居ようと、これまた健気な今日此の頃です。
.20 2015 未分類 comment0 trackback0

テレビと睡眠


子供までもが「ポリフェノール!」と叫びながら歌って踊る時代が来ようとは思いませんでした。

昨今のテレビがとりあげる健康情報や健康食品情報には刮目すべき点が多々あります。

しかし、スポンサー絡みの医薬品や食品については今ひとつ足が引けているのは、テレビも生きていかなくてはならない故の哀しい所業なのだろう。

その中で、明らかに腰が引けているのは睡眠健康情報ではないでしょうか。

安眠枕とか安眠布団などの安眠グッズに関してはとりあげることはあるようですが、この辺りが限度なのでしょう。

何故なら、不必要なスマホの使用を止めようとか、仕事以外のパソコンは止めようということは、テレビが生存するための飯の種を失いかねない。

ましてや、一番肝心なテレビの見過ぎを止めようとは言うはずもない。テレビを切って早く寝ましょうとは言えない。

日本人の睡眠を奪うことで利益追求に邁進しているテレビにとって最大のタブーであるのですから。

医者が雛壇に並ぶ医学情報番組でも、他の報道番組と同様な箝口令が厳然としかれているのですから。

そうなれば、視聴者も出演している医者も隔靴掻痒感は免れない。

NHKにおいてすら例外ではない。
概ね、全てにわたって網羅していることを装ってはいるが、害については積極的でないようです。よい点だけを殊更強調していることは否めない。

政治については、不偏不党、中庸という金科玉条を盾に一番楽な立場を堅持して報道の使命とやらを果たすことになんら迷いを感じないことに慣れてしまっているのと同じく、健康関連情報についても、それこそ、毒にも薬にもならない情報を垂れ流しているようです。

ただ、テレビは、健康に関しては国民が考えるべきテーマと用語を毎日洪水のように流しまくっていることは確かです。
それは、それなりに評価すべきなのでしょう。

スパッと端的に言えばよいものを持って回って誤魔化してしまうものだから、混乱している視聴者が増えていることは憂慮すべきでしょう。

私の周りにもそのような人たちが増えてきました。解説を求められ機会が増えたような気がしています。

その私ごときでも、本当のこと(現時点で真実に近いと思われること)を必ずしも言うことは困難な場合があります。

その方々の家業のこと、お連れ合いの勤務先の企業のことなどを無視してなんでも話すということは困難な場合があります。

このように、個人の見解を話す場合でもある程度のバイアスがかかることはあります。

なかなか微妙にして難しい問題なのです。
.14 2015 未分類 comment0 trackback0

睡眠負債の恐怖

睡眠不足の蓄積「睡眠負債」。たまったまま放置していると、体が蝕まれ、最悪の場合突然死に至ることもあります。

 最近、睡眠不足が続いているというはなしを聞くことが多い。実はこうした「睡眠負債」は、疲れと同じように放っておくとどんどん蓄積していくものです。

これを解決しようとして、休日に一気に寝だめをしても“一括返済”できないことや、睡眠負債がたまっていっているのに、なかなか自分では気付かないことなど、厄介な面もあります。

 重大な病や死につながるといわれる睡眠負債。日頃、どんなことに注意すればよいのか。

「睡眠負債」の恐怖!突然死を防ぐための眠り方とは、睡眠負債がもたらす弊害とは?

 満足な睡眠が取れず、睡眠負債がたまってくると、どこかで必ず返済が必要になってきます。なぜなら、睡眠負債はたまればたまるだけ、増えていく一方で、自然と解消されるというものではないからです。

調子に乗って3日間3時間睡眠などを続けた後、何げなく車を運転してしまうと、急にガクンと睡魔に襲われ、重大な事故につながることも。重大な事故が起きなくても、ヒューマンエラーの確率は格段に上がります。

また、確実に心身が蝕まれ、高血圧や糖尿病、ホルモンバランスの乱れによるがんなどのリスクや、睡眠中の成長ホルモンによる脂肪燃焼が行われないことによる、メタボリックシンドロームのリスクもあります。

さらに、食欲増進ホルモン「グレリン」の分泌が高まり、食欲を抑えるホルモン「レプチン」が低下するため、無駄に食欲が増し、ますます肥満へとまっしぐらとなってしまうことも。

・最悪の場合、突然死も!

 睡眠負債には精神的な悪影響もあります。一日ごとに脳がリセットされず、回復しないため、認知機能が低下して仕事のパフォーマンスが低下。結果的に致命的なミスが生じ、意欲の低下によって、うつ病に至るようなケースも少なくありません。

 そんなおそろしい弊害のある睡眠負債ですが、ただ眠ればいいというわけではありません。むしろ、平日に睡眠不足を続け、土日にまとめて眠ろうとして極端な睡眠差をつけたことで、週明け月曜日に突然死を起こすケースもあるのです。

・知っておくべき睡眠負債解決法

 では睡眠負債はどのように返済すればよいのか?最も安全なのは、毎日、1分間でも仮眠の時間を取ることだといわれています。理想的なのは15~20分間の仮眠を毎日15時までに、必ず1回取り入れること。毎日コツコツ続けることで、やがて睡眠負債を取り戻すことができるのだそう。

 とにかく「後でまとめて寝だめ」はダメ。体内時計が狂い、平日かえって眠れなくなるという本末転倒態になってしまうからです。土日は平日との睡眠時間の差を2時間までに抑えるようにすると良いでしょう。

 誰もが無視できない「睡眠」のリスク。毎日必ず向き合うものだからこそ、適切に対応したいものです。

この点、老人は負債も溜まりやすいが返済もしやすい。

日本は、世界的に見ても睡眠時間が短い。
若い世代の睡眠時間の確保を推進しないと、国家的睡眠負債で倒産しかねない。
.14 2015 未分類 comment0 trackback0

ジムと私 その7 ピラティスという苦行

ピラティス或いはホットピラティスなるものが気になっていました。ネーミングが女性的で、ヨガよりも縁遠く感じていましたが、経験してみてびっくりしてしまいました。

なかなかの苦行です。多少ヨガになれたからといって安易に取り組めるものではなさそうでした。

ピラティスとは、1人のドイツ人男性であるジョセフ・ヒューベルトゥス・ピラティスによって、20世紀前半に真の健康と幸福を手に入れるために提唱された身体調整法である。現在では、アメリカ、ドイツ、イギリス、日本など世界中に広まっている。[1]

ジョセフ氏は、自身のメソッドを「コントロロジー」と名付けており、単なるエクササイズとは違う「全身の細かな筋肉と精神を自分自身でコントロールするための学問」と呼んでいた。

ピラティスの効果
Pilates Method Allianceが定義するピラティス

「身体のストレッチ、筋力強化、そしてバランス強化を目的としてデザインされたエクササイズと身体の動作法である」

エクササイズを実践することで、理想的な姿勢と動作を学ぶことができる。それによって慢性的な痛みの改善や障害の予防、運動パフォーマンスの向上からリハビリテーションまでを可能とする。さらにその正しい運動パターンを体に癖づけることにより、生活の質にまで広い範囲で影響を与える。

現在ピラティスは体幹とインナーマッスルの強化法として広まっているが、実際には体全体を整える効果があり、体幹だけでなく四肢の筋力強化、柔軟性の向上、筋持久力の向上が期待できる。

ピラティスでおこなわれるエクササイズのほとんどは脊柱 (背骨) や骨盤の動きに焦点を当てており、ピラティス独特の呼吸法と組み合わせながら、それらのアライメントを整えることに重点がおかれている。

数あるエクササイズは、すべて初心者から上級者まで幅広く難易度を調整することができる。それぞれの体の特徴や特定の健康状態に応じて、適した方法で実践することが重要とされている。

近年ではリハビリテーションを目的としてピラティスを指導したり実践したりする人が増えており、ピラティスを導入することによって大幅なリハビリ時間の短縮、機能改善、怪我の早期発見と予防ができることで話題となっている。さらには、フィットネス関係者のみならず多くの医療従事者がピラティス指導者資格コースに参加し、様々な施設で活用されている。
(ウィキペディアより転載)

ヨガとピラティスの類似性
●Mind Body Conditioning
●身体と精神を同時に考える

ヨガとピラティスの違い
●目標(ゴール)の重要性の違い
・ヨガが精神的なリラックスに重点が置かれている
・ピラティスは身体つくりに重点が置かれている

ということらしいです。
あと何回か体験してみてまた気しますが、ヨガとは違って、寝たまま、横になったままの演技が多い。

戦傷者などのリハビリのようですから、寝たまま横になったままで体幹を鍛え、筋肉をつけていくのですから、歯を食いしばって頑張る要素があると思います。

寝たきりの老人を起き上がらせるには少々キツすぎるような気がします。
寝たきりにならないように、予め寝た状態でピラティスを行うのに論理矛盾があるような気がします。
.08 2015 未分類 comment0 trackback0

ジムと私 その6 ヨガに七転び八起きか七転八倒か

ヨガにやっと慣れてきました。八起か八倒かわかりませんが、思いの外苦しい思いをしました。

5ヶ月前、初めてのヨガは皆目見当がつかず戸惑うばかりでした。
ブツブツと呪文のように呟くインストラクターの話し声が良く聞き取れず、これから何をするのか、次に何をするのかが判らず、インストラクターを見詰めながら懸命についていくのが精一杯。

しなやかな美しい肢体のインストラクターを見詰めていると、あらぬ妄想に囚われ、ポーズを保つ苦しさと相俟って呼吸が乱れて息苦しくなったりしたものです。

5ヶ月目になり、何とかついて行けるまでになりました。まだ、バランスの悪さは否めませんが、何とか形にはなってきたような気がします。

インストラクターはさかんに、ヨガにおける呼吸の大切さを強調しますが、形の真似から入っている私には呼吸は二の次三の次になってしまいます。

その呼吸も、腹式から始まり胸式に切り替えたりの技が少しはできるようになりました。

開かない脚は開かない。曲がらない背中は曲がらないと開き直っているからかもしれませんが、それも、次第に良くなってきているような気がしてきました。

時折、インストラクターが褒めてくれたりして、私を「木に登るブタ」にしてくれている所以かもしれません。

演じ終わった後の身心の爽快さが分かるようになり、今やヨガのファンになってしまったようです。

自分の空いた時間とヨガのプログラムが合えば、いそいそとジムに向かう自分が可笑しくもあり、子供のようなトキメキすら覚えている始末です。

しなやかな肢体で見事な身体操作を見せてくれるインストラクターには、すっかり魅了されています。

とうてい及びませんが、これを1人で、しかも5〜60分の長きにわたってやることなどできるはずもない。

時間をひねり出してでも、いそいそとジムに向かい、インストラクターの前で懸命に真似び学びすることは自分身体に必要なことだと思っています。

そこで、ヨガの一種だと思われるピラティスに取り組むことにしました。
.08 2015 未分類 comment0 trackback0

転倒した水木しげるさん

大往生といえる年齢だと思うが、利害関係が濃い周辺からは早過ぎだと惜しむ声が多い。
転倒がキッカケとなり諸々の症状が急速に進行したのかと想像しています。

転ぶということは常に頭をよぎることです。
何故なら、いろんな身体操作をしている中で、何が一番衰えているかといえば、バランス感覚だからです。

ヨガやエアロビクスダンスの中に、片足立で静止したり、片足立ちのままいろんな身体操作をさせられる(?)ことがありますが、特にバランス能力を要求される場合に不如意なことがよく起きます。

ジムで不様なことにならないように、自宅でも折に触れて練習をしている始末です。
でも、自分としては納得のいく結果ではありません。

ヨガのレッスンでよくやるのが、足の裏のマッサージと足指のストレッチです。お陰で、歩行中も立っている時も、ゴルフのスイングの時も、足指や指の腹、足裏によく気が回るようになりました。

片足立ちを要求された時も、足の指が適度に開き、親指と小指と踵でしっかりと支える事が出来るようになっのですが、いまいちバランスが悪い。

私が愚行しますに、原因は、
・インストラクターの女性を凝視しすぎる
・近場の麗人のポーズを気にし過ぎる
など、気が集中出来ていないからではないかと思います。私の悪しき習性が抜けきらないのです。

その習性に加えて、ヨガやエアロビクスダンスを初めて体験するようなった当初、とにかくインストラクターを真似ることに懸命でしたので、その癖がまだ抜けていないのです。

自宅で1人で集中してやるときはジム出やるよりはうまくいきますので、今度から女性たちに気を奪われないように集中してみようと思います。

屋内でも、屋外でも、転倒には多くの原因がありますが、1つは、今の行為に集中出来ていないことなのでしょう。

同時に多数のことを処理する能力がダウンした老人は、せかせかした行為と、気を集中していない散漫な意識で行動しないことが肝要だと思います。つまり、自分への戒めです。

1日の時間は豊かにあるのだから、現役時代のように多くのことを同時にしようとしないで、1つひとつをゆっくり確実に処理し、今日できないことは明日やればよい。

明日、忘れていたら思い出したときにやればよい。
こんな感じで、過ごしたいと思っています。
.01 2015 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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