METs(メッツ)とは

 【メッツ(METs)】metabolic equivalents:METs
 メッツ(METs)とは、身体活動の強さを、安静時の何倍に相当するかで表す単位で、座って安静にしている状態の酸素摂取量3.5(mL/kg/分)を1METとし、これの2倍を2METs、3倍を3METsというように表す運動強度のこと。普通歩行は3METsに相当する。
 
運動強度は通常、運動する本人の身体能力を基準として数値で表現するが、 有酸素運動の強度はその人の最大酸素摂取量あるいは最大心拍数を、筋力・筋持久力トレーニングでは最大挙上重量を基準としている。
 
このうち、有酸素運動において酸素摂取量による方法を用いた運動強度のことをメッツ(METs)と呼ぶ。

この普通歩行の3METsと言うのが、中強度のレベルです。
1METsと2METsの歩きは、いわゆるぶらぶら歩きと言いますかテレテレ歩きのレベルです。この歩き方で1万歩歩こうが2万歩歩こうが、疲れるだけで運動としての効果は望めないレベルです。

基礎代謝量に相当するのが0レベルです。
この基礎代謝量の何倍の運動をしているかが効果を左右するのです。

1でも2でも、普段運動をほとんどしない高齢者が運動を始めようと思い立った場合はこのレベルから始めることになります。
まずは、1,000歩から始め、2,000歩にする。
この中で、数分でよいから3METsの歩行をすればよいのです。

さらに、1,000歩ずつ増やしていき、少なくとも5,000歩にして中強度の累計を15分位にできればよいのです。

私は、健康維持のために一万歩で中強度30分を基準にしています。

健康維持と言いますが、すでに70歳を超えていますので毎日老化する一方です。
老化の勢いの方が強いと思われますので、健康を維持することが可能か否かはわからないというのが実情です。

ただ、「胚葉萎縮」は怖い。
「胚葉萎縮」に付随する身体諸症状が怖い。
兎に角、動いていないと動けなくなる恐怖。

運動不足が故に身体機能の低下と代謝の低下は何としても避けたい。
「動物なんだから動いてナンボだよ」は私の口癖です。

運動は基本的に身体に悪い。
壮年期やそれ以上の年齢の人が、トライアスロンをやるのがわからない。
人間は、激しい運動をするように生まれて来たのではない。
顔を歪めて苦しげにジョギングをしたりマラソンをしたりするようには生まれてきてはいない。

特別に神の御恵みとご加護のある人たちには可能なことも、私などの凡人にはとても無理。
激しい運動をして、本人が満足し脳が喜んでいることに異論を敢えてさしはさむことはありませんが、親しい人が嵌っているのを見るのはいささか心配です。

かくして、私は、METs基準のウオーキングと、一個5㌔のダンベルを二個使って筋トレ風のことをしたり、腹筋を鍛えたりする程度のことで、「廃用萎縮」あるいは「生活不活発病」から距離を置ければ幸いだと願っています。

長く続けられることが肝腎ですし、日常生活の中で無理なく遣れることでなければ結局止めてしまうことになってしまいますから。
スポンサーサイト
.30 2014 未分類 comment0 trackback0

テルモ社製万歩計(身体活動計)(MT-KT01)を入手

ヨドバシカメラに行き探し出し、支払いをしようとしましたら、ポイントカードで十分買えるということでした。ポイントカードの類はカードの管理が面倒ですから持たないことにしていますが、ヨドバシとビックカメラのものは持っています。なんだかタダで貰ったようないい気分でした。

この万歩計を手に入れたのは、「中強度」の歩行時間の積分値が表示されるからです。
0:ほぼ動きが無い状態。家で座ったままTVなどをじっと観ているなど。
1:デスクワークなど。ブラブラ歩き。
2:普通の歩行。
3:早歩き。※
4:ジョギングや競歩など。
この段階の3のレベルが「中強度」の歩行をしたということで、その時間が累計で表示されます。早歩きは、連続でやらなくても構わないのです。

なぜ入手したかと言いますと、ウオーキングを長年続けていますが、いったい何歩歩けばいいのかの基準がはっきりしないままでしたし、私の年齢(72歳)では何歩歩けば健康維持になるのかが判然としないまま歩いていたからです。

歩きの強度にしてもよくわからないままひたすら頑張っていました。3年くらい前に一日3万歩、壮年期は5万歩、30歳代は休日とは言え10万歩くらい歩いていましたので、70歳代になっても2~3万歩は軽いとばかりに歩いていました。

現在は、一日平均12,000歩くらいです。
これまで、ついつい2万歩以上歩き疲れを感じるようになっていました。なんだか、無駄な歩き方をしているのではないかと思い、このあたりで年齢相応の健康維持に妥当と思われる歩数と強度を知り、無理なくしかも効果的なウオーキングをしようと思うようになったわけです。

歩き方の強度にしても、その筋の解説書を以前読んだことがありますが、
1 苦しくない程度
2 普通歩行とジョギングの中間くらい
3 歌を歌うことはできないが話ができる程度
4 じわっと汗をかく程度
などの、散文的表現ばかりでわかりにくい。

「科学的風」でよいから今少しはっきりした基準がないものかと思っていましたら、万歩計より少し進化した「身体活動計」なるものがあることを知りました。すでにご存じの方は多いと思われます。遅ればせながら私も入手して、効率よく疲れない健康維持のウオーキングが出来そうだと判断したからです。

この活動計は、冒頭の0~4のレベルがグラフで表示されますので、私の場合の中強度の早歩きとはどの程度の歩き方なのかが一目瞭然です。

私の年齢では、一日に8,000歩。中強度の早歩きの累計が20分を基準にすればよいということがわかり、一応の目安が出来ました。

私は多少元気ですので、一万歩で中強度累計30分を自分に課すことにしました。
10日間ほど使用してみました。

この間の平均は、12,000歩で中強度が38分になりました。

中強度が実行されているとなんとなく安心です。
これで、疲れるほど頑張らなくてすみます。
なかなか使い勝手のよい計器のようです。

単なる万歩計をお使いの方にお勧めしたいと思い記してみました。

.30 2014 未分類 comment0 trackback0

恵比寿ガーデンプレイス からだFES その2

「折角来たのだから」
この言葉は本当に好きではありません。
この悪習のおかげで、食べたくもないものを食べたり、買いたくもないものを買ってみたり、見なくてもいいものを見たりしてきました。

それ故に、自己嫌悪に陥ったり、後悔したりを繰り返す人生でした。
それでもお付き合いを一見愉しげに盛り上げたり、義理を果たしたりしながらコミュニケーションをするのが日本人の習性だとするなら、私も紛れもない日本人です。
その時の関係者全員が同じ思いをしているにもかかわらず、思いとは正反対のことをしてしまう。その時の「空気」というやつです。

今日の会場には、狭い広場にテントがひしめいていました。
O製薬の化粧水のテント。
ナグちゃん(南雲医師)推薦の健康食品のテント。
皮膚年齢測定、骨密度測定、腹部脂肪と筋肉の画像診断、血管年齢の測定、口臭テストと、ナグちゃんが専門の乳がん検診などのテントが軒を連ねていました。
つい先日終わった神社のテキヤの屋台を連想してしまいました。

その検査が、なんとなくO製薬の化粧水とナグちゃん推薦の健康食品に関係がありそうなことが気になりましたが、まあ大したことではない。
これらの検査が、どちらかと言えば女性をターゲットにしていることも気になりましたが、消費者の女王様をターゲットにするのも世の習いであって、これも大したことではない。

スポンサーの商売がメインの企画であるのだから、爺さんたちが場違いな感じであるのは当然のことです。
のこのこやってきた方が間違いなのであって、企画を批判するのは筋違いというものです。

問題は、「折角来たのだから」という例の悪習にあります。
「折角来たのだから、幾つか検査を受けてみましょうか」というのをやってしまったことです。まことに、腹立たしい習性です。

私は、血管年齢と骨密度と腹部脂肪と筋肉の画像診断に口臭テストを受けました。
知人も幾つかの検査を受けました。

その結果をその都度解説員が説明をしてくれました。
その際も、病院でのさらなる精査の勧めと、健康食品のテントへの誘いであったことが気になりましたが、大したことではありません。

問題は、やはり「折角来たのだから」に付随する余計な行為です。
残り少ない人生です。はやくこんな愚かなことをしない自分になりたいのです。
しかし、「折角来て」も、したくないことはしない自分になりたいのですが、もしそうなればなったで、「あいつも歳だな!頑固になったよ」とか「我がままになったよ」とか言われるのでしょう。

それが嫌で、意識がはっきりしているうちは相変わらず愚かなことを繰り返すのでしょうね。
そして、死ぬが死ぬまで、慙愧と後悔から逃れられないのかもしれません。

「折角総理になったのだから」ということで、しなくてもいいことに血眼になっているどこかの国の宰相がいるようです。
この場合は、無駄な力みが無駄な行為を生んでいるようですが、「折角・・・」が持つ魔力のようなものに呪縛されているような気がしないでもありません。

女性をターゲットにした他愛ない行事に参加したことで少々感傷的になりすぎました。
知人との会話と食事が愉しかったのが今日の救いです。

因みに、受けた各検査には問題はありませんでした。
口臭の検査では褒められました。
何となく嬉しく感じました。たわいないもんです!

.27 2014 未分類 comment0 trackback0

からだFES2014 

 からだフェチじゃなく,フェスティバルのフェスです。
場所は恵比寿ガーデンプレイス。
そこのマンションに住む知人からの誘いに応じて参加してみました。
今日と明日の二日間のイベントです。

中央野外ステージではミュージシャンのライブがあり、可成りの騒音が周囲を喧噪の渦に巻き込んでいました。からだFESという催し物のイメージが狂わされたのは会場に着いた途端でした。とにかくうるさい。スピーカーから吹き出す騒音が神経を逆なでし、不健康極まりない。これじゃあ不健康フェスだと内心呟きながらステージに向かいました。

ステージ前の椅子に着席して普段聴くことのないイケメンたちのライブが終わったら次は女優が登場。人形のように可愛い女性(渋谷亜紀という女優、ダンスが上手らしい)が現われました。美容体操とヨーガの指導をしてくれるそうです。
その女性が美容体操を指導するのは、その容姿が120%の説得力を持っていますので鑑賞に十分たえるレッスンでした。

確かに、美しい身体が体操をするのは典雅な舞いを観ているようでもあり、優雅なダンスを鑑賞しているようでもあります。
観客席でみているのは、我々のような老人とか、極限まで崩壊して復旧の見込みのない中高年の女性たちですから、まるで縁のない世界をため息交じりに鑑賞する他はない状況でした。健康とは異質の世界のショウを観ているようなもの。からだショウか?
「勝手にやっとれ!」という感じです。

次に登場したのが、ナグちゃんと呼ばれる南雲医師。小食健康法で売り出し、TVでは日本のスーパードクターと言われる人です。
このFESは、松田優作(故人)の奥方と南雲氏のコラボした企画のようです。
ピッチリしたファッションで登場した南雲医師の下腹が膨らんでいるのが多少気になりました。年齢とは思えない若さを保っているというのが売りのようですが、若作りのファッションを別にすれば年齢相応のようです。
どう足掻いても歳は隠せません。

美しくチャーミングな渋谷嬢の指導に従い柔軟体操や歩き方を見せてくれました。もはや、立派なタレントになった南雲医師を目の当たりにした次第です。
「ナグちゃんお薦め健康食品」というショップが出ていました。結構人が集まっていましたので、それなりに人気者なのでしょう。
嫌みのない好漢といえる人でした。

気になったのは、化粧水の宣伝が頻繁になされたことです。
スポンサーのO製薬の商品です。
出しものと出しものの合間に必ず、渋谷嬢が化粧水の宣伝をするのです。

テレビのコマーシャルを見ているようでした。
頻繁過ぎるのです。
O製薬の貧しさが目立つ感じでした。
大がかりな出店もしているのですから、もう少し鷹揚に構えられないものかといささか愛想が尽きる思いでした。

南雲医師本人のセミナーとか、同医師監修の各種健康関連のセミナーが有料で企画されているようでしたが、O製薬のさもしさが鼻につき、知人と食事をし、お茶をして会場を後にすることにしました。

帰路、回廊から騒がしいステージに目を落としてみると、相変わらず化粧水の宣伝を賑々しくやっていました。
なんだか、渋谷嬢が気の毒になってきました。

スポンサーは鷹揚なほうがよい。

.27 2014 未分類 comment0 trackback0

近隣の老人たち その2

 ごく近くに住む、90歳前後のご夫婦がいます。
自分の処の雑草をとるついでにその方のお宅の外塀の雑草を抜いたりします。その現場をみられて以来、挨拶をするようになり二言三言話をかわす間柄になっています。なにしろ私は新参者ですから。

そのご主人のことです。
毎日、手押し車を押して近くのスーパーまで買い物に出かけておられるのです。
宅配の食事はまだしたくない。

こうして、買い物出かけることでささやかな運動をしたいのと、引きこもってしまいたくないというのです。
「奥様はどうしておられますか?」と訊きますと、
「あいつは、家の中でタラタラと拭き掃除をしたり、階段を這って上がったり下りたりして自分なりに運動をしてますわ、ハハハ」とのことでした。

「こうして、わしが買い物をして帰れば女房がまだ料理をしてくれますので、それが愉しいんですわ」
「宅配の食事よりよっぽどましですわ、アッハハ」
というわけです。

その買い物たるや大変なものです。
5分歩けば手押し車の椅子仕様の処に座り一休み。また5分ほど歩いては一休み。
盛夏の炎天下では、木陰を見つけては汗を拭く。

腰のベルトには、携帯電話、ペットボトルの水、携帯傘、タオルを二本ぶら下げた完全武装です。
「こんな歩き方でも歩いている方が身体の調子はいいんですよ。家の中でばあさんと二人でテレビばかり見ていてもつまらない。外を歩けば、面白いことも目に入るから頑張ってるんですわ、ハハハ」

私も、まだというか、もうと言うか72歳になりますが、大先輩方のいろんな姿や生き様を見るにつけ学ばされることの種は尽きません。

縦軸と横軸の世界で生きていた今迄から、縦軸のない横軸だけの世界に身を置いてみることができるようになってきました。

横軸だけの世界と言うよりは、立体ではない平面だけの世界をイメージできようにもなりました。
そうすると、随分と違った世界が広がります。

競争、妬み嫉み、勝った負けたの価値観からの転換です。
そうすると、多くのことが新鮮な魅力で迫ってきます。

健康で居ようとすることも、いずれ訪れる死のことも、縦軸を持ったままでいるときよりも楽にとらえることができるように感じられます。

これらのことを論ずるのはまた後日のことにしますが、最近身近な老人たちから学ぶことが増えてきたことは確かです。

人は素晴らしい。人間は強い。
このようなことを感じさせてくれる先輩たちが沢山居ることにあらためて気づかされる毎日です。
.21 2014 未分類 comment0 trackback0

近隣の老人たち その1

 朝のウオーキングでほぼ毎日出会う男性がいます。
歳の頃は65歳~70歳くらいですから老人と言っては気の毒ともいえます。
みたところ身長は170cm、体重は90kg超。
典型的な肥満型です。

拙宅とは私鉄の線路を挟んで同じくらいの位置に住んでおられるようです。
車を避けるためにウオーキング時は私鉄線路沿いを歩いています。この道路はとても狭いので、件の肥満した男性が歩くと巨体が道路を塞ぐほどです。

ある朝、踏切を渡ってみると少し前を駅に向かってその老人が歩いていました。かなり遅い(理由があります)ペースの方ですから、しばらく歩いて路肩に余裕があるところで追い越すことになります。

私は、いつもウオーキングをし、ストレッチをし、ラヂオ体操を終えてJRの駅の方に回りましたところ、その老人が改札を通過する後ろ姿を見つけました。先ほど出会ってから優に一時間余りは経過していました。
出会った地点から私なら10分で到達する距離です。その距離を一時間以上の時間を要していたのです。ご自宅からだと、推測するに一時間半はかかっているでしょう。

原因は、肥満だけではありません。歩き方にあるのです。

足のつま先は完全に開いてしまっています。180°とはいいませんがほぼ真横に開いています。ですから、運足は横を向いた足を前に出していることになります。
一歩が5cm位でしょうか。
遅々として進まないのです。

巨体を支える背筋はまっすぐ伸びています。膝もまっすぐで伸縮することはありません。黒い鞄を下げた手は振れていますが、全身が固定されたようになっています。
まっすぐ前方を見ながら頭から足の先までコンクリートで固められたかのごとくになっています。

現役で仕事を持っておられる。だからこそ、膨大な時間を費やして毎朝自宅から駅まで、降車駅から事業所まで巨体を運び、仕事が終われば再び同じ距離を辿る。毎朝のことですからその労苦たるや半端なものではありません。

悪しき意味ではなく興味を抱かざるを得ません。そして、余計なお世話ですが、なぜそのような歩行になったのか由って来る原因を訊き、何らかのアドバイスをしたくなってしまいます。

まずは、痩せること。
痩せることは極めて簡単な場合が多い。痩せたいという強い決意と、痩せた自分のイメージを描ければ多少の我慢はできます。多少が大変な我慢であっても強い意志力があれば達成できます。

件の男性の姿を見るようになって3年は経過していますので、ご本人は痩せようとする意志はまるでなさそうです。否、むしろ肥満は進行しているようです。
痩せたうえで、股関節の訓練などをすることも有効かもしれません。しかし、そのようなことをしようとする気持ちは微塵もないようです。

理由はいろいろでしょう。
でも、今の生活を良しとし、いまの生き方を選択している以上他者は何をかいわんやです。
ある覚悟の上で今を生きておられるならなおさらのことです。

いわゆる健康上のデータがどうなのかもちろん知る由もありません。しかし、少なくとも3年の間に大きな変化はないとみます。

身体と姿勢。身体と歩き方。身体と肥満。
健康情報が必要以上にアウトプットされている現代において、諸説が霞んでしまうくらいの現実を生きている人もまた多くいます。
ご本人の生き方の哲学と覚悟の前には、すべてが小賢しい所業や戯言に見えてきます。

人間とは実に摩訶不思議な生き物であり、人智が及ばぬ領域が確実に存在していることもまた確かのようです。

今朝も出会いましたが、最近は敬意を抱くようになりました。
そして、声にならない言葉を発しています。
「がんばってください」と。
.21 2014 未分類 comment0 trackback0

転倒した老人

目の前で老人が転倒しました。
恵比寿駅前の信号を渡って歩道に上がるところでの段差に躓いたのです。
昼少し前でしたので人の通りは少ない。
つまり、すぐ手を指し伸ばす人が居ませんでした。該当者は私のみ。

あとで思い返してみると、つま先が躓いたのではなく、持っていた杖が段差につっかえたようでした。運足の時、足がちゃんと上がらなくなっているのが高齢者の特徴ですが、杖も上がっていないのです。杖が段差につっかえたのに、前進する慣性を自分で制御できなかったが故の転倒のようでした。

車の通行に邪魔になる位置ではありませんでしたので、私はすぐに手を出さずに注意深く見守ることにしました。幸い、明らかな骨折らしい兆候もなく顔面の怪我もなさそうでしたので、安堵しながら観察しておりました。

一瞬、老人は呼吸を整えている風でしたがゆっくり立ち上がり、私に手を上げてすたすたと歩いて行かれました。多少、右足を引きずっておられるようでしたが、転倒前の状態を知りませんので転倒の故かどうかは分かりません。

以前、やはり高齢老人の転倒の現場に居合わせたことがありました。
間髪を入れず手を指し伸ばし脇を抱えて助けようとした私の手と声が激しくふり払われた経験がありました。

「ほっといてくれ、余計なことはするな!」という勢いでした。
それはそれは力強いふり払い方でした。

この老人は自力で立ち上がりたいのだ。このような状況は時折あるのだろう。あるいは、このような状況の時、骨折や怪我さえなければ他人の力を頼らずに自分で立ち上がろうと心に決めている人なのだと瞬時に判断した私は、助けるのを止めてご本人が立ち上がるのを見守っていました。

少し時間はかかりましたが、手提げかばんを拾ってちゃんと立ち上がり、私に目礼をして立ち去りました。

以来、私はこのような場面に遭遇した時は怪我や骨折の有無さえ確認できたら、反射的に手を出さずに本人が自力で立ち上がるのを見守ることにしました。

私自身がそのような状況に陥った場合はどうするか。
私は決めています。
指し伸ばされた手にすがって立ち上がることに決めています。
そうやって、素早く事態を収拾したい。
そうして、その方に丁重に礼を言って立ち去ることに決めています。

恵比寿の件の老人が立ち上がった時には6人ほどの人が集まっていました。

ある人は、見守っている私という老人のことを冷淡な奴だと思ったかもしれません。
ある人は、むやみに手を出さない方がいいのだと思ったかもしれません。

救助の手を拒否した老人もそうですが、相手がいかように思うかです。
こちらの行為をどう思うかは、相手のタスクです。
相手のタスクに立ち入ることはしないほうが良いのではないかというのが私の考え方です。
.21 2014 未分類 comment0 trackback0

デング熱と各種媒体

 今朝、ウオーキングに出かけるにあたって多少の不安を感じました。
いつもの神社の境内には「蚊」がいるからです。ウイルスの媒体である「蚊」の生息地域とは遠く離れていますが、人間という媒体はどこにいるのかがわからない。

マスコミという媒体が不安を拡散しています。
「蚊」と人間とマスコミという媒体が入り乱れて、ウイルスの恐怖を日本中にばら撒いています。

今回のデング熱は、感染してもほとんどは数日で治癒するモノなのでパニックを惹起するほどのものではありませんが、平和ボケの日本では深刻な事態ととらえられているようです。

現在に日本人の免疫力がかなりダウンしていると言われています。
O-157の場合もそうですが、関係した人すべてが発症するわけではありません。それぞれの免疫力の差が発症するか否かを決定するようです。

ほとんどの細菌感染症には、いまでも抗生物質が有効ですがウイルスとなると話が違います。ウイルスを効果的に殺せる薬がないからです。抗生物資が効くのは細菌のみであって、ウイルスには無効だからです。

科学が進歩した、医学は驚異的に進歩したと言われている現代でも、ウイルスの根絶と、ウイルスが原因の病気の治療に効果的な薬剤の開発はできていない。

抗ウイルス薬は、感染の程度を軽減はできてもウイルスを根絶できるわけではない。
だから、ウイルス感染の一種である風邪すら治せる薬はありません。

我々が、風邪、インフルエンザ、ヘルペス、単核球症などにかかったときに、医者ができることはほとんどでありません。
医者ができることは、罹患者が感染と戦っている間、その症状を軽くして辛さを緩和することしかありません。

ここでワクチンですが、ワクチンは本来感染を予防するもので、治療薬ではありません。

ワクチンは、弱体化させた、あるいは死んだウイルスを人体内に注入する。人体はワクチンをウイルス感染と錯覚し、自分自身の「抗ウイルス性化合物」を作り出してウイルスを攻撃するのです。

だが、ワクチンには感染症や新たな病気を惹起する危険性があり、安全なモノとは言えません。また、ウイルスは常に突然変異を起こしており新種のウイルスが出現しますので、そのほとんどにワクチンがありません。

ウイルス感染から身を守る唯一のものは、我々の「自然免疫」しかありません。

現代人は、欲望の実現を生活のマインテーマとして、脳の赴くままに生きています。
身体の生理を無視し、時間を最大限に使うために睡眠を削ったり、時間効率を追求めるために、加工食品を摂取することで時間コストパフォーマンスを重視しています。
また、ストレスは溜まりに溜まり、発散が追いつかない。

そのすべてが、「自然免疫力」の減少につながっています。

デング熱ワクチンが出来るかもしれませんが、それはそれで不安があります。
拙速に採用し、国が主導で広範に接種した「子宮頸がんワクチン」の副作用で人生を虚しくしている人が大勢いることが証明しています。

人間本来の「免疫力」を強化するような生活がまずは肝心です。

普通なら命にかかわるものではないインフルエンザで毎年多くの子供や老人が亡くなっています。

ワクチンの開発も大事ですが、国がやるべきことの第一に必要なことは、「免疫力」をアップするような生活の仕方を指導することでしょう。少なくとも、子供たちの生活。食生活の健全を確保するような指導や、各種加工食品の産業界への監督強化が喫緊の課題だろうと思っています。
.06 2014 未分類 comment0 trackback0

誰にも務まる 大臣というポスト

内閣改造を見て、また、こんなものかと諦念の感免れずでした。
これなら、日本中に大臣候補は溢れているでしょう。人材不足などあり得ない。

若い頃、大臣になるような国会議員にはある種の敬意を感じていました。
政治家としての力量と、人間としての厚みというか、凡人には理解不可能な怪しげな魅力があり、大臣になるような人には「あのような大人になりたい」という憧憬すら感じたものです。

中年の頃、代議士たちを見る目が変わりました。同世代の議員も大勢いる年頃に自分がなってみると、いろんなファクターから判断すると大した連中ではないという思いが強くなりました。

初老の頃になると、さらに、碌な人たちではないのではないか。こんな人たちに、我が国の将来と国民の生活」を託すことの危険を感じるようになりました。
このころになると、戦後は遠くなり、金がすべての世の中になり、政治家は金になる家業と成り果て、政治理念より、金権亡者の集団と化し、選挙では金をばら撒くことに何ら恥じない愚か者が増えてしまいました。

政策は有権者の票を吊り上げる単なるキャッチフレーズに堕し、不当表示の商品も金にあかしたCMのように飾り立てる電通選挙や博報堂選挙になってしまった。
有権者の中には「選挙だ!金を貰える」という、お祭りのようになってしまい、このような現象を好機としてとらえることができる人物たちの就職運動となってしまった。

そして、自分が高齢者となった今、ほとんどの国会議員は年下の若い者が増えてしまいました。若い頃に感じた、政治家としての厳しい雰囲気を感じ取ることはできません。

難しいことは官僚に任せ、自分たちは利権を追い求め、お友達グループで利権の山分けして恥じない愚者の群れのごとくなってしまいました。

多少やる気を見せる議員が居ても、歴史に名を残す功名心だけで突っ走る危険極まりないヤンキーのような者ばかりです。

選挙という「篩」にかけて残ったのは、カスばかりとなってしまったのではなかろうか。
現在の選挙は、有為な人材をふるい落とし破廉恥漢を選び出す愚挙ではないか。

ひな壇に居並ぶ大臣たちを見るにつけ、ますます諦観が強まる。
本人たちの嬉々とした表情を見るにつけ、日本の将来に希望が持てなくなる。

その政権に取り込まれ、提灯記事しか書けない新聞・TVは、マスコミ魂は深刻な病状を呈し、もはや末期症状となっている。

新聞各紙が政府広報と化したいま、記者諸君も「社内の篩」にかけられ、気骨のある記者はふるい落とされ、骨粗しょう症のような記者魂しか持たない者の天下なのかもしれない。

そうであれば、「起用」なんて言葉を使うことで、記者魂らしきものをことさら誇示して鼻息を荒くしているのかもしれません。

そうか!
「総理大臣の俺がお前を大臣にしてやるのだぞ。大物か何か知らんが、これからは俺に忠誠を誓うんだぞ」という軽量総理の本音を、新聞記者が「起用する」と表現することによって代理しているのかもしれない。

そうなると、現代の政権とマスコミの織り成す複雑な関係は、私のような凡人には計り知れない闇のようなものなのかもしれません。

情報に不自由しない世の中、もはや新聞を読むという惰性から自分を解放したほうが良いのかもしれないと思うようになりました。
.04 2014 未分類 comment0 trackback0

起用する ということの不可解

今回の内閣改造で「・・を・・大臣に起用」という表現が新聞各紙の一面に踊りました。
この「起用」という言葉になんとなく落ち着かない感じがしてなりませんでした。
新聞の慣用表現なのか、永田町の慣用句なのか分かりません。

就中、気になったのは「幹事長に谷垣氏を起用」という表現でした。

「起用」とは、
これまで用いられなかったり認められていなかったりした人を、ひき上げ用いること。
とりたてて用いること。
「スタッフに若手を起用する」  「投手の起用を誤る」など。(大辞林第三版)

谷垣氏は安倍総理より年長である上に、これまでに大臣の経験も豊富であり、自民党が野党に転落した時代とはいえ自民党総裁を務めた人です。
この人物を「起用する」というのはいささか抵抗があります。

ところが、TVの報道で、前夜、安倍総理が谷垣氏に直接会って「就任を懇願し、掻き口説いた」というテロップが流れました。
やはり、そうだろうと安堵した次第です。

秀吉があの徳川家康を前夜突然訪ねて、明日の登城の際、自分に恭順する姿を満天下の武将たちに見せてやってほしいと、平身低頭して懇願したという古事にも似たことがあったということを知ったからです。

それでも、新聞各紙は「起用」という表現でした。

当選回数という馬齢を加えただけの格別力量が認められるわけでもない古参議員なら、たとえ年長であっても、任命権者の総理が「起用する」というのは認められるでしょう。

言葉が命の新聞は、もう少し言葉を研究する費用があるのではないかと危惧します。
言葉が持つ力に鈍感な気がしてなりません。
記事が誤解されることもあるでしょう。
それでなくても、新聞記事の信憑性が厳しく問われる時代になっています。

鈍感なベテラン記者の惰性による記事より、優秀な若手を「起用」してみたらいかがか。
.04 2014 未分類 comment0 trackback0
 HOME 

プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR