老友の後ろ姿

背中に老いが出るとは昔から言われている。
最近、半年ぶりとか3〜4ヶ月ぶりに会う友人たちの後ろ姿が気になる。

人性の四季を映し出す背中は正直なモニターのようで、誤魔化すことはできないようだ。

老いが忍び寄るどころか、老いが玄関から土足で上がり込んでくるような遠慮のなさで老け込んできていることに一抹以上の寂しさを感じる。

自分の背中は見ることができないが、恐らく同じように老いを背負っていることを友達は見て取っていることだろう。

ついているべきところの肉が落ち、肝心なところが妙に骨ばっている。不要なところに余分な肉が吹き溜まりのように澱んでいる。
歩く歩幅が微妙に狭くなっている。

無意識か意識的にか、時折正す姿勢に伸びも張りもない。気持ちは感じ取れるが身体がついて行っていない。

同年輩の友の在り様に、我が老いし在り様を突きつけられる。

急にいなくなった夏に変わって秋色に包まれたが故の感傷かもしれない。

成長のために身体を鍛えてきた過ぎ去りし日々に代わり、健やかに老いるために身体を鍛えなければならないと、日夜精進をしている。

しかし、猛烈に疾走してきた人生列車にブレーキを、あるときは急ブレーキをかけながらまだ見ぬ終着駅に向う走り方にマニュアルはない。

試行錯誤あるのみ。
そう言えば、若い頃も試行錯誤の日々ではあった。
定石があるような錯覚はしていたが、実は一寸先は闇のようなものだった。

この定石のない試行錯誤が人生だと思えば気も楽になろうというもの。

近いうちに、年に一回のゴルフコンペがある。40年続いているコンペに参加する。

友の背中に、歩き方に、喋り方に我が身の現実を思い知らされることになる。

やはり、急に訪れた秋の気配に感傷的になったのだろう。

気張り続けることはできない。
さすれば、感傷的になれるときは感傷に身をどっぷりと浸したほうが、なんとなく身体が楽になり、言うところの副交感神経優位になり、心身の縛りがとれそうだ。
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.28 2015 未分類 comment0 trackback0

老人とジム その4 ライザップは凄いのか?


私は、30kg弱の減量に約2年を費やし、その後2年の間維持できていることでなんとか自信が持てた。

食生活の改善とライフスタイルの改善。
「善」と断言して良いのか否かは分からない。いろんなことを断捨離してきた結果だから、ある種のものに未練がないとは言えない。

されど、取り戻した健康と軽い身体と軽快なフットワークは諸々の未練を乗り越える説得力がある。

ただし、減量のプロセスで筋肉を減らしてきたことは否めない。
現在の体重(63kg前後)を維持する自信を得たので、これからは筋肉を取り戻さなければならない。

そのために選択したのがジムの会員になるということです。
約2年の期間はかけようと目論んでいます。

2年後といえば、私は75歳になります。
中高生が筋肉増強を目指すのと違って、急速に老化が進行する中で筋肉増強を図るのですから先行きが見えません。

ただ、アンチエイジングの観点からいえば、筋肉を鍛え増強することは、老いたりといえども成長ホルモンの分泌を促し、基礎代謝量を減らさなくてすむという利点があり、運動量確保に消極的にならずに済むということも言えます。

過去の2年間と、これからさらに2年という歳月をかけようということをライザップは2ヶ月でやり遂げる。減量のための2年間を加えれば、私が費やして来た4年間をたったの2ヶ月で達成させるのですから驚異と言うほかはありません。

私の減量の2年間も、我慢、忍耐、未練との闘いでしたが、他人から指図されるわけではなく自由に生活していました。
だから、2年間を要したといえます。

私が、急速な減量を恐れたからでもあります。多種多様な食材やサプリメントを試行錯誤ならぬ使用錯誤したことも時間を要した原因でもあります。

同時進行で筋肉の維持増強を図るなら、余りにも時間制約が多くなり仕事への影響が少なからず、という懸念もあったからです。

ライザップは定かではありませんが、聞くところによると、食事やトレーニングなど多くのファクターで指導監視つきのようです。

問題は、目出度く目標達成後の維持強化だろうと推測します。
自立してから後、達成したレベルの維持に自信を持てるようになるには恐らく2年くらいは必要なのではないでしょうか。

もともと筋肉が育成されていた人を対象しているのではないかと推測しますが、2ヶ月間という短期間にあれ程の成果をあげるということには、脱帽せざるを得ません。

メタボ解消と健康回復、さらには体力増強に医学界も注目しているそうですが、医学界が本気で予防医学に取り組むならば避けては通れないメソッドだと思っています。

それにしてもライザップは凄い!
.22 2015 未分類 comment0 trackback0

老人とジム その3 忘れられない光景

老人とジム その3 忘れられない光景
70歳まで、30年間都心のあるスパの会員でした。会費を払うだけで利用頻度は本当に低く、勿体無いといつも思いながらも、クラブ in クラブのメンバーとしての社交がありましたので会員であり続けました。

そこで、忘れられない光景があります。

たまに、プールでも使うかとか、サウナにでも入ろうかと訪れることはありました。

その時、スタジオプログラムが実施されているタイミングにガラス越しにちらっと目をやることがありました。

20年も30年も前のことですから、スタジオプログラムといえばエアロビックダンスです。
インストラクターの拍子とりの軽快な掛け声がマイクを通して仕切りのガラスを通して聞こえてきますので、つい目がいってしまいます。

有閑マダム達が、ダブついた腹部と形状が定かならざる胸部、それにいまにも布を突き破りそう臀部をタイトなウエアに包んで踊っていました。布が可哀想だと布に同情したものです。

その中に男性が一人二人踊っていました。男性会員といえば、昼間から踊っていられる結構な身分の人達です。

年の頃は60歳くらい。
これが問題なのです。なせがエアロビクスダンスの専用ウエアがあるのかどうから知りませんが、驚愕的な出で立ちなのでした。

身体にぴったり密着したウエアで、しかも黄色地に黒の横縞模様なのです。その上、男性バレリーナのように股間がモッコリと盛り上がった異様というか卑猥というか、なんとも気持ちの悪い姿でした。

そんな男達が、ボンレスハムの群れの中で踊る光景はとても正視に耐えられものではありませんでした。

一種異様な光景を呈する、倒錯者達の密室のような状態に吐き気にも似たものを覚えたものです。

あのような者たちのようにはなりたくない、あのような者たちには近づくまいと心底思ったものです。

その私が、今般あらためてジムの会員になり、スタジオプログラムでエアロビクスダンスはおろか、ズンバダンスまでやっているのですから、その変身、変節、変貌ぶりを釈明するのはいささか難しい。

ただし、出で立ちは普通の短パンとTシャツとスニーカーです。
あの、蜂のような、西欧の囚人のような異様な姿ではないという事は確かです。
ごく普通の出で立ちでさりげなくとでも申しておきましょう。
.21 2015 未分類 comment0 trackback0

老人とジム その2

全身鏡の前に立って我が身を眺めてみると、まだまだ老人ではないと思うのは、鏡に映る我が身のうち、見たいところだけを見ているからだろう。

主観は兎も角、客観的にはまごうことなき老人だ。

厚労省などの公的機関では、73歳は明らかに老人と規定されている。また、巷に出ると至る所で老人として扱われ遇される。

何かの折に、「爺さん」と言われ、子供や若い者からは「おじいちゃん」と呼ばれてしまう。

そこであらためて全身鏡の前に立ち、できれば見たくないところ、意図的に見ることを避けているところを凝視してみると、「やはり、俺は爺さんだなぁ」と認めざるを得ない。

認めざるを得ないけれども、このままむざむざと老いさらばえていくに任せてはいられない。そのためには、いままでの試み以外にも何かやる事があるはずだ。

このような観点から思い立ったのが「ジム通い」なのだ。

いままで、室内で自転車漕ぎをしたり、ベルトコンベヤーの上を歩くような事を心底馬鹿にしていた。

街場を歩いていると、ビルの二階から舗道を見下ろしながら歩いたり漕いだりしている者たちを「バッカじゃなかろうか!」と軽蔑していたものだ。

歩きたければ「道」を歩け。「漕ぎたけりゃ本物の自転車に乗れ!」と心のうちで叫んでいた。

そんな自分が宗旨替えしてジムに入会し、今まで軽蔑していた側に参入することにしたのには、医療を拒否してきた持病持ちの患者が「もはやこれまで」、「これ以上意地を張っていられない」と医者の軍門に下るにも似た心境になったからだ。

早朝のウオーキングにストレッチ。手近なところにある鉄棒や部下がり器具を使ってそれなりに運動はしてきた。

どこに行くにも、なにをするにも先ずは自分の体を使う事をモットーとする。日に、15,000歩前後は歩く。日常生活の中での身体操作は意図的に大仰に動かしあらゆる機会をとらえて身体を鍛えてきた。

ある時ふとそんな自分の生活を振り返ってみた。すると、どう贔屓目に見ても身体操作に偏りがある事に気付いた。
つまり、いつも同じ身体部位しか使っていないという事だ。

そこで、森元総理より小さな脳を巡らしてみた。やはり、他人の指導を受けた方がよさそうだ。他人の評価を受けた方がよさそうだ。何か有効な器具を使う方がよさそうだという事に思い至った。

かくしてジムの会員となったのが、7月の中旬。爾来ひと月余りが経過した。

毎日が驚きと感激、そして屈辱と我が身の不甲斐なさに打ち拉がれる毎日が始まった。

「老いたるかな!」
と認めざるを得ない毎日と闘い戯れるという、実に摩訶不思議な生活が始まった。
.21 2015 未分類 comment0 trackback0

老人ジム その1

「老人と海」といえばご存知ヘミングウェイの有名な小説。
大海原に釣り糸を垂れて、来し方を思う間もなくウトウトしてしまいそうな状況ですが、私の老人とジムは全くさに非ず。

「書を捨て野に出よう」じゃないが「書を捨てジム」に行こうという試みに間違いはなさそうですが、なにしろほとんど初体験のジムライフは右往左往の連続です。

マシーンを使用する運動はほんの少し齧っているくらいで、殆どをスタジオプログラムの参加に主軸を置いています。

エアロビクスとリズムダンス。太極拳と気功とヨガ。ステップ体操とバランス体操など各種のプログラムにひと通り参加しています。

これ以外に、マシーン運動とプールがありますので、全てに参加するようになれば一日仕事になってしまいます。

今のところはスタジオプログラムでヘトヘトになっていますので、マシーンやプールなどはまだまだ先の話です。

特に、マシーンは自分がどこの筋肉を鍛えるかのテーマがハッキリしてからでよさそうだと思っています。

ともあれ、「老人とジムと海」の違いは甚だ大きく、毎日、目を白黒させながら
クラスの皆さんに迷惑をかけないように頑張ってやっているところです。

歳をとったいま、頑張りたくはないのですが、あまりにもひどい自分の身体操作能力の無さぶりに慌てているところです。

本当に、毎回思い知らされています。
73歳の自分の身体操作能力がこれほど低下しているとは思ってもいませんでした。

毎回打ちのめされ屈辱的情けなさに、何故か大いに発奮し、頑張る自分を久しぶりに再現しようと覚悟をしたところです。
.21 2015 未分類 comment0 trackback0

「『陰』を慕いて♫」

「影を慕いて」という歌を口ずさみながら歩くのはもっぱら日陰。
この炎天下、低層の建物が並ぶ住宅地の中は日蔭というものがありません。
電線の陰すら有難く感じるほどです。

壁が作る僅か10センチ幅の陰すら見逃さずとらえて歩いています。
その際、自然に口ずさむのが、昭和6年に発表された古賀政男作詞作曲、藤山一郎歌の名曲「影を慕いて」です。昭和7年に大ヒットした歌謡曲です。
昭和17年生まれの私にも慣れ親しんだ歌ですからよほどヒットしたのでしょう。

この歌を口ずさみながら日陰ともいえない日陰をショボショボ歩くこと10分ほどで駅に着きますので、そこでやっと一息つきます。

日向を避ける訳ありの人物のごとく、もっぱら日陰を歩くのもまた一興。
もっとも、このような酷暑の昼下がりに日なたを歩くのはバカと言われるでしょうが・・。

都心を歩くときは、地下鉄の出入り口、大きなスーパーなどの前での冷気に誘われ、乗る予定もない地下鉄に乗ったり、買う気もないのにスーパーやデパートに誘い込まれることがあります。

飲みたいという気になってもいないのに喫茶店やカフェにフラフラと入ってしまうこともたびたびです。30分ほどの冷房代が高いか安いか定かではありませんが、そんな評価はバカバカしい。ただ、ひと時の安らぎだと思えば高いとは言えない。

そういうわけで、日傘を定番として使用していることは以前記述しましたが、この時期このチョイスは当たりだと思います。
男性も、特に高齢者の男性に日傘の使用を再びお勧めします。

もっとも、酷暑の炎天下に出かけないのが一番。
大きな屋根が作る日陰で適度なエアコンを効かせ、一個のウメボシを口に入れ水をちびりちびりが最高であることは勿論です。
すなわち、居宅にいるのが賢明です。
.11 2015 未分類 comment0 trackback0

優先席での携帯使用禁止に変化?

「優先席付近で携帯電話の電源をお切り下さい」。心臓ペースメーカーへの配慮から定着した地下鉄などでの車内放送だが、近年「影響は無い」という調査結果も出ている。本当に優先席の近くで携帯電話を使っても大丈夫なのか。

 JR京浜東北線車内で6月、70代の男が、タブレットを使う乗客に「優先席でいじるな」と刃物を突きつけた。約50人が線路上に逃げ出す騒ぎになった。
 
昨年12月には相鉄線の優先席で、60代の男がスマホを使う女性に「降りろ」と怒鳴り、非常ボタンを押した。男は駅のホームと車両にまたがり発車を妨害したとして、今年1月に威力業務妨害の疑いで逮捕。同様のトラブルを昨年4月から39回繰り返していた。
 
電車の中で、携帯端末を巡るトラブルが後を絶たない。東京メトロが「携帯が原因の客同士のけんかは頻繁」というなど、各社も頭を悩ませる。

 「電源オフ」のルールは、携帯電話の電波がペースメーカーに干渉して脈を乱す恐れがあるとして、2000年ごろ始まった。首都圏17社は03年に「優先席で電源オフ」の統一ルールを採用。翌年関西が続き、全国に広がった。

 しかし、第2世代と呼ばれる携帯電話サービスが終わり、電波が弱い第3世代になって動きが出てきた。

 「携帯電話とペースメーカーの距離を22センチ以上」と定めていた総務省は13年、指針を15センチ以上に緩和した。指針緩和を受け、京阪電鉄(大阪市)は13年末に「混雑時のみ電源オフ」ルールを導入。翌年、JR西日本と関西鉄道協会も続き、足並みをそろえた。(朝日新聞の記事より転載)

さて、私も苦い経験があります。

地下鉄よ優先席に座っているとき、向かいの席に老夫婦が座りました。

ちょうどそのとき、メール着信合図がありましたので、携帯を取り出しメールを読み返信しようとしたときでした。

「おい君、携帯使用禁止だぞ」と向かいの席から大きな声がしました。私はその声の主の老人に陳謝し、そそくさと携帯をバッグにしまいました。

気まずい思いを引きずりながら、ルール違反の自分を恥じた苦い経験があります。
老人対老人のやりとりですから微妙な空気が辺りに立ち込めたことがやり切れませんでした。

普段は他人の同じ行為を多少の憤懣を覚えながらも注意することまではせず我慢していた自分が、その行為で非難されたのですから複雑な感情の処理の仕方に戸惑ったものです。

今度から、上記転載記事のような事態になるとすれば、ルール云々より
まずは危険でなくなることが喜ばしい。

今まで危害を直接受ける恐れのある人が安心して電車に乗れるようになるのなら何よりの朗報です。
.11 2015 未分類 comment0 trackback0

必要と欲望の筋肉

ヒトは発達と進化の過程で無数の筋肉を開発して利用してきたようです。

特に、二足歩行で立ち上がるようになってから、捕食、闘争、逃走にあたり急速な発達を遂げてきたのでしょう。

木に登り食物を手に降りてくる。野獣などから逃走し崖を滑り落ちてよじ登ってくる。道具を作りそれを操作する。

素手の戦いから武器を考案してからの高度な身体操作。
日常生活における繊細な身体操作とコミュニケーションのための表情筋など、あらゆるシーンにおいて必要な筋肉を発達させなら進化してきたものと思われます。

たがらこそ、各種スポーツにおいて、同じ人間とは思えない各種の身体操作の美しさに感動することができるのでしょう。

今回、ジムに通うようになって、ヒトはかくも素晴らしい進化をしてきているのだとあらためて思い知らされています。

筋肉には、道路で例えるなら、主要幹線道路以外に横道、脇道、裏通り、坂道
階段など、様々な道路があるようです。

運動不足とは、ほぼ幹線道路しか通行せず、その他のルートをまるで知らない生活をしているようなものなのでしょう。

老化とともに、いつの頃からか脇道、横道の存在を忘れてしまう。
そして、それらの道は荒れ果て通行不能になってしまう。

それまでは楽だった幹線道路も、横道脇道の機能不全から次第に交通が困難になり、あの広々とした幹線道路も過剰使用と管理不良で浸水崩壊で交通が困難になり動きがとれなくなる。

つまり、寝たきり状態になってしまう。

本当に不要な筋肉は退化していくのでしょうが、普段は目立たないが使用されるべく待機している筋肉が無数にあるようです。

その存在を忘れているとその筋肉の機能不全が主要筋肉の機能不全を引き起こしてしまうのではないでしょうか。

今回、ジムに通うようになってはじめて気づいた気がします。

普段の生活ではさして不要なと思われる筋肉の存在にあらためて気付き、それらの筋肉を動かすことの大切さを痛感した気がしています。

生活しているだけでは決まった筋肉しかつかいません。
運動しているといっても同じ運動だけでは一部の筋肉しか使っていません。

ときには、脇道や裏通りを探索するような筋肉の動かし方をしないと、思わぬところから全体の足をひっ張られかねません。
.11 2015 未分類 comment0 trackback0

ヨガで転倒 コロコロ転ぶ

40歳代の頃、熱心にヨガを勧めてくれる人がいました。
そのチャンスを逃して以来、強い関心を持ちながらも横目で見るママで今日まで来てしまいました。

ジム通いを始めた今回、スタジオプログラムでまず最初に参加したのはヨガでした。今日までに5回程やっています。

この物静かでエレガントな動作の身体操作が殊の外難しいことに頭を抱えています。

コロンと転ぶのです。
腕脚と躯体を微妙に絡めて静止するべきところ、突然コロンと転ぶのです。

3回目に転んだとき、真後ろの女性と目が合い、彼女が必死に笑いをかみ殺しているのに気がつき、なんとも気が滅入ってしまいました。

開脚。これも半端な角度しか開きませんが、この状態でなにかやっているときも真うしろにひっくり返り居たたまれない気分で困ってしまいました。

バランスを保てないのです。
あんなものいつでもやれると高をくくっていましたがとんでもない。

身体がすっかり老化し、筋肉も筋も硬くなってしまっています。
手足を絡める、それも中途半端にしているのが精一杯で体のバランスまで神経が行き届きません。

ところが、3回目あたりから転ぶ回数が減り、4回目5回目になるとなんとか転ぶことはなくなりました。

インストラクターからも褒められ、クラスの女性たちからも「ご上達!」とおだてられる位にはなりました。

劣等生。
これがなんとも楽しい。

「邪魔だ、出て行け」と内心思っている人もいるかもしれません。
しかし、優しい女性やわずかながらも母性本能が残っている女性たちから優しく見守られながら、必死に頑張る自分が愛らしい!

劣等生には目先のわかりやすい目標があるのです。
それに、「出来の悪い奴ほど可愛い」と思う人もいるのです。

こんな人たちに見守られながら、今日も「転倒しないヨガ」を目指して炎天下、ジムを目指しています。
.11 2015 未分類 comment0 trackback0

猛暑 お見舞い申し上げます。 帽子の功罪

今年に暑さは格別。
街ゆく人の表情が尋常でない。
呆然自失状態で浮遊しているような人もいる。

年中帽子をかぶっている私は、この時期は汗をかくので7個の帽子をとっかえひっかえ被っています。一回使えば即洗濯しますので、夏は面倒です。特に今年のような酷暑下では20個くらいの帽子が欲しいくらいです。

親しい友人で帽子を使用しない人には、帽子で炎暑を和らげ、紫外線から少しでも頭皮や毛髪を守るようにと嫌がられるくらいしつっこく勧めています。

ところが、水を十分摂り帽子をかぶっているにも拘らず公園などで熱中症にかかる人が居ることがわかった。

帽子に下の汗が問題なのだそうです。
帽子を被りつづけると頭に汗をかき、頭部の湿度が高くなり熱中症を引き起こす原因となるそうです。

帽子を被るなら、常に汗を拭きとりながらでなければかえって熱中症にかかりやすいということです。
何事も功だけではなく、罪が伴うことは物事の真理ではありますが、これは盲点でした。

紫外線透過性の低い黒色のモノでも、布製だと頭部が密室状態になり湿度も温度も上がり頭部が煮詰められる。
紫外線透過性という点で多少の妥協をして多孔性の材質のものを選び、頻繁に汗を拭かねばならない。

ほどほどのところで良しとするほかはありません。
完全ということを求めることは不可能なのですね。

それにしても、猛暑の炎天下、禿げ頭に汗を噴出させながらむき出しで歩いている人が多い。
光合成で毛が生えるとでも思っているのかと心配な人が多い。

帽子の着用はお勧めしたい。
.05 2015 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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