PPK48という「うとましさ」

ピンピンコロリとは、病気に苦しむことなく、元気に長生きし、病まずにコロリと死のうという意味の標語。略してPPKとも言う。
1980年、長野県下伊那郡高森町で、北沢豊治が健康長寿体操を考案。1983年、日本体育学会に「ピンピンコロリ (PPK) 運動について」と題し発表したのが始まりだと言われています。

日本は世界に名だたる長寿国ですが、年をとってもピンピンしている健康長寿の人はそんなに多くはありません。ただ長生きするだけでなく、私たちが望むのは、なくなる直前まで元気に活動するピンピンコロリ(PPK)の人生であり、逝くが逝くまで元気で自律と自立の人生でありたいということです。

「うとましさ」と私が感じるのは、
意に反して寝たきりになったり、後遺症を抱えて介護の世話になっている人でも自らの寿命を一生懸命に生きている人、家族から生きていることを望まれている人が沢山居ます。その方々への配慮があまりにもなさすぎるのではないかということです。

AKB48という流行のグループの名前をもじって元気な高齢者が愉しく歌ったり踊ったりするPPK48なるグループがマスコミに取り上げられました。
芸能界的に、あるいはTVマン的には「それって面白いじゃん!」という軽いノリもあるでしょう。そのグループの皆さんが元気に愉しい人生を送っておられることはまことに慶賀にたえません。ご自由にどうぞと思います。その方たちの人生を批判したりする気はありません。
それでも、私は不愉快に感じました。

今の日本では過剰ではないかと思われるほどの差別語排除の傾向があります。既存の社会の枠組みの中から弱者や特別の事情がある集団に対しての差別語が規定されタブーとされています。それはそれで、行き過ぎではないかというものもないわけではありませんが、特別に反対する理由もありません。

しかし、高齢社会に突入した現代、我々が気をつけねばならないことは、「健康で長生き」が最高善だという考え方が定着する一方で、病気療養中であったり、不本意ながら病院で寝たきりの生活を強いられる老人が増えています。また、介護の制度に依存している人もたくさんおられます。その方たちの心情に無神経になってはいませんか?ということです。

現実には、超高齢者の大部分が寝たきりという実態があります。
このような方々の尊厳を軽視してはいないかということです。

憂慮するのは、「寝たきりにはなりたくない」「認知症にはなりたくない」「高齢者の医療費は無駄だ」という考え方が増長しすぎると、はからずもそのような状態に陥った人たちに深い敗北感を味あわせることになるのではないかということです。

望んでも簡単に得られないのがPPKといわれるものです。人生も身体も一寸先は闇です。
PPKでありたいとは、ひとつの理想であり密かな願望です。
それはまた不幸な結末と裏腹のものなのです。


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.30 2014 未分類 comment0 trackback0

「少数語彙族」にご注意!

「少数語彙族」にご注意!「少数語彙族」にご注意!
「死ね」「やばい」「びみょう」「超ウケル」とか
やや死語になったが
「ださい」「うざい」ナウイ」「キモイ」の簡単な言葉で日常を生きている若者たちの存在が、少数派ではなくなっている。

最近、若者とちょっとしたいざこざが原因で線路に突き落とされたり刺されたりの事件が増加傾向にあります。「なぜ、こんなことで?」と言う事件は今後も増えていくでしょう。

語彙の増加はその人の思考の深さと感情の豊かさを生み出す。
深い思考ができるということは、ある事実を幾つかの異なる側面から眺めてみることができる。そしてさらに悩み、さらに探求の道を進もうとします。古典文学や哲学書などを渉猟し多くの語彙を識る。
それでも、自分の中に生じる「内面と外面の齟齬」を調整できずに呻吟する。

現代では、その困難な人生の時期、本来思春期に正面から向き合うべき時を、できるだけシンプルに簡単に通過してしまう人が多い。
例えば、「渋カジ」だの「ヤンキー」だの「ゴスロリ少女」とかいったステレオタイプを演じることでやり過ごしてしまった人は、そのあとどのような仕事をしようと、結婚しようと、親になろうと、本質的には幼児のままでいるほかはない。

電車の中で、ある老人(A)の荷物が若者(B)の身体に触れた場合、
B:「うぜ~んだよ」と押し返す
A:知らん顔
B:「ウゼ~って言ってんだよ、ジジー」
A:「なんだと」
B:「死ね」
A:「死ねとはなんだ」
B:「死ね」
もっと遣り取りはあるだろうが、ここまでで「刺す」か「突き落とす」ということが現実に起こる。

ある精神科医の話だが、
「この子がおあかしいんです」と幼児を連れて来た。よく話を聞いてみると、その子より連れてきた母親の方が確実におかしいという例が増えて来たそうです。

大事な思春期を、定型的パターンとパフォーマンスで乗り切ってきた者たちが親になるわけだから、外見はともかく内面は「幼児」と言う親に育てられた子供たちが無傷で思春期を通過できはずもない。

シンプルで平板。それ故に強固なアイデンティティーを持っている親の支配下にある子供たちが、その影響を押し返して思春期の精神的肉体的危機を乗り越えていくことは絶望的に困難であることは想像に難くない。

このような、内面は幼児のままの医者、教育者、法曹関係者、官僚、政治家が無数に輩出している現在と未来は暗澹たるものであると言わざるを得ない。

何かを食べて「ヤバイ!」、何かを見て「ビミョウ」としか言えないタレントが高額のギャラをもらってランボルギーニを乗り回す現代ですから・・。

私も若い者から、「死ね」と言われたことがありますし、「ウゼーンだよ」と言われたことがあります。同じ土俵で議論ができる筈もないので黙っていました。相手は勝ち誇ったようでしたが、哀れなものです。
ついその気になって向かっていこうものなら流血の沙汰の当事者になりかねません。

これからの世の中は、環境、食品、電化機器など怖いものが多々ありますが、実は人間が一番怖いということを肝に銘じておくことが肝要です。

「死ね」「やばい」「びみょう」「超ウケル」とか
やや死語になったが
「ださい」「うざい」ナウイ」「キモイ」の簡単な言葉で日常を生きている若者たちの存在が、少数派ではなくなっている。

最近、若者とちょっとしたいざこざが原因で線路に突き落とされたり刺されたりの事件が増加傾向にあります。「なぜ、こんなことで?」と言う事件は今後も増えていくでしょう。

語彙の増加はその人の思考の深さと感情の豊かさを生み出す。
深い思考ができるということは、ある事実を幾つかの異なる側面から眺めてみることができる。そしてさらに悩み、さらに探求の道を進もうとします。古典文学や哲学書などを渉猟し多くの語彙を識る。
それでも、自分の中に生じる「内面と外面の齟齬」を調整できずに呻吟する。

現代では、その困難な人生の時期、本来思春期に正面から向き合うべき時を、できるだけシンプルに簡単に通過してしまう人が多い。
例えば、「渋カジ」だの「ヤンキー」だの「ゴスロリ少女」とかいったステレオタイプを演じることでやり過ごしてしまった人は、そのあとどのような仕事をしようと、結婚しようと、親になろうと、本質的には幼児のままでいるほかはない。

電車の中で、ある老人(A)の荷物が若者(B)の身体に触れた場合、
B:「うぜ~んだよ」と押し返す
A:知らん顔
B:「ウゼ~って言ってんだよ、ジジー」
A:「なんだと」
B:「死ね」
A:「死ねとはなんだ」
B:「死ね」
もっと遣り取りはあるだろうが、ここまでで「刺す」か「突き落とす」ということが現実に起こる。

ある精神科医の話だが、
「この子がおあかしいんです」と幼児を連れて来た。よく話を聞いてみると、その子より連れてきた母親の方が確実におかしいという例が増えて来たそうです。

大事な思春期を、定型的パターンとパフォーマンスで乗り切ってきた者たちが親になるわけだから、外見はともかく内面は「幼児」と言う親に育てられた子供たちが無傷で思春期を通過できはずもない。

シンプルで平板。それ故に強固なアイデンティティーを持っている親の支配下にある子供たちが、その影響を押し返して思春期の精神的肉体的危機を乗り越えていくことは絶望的に困難であることは想像に難くない。

このような、内面は幼児のままの医者、教育者、法曹関係者、官僚、政治家が無数に輩出している現在と未来は暗澹たるものであると言わざるを得ない。

何かを食べて「ヤバイ!」、何かを見て「ビミョウ」としか言えないタレントが高額のギャラをもらってランボルギーニを乗り回す現代ですから・・。

私も若い者から、「死ね」と言われたことがありますし、「ウゼーンだよ」と言われたことがあります。同じ土俵で議論ができる筈もないので黙っていました。相手は勝ち誇ったようでしたが、哀れなものです。
ついその気になって向かっていこうものなら流血の沙汰の当事者になりかねません。

これからの世の中は、環境、食品、電化機器など怖いものが多々ありますが、実は人間が一番怖いということを肝に銘じておくことが肝要です。
.29 2014 未分類 comment0 trackback0

シルバー産業とアンチエイジング産業

介護関連の施設や器具の開発などの高齢者向けのインフラや身体機能の衰えを補完する各種ツールに関わる産業はますます発展する余地があります。
ところが、ファッションやレジャー関連のシルバー産業は、見込とは異なる実態であるようです。

年寄り専用の遊び場が受け入れられるはずもなく、高齢者用のファッションをいくら考えても高齢者は避けて通ります。
それはそうです。遊びに行こうかという老人や、お洒落をしようかという高齢者は皆さん元気な方が多いのです。

その人たちは皆さん主観年齢が若いのですから、歳相応と言う社会的年齢規範で開発したいかなる商品にも「私とは関係ない」とばかりに見向きもしません。

欧米の女性たちが日本を訪れてびっくりするのは、日本の高齢の夫人たちの若々しいファッションだと言います。

日本では、フランスの知性の時代の思想家のいう「エクリチュール」という概念は存在していません。
山の手の自分は貴婦人だと思っている婦人と、自分は下町のおっかさんだと思っている婦人に違いがありません。
私のような者からみて見分けがつかないことが殆どです。

高価なモノか高価でないモノかの違いはあるのかもしれませんが、ほとんど見分けがつきません。
これは、ゴルフ場で感じることですが、プレーしているご婦人たちよりキャディーの方が貴婦人のごとくみえる場合と似ています。

あの有名な「とげぬき地蔵商店街」の婦人服も結構若々しいモノが売られていますし、いま人気なのが「真っ赤な下着」と聞くにおよび、かつ実物が陳列されて売れている実態を知るにおよび、何をかいわんやです。

主観年齢と歴年齢のギャップを感じた時、現代人は歴年齢に自分を合わせようとはしません。現代人は、歴年齢を主観年齢に近づけようという行動をとる。つまり、アンチエイジングに挑戦します。

化粧品しかり、美容整形しかり、サプリメントしかり、運動スポーツしかり、有機野菜などの健康食品しかり、あらゆる分野でアンチエイジングに励みます。
アンチエイジング産業はますます需要が伸びていくでしょう。

最近のTV・CMでみる女優達には驚きを隠せません。
映像的に修正が施されていることを割り引いても、かつての高齢の女優達とは隔世の感があります。いまだに、女を保っている涙ぐましい努力には感動を覚えます。

一般人もしかりです。
先日、女子大生のような後ろ姿の女性をみました。ロングヘアーでジーンズ姿。体型は素晴らしく、やや前傾気味に歩く様子に違和感を感じましたが、追い抜いた拍子に(意図的に)顔貌を覗いて転びそうになりました。

どう見ても60歳半ばの女性でした。
主義でしないのか、経済的事情でしないのかはともかく、美容整形は受けてはいない。しかし、できる範囲では目いっぱいの若作りをしているご婦人でした。

格差社会が進行しているとの分析がありますが、まだその実態は混沌としています。
それでも、現代人は自分に可能なアンチエイジングに費用は惜しまないようです。

「若づくり」は、昔の日本では奇異な眼差しを向けられたものですが、現代人は意に介してはいません。
「老い」よりは「若さ」の方に価値観はシフトしています。

当分の間か、これから先はずっとかはわかりませんが、平和である限りシルバー産業よりは、アンチエイジング産業の方に分がありそうです。

はしゃぐ老人の増加に比して、醒めたような、冷めたような子供と若者が増加する現代の日本です。意識的には逆転している現象すら感じられます。

ほどほどのところで、社会的年齢規範に従って、落ち着かない社会を鎮静化する必要もあるのかもしれません。

.27 2014 未分類 comment0 trackback0

歴年齢と主観年齢

歴年齢とは実年齢のことで、毎年一歳ずつ年齢を重ねることを言います。
主観年齢とは、自分が感じる自分の年齢のことです。人の成長や老化の速さは誰もが同じ一定量ではないことと、人は老いることをできれば避けたいという思いから、暦通りの年齢を拒否する傾向にあります。
自分は何歳であるかというについては、少し低めに査定する人が多い。

私と同じ70歳代の高齢者が自分は何歳だと認識したいかを日米で比較してみますと下記のような結果が調査で出ています。
日本:6~7歳低め(40歳以上はあまり性差が無い)。
米国:男性19~20歳。女性28歳。

日本人の場合は、米国人よりは多少控えめにいう傾向がありますので、内心ではもう少し数値は高いのが実態ではないでしょうか。

米国では、70歳の男が厚かましいのは50歳の主観年齢と言うことになりますが、こうなると手のつけようがありません。女性に至っては48歳ですから開いた口がふさがりません。

日本だと、70歳の男は63~4歳の主観年齢ですからまだ許容範囲にあるのではないでしょうか。それでも、人によっては、50歳くらいのつもりの男も居る筈ですから、周りが戸惑っても仕方がありません。

年齢規範というものがあります。
これは、年齢による判断や評価、行為などの依るべき基準のことで、「若者は若者らしく」「老人は老人らしく」と言う規範のことを指します。

そこで、「年寄りの冷や水」ということになります。
これは、歴年齢よりだいぶ若い主観年齢に基づく行動を、社会的な年齢規範(これは変わりにくい)に照らして評価した場合のことを言います。

老いてますます盛んとも言われますが、
高齢者で世界最高峰の登山に挑戦(この場合はかなり下駄を履かせてもらっているようですが)したり、陸上競技に参加(タイムは大目に見てもらっています)したり、現役の医師(仕事の範囲は縮小しています)が居たりと、多士済々です。

元気であれば、「年寄りの冷や水」などは意に介さず、好きなことをやれる時代だし、また、場合によっては世の称賛を浴びることもあります。ところが、周囲の迷惑を顧みずやりたいことをやって迷惑がられている「冷や水」もたくさんあるようです。

後進の邪魔をしてまで元気を振りまくことは必ずしも歓迎されませんが、社会から「勝手にやってろ」と許される範囲のことであれば、「年寄りの冷や水」も大いに結構なのでしょう。その範囲で止まっている方が無難なようです。
.27 2014 未分類 comment0 trackback0

専門医の数

現在我が国の専門医は90種類です。
歯科の専門医は約10種類。
それ以外にも、
専門看護師が、がん、精神、老人など10種類。
専門歯科衛生士が歯周病専門歯科衛生士など数種類。
さらに、
薬剤師も、がん専門薬剤師や感染制御薬剤師などがあります。

ことほどさように専門医が増えたのは、2002年に厚生労働省が、それまで医学系の各学会が独自に認定していた専門医資格を病院及び診療所の広告に使用していいという通達を出したからです。

それまでは専門医と言う民間資格だったものに国のお墨付きが与えられたということです。
その結果、専門医資格は経済的価値が生じてきたのです。

現在、日本の医師数は約30万人です。そして、現在延べ30万人の医師が何らかの専門医資格を取得しています。すべての医師が何らかの専門医資格の保持者であるということです。

ある学会などは、2002年までは会員の減少で存続が危ぶまれていたのが、専門医資格を与えるということになった途端に寝ていた会員が覚醒し、新規入会の会員が増加し一朝にして会員数が激増した結果専門医資格の付与に伴う収入が莫大となり、たちまち財政が豊かになったという珍現象が起きた例があります。
笑っていいのかいけないのか、でも笑ってしまう現象です。

専門医は、国のお墨付きはあるもの民間で出されている資格にすぎませんので、資格の内容に濃淡がありますし、専門医と言う資格が必要なのかどうか自体が疑われるものもあります。

資格コレクターのような医師も多く、病院の壁一面に名画のごとく飾っている医師もいます。いったい何が本当の資格なのか患者が迷いかねない。
蛇の道は蛇ではありませんが、資格取得にもそれなりの便利な通路が出来上がっているのかもしれません。

それはそれとして、問題はその後発生してきました。
専門医資格に経済的価値が生じたことに伴って権威が生じてきたことです。

専門医は、現場の医療を充実させるためのヒンターランドを固めるものと思っていたものが、医療の前面に出てきたのです。
医療現場の前面に専門医が立ち並ぶようになってしまったのです。

地域医療を担当し、地道に医療を実施していた内科医や外科医の医療者としての権威を喪失させたのです。さらに、そのような従来型の医療者が老齢化するに伴い新規に開業する若い医師たちは専門医を標榜するようになり、患者はどこにかかればいいのか混乱する事態になってしまいました。大病院では、患者のたらいまわしという現象が多発することになってしまいました。

調理場で仕事に専念していた料理人が客の前に顔を出すことが普通になってきたようです。
このレストランで一番偉いのは俺なんだと、存在を主張する事態と同じとは言いませんが、ある種の秩序の混乱が生じてきたことと類似しています。

今度養成される「総合診療医」の育成が、医療の秩序の整理になり、患者の便宜を図るものになれば幸いです。
とやかく言わないで、まずは期待したいのですが、日本的であるということはいつのまにか中途半端な、魂の抜けた形ばかりのものになり、無駄の典型になりかねないことも事実ですので不安を払拭できません。

現在我が国の専門医は90種類です。
歯科の専門医は約10種類。
それ以外にも、
専門看護師が、がん、精神、老人など10種類。
専門歯科衛生士が歯周病専門歯科衛生士など数種類。
さらに、
薬剤師も、がん専門薬剤師や感染制御薬剤師などがあります。

ことほどさように専門医が増えたのは、2002年に厚生労働省が、それまで医学系の各学会が独自に認定していた専門医資格を病院及び診療所の広告に使用していいという通達を出したからです。

それまでは専門医と言う民間資格だったものに国のお墨付きが与えられたということです。
その結果、専門医資格は経済的価値が生じてきたのです。

現在、日本の医師数は約30万人です。そして、現在延べ30万人の医師が何らかの専門医資格を取得しています。すべての医師が何らかの専門医資格の保持者であるということです。

ある学会などは、2002年までは会員の減少で存続が危ぶまれていたのが、専門医資格を与えるということになった途端に寝ていた会員が覚醒し、新規入会の会員が増加し一朝にして会員数が激増した結果専門医資格の付与に伴う収入が莫大となり、たちまち財政が豊かになったという珍現象が起きた例があります。
笑っていいのかいけないのか、でも笑ってしまう現象です。

専門医は、国のお墨付きはあるもの民間で出されている資格にすぎませんので、資格の内容に濃淡がありますし、専門医と言う資格が必要なのかどうか自体が疑われるものもあります。

資格コレクターのような医師も多く、病院の壁一面に名画のごとく飾っている医師もいます。いったい何が本当の資格なのか患者が迷いかねない。
蛇の道は蛇ではありませんが、資格取得にもそれなりの便利な通路が出来上がっているのかもしれません。

それはそれとして、問題はその後発生してきました。
専門医資格に経済的価値が生じたことに伴って権威が生じてきたことです。

専門医は、現場の医療を充実させるためのヒンターランドを固めるものと思っていたものが、医療の前面に出てきたのです。
医療現場の前面に専門医が立ち並ぶようになってしまったのです。

地域医療を担当し、地道に医療を実施していた内科医や外科医の医療者としての権威を喪失させたのです。さらに、そのような従来型の医療者が老齢化するに伴い新規に開業する若い医師たちは専門医を標榜するようになり、患者はどこにかかればいいのか混乱する事態になってしまいました。大病院では、患者のたらいまわしという現象が多発することになってしまいました。

調理場で仕事に専念していた料理人が客の前に顔を出すことが普通になってきたようです。
このレストランで一番偉いのは俺なんだと、存在を主張する事態と同じとは言いませんが、ある種の秩序の混乱が生じてきたことと類似しています。

今度養成される「総合診療医」の育成が、医療の秩序の整理になり、患者の便宜を図るものになれば幸いです。
とやかく言わないで、まずは期待したいのですが、日本的であるということはいつのまにか中途半端な、魂の抜けた形ばかりのものになり、無駄の典型になりかねないことも事実ですので不安を払拭できません。
.23 2014 未分類 comment0 trackback0

総合診療医という専門医

「総合診療専門医」というと矛盾を避けられないので「総合専門医」という呼称の落ち着きそうです。内科を中心として様々な病気に対応できるゼネラリスト医師ができるということです。

医師の専門分化が進み過ぎて、自分の専門分野以外のことには興味もないし、専門外の病気には対応できないという医師が増えるという結果になってしまいました。その不都合を解決することが総合診療医に要請される役割です。

その実態は、欧米の家庭医やプライマリー医を強く意識したもので、内科、小児科、救急の初期医療ができ、さらに老人医療にも対応できる能力が求められることになります。
これに加えて、最近の病気事情を反映して精神科の初期診療も加えられるかもしれません。

総合診療医の養成の方法と研修の詳細は2016年度中に決定され、2017年度から要請が開始される運びのようです。

さて、この政策が単に医療費の抑制を目途したものか、国民に高度の医療を効率的に実施するためのものかで大きく違ってくる。

総合診療医と言う以上診療を担当するわけですから、医師個々の得手不得手が実際を左右することは避けられません。万能の診療医を求めても根本的に無理があります。

医療費の効率的な配分が目的のためなら、「総合診断医」が必要なのではないか。
「総合診断医」と「総合診療医」が有機的なコンビを組むことで無駄な医療費の抑制が図られるのでないかと思います。

現代の医療は高度に進歩していますので、初期診療といえどもかなり高度になることは避けられません。そして大事なことは、しなくてもいい診療行為を施さないで済むためには、そのための指導行為にもそれなりの評価がなされなければなりません。

これが出来なければ、屋上屋を重ねてさらに医療費の高騰につながるだけという皮肉な結果になってしまうことになりかねません。

どう転んでも医療費の抑制よりは、高騰の方向に向かっているとしか思えません。

.23 2014 未分類 comment0 trackback0

可愛い女と下品な女がセットで辞任

小渕さんは、「国民」の理解が得られない」というコメントを出しているが、本人が良く分かっていないものを国民が理解できるはずもなく、本人が承知のことであればさらに理解できない。

松島さんのほうは全く情けない
170万円分の「うちわと言えばうちわ」の巻き起こした強風に吹き飛ばされた。

両者とも、相変わらずの旧態依然とした手法で国会議員の職にありついている。
これでは、町会議員や村会議員のレベルしかない。

このような議員たちが、TPPをはじめとした諸課題に取り組むのかと思うと危なくて任せてはおれない。

「スタップ細胞はあります」と、無表情に合弁した小保方さんとイメージが重なったのが小渕さん。
あくまでも、自分が関知しないところで行われた不祥事と合弁する小渕さん。

共通するのは、当事者であることの自覚の希薄さです。
これはどこから来るのか。

片や、自然科学の分野では異例のタイプの女性が周囲からちやほやされ、その指導者たちですら我を忘れて翻弄された。
小保方さん自体は自分があずかり知らないところで事態が遂行され、自分もその業績の一員に抜擢されたが故に実情を把握できていない。

片や、親の急死で急遽後釜に担ぎ上げられ国会議員になったものの、国会議員としての自覚は熟成しないままに、元総理の娘としてお姫様扱いされるがままに今に至っている。

初の女性総理候補とするところまで持ち上げられてしまえば、自分は周囲がそのようにレールを敷いてくれるのだからその上をただ走っていればいいのだと錯覚してしまう。政治家として成熟しようとは思いもしない。

こんな少女のような女性大臣や下品きわまるおばさんが大臣になってしまう国が、TPP交渉など国の命運を決める交渉を国際舞台で務まるはずがない。

安倍総理は、おそらく今度の事態は想定内のことだとばかりに能面のような無表情を作って乗り切ろうとするだろう。

女性の活用や地方創世という目くらましの撒き餌のような政策で地方選挙を乗り切り、それが終われば米国の要求通りの日本にしていく政策を推進していくでしょう。

野党の攻撃も時間が解決するし、撒き餌に喜ぶ国民だと侮っているのだから。
実際に、野党もそのうち腰砕けになるし、国民はいいように騙されてもニコニコと笑顔をつくりおとなしい。

マスコミも今は色めき立っているけれども、政権擁護の落としどころはすでに決まっているはず。

ストレスばかりで、健康に生きていける時代ではない。

無表情で無知蒙昧の少女と、下品なだけが取り柄のおばさんの映像がメディアから消え去るまでは心穏やかでいられない。

無知で傲慢で、官僚の傀儡のような男が舞台を去るまでは半病人のような生活を覚悟しなくてはならない。

さて、そのあとの出し物に期待ができるのか。
健康であることは苦しみからは逃れられないという矛盾。

明治座で演歌の舞台に酔いしれ、気持ちの悪い絵柄のうちわでうっとりと寛げる心境に早くなってしまったほうが、身体にはよさそうだ。
.20 2014 未分類 comment0 trackback0

パノプティコンの時代が到来か?

特定秘密保護法案のことです。
日本においては民主主義が軽視され形骸化した政治が平然と行われているということです。

パノプティコンとは、功利主義者であるベンサムが考案した一望監視システムのことです。
中央に監視塔を備え、その周囲に収容室がドーナツ状に配置された刑務所のことです。

中央の高い塔から監視をしているが、収容者たちは監視している人を見ることはできない。
従って、監視塔の中は無人であっても囚人たちは常時見張られているということを内面化していくことになる。常に監視されているという意識は消えない。
これほど囚人を馴致するための安価なシステムはない。
常に意識させ、常に怯えさせ、次第に従順にしてしまう効率の良いシステムです。

フランスの思想家ミッシェル・フーコーは、このパノプティコンを例に挙げ、近代社会における軍隊、監獄、学校、工場、病院は、規則を内面化した従順な身体をつくりだすパノプティコンと同じ構造を持ったシステムだと批判した。

現在進行しおそらく施行されるであろう特定秘密保護法案が、このパノプティコンのシステムを応用した法案であると言えるでしょう。

君たちの基本的人権は認める。個人の自由や表現の自由ももちろん尊重する。
ただし、保護すべき特定の秘密事項にふれた場合は、特定秘密保護法によって罰則を適用する。

大事なことは、その特定の秘密事項がなんであるかを君たちには教えない。
せいぜい慎重に考え、行動し、意見の発表をすることだな。
と、このように言われているようなものです。

まさに、独裁的恐怖政治が実現しようとしているのです。

この法案については、公聴会や参考人陳述において全員がこれに異議を唱え、慎重姿勢を表明したにもかかわらず強行採決をされてしまった。
民主主義を標榜しているアリバイ作りだったに過ぎず、結論ありきの暴挙だったのです。

この法案が施行されれば、国民は疑心暗鬼に陥り、触らぬ神に祟りなしの戦前のような時代を生きることになるでしょう。

それにしては、静かに粛々と自体が推移していることが不思議でなりません。

パンとサーカスの政策が国民の心に深く浸透したのだろうか。
消費税を上げ、集団的自衛権で問題をこじらせ、地方と女性の活用の目眩ませ政策にはめられてしまっているのか、事態の深刻さが今一つ意識に上がっていないように思える。

もっとも、集団的自衛権の問題や武器輸出関連の問題が浮上すれば「どの株が儲かるか」が最大の関心事の国民も多いことは事実だ。

戦争体験者が少なくなった現在、高度成長期を支えてきた高齢者群は「健康と長生き」や「年金と高齢者医療保険」の方が重大な関心事になってしまっているような現状では、権力者の遣りたい放題であることは否定できない。

高齢者医療保険の改定案が出され、給料は増えないのに物価が上昇し、雇用は不安定、企業内の年功序列制が廃止になろうとしている。日々の生活に追われる国民は、そのほかのことには思考停止状態。

格差が明確になり、グローバリズムということが判然としないまま事態はどんどん進行している。
何もかもがよくわからないままに同時進行している現状に翻弄されているような気がします。

マスコミは、災害報道や各種事件の報道ほどにはカネとエネルギーを使ってはいない。
国家と国民の将来が明らかに変貌を遂げようとしていることには意識的に避けているとしか思えない。それよりは、消費税の御目こぼしと引き換えに御用報道機関になってしまおうとしているようだ。

どの株に投資すべきか思い悩む一部の国民、年金と健康で長生きにしか関心のない高齢者たちと変わらないレベルではないのか。

新聞各社も、株式会社である以上、会社の利益と株主の利益のために存在しているのであって、国民の知る権利を守るなんてことはすでに死語となってしまったのであろう。
もはや、新聞を購読する必然性はなくなった。TVは、娯楽番組に血道を上げる電波紙芝居屋になってしまった。報道の気概も良心も売り渡してしまったようだ。
暗黒の時代が来る。アメリカに呑み込まれる時代が来る。
.16 2014 未分類 comment0 trackback0

なぜ下戸は心筋梗塞を重症化させるのか

酒の強さは、悪酔いの原因となるアセトアルデヒドを分解する酵素の強さによる。今回の米スタンフォード大学の研究でその酵素は、心筋梗塞を起こしたときに生じる活性酸素の解毒にも関わっていることが明らかになったそうです。
酒に弱い人は活性酸素の解毒力も弱く、心筋梗塞が重症化しやすいという。

活性酸素は、老化の原因であるし、がんなどの各種疾患の原因であることは長年言われています。活性酸素対策は、健康対策としては重要であり、近年特に強調されています。

体内では、活性酸素を消す物質は存在していますが、その能力には個人差があります。SOD(スーパーオキサイド ディムスターゼ)などは良く知られた酵素ですが、個人差が大きい。下戸で、この酵素の量が少ないか、作用能が低いとなればかなり不利であると言えます。

そのうえ、下戸で心筋梗塞を起こす人は、甘いものと炭水化物、脂肪分を好むことが多い。糖分、炭水化物、脂質を過剰に摂取しても、飲酒と同様に中性脂肪値が急上昇します。それで、ほかの数値が正常でも、心筋梗塞を起こすことがあることが分かってきました。

私も、無理をして飲んでいた頃は皆と同じように酒の後は〆の茶漬け・ラーメン・うどんなどを食べておりました。そのうえ、甘党ですからケーキ・和菓子などもたくさん摂取しておりました。

50歳代には、アルコールによるものと炭水化物の過剰摂取で肝臓機能が悪くなっていましたし、体重はピークには90㌔を越えていました。肝臓以外にも、心機能・血圧などいろいろな障害を抱えていました。現在は、体重は64㌔前後で安定し、諸症状も改善しております。

ですから、下戸の方は、中性脂肪値の上昇を抑える食物繊維を豊富に含む緑黄色野菜や根菜、海藻をたっぷり取ってから、メーン料理や米を食べること。おやつのダラダラ食いは、中性脂肪値の上昇に直結しますので日頃から注意したほうが良いでしょう。

私は、炭水化物はごく少量しか摂取していません。酒を止めてからは、鮨屋にも自分からは行きませんし、ご飯もほとんど食べていません。低糖食の実践者ではありません。
なぜなら、大好物の和菓子を食べていますので。この和菓子を食べたいがために、それ以外の炭水化物を摂っていないだけです。時折馬鹿食いをしますが、量は抑えているつもりです。

それよりも、下戸の人は下戸だと自己申告して酒を飲まないことです。
下戸を認めるという社会の成熟が求められます。

それにしても、市場の創出と言うのは困ったものです。
酒を飲むことを煽るCMの盛んなことを見ると心が痛みます。
市場の創出と言う行為の行きつく先はいったいどのようになるのでしょうか。
まさか、子供用の酒なんて馬鹿なことにはならないでしょうが、かつて、小児用の化粧品を開発した化粧品メーカーの愚挙に言葉もありませんでした。

ノンアルコールの子供用ビールくらいのことならやりかねません。
いまだに、右肩上がりの幻想から抜けきれないのが企業と言う魔物の実態だから・・。

冬にも飲め、女はもっと飲めと煽り立てる今の世の中はどこか狂っているとしか言えません。
酒造メーカーも、たばこメーカー並みの謙虚な姿勢が問われるのではないでしょうか。
つまり、盛んな宣伝は控えるべきです。

健康のためだけではありません。
酒は、麻薬並に人生を狂わせるからです。
酒造メーカーは、己を知り、分を弁えるべきだと思います。
.09 2014 未分類 comment0 trackback0

下戸の心筋梗塞

酒を飲めない私には面白くない研究結果が発表されました。
米スタンフォード大学の研究で、酒に弱い人の方が強い人より心筋梗塞が重症化しやすいという結果が発表されたのです。

飲めない酒を付き合いであったり、好奇心であったり、酒の場所でのグルメであったりの理由で無理をして飲んでいたのを、55歳前後になって「実は遺伝的に下戸なのです。最近は飲酒後の疲れがひどくなりましたので」とカミングアウトして酒を断ったことは何度も書いてきました。

酒の強さはよく知られているように、アルコール代謝で生成されるアセトアルデヒドを分解する酵素の強さによる。
アセトアルデヒドは、血中のアルコールが肝臓のアルコール脱水素酵素(ADH)によって分解された中間代謝物質です。

このアセトアルデヒドは、さらにアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)により分解されて酢酸になり、最終的には炭酸ガスと水に分解されます。

下戸とは、この分解能がないか少ない人のことを言います。
酒のみが中心のような社会の中で下戸であることは何かと不便であるし、疎外感を味会うことがある。だから、飲めないのに無理をして身体を壊している人は数知れない。

私は、下戸宣言をして以来、酒を口にすることもなくなり酒にまつわるストレスは無くなりました。
一方、従来懸念していたアルコール分解酵素の欠落は何らかの異常をもたらすのではないかとという心配はありました。

そこに今回の研究結果の発表で、「やはりきたか!」という思いがしました。

「下戸と化け物はない」
世の中には化け物が居ないのと同じように、まったく酒の飲めない人もいない。
「下戸の肴荒らし」
酒の席なのに、下戸は料理だけは食い荒らす。
「下戸の建てたる蔵もなし」
上戸は酒に金を使い込んでなにも残らないが、といって下戸が酒を飲まないで財産を残したという話もない。
さらに古代律令制では、四等戸(大戸・上戸・中戸・下戸)の最下級である身分。

かくのごとく、下戸はさんざんな目に遭ってきています。

そのうえ、心筋梗塞を重症化しやすいでは踏んだり蹴ったりです。

下戸の人は、避けられない酒席なら、水のオンザロック・アルコール零のビール、ワイン擬きの低糖ぶどうジュースなどを飲んで酔っ払った振りをすることですし、身内はそれを了としてあげるべきです。

無理をして、肝炎を発症し、脂肪をためて心筋梗塞を重症化しないように注意すべきです。


 酒の強さは、悪酔いの原因となるアセトアルデヒドを分解する酵素の強さによる。今回、その酵素は、心筋梗塞を起こしたときに生じる活性酸素の解毒にも関わっていることが判明。酒に弱い人は活性酸素の解毒力も弱く、心筋梗塞が重症化しやすいという。

 難しいメカニズムはさておき、心筋梗塞は起こさないに越したことがないし、仮に起こしたら軽症で済ませたい。下戸ならではの対策がある。


.09 2014 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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