「珈琲でいいです」 という人たち

中高年の女性5人の集まりに誘われました。
喫茶店でお会いして、今流行の健康の話をするというものでした。

このような集まりで私が常に気にしていることがあります。
飲み物を注文する仕方です。

まず、私が「珈琲をいただきます」と。
次に一人の女性が「私も珈琲でいいです」。
次の人も「珈琲でいいです」。
次の人は「紅茶でいいです」
次の人は「私も紅茶でいいです」
最後の人は「オレンジジュースをいただきます」
でした。

あ~、今日も力仕事になるな~!と、内心覚悟をしました。
いつも、最後にジュースを注文した以外のタイプの人たちを相手に話をする場合は、荷物を積んだ引き車をひいて坂道を上るような疲れを感じるからです。

旅行の計画を立てる場合でも、「箱根に行きたい」という人と「箱根でいいです」という人が居れば、「箱根に行きたい」という人と箱根に行きたい。

計画を立てる協議の時、「私は箱根ではなく日光に行きたい」という人の方が私は好きです。
5人がいたとして、「箱根に行きたい人」と「日光に行きたい人」に希望がわかれたのなら
、今回は箱根にして次回は日光にしようと協議を重ねお互いが十分納得したうえでどちらかに決めれば、元来積極的に意見を言える人たちですから、旅行中はアクチブで自発的に楽しみを見出すことができます。

「箱根でイイです」という人とは、旅自体が鬱陶しいものになってしまいます。なんとなく受け身で、旅行中の食事でも、「私もその料理でいいです」「私もその飲み物でいいです」の連発でうんざりしてしまいます。

この時の5人は、皆さんが主婦で夫は健在な方ばかり。
普段から、夫に合わせることが円満の秘訣であり、自分の意思を表現するときは言い争いになってしまうという生き方の人が多い。争いを避けたければ自分の意見は抑制するという選択しかない。

自分の意見や好みは主張するけれどそれが争いのもとにはならないという生き方ができない。いつの間にかそれが常になり身についてしまっている。

だから、どんな場合でもすべてが受け身になっています。楽しませてくれるのは相手であり、それを評価するというタイプが多い。さらに、いつも譲っている自分はその対価としてご褒美をもらって当然とばかりの傲慢ささえ感じさせられます。

結局、「ジュースを戴きます」と表現した女性と私で、4人の女性を楽しませ、笑わせるという運びになってしまいました。
今回は、2人で4人を引っ張ったので多少は楽ができました。

小人数の場合が一番難しい。
100人単位の大ぜいになればかなり楽になります。
殆どの人が多数に従いますので、一人を相手にしているようなものです。

数人だと微妙に個々の反応が強めに伝わってきます。
平等に気配りをして、平等に喜ばせ、平等に楽しませなくてはならなくなります。これは、力仕事です。

「・・・でいいです」という人とは個人的には付き合いたくないですね。
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.31 2014 未分類 comment0 trackback0

幼児化する社会と老人 2

0120-の電話番号に電話をする。
「日本語対応をお求めの方は1を」から始まって4~5回目に「オペレーターにお繋します」となって、甲高い黄色い、そしてたまには魅力的な声の女性が出てくる。

この時点で、自分が電話をした理由が分からなくなってしまったという友人の笑い話を聞いたことがある。電話をして訊いてみたいという動機がどんどん勝手に整理され、ある方向に誘導されてしまうことの不愉快さをその友人は語っていたように記憶しています。

寂しい輩が多くなった現代では、お客様センターとかサービスセンターなどと言うところに電話をして、「あらぬ事を口走ったりする人」、「人生を語ったりする人」「対応者の女性をからかったり口説いたりする人」もいるそうです。

電話で訊きたいという人(需要)に、効率的に応えたい(供給)とするなら、いくつかのスッテップはデジタル音声で応じて、需要の焦点を絞る。デジタル音声に従っている間に思考がデジタルになり、やっとオペレーターにたどり着いたときはなんとなく早く済ませなくてならないという心情に追い込まれる。これが、供給側の狙いなのでしょう。

なんとなく腹立たしいし、苛立つこともありますが、おかしな輩が多い現代ではこのような対応をされることもむべなるかなという気はします。

「老人と子供の社会」では、これでなくては困る人も多いのではないか。
なぜなら、自分が訊きたいことを対応者に相談しながら明確にしてもらいたいという人が増えているのでないかと思うからです。

「お腹が空いていない?」
「何が食べたい?」
「カレー? チキンライス? パスタ? ケーキ?」
「飲み物は何がいいの?」
「ジュース? コーヒー牛乳?それとも果物がいいの?果物は何がいいの?・・・・」

という風に、ちょっと態度であらわせば(需要)、供給側がどんどん絞り込んでくれるというような育ち方をした子供たちが大人になり、老人になったのだから。

需要は作り出すものだという戦略の世の中で育ち、本当は欲しくもなかったものを買わされてきた人々が多い世の中だから、漠然とした疑問は感じたがどのような表現をすればよいのかが今一つ判然としない人が増えている社会だから、まともに応じていたら時間も無駄だし、話が際限もなく拡大して一人の需要に丸々一日が消費されてしまうことすらありうる。

大学を出ていても掛け算割り算もできない人も多いと聞きます。
大学に入りたいと言えば(需要)、あらゆる方法で入学の方法を提供する(供給)システムが出来上がっている。

入った大学を卒業したい(需要)といえば、あらゆる手立てを講じて卒業させて大卒の資格を与える(供給)システムも出来上がっている。

中身は小学生並みの大卒者が一流会社に就職したいと言えば(需要)、これに対してさえ、この学生を雇えば親の関係で大きな収益を会社にもたらすとなれば合格させる(供給)のシステムすらあるのかもしれない。

不合理極まりないシステムだけれども、大学経営という観点に立てば合理的ということも可能かもしれません。バカ息子や娘を入社させるという不合理も、企業の利益を考えれば無理無理合理的なのかもしれません。

合理不合理が混在する現代日本では、まともに思考することを否定しているような気がします。思考不十分、思考停止じゃないとストレスでおかしくなりそうです。
かくして、人は大人になりたがらない。大人になると排除されそう。

幼児化時代は楽ですね。
思い悩まなくていいのですから。

このこと自体がストレスになりそうですが・・・。

.31 2014 未分類 comment0 trackback0

幼児化する社会と老人

世の中が日に日に幼児化している。
TVなどにはその現象が顕著のようです。一億総白痴化が言われて久しいわけですが、すでに数十年経過。白痴以上のレベルに達しているのかもしれません。

白痴とは、精神遅滞の最も重度のものを言いますが、これをはるかに超えるとなれば、全くものを考えないというレベルなのかもしれません。遅滞というレベル以下になっているのかもしれません。すべてを受け入れるというレベルです。

お笑い芸人たちが居並び、大仰な作り笑いと絶え間なく何でもいいから喋っていろという類の番組が沢山あります。このような代物にも一流と認定されている企業がスポンサーとしてバックアップしているところをみますと、それなりの視聴率があるということなのでしょう。

いったいどうなっているのか!などとは言わない。それはそれで結構。

その程度の番組でも人気者が育ち高いギャラを得る。視聴率さえ稼げれば、辣腕プロデューサーと言われて有能だとされる人が現われる。TV局は広告収入で潤う。社員は世間相場をはるかに上回る給与を受け取る。

そのようなレベルの内容で電波を浪費するTV局の幹部は大物として一目置かれるようになる。そうなれば、やはり幼児化した総理大臣などとゴルフに興じ世の中に大きな影響を及ぼすことができるひとかどの人物であるがごとく振る舞える。

そのような現象というか事実がお仲間のマスコミによって報じられ、大物感がいや増していく。本人が一番「自分は大物だ」と思い込んでしまっている。

それはそれで結構だ。
広告効果があるからスポンサーがつく。観る人が居るから物が売れる。

モノを売りたい人たちが居るから、そのような番組がますますエスカレートしていく。
「TVの広告で騙された」といえば、消費者サービスなる機関が対応する。広告を流したTV局は損害を賠償はしない。そのような法律ができているらしい。

なんだか、おかしいとは言わない。

自分を含めて、世の中は「老人と子供」しか存在しないのだから。
ましてや老人は、そのような問題に鋭く切り込んで批判し行動を起こすという知力も体力も減退しているのですから。

一方、老人以外の子供たちは、毎日が面白おかしければいいのであって面倒なことは避けて通りたいのだから。関心があると言えば「カネ」だけで他はどうでもよいのだから。

それでは、知識人や学術人や評論家という方々はいかがかといえば、マスコミに嫌われたくない人が多い。マスコミの求める発言をし記述すれば媒体を通して有名人になれ、高い報酬を戴けるのだからこんな楽なことはない。

それが悪いというつもりはない。
お気楽なことで高い報酬を得られる人が沢山居て、その金が世間に還流され経済が上手くいけば政治経済が上手くいっていると言われる社会なのですから。

こんな社会の将来を憂えるのか。

そんなこともしない。
老人は死んでいくのですから。老人以外の子供たちは一足飛びに老人になり、常に老人と子供の社会が継続されるのですから、この社会を憂えるようなもの好きは出てこない。

かくして、「モノが売れればいい」。
「モノが売れてナンボだよ」
とうそぶく、経済偏重の社会はますます進行する。こんなことでは社会は衰退の一途を辿るなんてことを言う人はいない。老人と子供の社会は難しいことは言わない考えないという社会なのだから。

老人たちだって、自分の健康と長寿しか頭になく、元気な老人は美女のスーカーになってやにさがっているのですから何をかいわんやですよ。

老人と子供の社会は楽なのです。
楽な社会は良い社会なんですよ、きっと!!

.31 2014 未分類 comment0 trackback0

辛そうな運動

今朝もいつものようにゆっくりしたペースでウオーキングをしながら、季節の花々を眺め新緑の清涼な空気を吸い出勤時の諸人の体調を推測し、神社の境内でラヂオ体操を済ませて、駅の茶店で一服して戻ってきました。

毎度気になるのは、苦悶の表情をしながら息を切らしながら早いペースで歩いている男性。
高齢者ながらジョギングをしている男性です。

早朝からすでに多くの紫外線が降りそそぐ中、あるいは、たまにすれ違うバイクや車の排気ガスを吸い込む状況下にしてはいささか首を傾げたくなるような人たちとすれ違います。

活性酸素が人の健康を害し、中高年ではとりわけ活性酸素が人体に及ぼす害を注意しなくてはならないと言われるようになって久しい現在、彼らの運動の仕方が果たして健康に良いのか疑問のあるところです。

肥満の解消、運動機能と心臓機能や呼吸機能などの強化維持のための人もいるでしょう。糖尿病の人で、医者から指導を受けて熱心に取り組んでいる人もいるでしょう。

しかし、熱心で努力家で真面目な人ほど毎日の運動が次第にエスカレートしているのではないでしょうか。あるいは、運動がもたらす快感を追及するようになってしまっているのかもしれません。

大量の紫外線を浴びながら、無帽で戸外にいることはそれこそ無謀です。
息を切らしながら苦悶で顔を歪めながら頑張るのはストレスを含めて身体を傷めているとしか思えません。

すべてが「活性酸素」を大量に発生させる原因になっているからです。

健康維持と体力の増進を図るという合目的な事態からいつの間にか逸脱していると思います。自らの身体に無理を強いて、その無理を克服することが健康のためになるというように勘違いしておられるようです。

運動は身体に悪い。
運動は健康を害する。

健康維持と骨格筋力の維持には適度なペースで歩くだけで十分だと思います。
せっかくの運動が、健康を害し体力を必要以上に消耗し、関節などの障害をわざわざ招き寄せているのではないでしょうか。

このような、熱心で生真面目な方と毎朝すれ違うたびに。
「運動は身体に悪い」
「運動は寿命を縮める」
と思わざるを得ません。

いくら体に良い食べ物でも食べ過ぎは良くない。
いくら健康に良いからといって運動のし過ぎは良くない。

各自の身体に相応の適当な量と質というものがあるはずです。
運動も例外ではありません。

記録に挑戦する運動をすることはご勝手です。
「脳」を喜ばせ、「脳」の求めに応じて行動をするのもご勝手です。

しかし、健康のためなら「身体」を喜ばせ「身体の声」に耳を傾けながら行うことが肝要だと思う次第です。
.29 2014 未分類 comment0 trackback0

神田古本街とトゲヌキ地蔵

古書を探すのと、有機野菜を買うために神保町に出かけました。
「愛と有機の店」で、台湾バナナとアボガドなどを買い求め、それらを店に預けて気を取り直して古書街に紛れ込みました。

「不比等」に嵌っている私は歴史関係の書棚を渉猟して数軒を巡りましたが目的の古書は見つからず、あとは当てもなく徘徊することになりました。いつの間にか、関心は古書ではなく古書街をそぞろ歩く、あるいは熱心に古書を手に取り矯めつ眇めつ調べている人間たちに向かっていました。

平日の日中の古書街は男性のシニアが多いことに改めて気が付きました。
老女の姿はほとんど見られません。業界人のような風体の私と違って地味な装いの真面目そうな老人たちがいっぱいいました。

物理学とか数学の古書の前で熱心に何やらを探す姿に、元研究者なのか元教育関係にいた人たちなのかと想像しながら内心舌を巻く思いがしました。衰えぬ学問への情熱、極めて面倒な学問をし続ける姿勢に感動すら覚えました。

話は違いますが、墓参のため巣鴨の古刹に年に何度か訪れます。その折、興味がありますので「地蔵通り商店街」を散策します。
こちらは、シニアの女性で溢れかえっています。道いっぱいに広がって「私の人生」を謳歌しているかのごとき元気いっぱいの女性たちのエネルギーに圧倒される思いがします。

彼女たちの関心は、もっぱら「食とファッション」のようです。
原宿の「竹下通り」のギャルがそのまんま年をとったという光景です。よく笑い、よく食べ、あの服この服を触りまくって商店街を練り歩いています。

食べまくり飲みまくり、男なら口外しないこともあからさまに喋り捲って大笑いする。
湯上りのようなさっぱりした表情でそれぞれの棲家に引き上げる。男ならよく陥る自己嫌悪とか慙愧の思いとはまるで無縁。

神保町古書街の深刻な表情の老人と180度対極の老女たち。
人生いろいろ、人間いろいろですからどちらも結構なことですが、男性シニアたちはもう少し解放されてもよいのじゃないかとお節介な感じがしました。

一方。新刊書販売の大型書店に行きますと、圧倒的に若い女性が多い。「手に職本」、「資格本」と並んで「文学書」の棚の前に女性の姿が多い。若い男は、どちらかといえば「漫画本」の前に多い。女性が高学歴になるということはこういうことなのかと思います。

高学歴時代の女性たちがシニアになると、神田古書街はこの老女たちに占拠されるのかもしれません。
その頃の「地蔵通り」は男性シニアのメッカに変貌しているのかもしれません。
.23 2014 未分類 comment0 trackback0

これからの季節 移動は「地下鉄」が一番

紫外線が強い季節になりました。
女性は美容のためもあってかUVカットの対策に熱心ですが、男性はまだまだですね。
帽子もかぶらず、メガネなどへの配慮もほとんどなされていません。

このブログで、何度も紫外線に触れてきましたが、なぜ、男性が無防備なのかが理解できません。私も、美容が動機ではありません。たまたま、紫外線に強く反応する眼球の持ち主であることが紫外線対策に神経質にさせいるのです。

この季節、JRを始め各私鉄でも路上を走行している電車の中に強烈な紫外線の照射を受けます。窓外に目をやるとビルや路面が白く反射し目に強烈なアタックを感じます。

この時期、私は移動する際はできるだけ「地下鉄」のルートを中心に路線を決定しております。都内の地下鉄網は緻密を極めほとんど行けないところはありません。
通勤などの融通の利かない路線の場合は地下鉄網だけでは多少無理もありますので、地上の路線を選びますが、私的な外出では、地下鉄網の利用可能な地域を選んで外出しています。

「地下鉄」内では紫外線から完全に遮断されています。窓外の景色に難はありますが安心して視線をやることができます。裸眼で、安全な読書ができ、スマホのメールの遣り取りも安定したモニターをみながらできます。光の乱反射もなく、光度が一定していますので目が疲れません。

深い地中から路上に出ますと、強烈な紫外線と白く反射する大都会のコンクリート砂漠の光景は一瞬にして眼球にダメージを感じてしまいます。

舗装路面からの反射紫外線にも配慮したサングラスを装着して、日傘を差してなんとか街中を歩いています。真夏でも、長袖を着ています。
身体の内部に有害な活性酸素の発生を可能な限り抑制するためです。

72歳の今日まで、視野に一点の曇りもなく、視力もこの40年間変化がありません。それどころか、老化の影響で裸眼でも日常生活の不自由がなくなっています。

目の障害は、仕事は勿論ですが、読書をはじめとして生活のQOLを著しく落としてしまいます。
老化が進むにつれ、逆らえるモノなら可能な限り逆らって、少しでも老化・劣化に抵抗してみるつもりです。

それにしても、都営大江戸線は深いところを走っていますね。
急降下、急上昇ともいえるエスカレーターで下るときは「別れの水杯」、昇るときは深い地中に落下した自分がロープで引き上げられるような心境です。

平和ボケ、安全ボケをあえて演じていなければとても正気では利用できません。
東京だけに限定しても、地下・路上・上空の乗り物の動きを想像するだけでも空恐ろしいものがあります。

乗り物があるから人は乗りたがるのか、乗り物があるから人は移動したがるのか。
経済という魔物に振り回される人間は途方もないストレスを背負い込むのは仕方がないのか。「マイカー」を持っているからドライブをしないと車が劣化するからといって、不要とも思われるドライブをしている人もいます。

近隣のお宅のご主人は、車を運転するのは面倒だが、車をいつも磨き上げてピカピカの状態を維持させることが趣味だという。
しかし、その奥方はそれほど磨かれてはいないような気がするのですが・・・。

話が逸れてきましたので、中途半端ですがこれくらいにしておきます。
.19 2014 未分類 comment0 trackback0

シェフが人気

 ロンドンではシェフの人気が高いらしい。
子供たちが将来なりたい職業のトップ3にランクインするほどの人気らしい。

ジェイミー・オリバーというシェフがいて、世界で最も人気のあるトレンド・シェフだそうです。彼は、チャールズ皇太子と並んで、英国のオーガニック・ムーブメントの強力な推進者の一人です。

フランスで修業を積み、ロンドンのいくつかのレストランでシェフとして務めたのち、1998年からイギリスの料理番組シリーズ「The Naked Chef」に出演し、一躍カリスマ・シェフとして高い人気を得た。イギリスの各界のセレブにも多くのファンを持ち、2009年にロンドンで開催されたG20の晩餐会でもその腕を発揮しました。

そのジェイミーが自身のTV番組でオーガニック製品やハーブを使用したことが、チャールズ皇太子とは違った観点から英国のオーガニック・ムーブメントを盛り上げるきっかけになったと言われています。

私が子供の頃にすでに英国の食事は美味しくないという話を聞いていました。大学の頃は、英国国費留学から帰朝したものが揃って英国の食事の不味さを強調していました。どうせ貧乏留学生だから碌な食事はできなかったのではないかと思って聞き流していましたが、私がパリで勉強していた頃、3日間でしたがロンドンに遊びに行ったことがありました。

ローワークラスの安いレストランにしか入れなかったことは事実ですが、確かに不味かった。日本でことさらおいしい食事をするほどの経済力もなく、ごく普通の食事しか知らない私でも美味しいとはとても言えませんでした。家畜のエサを咬むような虚しさに襲われたことを記憶しています

それに比べて、パリでは毎日が夢のような美食に恵まれていましたので、特にロンドンのひどさを強烈に感じたのかもしれません。

さて、ジェイミーに話を戻しますと、英国の食の革命に挑む彼が特に注目されたのは「学校給食」の改善運動でした。

高城 剛氏によれば、イギリスの給食というのは我々からみると想像を絶する劣悪さだとか。フライドポテトやハンバーガー、ナッゲットなどのジャンクフード。正体不明の肉で作られたミートローフや、脂まみれの冷凍ピザ。それに、糖質たっぷりのチョコレートがデザート。

「育ち盛りの子供にこんなものを食べさせていいのか」、「ジャンクフードが子供たちの健康を損ね寿命を縮める」。
こんな実情を変えるべく立ち上がったのが、ジェイミー・オリバーだそうです。

彼の悪戦苦闘の努力の結果、サッチャー政権時代の福祉削減政策で大幅削減された学校給食予算を、ブレア政権の時代に学校給食改善のために予算を大幅に増額させるまでになったそうです。

その後も、養鶏場や養豚場で劣悪な環境下で肥育される動物たちの現状を訴え、さまざまな啓もう活動を継続しているそうです。

このような彼とその仲間たちの真剣な運動の様が多くの共感を呼び、子供たちの尊敬を集め、いまや子供たちのあこがれの職業にまでシェフの地位が上がってきたのでしょう。

一方、我が国おいても、カリスマシェフやスーパーシェフが輩出し、連日TVや各種メディアで活躍しています。しかし、曲芸師さながらの料理の腕を競ったり、番組のスポンサー食品企業の食材を使って宣伝に一役買っている場合がほとんどですし、自分の経営するレストランや料亭に知名度を上げるのが真の目的と思わざるを得ないレベルです。

今後、TPPの成り行き次第では、食の安全の問題は深刻な日常的課題になると思われます。そのような時代に入ってからの我が国のメディアにおける料理番組がどのような変貌を遂げるのか今から楽しみです。

何よりも、食の安全と健康に関しては学校教育の中で真剣に取り組まなくてならない喫緊の課題だと焦燥感に襲われる昨今です。

「・・・なら、お医者さんに掛かりましょう」はなくて、「健康と食」について、何とかもっと理性的、理知的な取り組み方がメディアに求められる時代が、すでに来ていますし明日の課題だと、街場の片隅で心を痛めています。

(注)今回も、高城 剛氏の著書:オーガニック革命から引用さていただきました。
.17 2014 未分類 comment0 trackback0

英国におけるオーガニックのムーブメント

英国の象徴であり国民の敬愛するチャールズ皇太子がオーガニックの推進者であることは、英国のオーガニック市場は安泰なものであると言えるでしょう。

英国のオーガニック・ムーブメントの特徴的なことは、王室やサーの称号保持者などのアッパークラスが発信する活動と、ワーキングクラスの人々が街場から発信する活動がうまくスパークして新しいムーブメントが生まれたことでしょう。

愛国主義的な立場から地産地消やオーガニックを支持する右派的立場の人々と、安全でおいしい食物を誰でも安価で手に入れる権利があるとする左派的立場の人々がドッキングして、さらに大きな流れとなっているのが英国の特徴的流れなのです。

そのような、上流下流、右派と左派のカルチャーが出会う交差点が他ならぬロンドンということらしい。

ロンドンはいまや金融のメッカというよりは、新オーガニック主義が花咲く一大メッカに変わりつつあるという点に興味があります。
金融に対する反動的な側面があるのではないでしょうか。

エリザベス女王が週末を過ごすウインザー城近くのウインザー農場が経営する WINDSOR FARM SHOP は老若男女で常に大盛況だそうです。

注:高城 剛さんの著書 「オーガニック革命」から抜粋しております。
この本は、これからのライフスタイルを示唆する秀作だと思います。
.12 2014 未分類 comment0 trackback0

チャールズ皇太子とオーガニック

欧州諸国はオーガニック農業に積極的な国は多い。
その中で、イギリスはどこよりも早くからオーガニックに熱心でライフスタイルにまで浸透していることは注目に値する。

そのイギリスのオーガニックをけん引している大物にチャールズ皇太子が居ます。
日本では、婚約だの結婚、スキャンダルなどは良く報道されますが、皇太子自らがイギリスのオーガニックムーブメントの推進役であることはあまり報道されません。

ダッチー・オリジナル (DUCHY ORIGINALS)は、自然環境保護やオーガニックの提唱者としても知られるプリンス・オブ・ウェールズ/英国王室のチャールズ皇太子によって1992年に創設されたブランドです。

ダッチー オリジナルは、ナチュラルで高品質なオーガニックブランドの先駆者的存在として、英国オーガニック市場のシンボルブランドとして存在しています。

その歴史は、24代目のコーンウォール公爵であるチャールズ皇太子が、領地(ダッチー)の一部であるハイグローヴに移り住んだことに始まります。

皇太子は有機農業や食品生産、自然環境や生態系の保護を自らの手で実践するために、長い年月をかけてハイグローヴの自家農場をすべて有機農場に変えていきました。

ダッチー・オリジナルで扱っている製品は、ビスケットやショートブレッドなどの菓子類。
ベーコンやソーセージなどの肉類。牛乳やバターなどの乳製品。
食品以外にも、シャンプーやボディーローションなどの各種ケア製品。
アウトドアー・ガーデン用品から家具に至るまでの製品。など、200種類以上のアイテムが揃っているというものです。

これらは販売されているのですが、その収益は、皇太子の慈善団体へ寄付され、農家の支援や医療、環境、健康、芸術、教育などの他分野に跨る様々な支援に活用されています。

2001年には、「Duchy Originals Garden Organic for Schools」を立ち上げ、全国の学校にオーガニック農園を作り、子供たちに有機野菜の育て方を教えるというプロジェクトを立ち上げました。
現在、イギリス全国の約2700校が参加していて、そこで、子供たちはオーガニックということを学び、オーガニック農業を学び、オーガニックなライフスタイルということの概念を学んでいるということです。

ロンドンといえば、金融市場であり、相場師という金の亡者のメッカの印象が強いのですが、実はこのロンドンこそいまやオーガニックのメッカに変貌しつつあるという、驚くような変化が起きているのです。

日本でも草の根的にオーがニックのムーブメントの炎は燃え盛っていますが、マスコミが大々的に取り上げることはしません。食品業界、製薬業界などの広告収入に依存するマスメディアは意図的に避けているのです。

英国のBBC放送は、食肉の工場や、野菜の工業製品化の現場のレポートを繰り返し報道しているようですが、日本のNHKでは時折「巷の話題、街場のうわさ」程度の報道でお茶を濁している程度です。
欧州諸国はオーガニック農業に積極的な国は多い。
その中で、イギリスはどこよりも早くからオーガニックに熱心でライフスタイルにまで浸透していることは注目に値する。

そのイギリスのオーガニックをけん引している大物にチャールズ皇太子が居ます。
日本では、婚約だの結婚、スキャンダルなどは良く報道されますが、皇太子自らがイギリスのオーガニックムーブメントの推進役であることはあまり報道されません。

ダッチー・オリジナル (DUCHY ORIGINALS)は、自然環境保護やオーガニックの提唱者としても知られるプリンス・オブ・ウェールズ/英国王室のチャールズ皇太子によって1992年に創設されたブランドです。

ダッチー オリジナルは、ナチュラルで高品質なオーガニックブランドの先駆者的存在として、英国オーガニック市場のシンボルブランドとして存在しています。

その歴史は、24代目のコーンウォール公爵であるチャールズ皇太子が、領地(ダッチー)の一部であるハイグローヴに移り住んだことに始まります。

皇太子は有機農業や食品生産、自然環境や生態系の保護を自らの手で実践するために、長い年月をかけてハイグローヴの自家農場をすべて有機農場に変えていきました。

ダッチー・オリジナルで扱っている製品は、ビスケットやショートブレッドなどの菓子類。
ベーコンやソーセージなどの肉類。牛乳やバターなどの乳製品。
食品以外にも、シャンプーやボディーローションなどの各種ケア製品。
アウトドアー・ガーデン用品から家具に至るまでの製品。など、200種類以上のアイテムが揃っているというものです。

これらは販売されているのですが、その収益は、皇太子の慈善団体へ寄付され、農家の支援や医療、環境、健康、芸術、教育などの他分野に跨る様々な支援に活用されています。

2001年には、「Duchy Originals Garden Organic for Schools」を立ち上げ、全国の学校にオーガニック農園を作り、子供たちに有機野菜の育て方を教えるというプロジェクトを立ち上げました。
現在、イギリス全国の約2700校が参加していて、そこで、子供たちはオーガニックということを学び、オーガニック農業を学び、オーガニックなライフスタイルということの概念を学んでいるということです。

ロンドンといえば、金融市場であり、相場師という金の亡者のメッカの印象が強いのですが、実はこのロンドンこそいまやオーガニックのメッカに変貌しつつあるという、驚くような変化が起きているのです。

日本でも草の根的にオーがニックのムーブメントの炎は燃え盛っていますが、マスコミが大々的に取り上げることはしません。食品業界、製薬業界などの広告収入に依存するマスメディアは意図的に避けているのです。

英国のBBC放送は、食肉の工場や、野菜の工業製品化の現場のレポートを繰り返し報道しているようですが、日本のNHKでは時折「巷の話題、街場のうわさ」程度の報道でお茶を濁している程度です。
.12 2014 未分類 comment0 trackback0

エコツーリズムとグリーンツーリズムとオーガニック

 日本の環境省が進める「エコツーリズム」と、農林水産省が進める「グリーンツーリズム」はいったいどこがどう違うのか。例によって、縦割り行政に起因する摩訶不思議な官僚テクニックで国民を煙に巻こうとしているのではないのか。

環境省のHPによれば、「エコツーリズム」とは、「地域ぐるみで自然環境や歴史文化など、地域固有の魅力を観光客に伝えることにより、その価値や大切さが理解され、保全につながっていくことを目指していく仕組み」だそうです。

一方、農林水産省HPによれば、「グリーンツーリズム」とは、「緑豊かな農山漁村地域において、その自然、文化、人々との交流を楽しむ、滞在型の余暇活動」だとしています。

私には、それぞれの省が何を言っているのか、何をしたいのかがよく理解できません。
ましてや、各省が天下り法人を作り、基本的に良く分かっていない老齢の元官僚のオッサンが省益のために勝手なことを発信するようだと、ますます国民はよくわからなくなります。

省益と天下り法人の死守が使命の人たちによって、国民益にもならなければ国益にもならないし、もちろん地球益にもなりません。

アメリカのオバマ大統領が「グリーン・ニューディール」政策を打ち出し、「フラット化する世界」という著書を出したトーマス・フリードマンの「グリーン革命」という本が出版され、「グリーン」という語が日本でも浸透し始めました。

環境を保全し、人間の生活と自然の共存を図るという考え方であるという点において、「エコ」と「グリーン」は同義語です。

欧米では、80年代から「エコロジー」ではなく「グリーン」と表記されるのが一般的になっていますが、日本では、「エコロジー」や「エコ」という呼称がいまだに一般的です。

09年から始まった、「エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業」というものに至っては、いったい何なんだ?と、首をかしげざるを得ない。

輸入行政といいますか、輸入文化といいますか、外国からやたらと横文字を取り入れて、官僚たちもよくわからないままに、それだから、国民を幻惑させ、概念を攪乱させられるとほくそ笑んで、国民や消費者を混乱させているとしか思えません。

そのうち、文科省から、「エコでグリーンでオーガニックな生活」を教育の現場で教えることが、子供たちの現在と未来を救い、地球環境を保全することは急務である。というような、よくわからないけれどとにかくすべてを包含させておけば間違いないという滅茶苦茶な方針が出てこないとも限らない。

さて、ここで出て来た、「オーガニック」と「エコ」と「グリーン」はどう違うのでしょうか。現在の日本では、人によって勝手に使われているというのが実情のようです。

これから、この点について少し考えていきたいと思っています。

少し触れておきますと、「エコ」と「グリーン」は地球環境レベルの考え方であり、「オーガニック」は人間というレベルの考え方だということはできるでしょう。

そうすると、「エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業」という事業は、「地球環境保全ポイントの活用による地球環境保全家電普及促進」の事業だということになり、国民はなんだか大それた偉大な事業に参画しているような、夢見心地にさせられているのかもしれません。

「どうだ~!すごい事業だろ~!」
霞が関の官僚の高笑いが聞こえてくるような気がします。
「あの~」と、質問をしようとすると、プイィと横を向いて知らん顔をする官僚の姿も見えてくるような気がします。
.07 2014 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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