大晦日のいつもの懺悔!

一年は早い。老若男女全てが時間の過ぎるのが早いと言う。
先の短い老人だけでなく、小学生までも「早い」と嘆息するのですから、狭い日本列島の上で気忙しくコマネズミのように動き回っているということなのでしょう。

私も、今日は、今週は、今月はこれだけのことはしたいと意図します。ほとんど思うようにできません。明日は、来週は、来月は、その分も含めて頑張ろうと心に誓うものの殆ど出来ません。

積み残し、先送りのまま、今日が暮れ、今週が終わり、今月は残り少ないというとの繰り返しのうちに、気がつくと12月になり、大晦日にホゾを噛む。

自分にとって消化不可能なプランをたてているのでしょう。
つまりは、欲をかきすぎているのでしょう。

プランをいざ実行しようという局面で、若い頃とは違う点が増えてきたことも気になります。その時になると、そのプランにあまり意義を感じなくなってくることです。

「疲れるだけではないか」、「なにもそんなにシャカリキになることはないではないか」、「急がなくてもいいじゃないか」などという言い訳がましいことが頭をよぎることが多くなりました。

予定をこなしながら、合間に思いついたことにも手を伸ばしていた若い頃とは明らかに違っています。

若い頃は、計画していたこと以上のことが十分できなかったといことに残念がり、慚愧を覚えていましたが、現在は計画していたことが不消化で終わることへの慚愧ばかりです。

今でも、合間に思いつき、こなしたい案件は発生しますが、所詮無理だと諦めることができるようになりました。欲張らなくなったのでしょう。

身は一つ、1日は誰にも等しく24時間。欲張れば欲張るほど時間が足りない。その上、達成度は低く、為すことの中身は薄く、ストレスはいや増す。

これからはますます時間の余裕がなくなるのですから、あとでもう一度という融通は利かなくなります。一つひとつを曲りなりにでも決着をつけていかなくてはなりません。
そのためには、欲をかかないことを心がけなくてはならないのでしょう。

必要な睡眠時間を確保し、身体の栄養補給(食事)と、頭脳への栄養補給(読書)と、動物としての務め(運動・ストレッチなど)の時間を確保した残りの時間は思いのほか少ない。

少なくなったとはいえ、仕事をこなし、社交をこなしているとほとんどの時間は消費されてしまう。

身体に無理を強い、周囲の人間のことに構わず、頭に浮かぶ諸々の事柄に挑んでいた壮年期までの人生があっという間に過ぎ去ってしまったのは当然のことです。

日々の時間を有効に使うためにも、健康であることが基本となることは当然です。いつまで生きるのか想像はできませんが、「がん」にでもならない限り余命の予測は尽きません。ただ、猛烈な速度で時間は経過することでしょう。

欲をかくことがいかに無謀な妄想であるかは明白です。
来年からは、過去の宿題を片付けながら、これからの道の風通しを良くし、未知の道程を舗装しながら、ゆっくりと残り少ない時間を愉しむ「術」を獲得しなければと思います。

今年一年の数々の思い出の棚卸をし、いくつかの思い出は、偏桃体の助っ人であるパソコンに残し、その他のことは自然に脳から消滅するのに任せよう。
特に、不愉快な思い出は強制的に削除して、きれいさっぱり忘却の彼方に追いやってしまおう。

今日の大晦日、日中は野暮用を抱えて、渋谷・代官山・恵比寿・銀座を巡ってきました。いまどきの静かな東京が好きですから堪能してきました。

来年もよろしくお願い申し上げます。
佳い正月をお迎えください。
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.31 2013 未分類 comment0 trackback0

イチゴの皮を剥いて食べる!

店頭に並ぶ鮮やかなイチゴは食欲をそそる・・ように見えますが、毒々しいルージュを連想させて、とても手を出せません。
旬でない食べ物がこのように綺麗な色を出すということは、人為的に相当な操作が施されているからです。

添加物だらけのクリスマスケーキとイチゴのトッピングを見ると、白粉を厚塗りしてどぎついルージュをひいたある種の場所のある種の女性とイメージがダブり、一瞬、目は引き寄せられますが、見たとたんに目をそむけたくなってしまいます。

ブロッコリーという野菜があります。多くの栄養学の専門家や医者が著す健康本の中で絶賛されている野菜です。いつの頃に分析されたデータかは知りませんが、かつてのブロッコリーには豊富な栄養素があったのでしょう。

私は、店頭で山盛りになっているブロッコリーを目にしますと、「濃く染色されたゴルフ場のグリーン」のように見えます。一見、新鮮な鮮やかな緑色のようですが、よく観察すると、人工的な着色が施された生気のない息も絶え絶えの植物擬きの奇妙なモノに見えてきます。

毒々しい赤色、不自然きわまる緑色、絵の具を塗りたくったような黄色、年齢を偽る古手の女優がメイクしたような不健康な白色、野菜売り場を見まわした私は、「この世に安心して身体の中に入れることができる野菜」は無いのか?と、暗澹たる思いに、生きることの不安と恐怖に呆然とすることが日常的になっています。

現代の野菜には、硝酸性窒素がとくに多く含まれていると言われます。
「窒素」「リン」「カリウム」が植物が良く育つための三大栄養素であることは誰でも知っていることです。この三大栄養素が配合された化学肥料が野菜の生育を促進するために使用されることは今や常識です。

この中で、「成長促進剤」としての「窒素」が大量に使用されます。この「窒素」が体内に取り込まれると「硝酸性窒素」に変化するそうです。

硝酸性窒素はもともと体内に存在するものですが、過剰に摂取されると、体内で魚タンパク質や肉タンパク質と反応して「ニトロソアミン」とう「発がん物質」になります。

色鮮やかな、あるいは色の濃い意野菜には、硝酸性窒素の含有量が多いということです。
したがって、いまどきの「食べ順健康法」に従って、先に野菜をたっぷり食べた後に、魚や肉を食べれば食べるほど体内で「発がん物質」を生産していることになります。

見目麗しい季節外れのイチゴの生産者は自家で食するときは、表面の皮を剥いて食べるという話を耳にしました。60種~80種の農薬を使った結果の残留農薬が濃く残っている皮を避けているということです。
クリスマスケーキに添えられた真っ赤なイチゴを嬉々として口に入れる子供たちが痛々しい。

自然農法の野菜の色は薄いそうです。
そして、何よりも、食べ物は「旬のモノ」を食することが、せめてもの自己防衛です。

現在懸念されている「TPP」が機能しだすと、ますます危険な食材・食品が大量に出回ります。そのことについてデータを公表しようとすると「特定秘密保護法」で阻止される事態が切迫しています。

「特定秘密保護法」は政治的情報や思想の表現の自由を阻害するばかりでなく、「食の安全」に関わる情報の公表にも縛りをかけるものです。

どのような健康法を学び、実践しようが、肝心要の「食の安全」が保障されなければ、健康的な生活のすべてがバカバカしい漫画のようなことになってしまいます。

来年は、この問題に触れる機会を増やしたいと思っています。

.30 2013 未分類 comment0 trackback0

今日用と今日行く

教養と教育などと言うヤボ話ではありません。
今日用事があるか、今日行く必要があるかという話です。

昨日、仕事中に患者さん(経営者)から聞いた話です。
若い頃に、ある大商社の社長から聞いたとても印象深い言葉だということでした。この方は60歳台後半ながらまだバリバリの現役で毎日張りのある生活をしておられます。私から見ると、多少多忙すぎるのでないかと心配なのですが・・・。

さし当り、リタイアしたばかりの人は、「今日用がなく出かけていく必要がない毎日」ということになります。
これは辛い。

とは言っても、定年まで勤めて満期退職の人は予測される生活ですから事前に時間をかけてシミュレーションができます。それでも、実際にその局面に立たされると大変な葛藤を迫られると思います。

では、働き盛りのど真ん中で突然解雇されたり、いわゆる窓際に追いやられた人はシミュレーションする時間の猶予もなく、「用がなく行く必要のない生活」に落とされてしまうことです。これはもっと辛い。

この問題は、軽軽に論じるほど生易しい話ではありませんし、深入りは今回の目的ではありませんのでこのくらいにします。

そうして考えてみると、年寄りの病院通いをあながち批判ばかりもしておられません。
今日病院に行く用事がある、病院に行く必要がある、担当医と約束している、約束は守らねばならいということは、年寄りにとってある種の生きがいになっている。

病院に行く前日から大騒ぎをし、当日はさらに大騒ぎをして、歌舞伎か音楽界にでも出かけるかのようなはしゃぎ様をする老人を何人も知っています。これは老人の精神的癒しになり、体力強化になっているのかもしれません。

日本の保険医療制度は功罪相半ばする制度であることは多々論じられ、多くの国民も実態を認識していますが、通院しやすい制度であることが功の一つになっています。3時間待ち3分診療であることもまた、時間リッチな年寄りには好都合な側面もあるのかもしれません。

毎朝の通勤時間帯のラッシュアワーの電車に乗り込んでくる老人たちのほとんどが、大きな病院や大学病院のある駅で降りていきます。

男はそれほどでもありませんが、女性はとてもオシャレをしています。いずれにしても、ドクターに会い、短時間でも自分の身体のことを聞いてもらい、処方箋をもらい、薬店に行く。そこでも、薬の服用の注意について話がきける。

この全てが、この老人たちには欠かせない「用」であり「行く」必要のある大事なことなのです。社会システムとの唯一の関わりになっているのでしょう。願わくば、処方箋の大部分は破棄してほしいと思いますが、ドクターとの信頼関係を維持するためには、あるいはドクターとの義理を果たすためにはそのような不義理はできない。善良な方々が多いのです。

リタイアした後は、可能ならば、趣味の会などに「今日用があり」「今日行く」必要があるという生活をしたいものです。家族や他人が何と言おうが、「今日用」と「今日行く」生活を堅持すべきです。

残念ながら、あの世での生活のシミュレーションはできません。
ですから、「黄泉の国」に「今日用」があるので「今日行く(逝く)」のだという時が突然来ることは大歓迎です。

その時が来るまでは、「今日用」があり、「今日行く」という状況を大事にしたいと思いますし、それをなくす時に備えて日々シミュレーションをしながら生きていくことをあらためて意識させられました。
.28 2013 未分類 comment0 trackback0

思い出メタボ

五木寛之氏の文章の中から戴いた言葉です。
片づけるというテーマで論じておられたのですが、妙に心に残った言葉です。

一年が経つのは早い。しかし、一年が経ってみると実に様々なことがあり、やはり一年は一年です。こうして思い返してみますと、毎年のことながら有意義だったこと、楽しかったこととともに、消しゴムで消せるものなら消し去りたいことも多々あります。

政治的事象や社会的事象は変質者による殺傷事件などを除けば、忘れるというわけにはいかないことがありますが、個人的なことになると忘れようが覚えていようがわが身の勝手です。忘れたいと思うことは積極的に脳から排除することができます。

生来、都合の悪いことは忘却の彼方に追いやることが得意でしたが、歳を重ねるに従いその能力にますます磨きがかかり、いま思い出そうとしても細部はすでに消えかかり、文脈としてはっきり認識できなくなっています。

かと言って、楽しかったことでも覚えておきたいほどのこととなるとそれほどあるわけではありません。他愛のないことばかりで、若い時のような心を震わせるほどの感動を覚えたわけでもないからです。

高齢者仲間には、大した事でもなさそうなのにやたら感動して見せたり有難がったりして自らの士気を鼓舞するようなタイプの人が居ますが、傍から見ていると「疲れそう」と思います。やたらと、愛想笑いを振りまき、こまめに動き回り大きな笑い声をあげている人もいますが、そのエネルギーには感心するばかりです。

こういうタイプの人ほどタフな神経の持ち主で、終われば瞬時にすべてを水に流すように忘れ去り、次の機会に備えることができるのかもしれません。直後にさっきのことを尋ねても「うん?」てなもので、すでに忘れているのかもしれません。積分は不得意でも、微分の問題の解糖が得意なのかもしれません。

というわけで、年末に当たり脳内の粗大ごみはそれほど溜まってないようですし、思い出メタボなる脳内脂肪もたまっていませんので、意識的にはストレスはありません。

一方、なんだか書類の類は結構溜まってしまっています。
送付される雑誌やその他の郵便物は、すぐ目を通して即日処理をモットーとしているのですが、これがなかなかうまくいきません。

決断力が鈍ってきたのか、決断を先送りすることが多くなり、各種の雑誌や文書が、あるいは送呈される書物が積みあがってしまっています。
この中には応答しなければならなかったものが、しないままになっていたものもあり、年末に非礼を詫びたりしなければならいことも幾つかあります。

消化吸収能力が衰え、排せつ能力もダウンした典型的な肥満体質のようなものかもしれません。不健康な生活は身体的なことに限ったことではないようです。

いまは、すべてを自分でしなければなりませんので、少しの躊躇が無礼につながってしまうということです。

来年こそは、即日決断即日処理を徹底して身の回りを常にすっきりさせたいと、何度目かの決意を新たにしているところです。

身体的メタボと同じく思い出メタボというか、精神的な脂肪も良く燃やしてすっきりとした心身を心がけたい。

身体のフットワークを軽くすると同じく、心のフットワークをも軽妙にしたいと思っています。

書類の処分、書物の処分、衣類の処分、心の重荷の処分と、年末は処分に多忙を極めます。
.27 2013 未分類 comment0 trackback0

忘年会の齧り付き(かぶりつき)席

今年に忘年会はあと一つ、遠慮のない仲間の「年末の宴」を残すのみとなりました。
ゴルフ・釣り・カメラなどの趣味の関連三つは出席を断りましたが、業界関係は腐れ縁がいまだに続き今年は5回ほど出席しました。それほど望まれてもいないのですが、お世話になった諸先輩にお会いできる機会が忘年会だけとなってもいますので出ています。

苦痛だった酒は、下戸宣言して以来無理に飲まなくても許してもらえるようになりましたから、昔に比べると随分楽になりました。それでも、酌に来る人が居ます。他人を道連れにしないで勝手に飲んでろよ、と内心腹が立ちますが、そのような人も少なくなり食事をゆっくり頂けるようになりました。

パーティーや宴会は立食がいいですね。
着席だと年齢順になりますので、年々「あの世」というステージの齧り付きに近くなります。私も、あとひとテーブルで名誉ある悲しい齧り付き席に座らされる忘年会があります。

もう来年はお会いできないかもしれないと思い、丁重にご挨拶をする大先輩のうち三人の方は、90歳を過ぎてなお矍鑠としておられますますお元気なご様子に脱帽します。
70歳を過ぎた私を、今も若造扱いをしてくださる貴重なご老人たちです。
ステージに登壇してご挨拶をなさいますが、声量も豊かで艶のある声です。皆から陰で「怪物」だの「お化け」などと言われもしているようですが、大したものです。

毎年参加して元気な姿を誇示もしておられるのでしょうし、いまや聞く人とてなくなった先輩としての訓示のようなことをするのを楽しみにしておられるのかもしれません。
ほとんど聞いていない最近の若い後輩たちの態度にハラハラしますが、ご当人はそんなことにはお構いなしに、エンドレスではないかと不安になるほど長話をされます。

このような光景を見ていますと、どうやらいつまでも出ていないでそろそろ潮時ではないかと内心感じています。
来年からは一年おきくらいの参加で十分ではないかと思うようになりました。
70歳台は、すべての忘年会は一年おきというのがよさそうです。

忘れるほどのこともないし、覚えておかなければならないことも忘年会までには忘れてしまっていますから、何のための忘年会なのかもよくわからなくなってきました。

数年前から、忘年会をやったら新年会はナシという会が増えてきましたのは大助かりです。その両方をやるのは無駄だと思っていましたのでこの傾向は大歓迎です。

残る一つは、某事業家がスポンサーとなってもうすでに25年続いています。私たちの会費は形ばかりの格安にもかかわらず、会場といい料理といい、百名ほどの参加者の顔ぶれといい、なかなかの会です。

特に選ばれた3名が今年一年の活躍の報告をするスピーチ以外は皆が勝手に楽しむ忘年会です。忘年会にもかかわらず、新たな思い出を作っている人もいるようですが、私にとって貴重な集まりです。

ここ数年は、討論・議論・口論は止めにして、会話・談笑をモットーとして、しこりや恨みが残らないように気を付けていますので、これが終わるとさっぱりとした気分で新年が迎えられます。

対人関係で血圧をあげたり、ストレスを背負い込むことはもう止めにしました。
長生きしたいとは思いませんが、病気になるのは避けたいからです。
このようにしますと、今までの自分が知らなかった新しい世界が開けてきたような気がします。錯覚と勘違いでしょうが、これもまた楽しからずや!ですよ。
.23 2013 未分類 comment0 trackback0

天皇誕生日に想う

今朝のNHKで、天皇誕生日の特集をゆっくり観ました。
傘寿を迎えられた今上天皇のご風姿に、あらためてわが身を鏡に映してみました。

私の中では今でも天皇陛下と言えば「昭和天皇」なのです。天皇という言葉を「音」で聞いたときにイメージされるのは昭和天皇なのです。
今上天皇は、軽井沢でのテニスの御姿がいまだに頭に染みついていて、いまでも「皇太子殿下」という気がしてなりません。

「昭和天皇」のご誕生(1901年、明治34年)と私の父の誕生と年度が同じが故に、私が実家を離れ大学に通うようになってからは、毎年の天皇誕生日(4月29日)は、父の年齢を思い浮かべ、遠く離れた父のことを思い浮かべる日だったからです。父の誕生日自体は2月11日で私と同じですから忘れる筈もありませんが、毎年のゴールデンウイークの休日に強く父の年齢を感じていたからだと思います。

父は、昭和48年に亡くなりましたので、その後は天皇誕生日が来るたびに「父が生きていたら今年で何歳」と、死んだ子の年を数える親のような思いを重ねてきました。1989年、昭和64年1月7日に昭和天皇の崩御の報に接したときは格別の寂しさを覚えました。
父も、せめてこの年まで生きていてくれたらと涙にくれたものです。

今上天皇の御即位があり、平成時代が始まり、天皇誕生日は12月23日になりましたが、いまだに私の頭には定着せず、いまでも4月29日が「天皇誕生日」であり、父の年齢を思い浮かべる習慣から脱していません。

被災地のお見舞いなどの行幸の報道を観ますと「皇太子さまも大変だな」と漏らす私の言葉は周囲を苦笑させてきました。ご即位以来25年も経過しているにもかかわらずですから、苦笑されるのは当然です。

今上天皇についてさえこれですから、現在の皇太子さまのことになると印象が極めて薄いのです。皇太子という重い立場の方とは到底思えず、ときどき戸惑いを覚えるしまつです。

さて、今上陛下のことですが、80歳におなりになったということは私より9歳のご年長ということになります。今朝のNHK の特集であらためて確認し、同じ平成を生きる老人の一人である自分を認識しました。

私の中の溌剌とした皇太子の御姿はすでになく、傘寿を迎えられた御姿は紛れもなくご老人であり、戦後の皇室に関わる幾多の風雪を耐えてこられた歴史を、そのご顔貌の中に感じ取ることができました。
美智子妃殿下とともに、静かに重責を果たしてこられたことが映像からよく伝わりました。

たまたま観た今朝の特集を境に、私に中で「天皇は平成天皇なのだ」という切り替えがやっとできたようです。

今上天皇陛下は平成天皇である「昭仁殿下」であるとはっきり認識できました。
25年も経過してからのことですから笑止と言えなくもありません。

これと同じように、認識を改めなくてはならないことは多々ありそうです。
年末を期に、そのあたりを洗い出して頑固に居着いている思い込みの点検をしてみようと思っています。


.23 2013 未分類 comment0 trackback0

ノンフィクション作家 フィクションに迷走

猪瀬都知事が窮地に陥っている模様。
嵩にかかって攻めたてる都議会議員各氏が、さながら獰猛な野獣のようだと猪瀬氏に同情的な声もないではない。

しかし、「真実に温度はない」ということです。

ここは、冷静に真実を追求して的確な判断が求められる。

政治家の発言ミスは訂正してお終い。
誤表示も訂正してお終い。
禿頭を三個並べてハレーションさせればお終いというお国柄ですから、今回の顛末も終わってみなければわかりませんが、このような事態は蓋然的な判断をするしかない部分があることは事実ですから、いったいどうなりますやら!

マスコミも政治家を責め立てる資格も力量もなくしていますし、国民もゆるいし、メディアに出ている評論家各氏もTVから干されないようにするのが第一で、ディレクターの演出どおりのコメントだから聞くだけバカバカしい。

猪瀬氏を追及する都議会の委員会の光景を見ていて感じることは、猪瀬氏が都知事の椅子に相応しくないということです。
当選したときから、ミスマッチな人物が選ばれたものだと嘆息しましたが、その嘆息が持続したままの現在、当の本人が糾弾される事態に至ったことは至極当然のような気がします。

千葉県知事といい、かつての都知事や宮崎県知事といい、このところ日本はいったいどうしたのかというような事態が起きていることに憂慮していました。

芸能人としては一流なのかもしれませんし、作家としては一流なのかもしれませんが国家のあるいは自治体の首長としてその任を託するに値するのか、私には不思議な現象としか言えません。

猪瀬氏は自らを、フィクションの構成力がないノンフィクション作家だと観念してさっさと退場していただきたい。

.14 2013 未分類 comment0 trackback0

チャラ爺(チャラジー)(チャラ男に非ず) モ爺(モジ)(モボに非ず)

チャラ男とは、「チャラチャラした」と形容されるような、言動が軽薄な若い男性のキャラクターを指す日本語の若者言葉の表現とのことだそうです。
モボ・モガは、「モダンボーイ」を略していった語。1920年代(大正末期から昭和初期)に、西洋文化の影響を受けて新しい風俗や流行現象に現れた、当時は先端的な若い男女のことを、主に外見的な特徴を指してこう呼んだ。戦前の日本の若者文化では、もっとも有名な例である(以上、ウイキペディア)とのこと。

今日、私は午前中は代官山で友人と、午後は恵比寿で仕事、夕方以降は表参道で友人たちと会食という気忙しい一日を過ごしました。

たまたま、代官山―恵比寿―表参道という、都内でも癖の強い界隈でした。
帰宅したら、朝のウオーキングを含めて25000歩もカウントされていましたから、随分とほっつき歩いたものだと我乍ら感心しました。

そこで目についたのが、ちょっと個性的な老人たちです。
チャラ男(お)とは若い男に限定したものではないのじゃないかと思わざるを得ないような「チャラ爺(
ジー)」が結構居ることに気が付きました。

開いた口が塞がらないような、仰天しそうなくらいの奇抜な装いと軽薄そうな身のこなしのご老人が居て、しばらく見つめてしまいました。という私も、時折ぶっ飛んだ格好をすることがありますし、軽薄さでは人語に落ちないという側面がありますので、そのご仁を批判しているのではありません。

身体つきもしっかりして居られましたし、所作が軽妙洒脱な感じというのが適当なのかもしれません。身なりを文字で表現できないのがもどかしいのですが、顔貌から所作のすべてが、その装い以外に似合うものはないと言い切れるほど様になっていました。

一方、もう一人の人はご夫婦で歩いておられましたが、元商社マンか外交官。このように思うところが、定型的なマンネリ化した印象しか持てないところに私の限界を禁じ得ませんが、わかり易く言うとそういう感じの老人でした。

品のいい奥方とのカップルは、良質な上流の品格が漂ううらやましいような風姿でした。
皮のジャケットを意気に着こなして、頭から足もとまで完璧な装いをして居られ、貴族階級というのが日本に存在していたらこのようなご仁のことを言うのだろうと、このお二人にも目を奪われてしまいました。

これから、しばらくは高齢者が人口に占める割合が増していくことは事実です。

現在元気のいい老人たちは、おそらく60年安保の世代だろうと思われます。
左だろうと右だろうと日和見だろうと無関心派だろうと、それなりに立ち位置を明らかにせざるを得なかった世代。

ほとんどの人は、転向と言われる生き方を選択し、仕事に没頭することで心の痛みに整理をつけてきた世代です。
心の中に、強烈な個性の炎を灯しつづけてきた人も数多く居る筈です。

このような老人たちがリタイアーして生活のリズムの変換ができたころから、封印していた昔の青春時代の批判精神や闘争心、忘れた振りをしていた主義主張が長い冬眠から覚醒し始めているような足音を感じます。

これから、いかなる高齢者の風俗や文化が開花するのかがとても愉しみです。

「年寄りなのだかこうしていなさい」という旧来の定型的生き方は否定され、「年寄りだからこうするのだ」という主張の中から、なにやら面白いことが起きてくる予兆を感じています。

若い世代に道を空けながらも、「高齢者階級」としての「生き様と死に様」をプレゼンすることを、自信をもって行うことを躊躇すべきではないと思わされた、気忙しい一日でした。
.10 2013 未分類 comment0 trackback0

身の躱し方 あまり利口ではない訓練

朝のエクササイズを終えて、早朝から営業している駅構内の喫茶店で水分を補給し、珈琲を一杯飲んで一休みすることを常としています。その後、帰路につくわけですが、地下鉄からJRに乗り換えの人の流れに逆らって歩くことになります。

通路いっぱいに広がって前方から進軍(?)して来る人たちには恐怖を感じます。
全員が、眦を決した引き締まった面持ちで競歩まがいの歩調で迫ってくるからです。
そのわずかな隙間を狙って、衝突しないように縫って歩くのは高度なテクニックを要します。駅の外に出て歩けば多少は楽ですが、外は外で前方から同じような軍団(?)が襲いかかるような勢いで迫ってきます。

いずれにしても、彼らの邪魔にならないように歩くのは至難の業です。
私は、この難行を敢えて選んで、反射神経と、身体の躱(かわ)し方の訓練をしています。気分が乗らずに身体が重く感じるときは、駅の外に出て脇の小道をのんびりと歩いて帰宅しています。

時折、原則的には通勤者たちの邪魔にならないことを心がけていますが、ある試みをすることがあります。

この人の逆流に向かって、その流速と同じペースで歩けるかどうかということです。
呼吸を整え、肩を多少いからせ、目力をみなぎらせ、胸を張って大股で逆流に飛び込んでいきます。

向かってくる奔流の粒子(人)をさっと躱してすり抜けることが第一で、こちらが発する威嚇的迫力で相手を避けさせることが第二、強気の相手とは本意ではないが肩の衝突が第三。正面衝突してトラブルが起きることが第四。最悪の事態が第五。

第三、第四、第五は半ば冗談でして、そうならないように、通勤で急いでいる相手が優先ですから譲るところは譲るようにしています。
子供の頃、川で、逆流に逆らって泳ぐ競争をよくしていましたが結局は逆流のエネルギーに完敗して、勝負より先に押し流されてしまった経験があります。
怒涛のように押し寄せる人々のの奔流にはとても敵いません。

駅の通路は150mほどですが、限定的ですからたまには成功しますが、一人か二人には肩がぶつかります。互いに加減していますので荒ぶることにはなりませんが、危険はいっぱいです。

このハイテンションの人の流れの中には、本人の意思とは違って、急き立てられ追い立てられるような強制力に逆らえず、本意に非ずの歩き方を強いられている人も多くいるはずです。

朝の通勤時から交感神経の緊張を強いられ、会社に行けば一日中ストレスにさらされ、遅い時間の帰宅時には再び交感神経緊張型の歩行を繰り返す。たまには方向をかえ、ガード下の飲み屋で緊張を解したいと立ち寄れば、誤表示の食べ物を食べさせられ、添加物だらけの酒を呷らせられる。

家に帰れば、冷たい家族のさらに冷たい視線に耐えなければならない。

そのような一日の物語を想像してみると、人が健康に生きていくということは、もうすぐ死んでいく老人に与えられたひと時の安らぎなのかもしませんね。

身を躱す練習というのも、朝の単なるお邪魔虫以外の何物でもなさそうですから、もう止めることにしましょう。
瞬時の身体の動き、とっさの事態に対する反応訓練は何か別の方法を考えなくてなりません。

バリアフリーに対してバリアアリーナ(バリア有り~ナ)というのがあります。
自宅でも、あまり便利で安全にしてしまわないで、何か行動をするときは多少は不便にしておくことも大事だし、うっかりすると軽度の危険に遭遇するくらいの状態にしておくことも案外大事なことだと思っています。

止むを得ず、自宅の窓辺の陽だまりで一日中のほほんと過ごさざるを得ない時までは、身体を動かし、運動神経と反射神経を養っておくことだと思います。

私のような、闘争的な愚行はなさらないでください。
私も、何か平和的な方法を模索しますが、そのような平和的方法では、いざというときに何の役にも立たない防災訓練のようなもでしょうが・・。
.05 2013 未分類 comment0 trackback0

車離れをした友人

「おい、お前に倣って車をやめたぞ」と、74歳の友人から電話が来ました。
整形外科医としてまだ現役の男です。

さて、何をするにも何処に行くにも、徒歩の生活を開始したと大した鼻息です。すでに一週間ほど経過しているそうですが、禁断症状に悩んでいるようです。
つい、車庫の方に足が向き、「車は無いのだ」と気づき、徒歩用の靴に履き替える時多少の後悔の念に襲われるらしい。車庫は書庫に改造するそうです。

私も、車離れをした当初、寂しさ、不便さ、不自由さ、無力感を随分と味わいました。

武士ならば愛馬を手放したのですから、その喪失感は生半端なものではありません。連れ合いを喪失した時とはまた別の哀感でしょう。

モータリゼーションの萌芽の頃からの自動車のある生活を当然としていたのですから、手足を捥がれたにも等しい寂しさを味わいます。

私の場合は、22歳の頃からほぼ半世紀の間、愛馬であり親友であり我が子であり伴侶であったのですから、別離は耐え難い苦しみがありました。

若い頃、車のローンというものが始まり、月賦と何処が違うのかと反撥しながら、その支払いに追われ、それこそローンレンジャーのようなストレスフルな毎日だったことを思い出します。
月賦という表現がなくなりローンとカタカナ語で言われるようになって、肩身の狭さや湿っぽさを感じなくなり、気楽に借金をする"カモ"になってしまった苦い人生を味合わせてくれたのも"車"でした。

運転免許証は未練たらしく持ち続けています。高齢者講習も受けたのですから、未練も筋金入りです。

さて、歩行者の側に立って初めて感じることはたくさんあります。

人間が様々なように、走行する車にもドライバーの人間性が現れています。

紳士淑女的なエレガントな車、普通の無個性な車、見栄っ張りな車、ヤクザのような車、チンピラのような車、不見転芸者のような車、成り上がりのような車、権力思考の車、地味な佇まいの車、倹約型の車、札びらを切るような車、喧嘩腰の車など、様々な車が走っています。正直に言って、屈辱的な気分にさせられることが多々あります。

車離れをして、後悔と寂寞感と無力感はありますが、覚醒したことも多々あります。2年経過してやっと覚醒感が喪失感と同じくらいになりました。

歩くことで、体調が良くなり、無駄な出費がなくなり、事故や故障時の心痛からの解放、加害者の立場からの解放、法的束縛からの解放など、もう失いたくないメリットの恩恵に浸れるようになりました。
総合評価としては、五分五分というところでしょう。

それでも、日々老化していく身の程を考慮すれば、手放した方に軍杯をあげるべきだと思っています。
友人が再びマイカーに戻るか否か、暫く様子を見てから、"車のない生活"について大いに語り合いたいと思っています。

そして、止めさせたい友人もいますので、そのうちお節介をやいてみましょう。

ただし、自動車を持っていてもちっとも構わないことは当然です。朝夕、ウオーキングをしたり、昼間仕事の合間にジムに行ったりと、必要な運動を欠かさない人も大勢います。
車離れをしたからと言って、健康が保証されるわけでもありません。

私の場合は、車が面倒になったというのが第一の理由です。
以前にも書きましたが、車に関わる国家の介入が煩わしくバカバカしくなった、というのが第一の理由です。

なんだか、車に乗せていただいているような、高速道路は走らせていただいているような、ガソリンは入れさせていただいているような、駐車をさせていただいているような、そんな感じが強くなったからです。

「もう、歩いていた方が気が楽だよ」というのが本音です。

そうしたら、すべてを足で解決する、昔気質の刑事のような生活になり、それが体力の増強につながり、何かと健康面で好循環になったということです。副次的な恩恵です。
車離れの友人も同じような趣旨からだと思います。
彼は、健康のために、「車を止めよう」なんて“タマ”ではありません。私もです。
.04 2013 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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