業界の月報に愉快な文章が掲載されていました。
コピペさせていただきます。そう言えば、「小保方論文」に、ドイツ人研究者の論文からコピペしたらしい箇所があるという疑惑が生じています。
なんだか痛々しく感じるのは、あのエプロン姿の小保方さんの初々しい姿に感動したからでしょうね。早期の解決を心から望んでいます。
「出るもの」
性格は顔に出る
生活は体型に出る
本音は仕草に出る
感情は声に出る
センスは服に出る
美意識は爪に出る
清潔感は髪に出る
落ち着きのなさは足に出る
「男と女」
男は、本当に必要ならば
千円のモノに二千円払う。
女は、二千円が千円になっていれば
必要でなくても買う。
男と暮らすには、
男を理解しようとしなければならない。
女と幸せに暮らすには、
女を理解しようとしてはいけない。
女は、結婚したら夫に変わってほしいと思う。
でも夫は変わらない。
男は、結婚しても妻に変わらないでほしいと思う。
でも、妻は変わる。
いちいちごもっともで、愉快ですね。
身につまされることも多々あります。
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ウオーキングをしていますと、後ろから来た鼻息の荒い人に追い越されることがタマにあります。息苦しそうに顔をゆがめて今にも悶絶しそうな表情を浮かべている人もいます。
胸式呼吸で、2呼2吸をしているようです。
ハッハッ、ハッハッといいリズムのようですが、とても苦しそうです。艱難辛苦に耐えて、それなりの達成感があるのかもしれません。それはそれなりに幸せなのでしょうが、どこか違うような気がします。酸欠なのではないでしょうか。
腹式呼吸は、胸式呼吸より三倍もの空気を吸い込めます。
肋間筋を使う胸式呼吸に対して、腹筋と横隔膜を使う腹式呼吸は空気を吸い込む量が違います。
腹式呼吸で吸い込まれた大量の酸素はまずは脳に供給されます。脳は人体の中で最も多くの酸素を消費するところです。大量の酸素が脳に送り込まれると脳神経細胞が活発に働き、意識も鮮明になり集中力もアップします。認知症の予防にも効果的なのですが、これは別稿にいたします。
腹式呼吸をしながらウオーキングをしますと、脳にも赤筋にもしっかりと酸素が供給され、疲労も少ないし、脂肪もよく燃焼してくれます。
また、腹式呼吸をしながら歩きますと、姿勢が正され内臓の働きが活発になり身体の調子が良くなります。
「有酸素運動」を正しく行うためには「腹式呼吸」に習熟すると良いと思います。
腹式呼吸は、「出入口」というようにまず「出す」ことから始めます。
1、まず、口から身体の中の空気をすべて吐き出す。お腹をへこませながら出します。
2、次に、鼻から息を吸い込みます。下腹を膨らませながら、ヘソから下に空気をためるような感じで吸い込みます。
3、また、口からゆっくりと息を吐き出します。腹にたまって空気をすべて吐き出します。
4、これの繰り返しです。
5、口から吐いて、鼻から吸い込む順序です。
私は、普段歩いているときでも、腹式呼吸でリズムをとって歩いています。
1,2で吸い込み、3,4,5,6,7,8,9,10で吐き出します。
1,2,3で吸い込み、4,5,6,7,8,9,10のリズムでもよいでしょう。
腹式呼吸をマスターしていただくことが肝要です。
効率の良い運動をするためにも、健康維持のためにもお勧めいたします。
この意味がよくわからないという人がいます。
無酸素運動は苦しくてたまらないわけだから、有酸素運動は当たり前だろうというわけです。ことさら有酸素という意味がよくわからないということのようです。
筋肉には遅筋繊維と速筋繊維の二種類があります。
速筋繊維の筋肉は白く見えるので白筋と呼ばれます。白筋は素早く動くとか重いものを持ち上げるときに働くものです。短距離走の選手や野球の投手などはこの筋肉を鍛えておく必要があります。
一方、遅筋繊維の筋肉は赤く見えますので赤筋と呼ばれます。この筋肉は、姿勢を保ったり、歩く時などで使われる筋肉のことです。収縮の速度も遅く、持続的に力を出すときに働きます。
赤筋は、骨に近い身体の深部に存在し、背骨に沿ったところ、足の太腿の深部、ふくらはぎの深部などに存在しています。この筋肉は、エネルギー消費も少なく疲れにくいという特徴があります。
さて、赤筋が赤く見える理由です。これは、タンパク質の一種である「ミオグロビン」というものの色、赤い色素が多いからです。この「ミオグロビン」は酸素と結びつきやすいという性質を持っています。
長時間の間身体を動かすときには、「ミオグロビン」によって毛細血管の中から酸素をたくさん取り入れられる赤筋(遅筋)が主として働きます。
そして遅筋が働くときは大量の酸素が使われるために「脂肪」が燃やされます。これが「有酸素運動」というわけです。
白筋(速筋)は「ミオグロビン」が少ないので、酸素を使えないために長時間の運動には向いていないのです。しかも、白筋のエネルギー源はグリコーゲン(糖分)です。
つまり、白筋を使っても「脂肪」はほとんど燃えません。
ウオーキングや軽めのジョギングなどの有酸素運動を行って、余分な体脂肪を減らそうというのはこういうことなのです。
参考
血中に存在する酸素はヘモグロビンと結合していますが、「ミオグロビン」は酸素結合能がヘモグロビンより強いので、血中のヘモグロビンから酸素を受け取りやすいのです。
ノロウイルスやインフルエンザウイルスの感染による発症の報道が時折ヒステリックに行われる。そのたびに、手洗いなどの方法の指導をしているのが定番のやり方のようです。
感染者で発症している人に対する緊急の適切な対応が大事なことは言うまでもありませんし、予防のための各種注意事項を周知徹底させようとする姿勢に問題はありません。
ただし、このことが過剰な清潔主義の生活習慣を強要するようでは問題は大きい。
この生活習慣への誘導が、抗菌剤や消毒剤の日常生活に過剰に取り込まれることは避けなければなりません。
さらに、食品への防腐剤や抗生物質などの添加物の量が増量されることは、将来にますます深刻な感染症を惹起する原因となりかねない。
感染による発症者の側だけをクローズアップするのではなく、感染はしているが発症しない人の存在についてもクローズアップすべきではないでしょうか。
発症者の生活習慣と、非発症者の生活習慣の違いを追求した疫学的な大規模な研究を要請したい。
我々は、身の回りから人間以外の生物の排除を躍起となって行ってきました。
自然界の共生関係を破壊して人間にとって安全な環境を獲得してきたように錯覚しています。
子育ての段階からの発想の転換が求められます。
妊娠前、妊娠中、出産の仕方、哺乳、育児と、これまでの主流の方法から改善していかなくてはならないという、気の遠くなるような問題が横たわっています。
人間の体内に、化学合成品が大量にとりこまれ人体の各種の問題が山積しています。
人体の健康的な生活の仕方や、病気の予防に役立つ生活の方法の研究が進歩してきている反面、人体を根本的に破壊する食品や環境の問題が深刻になってきました。
予防を化学合成品などに過剰に依存しない日常の生活習慣についての研究や指導が早急に求められ事態だと思います。
健康本を書いておられる多くの方々に求められるのは、それぞれの主張する健康論を実践したい人々が、健康に良い生活をしたくてもできない事態が一方で急速に進行していることへの論及が少ないということです。
感染と発症の問題、ストレスの問題、化学合成品への過剰な依存(医師も患者も)の問題など、健康を損なう原因となる種々の事象が健康意識の普及以上の速度で蔓延していることに言及しない限り、机上の空論・理想論の域を出ない。
目を転じて、日本政府の官邸を見てみますと同様の問題が存在しているようです。
主義主張が異なる人物をウイルスや細菌のごとく駆除し排除しています。殺菌消毒して排除を繰り返しているに従い、極めて脆弱な組織になっていることが心配です。
一見、強力な体制が出来上がっているかの如く錯覚されますが、外圧や内圧にもろくも崩れ去る脆弱な組織になっているのです。
すでに深刻なもろさが露呈してきています。
「生物の多様性の保全」が自然界にとって重要であるように、人の組織も各種の意見主張を持つ人の集合体でなければなりません。
活発な意見を闘わせ、懇切丁寧な説明のうえで同意を獲得しながら事を決定していくのが民主主義だと思います。
滅菌消毒という攻撃が人体の防衛力に必ずしもつながらない。人体の免疫力という自己防衛力がますます失われてしまう。
日本の政治も、日本人の健康も、同じ軌跡をたどりながら下降しているのではないかと懸念しています。パラダイムシフトが求められる危機的状況だと思っています。
「見事にひっくり返った。あの子は、大事な時には必ず転ぶ」
浅田真央について語った、東京五輪組織委員会森喜朗会長の発言である。この選手を貶めるような発言に対して非難が集中すると例によって「主旨」が伝わっていないと弁解が始まっているようです。
この人の発言は以前から何かと危惧されているのですが、なぜかこの国では懲りていないようです。この人の資質を疑う以上に何かしかるべき資質が備わっているのでしょうか。「またか!」「またこの人か!」と、うんざりするような人が森喜朗氏です。
NHKの籾井会長を始め百田直樹氏と長谷川三千子氏ら経営委員の発言も物議をかもしているが、この人たちも「主旨」が誤解されている。「主旨」が伝わっていないと、しどろもどろの釈明に追われています。
さらに、安倍総理の側近たちの発言も国際的に極めて問題となる発言をしていますが、弁明に躍起となっているようです。「主旨」が伝わっていないと、こちらも同じようなことを強弁しています。
全く違う「主旨」が二つ存在する発言をする奇妙な人たちがいるようです。それとも、「主旨」なんてものは存在せず、予期せぬ反論を浴びると、急に反論をかわすような「主旨」が生まれてくるようです。
それとも、「表主旨」と「裏主旨」の二つが存在する発言を意図的にしているのでしょうか。手品師のような輩だとしか思えません。発言から誰もが引き出せる主旨は間違いで、「裏主旨」こそが本当に言いたかったことだという論法は通常はとりません。
詐欺師やいかさま師のような印象はぬぐえません。
発言者の風体を観察するとなぜか「さもありなん」と納得いくのは私だけでしょうか。
普段の会議などで、このような人たちに反論したいけれども、それを言うと地位を失いそうだから沈黙する。すると、その会議は同じような意見を持つ言わば「お友達どうし」が盛り上がるいい気分の会議ともいえないものになってしまう。その勢いのまま世間に向かって喋ってしまう。
大人の分別とか、知性的配慮などはみじんも感じられない、そこらのヤンキーなお兄さんお姐さんと変わらないレベルを国内的にも国際的にも発信してしまう。
山里の小さな集落のオジサンオバサンレベル、いや、それ以下のセンスしか持ち合わせていないようです。
こういうのが自分が述べた発言の「主旨」だと言うなら、その「主旨」を述べて発言を取り消さずに堂々としていればいい。その発言と「主旨」がその人の立ち位置にそぐわなかったり、国益に背くものであればその立場を辞任すればいい。辞任してもその発言が消滅するわけでもなく、責任があるとすればその責任は本人にずっとついて回るものだと思いますけれど・・・。
「地位は人を作る」と言われます。
いまは、「地位は人を慢心させ、その人をさらにバカにする」と言わざるを得ません。
なぜこのような人たちが中枢の地位に選ばれるのかさっぱり不可解です。
選ぶ人が同じような資質だからなのでしょうか。
選ぶ人と同じような人が選ばれるからなのでしょうか。
その選ぶ人が「安倍総理」だとするなら、我々国民は非常に危ういところに引きずり込まれそうな危険水域にあるということになります。
どこから手を付ければいいのでしょうか。
「小保方論文」に画像疑惑が生じています。
論文を掲載した英科学誌ネイチュアーは、画像に不自然な点があるとして調査を開始したらしい。それより先に理研は外部からの指摘により調査に乗り出し、小保方さんに学位を授与した早稲田大学も調査を開始しました。
共同で論文を執筆した山梨大の若山照彦教授は「単純ミスで写真を取り違えた」と説明したそうですが、なんともお粗末です。ますます疑惑が深まっているようです。
朗らかな、屈託のない可愛い女性研究者の快挙は日本中を喜ばせ、中でも女性研究者のみならず女性の社会での活躍に確固たる実績を示したこととして、今後の女性の活躍に新たな広い道を開拓したと大いに賞賛されたばかりです。
あの、島津製作所の田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞し日本中を熱狂させたのもつい先日のようです。
多くの人が畏怖の念を抱き、絶対視されていた権威。国が支給する研究費の大半を占領している象牙の塔で湯水のごとく研究費の無駄遣いをしている権威あると思い込んでいる研究者ではなく、地方の国立大学を留年して卒業して、修士号も博士号も持たない一民間企業の平凡な研究者が世界最高の研究者となったことは、ことのほか大きな意味を持っていました。
日本という狭い小さな村社会における権威や序列は、国際社会という広いところからみれば何の意味もないくだらない戯言にしか過ぎないということを教えてくれました。
日本の権威ある研究機関の、権威あると思われる研究者たちの心胆を寒からしめ、多くの国民に爽快感を味あわせてくれた痛快な出来事でした。
日本中で、大学院ごっこ、研究者ごっこ、学位授与ごっこが日夜行われている。これらは、村社会の中の山里での素人芝居のような「ごっこ」だから笑って済ませられると言えば言える。なんの価値も影響力もないのだから・・・。
このことは、研究を指導しているつもりの者も、学位を授与された本人もよく分かっていることだから、このさい棚に放り上げて無視してもいいでしょう。
しかし、東大でのデータの改竄とか、製薬会社の研究員が忍び込みデータを操作するなどと言うことになれば笑って済ませられるものではない。
日本の科学研究の信頼性が著しく損なわれ、世界で信用されなくなってしまう危機に直面しています。
「小保方論文」問題の成り行きが懸念されます。
この疑惑が晴れる可能性は著しく少ないと思われる事態になっていますが、日本人の研究の信頼が失墜することにならないように祈るばかりです。
夕刻になったら出かけたくなるくらいに心身が回復しました。
街中の除雪状態も観察したいのと、なじみの茶店でホットココアを飲みたくなりましたので、ウオーキングシューズで出かけました。
歩行には一切支障はなく歩けましたが、足場が悪く気を遣った分疲れはしました。
しかし、無事に務めを果たした後のホットココアの味は格別。
下戸ですから雪見酒という風流とは無縁です。雪見ホットココアなんて人には言えない隠れ風流を自分なりに愉しみました。
腰が抜けた感覚はひとえに「冷え」に由来する循環不良だと思い、素早く風呂で小一時間温まり、全身のマッサージが功を奏したように思います。
ミカンを一袋買い求めて帰宅しましたら、私の姿を認めたテナントの一軒から奥さんが出てきて、「今朝ほどは本当にありがとうございました」と丁重なお礼を言われました。「これは気持ちですけれど」と、お菓子を戴きました。
また、玄関ドアの前に、一筆を添えたチョコレートがひと箱置いてありました。
なんだかジーンとしてしまいました。
疲れがすっ飛んで行く感じがしました。
やはりしっかりした若い人もいるもんだと、嬉しくなりました。
次の積雪に備えて、平素の鍛錬に弾みがついたというものです。
いまは、すっかり元に戻ったようですが、なにしろ高齢者です。明日か明後日がどうなるか分かりません。
でも、平素の鍛錬がしっかりと発揮された実感はあります。
脳も運動機能も、高齢者といえども十分鍛えられるということを実感した今日の積雪騒ぎでした。脳の方はまだ未確認ですけれど・・。
夕刻になったら出かけたくなるくらいに心身が回復しました。
街中の除雪状態も観察したいのと、なじみの茶店でホットココアを飲みたくなりましたので、ウオーキングシューズで出かけました。
歩行には一切支障はなく歩けましたが、足場が悪く気を遣った分疲れはしました。
しかし、無事に務めを果たした後のホットココアの味は格別。
下戸ですから雪見酒という風流とは無縁です。雪見ホットココアなんて人には言えない隠れ風流を自分なりに愉しみました。
腰が抜けた感覚はひとえに「冷え」に由来する循環不良だと思い、素早く風呂で小一時間温まり、全身のマッサージが功を奏したように思います。
ミカンを一袋買い求めて帰宅しましたら、私の姿を認めたテナントの一軒から奥さんが出てきて、「今朝ほどは本当にありがとうございました」と丁重なお礼を言われました。「これは気持ちですけれど」と、お菓子を戴きました。
また、玄関ドアの前に、一筆を添えたチョコレートがひと箱置いてありました。
なんだかジーンとしてしまいました。
疲れがすっ飛んで行く感じがしました。
やはりしっかりした若い人もいるもんだと、嬉しくなりました。
次の積雪に備えて、平素の鍛錬に弾みがついたというものです。
いまは、すっかり元に戻ったようですが、なにしろ高齢者です。明日か明後日がどうなるか分かりません。
でも、平素の鍛錬がしっかりと発揮された実感はあります。
脳も運動機能も、高齢者といえども十分鍛えられるということを実感した今日の積雪騒ぎでした。脳の方はまだ未確認ですけれど・・。
腰を自分で制御しにくいという事態を体験しまた。
雪が軽いうちにと、朝6時時頃から除雪を開始。
玄関から私道部分から開始し公道に至りそこの責任部分を除雪しようとしまた。
ご近所さんも出張って来られたので、公道から始めた。
なにしろ当地も高齢者が多い住宅地。明後日72歳になる私が一番若い。
ご近所さんがスルスルと除雪した後の根雪を剥がすのが役目となってしまった。
6軒分の道路ですから普段は大した長さではありませんが、今日はとても長く感じ、私道部分を残す私には長い過酷な旅となりました。
私道のあとは、奥にいるテナントさん5軒の人達が安全に歩けるにようにしてあげなくてはならない。まだまだ先は長い。やっと公道を終え、私道の除雪を始めましたが、身体がだいぶ悲鳴を挙げ、軽い目眩も覚える始末。
これからの除雪量を想像しながら呆然と立ち尽くす、と言うわけにはいかない。
こういう時は、終末を頭から飛ばして、黙々と目先の仕事をこなすうちにいつの間にか終わるものです。
とはいえ、すでに腰が硬くなり始め足のつま先はジンジンし始めている。
半分くらい済んだら中休みをしてユックリやろうと自宅部分の作業を開始。
角砂糖、羊羹、カステラなどをイメージしながら小分割しながら進めて行きました。
時間はすでに一時間以上を経過。
テナントは5軒とも若い夫婦ものたち。
「おはようございます。お手伝いしましょう!自分のところの前は自分でやりますから!」
と、笑顔で出て来るシーンを想像してみたが、各戸ともその気配はサラサラなし。シンと静まり返った住まいからは物音一つしない。
ガーッガーッと響くスコップと舗装面とが発する音が聞こえないらしい。
思えば、昨年も一昨年も、甘い幻想を見事に破られたものです。
期待しても無駄なことだからこそ期待したくなるものです。
今時、珍しい(?)若者が居るというドラマを組み立て、その時の私の台詞などを考えながら作業続行。
私道が終わったところで一休み。と思いましたが、もし外出する人がいたら困るだろうと思い直し、再び作業開始。身体の、特に腰の悲鳴が次第に近づくのを感じましたが、ここで休めば再開はおそらく無理だと判断し、継続することにしました。
中腰はかなりキツイので、しゃがみ込んで遅々とした作業に切り替えました。
なんとも不恰好な作業姿になりましたが、先ほどの台詞を発する事態を思い描きながらシコシコと除雪を続けました。そーっと腰を伸ばしたり、壊れないように腰を捻じったりしながら、そのうちきっと楽しい会話ができるシーンが来ると信じて続けました。
途中で、昨夜作った「無頼漢スープ」を飲みました。
暖かくて生き返った気がしました。
「俺は料理の天才だ〜!」と、目立たない程度に声に出し自画自讃して、底を尽き始めたエネルギーをかき出しました。
希望のシーンは訪れず、十分に練った台詞を発することもなく、作業は終了。
すると、一軒から人が二人出てきて「こんにちは〜。ありがとございま〜す」
これがまごうことなき現実!
期待してはいけないが、期待はエネルギーを作り出す。
これからも、叶わぬ期待と知りながら期待する心は持ち続けたい。
叶わぬ期待だから、落胆も少ない。
さて、終わったはいいが、自分で自分の腰を制御出来ない。
普段の体力強化はいったいなんだったのか。怒りがこみ上げてきたのはこのことです。
自宅の階段を両腕を壁で支えながらやっと上がれた。足の指先は死んだような感じ。
至急風呂をしたてて飛び込み、とにかく身体を温めました。
それから2時間ほど横になり、どうにか腰を制御できるほどに回復しました。
腕も肩も背中もなんとも感じない。ただ腰が悲鳴をあげました。
平素、上半身の強化のためにストレッチや筋力アップ体操をし、足腰強化のためにウオーキングや各種の運動をしていますが、今回の件で、腰はあまり鍛えられていないことを痛感。スコップ作業など、こんなことでもなければ滅多にない特殊な身体の動かし方ではありますが、足•背中•肩•首•腕はこの作業に十分に耐えられたのに、腰だけは「萎えた」と言えます。
今後のトレーニングの課題が見つかった思いです。
年々衰えて行く身体ですが、骨格を整え、筋肉を減らさないことはできます。
全身の調子を維持するのに、筋肉と骨格を整備することはとても大切なことです。
日課の早朝ウオーキングも控えて、降雪の様子をみていました。
予報どおりにますます勢いを増す積雪を窓外にしながら、今日は外出を止めて籠ることに決めました。
ところが、昼になると積雪に足跡をつけたいという気になりました。
衝動を抑えがたくなり、いつものダウンを着込んだ上からゴルフのレインウエアーを着て外出をすることにしました。
何か口実を考えなくてはなりません。
「そうだ、このような日はカレー味の野菜スープだ」と、閃きました。
食材を買いに行こうというわけです。
冷凍庫に牛と豚と魚のストックはあるが鶏肉がありません。
だから、なんとしても鶏肉入りのスープでなければならないと決めたのです。それも、宮崎の地鶏でなければならない。さて、店頭に在るかどうかが問題です。
なければ、それを求めて歩き回るだけでなく、電車にも乗らなければならない。
地元の肉屋にはない。隣駅の肉屋にもない。
東京駅の地下の店まで出張ってやっと買い求めることができました。電車の運行が不安でした。鶏肉を抱えて雪のため運行停止では情けない。
運よく滞りながらも電車は走ってくれました。電車は偉い!この豪雪の中を元気に走ってくれました。しかも、ぐちゃぐちゃと文句を言わない。鉄道愛好家の気持ちがよくわかります。家を出たのが午後12時過ぎ。帰宅したのが午後4時過ぎでしたから、順調だったと言えます。
強風のためビニール傘は腰が抜けてしまいお猪口状態になりましたので、なじみの店で処分してもらうことにし、その店で野菜を買い足しして帰宅。足の指先がかじかんでしまいました。靴以外は十分な装備ができていましたが、長靴は安物の雨天用のゴム長靴でしたから当然です。Fox Fire の暴風・防雪帽子のお蔭でなんとか風雪に耐えられたようなものでした。
帰宅後、早速スープ作りを始めました。
衝動で始まったのですから、衝動的な無頼漢風味のスープを作ることにしました。
大きな鍋に、鶏肉と各種野菜をぶっ切りで投げ込み、コンソメ味とギャバンのミックスフルーツチャツネとインデラ・カレー粉を投げ込みしばらく観察していました。
すると、衝動的にトマトとリンゴを入れたくなり、ぶっ切りを入れてしまいました。
約一時間ほどぐつぐつ煮込んで味見をしてみましたところ、洋風のようなインド風のような地中海風のような、グローバル時代を象徴するような奇妙な味に仕上がっていました。
雪中行軍をして仕入れて来た食材を、行儀悪く、衝動に任せて作り上げたスープですから、とても気品がある上質なものであるはずがありませんが、今日のような非日常的な夜の食卓にはふさわしいような気がしました。
今日は、まったりと久しぶりの雪景色を窓外に眺め、明日の雪かきの地獄に備えようと思っていましたのに、衝動抑えがたしとはいえ騒々しい一日にしてしまいました。
夜は自宅ジムで身体をいじめて、明日の重労働に備えます。
今日の昼さがり、渋谷ハチ公まえで繰り広げられた、細川護熙を応援する小泉純一郎の演説の中の一節です。午後12時から細川街頭演説会があることを知っていましたので、ちょうどジュンク堂に本を受け取りに行く予定と絡めて聴いてきました。
目黒区民の私は不在者投票に来週の月曜日か火曜日には行きたいと予定していますが、たまたま通りかかった田母神さんの街頭演説しか聴いていませんでしたので、細川小泉組の演説は聴きたいと思っていました。
小泉さんも言っていましたが、どの政策も各候補似たり寄ったりで誰がやっても大した違いはない。今回の都知事選挙の最大で唯一の焦点は原発問題です。
再稼働と原発増設派の主張は分かっていますので、原発反対派の主張とエネルギー政策の未来像を聴いておきたかったのです。
湯川れい子さん、澤地久枝さんと細川夫人の佳代子さんの応援演説に続いて、細川護熙候補の演説がありその後小泉純一郎元総理の熱烈な応援演説がありました。久しぶりに聴く、元総理二人の肉声に、かつての自民党を倒し細川内閣を作り上げた細川氏と、「自民党をぶっ壊す」と威勢の良かった小泉節の懐かしさがこみ上げてきました。
この二人が老躯をおして立ち上がった熱すぎる情熱は、同世代の私には少なからず動揺を与えたし、ついつい自分の身の安全ばかりにうつつを抜かしている日常に対して衝撃的なインパクトをもたらしたことは確かでした。自己嫌悪と焦燥感すら感じさせられました。
誰に投票するかは、あと数日考えてから決定したいと思います。
民主主義政治とは、まことにやっかいなもので、どんな人物が立候補してもその中から投票で選ばれてしまいます。どれも気に食わんからと棄権しても、わずかな投票率にもかかわらず決定されてしまいます。
政策本位で選ぶとか、人物本位で選ぶとか言いましても、政策に大した違いはないし(平気で嘘がまかり通る国です)、人物なんてわかるわけがありません。となると、利害関係で選ぶということになります。これが実情です。
神輿に乗せるのはバカがいいとはよく言われます。周り、つまり官僚がしっかりしていればいいとか、アドバイザーが優秀ならむしろバカであるほうが、余計なことをしでかさない分安全だともいえます。
かといって、TVの人気者が当選したり、弟の俳優の人気を利用した作家が当選したり、お笑い芸人上りが色気をみせたり、ブラック企業と言われる経営者がその気になったりするようではいけません。さらに、猪瀬元都知事に400万票以上もの大量得票を与えた東京都民はどこか狂っているとしか思えません。
ここ数年、地方自治体の選挙では、各党相乗りの候補と共産党の候補の二人で争われる選挙が目立ちます。無投票当選では、民主主義政治の体裁が整わないので、共産党に頭を下げて候補者を立ててもらっているのではないかとさえ勘ぐってしまいます。共産党のお蔭で、曲がりなりにも民主主義政治の芝居ができているとするなら実にお寒い話です。
それからしたら、今回の都知事選は、少しは選挙らしい選挙になっているような気がします。真っ向から対立する大きな争点がクローズアップされているのも選挙らしい。
先の、猪瀬元知事の功績は、早々に退陣し、このような選挙を実現させてくれた一点に尽きると言えます。今回を契機に、今後は不埒な奴らがその気にならない選挙であることを願うや切であります。
「少年が大志を抱くのはまことに結構。では、老人が大志を抱いていけないのか。大志を抱く老人が居てもいいじゃありませんか!」とは言っていました。
「老人が大志を抱くのはいつですか? 今でしょ!」とは言っていませんでしたが、相変わらず小泉さんは歯切れがいい痛快な人物ですね。
細川の殿様は若干霞みがちでしたが、政策全般について言及せざるを得ない立場と、一点突破主主義の小泉さんの立場とは比べていけない。
その政策全般について縷々のべる細川候補の次に、そんなものは誰がやっても大した違いはないと切り捨てた小泉さんの度胸と神経の図太さは並の者ではないと唸らされました。