ハロウィン仮装パーティーへのお誘い

今週の半ばに企画されている「ハロウィン仮装パーティー」に誘われています。

あまりにも熱心に誘ってくださる方がいますので困っています。

節を曲げて参加して楽しめるのだろうか?不快に感ずれば、パーティーの間中それを悟られないように振る舞うにはかなりのエネルギーを要します。

では断るか。無邪気というほどに熱心に誘ってくださる方の好意と平素の交友を思量すれば、断るエネルギーも半端ではありません。

今日まで戦後の日本を丸々生きてきて数々の不快事がありますが、その一つはクリスマスに関わる行事です。

子供の頃、日曜学校に通った経験がある私にはクリスマスそのものに嫌悪感はないのですが、昭和の30年代40年代のクリスマスパーティーの狂乱振りにはいつも一歩引いていました。

その私にとって、最近始まったハロウィンなどは論外の猿真似の極みで、不愉快この上ないものでした。

屁理屈を開陳すれば文章がいたずらに長くなりますので割愛しますが、問題はハロウィンパーティーのお誘いをいかにするかです。

結論は、参加することにしました。
お誘いくださる方への日本人的義理、日本人的交友の維持、日本人的節操のなさ、日本人的な軽さとアホさ。

その全てを動員して、老いた自分が参加できる諸々の条件を具えているのなら、それほど力まずに参加しても良いではないかと思うこともできるからです。

仮装パーティーです。
どんな仮装をするかから思案しなくてはなりません。面倒臭いことこの上ありません。

言わば、コスプレではないですか。恥ずかしいし、バカバカしい!

昔、仮面舞踏会には何度か参加したことがありますので、その頃の自分の記憶をたどってみようと思っています。

どうせ参加するなら、それこそ「一機一会」です。

思いっきり仮装して、心から愉しむお気楽爺さんを演じきってみますよ。

自分が知らなかった人生の愉しみ方をひとつ発掘できるかもしれません。

開催日まであと4日。
今日の日曜日に、表参道か渋谷辺りに出張って、仮装グッズを調達してみるつもりです。
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.25 2015 未分類 comment0 trackback0

一所懸命と一生懸命

【一所懸命】
と言えば
①武士が,生活のすべてをその所領にかけること。
②一生懸命に同じと、大辞林 第三版にはあるが、同じ大辞林に、
一生懸命は、
〔「一所懸命」から出た語〕で、
①命がけで物事をすること。全力をあげて何かをするさま。
②引くに引けないせっぱつまった状況。せとぎわ。
とあり、ニュアンスにかなりの差がある。

「頑張らない」という生き方が提唱された事がある。私と同じ大学の先輩が提唱者らしい。なんとふざけたことをと思ったが、最近はなんとなくわかるようになった。

スポーツと同じで、勝ちたいという緊張感をのまま競技に臨まず、競技自体はリラックスして、自分持てる力を最大限に発揮するようにということなのだろう。

でも、最近の私は、「一生懸命」ではないが「一所懸命」でありたいとの思いが強くなったような気がしている。

食事の時は「一食一会」。読者の時は「一読一会」。遊ぶ時は「一遊一会」。
ジムにいる時は参加したプログラムと「一機一会」。

風呂の時は「一浴一会」。ゴルフの時は「一打一会」。美術館では「一覧一会」。睡眠は「一睡一会」。

ヨガをやる時は「一屈、一伸一会」。エアロビクスの時は「一踊一会」。

キリがないのでこのくらいにしますが、
要は「一期一会」ということです。

「一期一会」に多少の強弱の違いはありますが、思いを込めてみたり、汗をかいてみたりしているということです。

折れ線グラフの右肩下がりの途中にある自分の人生の残り時間を思えば、今していることの全てに格別の思念を注ぎ、格別の情熱を注ぎたいと心掛けているということです。

「一読一会」にしても、一所懸命の鎌倉武士の気持ちをイメージしても、頭に残る内容の歩留まりは情けないほどに悪い。

老化する脳と肉体がそれなりに機能する間のことなのですが、それゆえにますます一所懸命でありたいとの覚悟なのです。
.25 2015 未分類 comment0 trackback0

食事と運動の医学における混沌

食事には、肉と魚の配分とかどんな野菜を食べるかとか、どのような油を使うとか、個々によって違いがある。

外食をできるだけ避けるとか、出来合いの惣菜を食べないとか、菓子パンやケーキ、あるいは和菓子さえ食べないという人もいる。

腹七部の人もいれば、そんなことに無頓着な人もいる。

日に三食、二食、或いは日に一食の人もいる。その中でも、朝食抜きの人、昼飯抜きの人、或いは夕食を抜きの人など個々の違いがある。

塩分量に敏感な人、糖分に敏感な人。その両方に敏感な人もいる。

Aさんから「おいしいから」と言って薦められた食事に閉口するBさん。Bさんから薦められた食事に満足するCさん。

食事ほど個々の違いが大きいものも少ない。今の日本では、政治信条などの比ではなかろう。

運動やスポーツもまた同じ。
楽しむということに語源を持つスポーツには、趣味趣向を超えた個人差が大きい。

高齢者は、心地よい運動、心地よいスポーツを楽しむのが良い。
スケジュール化された運動を強制されのは苦痛以外のなにものでもない。

骨も関節も、筋肉や筋も違う個々の差は運動やスポーツでは殊の外問題が大きい。

栄養学が日本の医学部には存在しない。
スポーツ医学も、医療カウンセリング学も存在しない。

これらがたとえ存在する医学部があっても、メインの流れから外れた支流扱いであるのが実情であろう。

薬か手術の治療医学というか、治療のハウツーを学ぶ事で手一杯の現状では所詮予防医学や、健康増進の医学は夢のまた夢。

その隙間に、各種健康関連業界、民間施療業界、栄養関連業界の企業や専門家と称する人士がやりたい放題なのが刻下の日本の実情。

個々が自分に合った運動や処方を求めても、それは求める方の自己責任に帰結させられる。

保健や医療に関して自己責任を持たせるには事が難しすぎる。
医学を学んだ者ですら、どうしたものか皆目見当がつかないというのが実態であろう。

その中でも、自らが日々実践している各種試みを明らかにしている人の本や談話はまだマシだろう。

試験管内の細胞実験やネズミを使った動物実験の知見を、さも人間でも妥当とする学会論文の一般向けの普及版にしたような本や談話を垂れ流す専門家の情報には責任感のかけらすら感じない。

TVでのショーアップされた健康番組や、書店に並ぶ万巻の健康本が全く無駄とは言えない。それらの啓蒙の効果は絶大であろう。

だからこそ、多くの人たちが迷路に迷い込み、疑心暗鬼になってしまっていることもまた事実であろう。

医学部教育が7年になろうが8年になろうが構わないから、栄養医学やスポーツ医学きちんと教育すべきである。

そのように目途すれば、現行医学教育における断捨離が行われ、医学界と医療界のガンが摘出され、国民にとって必要な医学教育が生まれてくるのかもしれない。

医学部教官の仕事から医学研究を取り上げ、医学教育と臨床教育に集中させることも考えられる。

研究は国立研究所に本当に優秀な医学者を集め、潤沢な研究費を与えて高度な研究をさせる方が良かろう。

さすれば、子供の遊びのような研究は姿を消し、研究費と称する浪費もなくなるだろう。
.24 2015 未分類 comment0 trackback0

マイペースということ

今はその意味がよくわかるような気がします。いや、今ほど必要なことだと深く認識させられます。
今とは、高齢化した今の自分ことです。

街を歩けば、自分より小柄な人に追い越されはるかに引き離される。

駅のコンコースでは、今の世の中の中心に存在する人たちの邪魔にならないように隅っこを歩き、何となく気後れする自分に気づく。

今にも出発しそうな電車に急ぎ乗り込むのを躊躇う一瞬の気後れ。

危険なことを見たり察したりした時の体の反応が、微妙に遅れる。
普通で半テンポは遅れ、ひどい時はワンテンポ遅れる。

最近の私は、歩いて10分の駅に行くのに20分間を用意しています。
どんなに足早の人がいても、マイペースで歩を進めます。

駅について、出発しそうな電車があれば、その電車は自分ものではないと見送ります。

満員の電車も、これは自分が乗る電車ではないと見送る。次の電車を待てば、たいがい空いた電車が来ますので、ゆっくりと乗り込む。

1時間で行けるところには、1時間半の時間を用意していますので気持ちに余裕があります。

社交の場では、及ばずながら空気を読みながら、場全体のペースを乱さないように気配りはしますが、そうではない場合には、数年前と比べれば5割増しの時間配分で、気持ちと身体に負担のないようにしています。

時間コスパは極めて悪くなりました。
しかし、時間リッチなのが高齢者の特権です。

多くのことをしようとはせず、欲をかかずに焦点を絞れば、安全に確実に成し遂げられます。

健康と健康長寿を願うなら、分かりもしない自分の寿命をあれこれ妄想してバタバタしないで、その日その日をゆったりした時間で過ごすことが肝要だと思います。

1日の行動をゆったり遂行し、食事も入浴もゆったりする。
ゆったり睡眠し、ゆったり会話し、ゆったり読書する。

このやり方でできないことは欲望しない。強く欲望することがあれば1日はそれだけの遂行に当てる。

残り少ない自分のリソースを慌てて消耗しない。

体力の増強もゆったり行う。
多くを欲望すると身体を壊すがオチでしょう。

このように心がけても、生き急ぎ、死に急ぐのが凡夫の悲しさ。

こうして戒めながら生きているつもりですが、上手くいきません。

自分のマイペースがよくわかっていないのでしょうね。
.19 2015 未分類 comment0 trackback0

一億総活性化という祭り事

一億総懺悔から一億総白痴化。一億総中流化から、今度は一億総活性化。

次は、一億総不活性化から再び一億総懺悔となり、一億総愚鈍化を経て、一億総再活性化はいつのことになるのか。

こういうワンフレーズが浸透しやすい国民性であることは否定できないようだ。

個々の国民がどのように活性化されるのかは明らかではない。
それどころか、その気になった国民のハシゴはいつものように平然とハズされるだろう。

健康保健薬や健康食品と同じで、効く人には効くし、効かない人には効かない。

つまり、その人次第に帰結され、ほとんどの人は一部の人の異様な活性化を横目に、「一億殆ど怨嗟化」となるのがオチなのだろう。

その人次第というのは当然のことで、政治というのはこのような麻薬を吸い込ませてひとときの陶酔を生み出し、選挙を乗り切り、再び国民の血と汗を吸い取り、一億総脱力化状態を作り出す。

その人次第で何らかの機会に恵まれ妙にはしゃぐ奴が出る一方、大きな口を開け、心ときめかせながら待てども肩透かしとなるのが殆ど。

政り事とはよく言ったもので、鐘や太鼓で煽るだけ煽り人を狂わせ踊らせて、祭りという虚構に酔わせる。

その、麻薬が切れてしまうまでに密かに進めてきた謀(はかりごと)を推し進める。

陶酔から覚めた時は後の祭り。
政り事という謀(はかりごと)に見事に絡め取られてしまう。

オリンピックが近づけば、「一億総おもてなし化」となり、済めば、一億総後片付け化に駆り出され、その後は一億総休眠状態化に持って行かれるだろう。

電通型政治。お囃子型政治。
もう、こういう政り事という謀(はかりごと)に翻弄されないようにしたいものだ。

三代目の御坊ちゃま達は、祭り事を扇動するのがお好きらしい。
神輿を担がされる我々国民の殆どは疲労困憊するだけだ。

偽装政治家、偽装学者、偽装食品、偽装マンション。

我々は、
「一億総監視者化」することが必要だろう。
.19 2015 未分類 comment0 trackback0

スポートロジーとは?

これは科学的根拠にもとづく習慣的な運動によって、生活習慣病の予防や治療、要介護につながる高齢者の転倒・骨折予防、認知症やうつ病の予防などをはかる新しい学問分野です。

 これからは、スポーツ学と医学が手を取り合い、一般市民の健康増進のための様々な対策を打ち出し、指導者の育成を行うようです。今年の3月5日には、東京で初の国際スポートロジー学会が開かれ、国内外の研究者約500人が参加しました。

 日本のスポーツ学はこれまで、エリート競技者の競技力向上にばかり目が向いていました。市民スポーツと「けが」について、スポーツ学の専門家に何人かに訊いてみると、「私はプロの競技者の研究が専門」 「市民スポーツはあまりわからない」などと背を向けられるのが現在の実情。医学の分野で運動の重要性が次々と証明されてきた今、スポーツ学の専門家が遅ればせながら、健康増進という観点から市民スポーツに目を向け始めたことは、喜ばしいことです。
.12 2015 未分類 comment0 trackback0

ジムは老人の遊園地?

ジムは老人の遊園地
朝日新聞の今朝の第一面トップ記事が老人とジムに関するものだった。
体育の日ならではの扱いだろうが、平和ボケ日本の大新聞らしい振る舞いだ。

元気老人や健康志向、長寿志向の老人たちにとって、いまや格好の運動場の役目をジムが担っているのかもしれない。

数多あるジムの中には老人に席巻されている所もあるだろう。
高齢者の増加で、何らかの理由で若い人が退会してしまい老人がほとんどというジムもあるのかもしれない。

私の通うジムでは、まだ高齢者の比率は少ない。具に知っているわけではないが、高齢者には休眠会員も多く、何らかのわけがあってこなくなっている人も多いらしい。

ジムプログラムは高齢者を対象にしてはいない。壮年のそれも女性の美容と健康志向に照準を合わせているようだ。

その群れの中に男性が、それも高齢者が参入するにはかなりの勇気が要る。

私がステップエアロに参加している時は、ステップに引っかかり転倒するのではないかと何人かの中年女性達が目配りしてくれていることを知り、改めて己を自覚させられることがある。

しかし、この群れの半数が高齢者の男女が占めるようになると、ダンスの内容がシニアを意識せざるをえなくなるだろう。

ジム側にとっては悩ましい問題であろう。

今のところ、多くの老人会員は風呂シャワーだけ使用する銭湯会員か、ジムフロアで軽く自転車漕ぎをしたり、ゴムベルトの上を歩く程度の運動をする人が大部分で、私のように、各種ダンスプログラムに出張って他の会員に心配させている人は少ない。

制約だらけでのびのび遊べない公園や遊園地ばかりで、遊び場をなくした子供達と同じで、安全で自由に過ごせる「場」のない老人にとって、今後はジムがその役目を担うようになるだろう。
.12 2015 未分類 comment0 trackback0

スーパーフードというスーパースター

スーパーで買える食品のことではないことは勿論です。

超食品、健康に超絶的に効果があるスーパー食品のことのようです。

ハリウッドスターやミランダ・カーなどのスーパーモデルが愛用している。
日本では、道端アンジェリカやローラ様たち(?)が毎朝お召し上がりの食品のことらしい。

麻の実油(ヘンプシードオイル)。
これが、ココナッツオイルや亜麻仁油に勝るスーパーフードとして新たに舞台に登場してきました。

面白いことに、なになに医学博士推奨より、どこそこ大学教授推奨より素晴らしく早い速度で広まることです。

どことなく胡散臭く、利権まみれの印象が拭えない彼らより、なんとなく垢抜けていて、同世代同時代を生きるモデルやスターの方がどうやら信用があるのかもしれません。

なにやら小汚い、胡散臭い老人権威よりもはるかに説得力があるスーパーな彼女たちに共感する日本の若い女性たちの気持ちはわかりすぎるほどよく分かる。

ココナッツオイル、亜麻仁油、荏胡麻油、チアシード、アーモンドミルクなどの先行スーパー食品などと、このヘンプシードオイルの後、どんなスーパースターが健康食品舞台に登場し、若者や、中高年に夢を与えるのか楽しみです。

ただし、スターの追っかけは時に夢破れ、梯子を外される危険が伴います。

これがまた堪らないという人も少なからず居るようですから、商人は笑いが止まらない。

宝クジに外れても自己責任の世界ですから。
これと似たようなも
.05 2015 未分類 comment0 trackback0

ジムと私 2. する運動 させられる運動

小学校の時の運動会では、全校生徒の前で模範演技をしていたくらいですから、運動そのものには人一倍興味がありました。

でも、学生時代には運動の部活には入っていませんでした。どの部活も馬鹿なヤツが先輩風を吹かせているのがしゃらくさくてとても堪えられませんでした。

スポーツも観るスポーツよりはやるスポーツが好きで、TV観戦もほとんどしません。他人の競技に熱中することはできません。

自分でやるスポーツを主として今日まで来ました。

3ヶ月前に、ふとした気まぐれでジムの会員になりました。

そこには、インストラクターが居て、多くのメンバーが居ます。
自分が選んだプログラムに参加すると他のメンバー共々、そのインストラクターの演技を真似て集団の群舞みたいなことになります。

最初は一方ならぬ抵抗がありましたが、最近はこれにはまっている自分に驚いています。

エアロビクスダンスなどにも積極的に参加していますが、自分があまりにもできないことに興味が湧いてきたのです。

作業脳が云々の講釈はどうでもよい。
とにかく、インストラクターを真似て皆さんと同じように踊りたいの一心です。

必然的に「させられる運動」に夢中だということです。

自分で「する運動」に限界を感じていた私には「させられる運動」に新鮮な感動を覚えます。

幼稚園児や小学生に戻ったような感覚になります。
会員友達に言わせると、「本当に楽しそうにしている」とのこと。

教わること、させられることが実際に楽しくて仕方がありません。

ジムという世界は、私に予想できなかった悦びを与えてくれて、適度な運動効果で身体機能の向上という福音をもたらしてくれそうです。
.05 2015 未分類 comment0 trackback0

ジムと私 1. ヨーガの効果

日本に初めてヨーガの道場らしきものができたのが、今の世田谷区用賀の地だとは、いつかなにかの記事で読んだ記憶があります。

ヨーガについては、若い頃から興味を持っていましたが、実際に体験することは叶わず今日に至っておりました。

図らずも、ジムの会員になってからはヨーガ漬けになっています。

6人のインストラクターによる6通りのヨーガのプログラムが週間予定に配されており、これはよい機会を得たとばかりに、そのすべてに可能な限り参加しております。

例によって、女性ばかりの参加者の中で一人突出してドジばかりやってますが、真面目に演技を行っています。

一つだけ、明らかな効果を感じています。これは、ヨーガをするにあたって私が狙っていた効果です。

股関節のズレが矯正されたということです。

椅子に座した時に足を組む癖が長年続いていたのと、歩行時に無意識でいると左足が外に流れることがわかっていたのに放置していたのを治したいと願ったからです。

一時は右足が流れていたのですが、歳をとるにつれ左足の流れが顕著になりました。靴底の外側が左右共に減りますので、左右共に流れていたのだと思います。

靴底の外側の減りがあるレベルを過ぎますと、その減り方に誘導されて足運びが悪くなり、ますます外側に流れてしまうという悪循環に陥ります。

2年前から、歩行時に意識して真っ直ぐ足を出すようにしましたら、明らかに靴の踵の減りが水平にちかくなりました。

しかし、常時意識をしてはいられません。なんとか、無意識に歩行しても真っ直ぐ足を出して歩きたいと願っていました。

恥を忍んで、インストラクターの真ん前に座して、6通りのヨーガを3ヶ月近く続けましたところ、明らかな変化が起きました。

股関節が整ってきたようです。

真っ直ぐ足を出すとなにか不自然な感じがありましたのが、ごく自然な感じて真っ直ぐ出るようになりました。

歩行による疲労も軽減されたような気がしています。
.05 2015 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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