老人の性

November.18 2013の当ブログで掲載した「電通戦略十訓」に追加されるような戦略があります。それは、「年齢を忘れさせよ」です。

女性の場合は、「美熟女」なるもののコンテストがあり、実際は兎も角、TVや写真などの映像を見る限り仰天するほどの美女に目を疑うほどです。もっとも、添加物だらけの不健康な食べ物が持つ特有の汚臭を感じるのは、見た目より脳がそのように感じるのかもしれません。しかし、これは時代のあだ花と笑って済ませられます。

後ろ姿は、ギャルのような女子大生のような女性が、振り返ったとたんにさっと背を向けたくなるような摩訶不思議な女性を街場で見かけることもあります。これも、何かの間違いとしてやり過ごすことができます。

さて、悩ましいのは「老人の性」です。
このところ、週刊誌雑誌に頻繁に特集される「高齢者のセックス」には困惑しています。
かと思えば、「老人のストーカー」の存在が報道番組などで俎上に上がり、何かと興味半分に取り上げられ、シタリ顔のコメンテーターがわかった風なことを論じて関心を煽っていることも悩ましい問題ですし、腹立たしく思っています。

高齢者のストーカーが増加傾向にあるという報道に、たまたま起きたストーカーと認定される事件の発生を、面白おかしく大騒ぎするマスコミ特有の軽薄な取り扱いだと聞き流していましたが、どうやらそうでもないようなのです。

マスコミの知人に実態はどうなのかと訊いてみました。
高齢者の万引きの激増とともに、高齢者の性犯罪は確実に増加傾向にあるとの話に暗澹たる気分に陥りました。
これでは、青少年の犯罪防止対策と同じように「高齢者の犯罪防止対策」が公然と話題に上がるときが来るのも時間の問題となっても不思議ではありません。

「不良高齢者」が逮捕され、少年院ならぬ「老年院」に収容される時代が来るのかもしれません。出所後は、保護監察され日常生活が監視される。本人の理性は老化の進行で日毎に崩壊するわけですから厄介な事件を起こし続けるのかもしれません。

高齢者の医療、介護に続いて「犯罪防止対策法案」ということになれば、高齢者は社会に迷惑をかけ過ぎではないかと懸念せざるを得ない事態に至っていると言えます。

その中で、以下のような報道には複雑な心境に導かれてしまいました。

勢いづく「70代の性」
「ホテル街を闊歩する高齢者と若い女性のカップル」
という報道です。

若い者が勢いをなくす一方、ED治療薬の利用は常態化し、本能も機能も倍加する老人が増えてきた。
一昔前まで、70代の客などはほとんどいなかった。ところが、金曜日の夜などは、親子とは違う、孫娘とも思えない歳の差の激しいカップルが客の半数を占めることも珍しくないとの、ラブホテル経営者の談など。

「風俗営業法に触れない方法で、ボランティア精神に近い立場で、老人たちの性処理ができるビジネスを起こせないかと模索しています」という業界人の談話には、苦笑せざるを得ません。介護の資格を持った風俗嬢をそろえるつもりなのでしょうか。

あと数年は、元気なリタイアーが世の中に出てきます。
この膨れ上がる高齢者市場は、ますますビジネスのターゲットになります。

従来では考えられなかった、新しいライフスタイルの提案、スポーツ・遊戯・ファッションなどの提案と相まって、性生活への提案も各種のものが立ち上がってくるのでしょう。

このような傾向が、どのような社会を作り上げるのか。
若い者たちとの折り合いはどのように変化するのか、興味と不安は尽きません。

若い者は、老人の経験は時代遅れで参考にならない。知識は、老人や親や教師より、手っ取り早くパソコンやスマホに頼る時代です。あるいは、未来は、情報誌やネットで学ぶ時代になりましたから、老人の活用度は低くなるばかりです。

年金を食いつぶし、医療費は使い放題、小金を握って若い者の世界に土足で踏み込む高齢者たちが増えるこれからの社会で、いったい何が起きるのか?
どんな摩擦が激増するのか?
自分の老化の進行を受け入れながら、自分の年齢を忘れないで、世の中の推移を興味を持って観ていたいと思う次第です。
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.29 2013 未分類 comment0 trackback0

防寒着の進化はありがたい

この時代に老人として生きていることの幸せの一つは、防寒着の進化です。
ダウンのことです。このダウンというものを初めて着用したのは、50歳代半ば過ぎでした。

当時、「ヘラブナ釣り」に凝りに凝っていました。もっとも、何か始めると凝りまくるのは私の習性でして、一年半ほどは病的に嵌っていました。止せばいいのに、真冬の「寒ベラ釣り」にまで及び、さらに止せばいいのに、冬のダム湖の「寒ベラ釣り」にまで出かけていました。

その折、究極の防寒着という「ダウンコート」「ダウンジャケット」というのが現われました。寒がりの私はすぐさま飛びつきました。それは良いのですが、当時のダウンは、風船を縫い合わせたような、大きい発泡スチロールで出来たような異様なモノでした。

着膨れなんてものじゃなくて、まるで月面着陸のアポロの宇宙飛行士のような、シロクマに大きい湿疹ができたような不細工なモノでした。ただ、軽くて暖かいというのが購入の動機となっていました。登山やスキーなどの冬のアウトドアースポーツ分野から、釣りやカメラ撮影へ波及し、タウンウエアーへと進出したのだと思います。

私にとっては、釣りには最適でしたが、カメラにはモコモコしてとても使えない、ましてやタウンでなんて不恰好で着られたものじゃありませんでした。

ところが、この一二年のダウンウエアーの進化には目を見張るものがあります。
昔、長袖の綿やウールのシャツを重ね着し、その上から毛糸のセーターを着込み、さらにジャケットを着、羊毛のコートを着て外出していた時代とか隔世の感があります。

街中を「芋虫」が行列しているような奇怪な光景が日常的なってきたという面は否定できませんが、私も喜んで「芋虫の一匹」になっています。

冬の外出が怖くなくなり、朝のエクササイズも積極的に出かけられるようになりました。そのうえ、運動していても肩がよく回り、防寒着を着ているという感覚すら忘れてしまっています。

ダウンジャケットを着ると、背中が丸く見え年寄りの身体がさらに年寄りじみて見えます。ということは、若い者も年寄りっぽく見えるのですが、最近は、身体のラインにフィットした洒落たものも出たそうです。
アポロの飛行士スタイルから随分と変化したものです。

温かくて軽い。とても軽い。
もう、ズシリと重い昔の冬支度はできません。

5年前に、男性用のロングのダウンコートを手に入れて以来、毛のオーバーコートや皮のオーバーコートはクローゼットの奥で無聊を託っている始末です。未練たらしくて我ながら情けないのですが、カジュアルでは格好がつかない外出先も多少はあるものですから、いまだに保存しています。

静電気の懸念はありますが、肌着も下着も「ヒートテック」などと言う「喘息の症状」のような名称のウエアーも進化してくれましたので、「伊達の薄着」が現実のものとなり、肩が凝るような重装備の冬のファッションから解放されたのは何よりうれしい。

この時代に生きていて、この時代まで生きていて嫌なこともいっぱいですが、この着るものの進化は「よかった!」と思えるモノのうちの一つです。

まだまだ街場では、着膨れ重装備の疲れ切ったローマの歩兵のような「オジーさん」が沢山います。そのまま、手始めに「ユニクロ」あたりに飛び込んで、下着から取り替え、軽い長そでを着てその上にダウンジャケットというファッションに変えてしまうと良いと思います。今まで着ていたものを袋に入れてもらうと、その重さに仰天すると思います。

そのファッションに馴染むと、冬が怖くなくなります。高齢化して、寒中の外出が億劫になっていた老人も外出が楽しくなり、温かくて肩も凝りません。

屋外で軽い運動をしても、厚着時代とは天と地の違いがあります。

私は、いまは66㌔前後の体重ですが、3年前までは95㌔近い肥満体でした。肥満体が重ね着しますとさらに10㌔近くの重荷を背負っていたことになります。今では、とても考えられないし許しがたいことです。足腰の悲鳴が聞こえてきそうです。

これらのウエアーは高齢者の健康に寄与するところ大であると保証できます。
ユニクロから頼まれたわけではありませんが、入門としてはユニクロあたりが適当だとお勧めします。大衆衣は嫌だという人には、高価なものはいくらでもあります。しかし、本人が思うほど、着ていて差がありません。特に年寄りは、体型が体型ですから!
安いもので十分ですよ。
.28 2013 未分類 comment0 trackback0

人身事故という飛び込み自殺

 今日の午後、JR山手線の恵比寿で乗車した直後、渋谷で人身事故があったとのアナウンスで車内に閉じ込められました。夕方、今度は都営新宿線の京王線内での人身事故の報が入りました。立て続けです。

私のiPhoneの路線情報には、中央総武線・山手線・田園都市線・京成線・都営新宿線の五路線を登録していますが、毎日のように人身事故の報告があります。

私は、「人身事故」という言葉を聞くと瞬時に「飛び込み自殺」という言葉に変換され、そのたびに4歳の頃の暑い夏の昼下がりの光景がはっきりと瞼に浮かびます。
その光景とは、北九州筑豊の旧国鉄の石炭搬出路線での光景です。

4歳の私が炎天下の鉄道の脇を歩いていましたら、炎熱の陽炎が立ち上るような中で、竹の箸を線路の上で動かしている老婆(当時の私にはそのように見えました)が居ました。何かの歌を歌いながら、線路や枕木から何かを剥がしながら摘まんでいました。

物見高い私は、そのまま無視することはできず線路に上がっていって老婆に近づいてみました。
「なんしよっと?」と訊きましたら、
「可哀想な娘の肉と骨を拾いよったい」と、ぼそぼそと答えてくれました。

いったい何が起きたのか瞬時にはわかりませんでした。
しかし、摘まんでいるモノをよく目を凝らしてみてみると、何やら赤いモノと髪の毛らしいものでした。間もなく、肉片と毛髪であることが私にもわかりました。

「朝方、飛び込んだったい」
「なんが悲しかったんやろか」
「可哀想で堪らんばい」

私は、
「飛び込み自殺したとね?」と聞き返しました。
当時も、珍しいことではなかったのでしょう、飛び込み自殺ということは何度も耳にし、それがどういうことであるかということはよく知っていたのでしょう。

それから数十分、私も箸を借りて老婆に倣って、「なんまいだぶ、なんまいだぶ」と念仏を唱えながら、娘さんの飛び散った肉体の破片を拾い集めました。私の目にも涙があふれてきたことを忘れ得ません。

事故とは、悪い出来事、思いがけず起こった災難と辞書では定義しています。
悪い出来事であることは確かです。思いがけず起こった災難は、鉄道会社にとっての災難を意味していると思われます。

「人身事故がありました」ということは、「電車にとって想定外の災難が発生しました」ということになります。

「そうか、人身事故か」と、我々は事の真相より、「またか、迷惑だな」というくらいにしか捉えられなくなってしまっています。

私は、内心「飛び込み自殺か」と、数十年前の光景とともに胸が締め付けられるような感情に襲われます。そのような報に接するたびに、心で念仏を唱えるのが習慣になっています。

3万人の自殺には、3万とおりの理由があると思います。
どのような理由があるにせよ、あの老婆のような悲しみに打ちひしがれる人が居るに違いありません。なんともやるせない気分に陥ります。

理由には共通のものがないとは限りません。
たとえば、向精神薬であったり、血圧降下剤であったり、今流行の禁煙薬であるかもしれません。これらには、自殺衝動を引き起こす副作用があると言われています。
米国では、副作用として公開されているものも、日本では曖昧なことがあります。

毎年3万人超という数字は看過できるものではありません。
数多ある理由の中で、防げるものは何としても防ぎたいものです。

薬剤によるものが無視できない。
投薬には慎重でありたいし、薬を求める側にも慎重さが欲しいと、車内で閉じ込められた状況で考え込んでいました。
.26 2013 未分類 comment0 trackback0

老人二人の会話は愉しい

図書館でコピーした仕事関連の資料を、帰宅するまでに整理しようと思い駅にある“ドトール”に入りました。満員状態でしたが、奥の隅に座席がありましたのでホッとして座りました。隣は、男の年寄りが二人対面して大声で話に夢中状態でした。

このような店は座席間が近いので、大声で話をされると五月蠅くて困ります。
私も着いたばかりですから気持ちを静めるために、作業をしないで目をつむって休息することにしました。そのうち二人が居なくなるだろうと思ったからです。

なにしろ声が大きいので話の中身はいやでも耳に入ってきます。声の迫力といい話のテンポといい実にエネルギッシュで、元気のいい老人たちですが、話の内容の大部分は自分がいかに病気をたくさん抱えていて苦労しているかの訴え合いです。

「元気いっぱいの病気の老人がいる」ことに驚いてしまいました。対話の間中、姿勢といい、声の大きさといい(かすれ声ではありますが)、なかなかのもので到底病人とは思えません。
話の内容そのものはたわいないモノでしたが、私が感心したのは二人の会話のテクニックです。

私が着席するだいぶ前から話をしていたのでしょうが、二人が席を立ったのは45分後でした。「おっもうこんな時間だ、2時間近く経ってしまった。早く帰らないと寒くなる」と言いながら出ていきました。私は、小一時間ほど休養させられてしまいました。

会話のテクニックとは、
・相手の話に水を差さない。
・相手の話に反論しない。
・話の内容は聞き流す。
・相手が話をしている間は、次に自分が話したいことを考える。
・相手が話をしている間は、首肯して聞いているふりをする。
などのようです。

二人は憑き物が落ちたような、湯上りのようなさっぱりとした表情で満足気に出ていきました。反論もされず、批判もされず、思いの丈をすべて吐き出しきったという心境なのでしょう。二人は、対面はしていても、並んで座りそれぞれの前方に向かって勝手にボールを放っていただけなのでしょうが、順番はしっかり守っていたのです。決してキャッチボールだとは思えない会話法です。

久しぶりの邂逅だったのかもしれません。だから、2時間近くも話をすることができたのでしょう。

「そりゃないよ」とか、「それは違うよ」とか、私どもの年齢ではまま交わされる相手への批判であったり、自己主張をしたりということがあります。

件の二人は、80歳前後のご老人だとみましたが、見事にそれがありません。相手の自己主張を聞き流し、次に自分の自己主張をする。
頑固な老人二人が自己主張を自分の方向の空に放り投げているだけ。

人の性格はなかなか変わりにくいものです。
しかし、年をとったらこの二人のような会話ができる相手が良いのかもしれません。

気楽な会話。
ストレスが発散される会話。
思いの丈をすべて吐き出せる会話相手。
相手からのストレスを受けない会話。

会話というものの極意と言いましょうか、練達の士の会話と言いましょうか、老いたからこそ意味のある会話と言いましょうか。

相手のボールをキャッチしないで言いたいことを夫々が投げ合うというキャッチボールの素晴らしさを学びました。
いいですね!感服しました!
.21 2013 未分類 comment0 trackback0

凄まじきかな!広告業界 むべなるかな!広告業界

もっと、食わせろ    もっと、捨てさせろ
無駄遣いさせろ     季節を忘れさせろ
贈り物をさせろ     組み合わせで買わせろ  
きっかけを投じろ    流行遅れにさせろ
気安く買わせろ     混乱を作り出せ

大手広告代理店“電通”の「戦略十訓」として知られています。
この激を背に、電通マンはCMを製作しているのです。

電通鬼十則―有名ですね。
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらもない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

電通裏十則―というのもあります。
1)仕事は自ら創るな。みんなでつぶされる。
2)仕事は先手先手と働きかけていくな。疲れるだけだ。
3)大きな仕事と取り組むな。大きな仕事は己に責任ばかりふりかかる。
4)難しい仕事を狙うな。これを成し遂げようとしても誰も助けてくれない。
5)取り組んだらすぐ放せ。馬鹿にされても放せ、火傷をする前に…。
6)周囲を引きずり回すな。引きずっている間に、いつの間にか皆の鼻つまみ者になる。
7)計画を持つな。長期の計画を持つと、怒りと苛立ちと、そして空しい失望と倦怠が生まれる。
8)自信を持つな。自信を持つから君の仕事は煙たがられ嫌がられ、そしてついには誰からも相手にされなくなる。
9)頭は常に全回転。八方に気を配って、一分の真実も語ってはならぬ。ゴマスリとはそのようなものだ。
10)摩擦を恐れよ。摩擦はトラブルの母、減点の肥料だ。でないと君は築地のドンキホーテになる。

電通責任3か条―まだまだあります。
1. 命令・復命・連絡・報告は、その結果を確認しその効果を把握するまではこれをなした者の責任である。その限度内に於ける責任は断じて回避出来ない。
2. 一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。一を聞いて十を誤る如き者は百害あって一利ない。正に組織活動の癌である。削除せらるべきである。
3. 我々にとっては、形式的な責任論はもはや一片の価値もない。我々の仕事は突けば血を噴くのだ。我々はその日その日に生命をかけている。

鬼十則と裏十則は一企業の頑張り精神として笑って見過ごせますが、「戦略十則」は看過できない犯罪的な臭いがします。

戦後の日本が、混濁し汚濁し弱体化した大きな責任を負っているようです。

人物を偽装して優良な候補者のごとく仕立てあげたり、現在巷間を賑わせている「食品偽装」を作り出した元凶のようでもあります。

電通に洗脳されてしまった我々自身が作る「戦略十則」や「鬼十則」が必要のようです。
洗脳、呪縛から脱却しないと、本質が隠されてしまいます。

恐ろしきかな!広告業界!

.18 2013 未分類 comment0 trackback0

年賀状の自爆販売  卒業したい年賀状

昨日の朝刊一面の記事には心を痛めました。
数千枚というノルマを課せられた郵便局員。若い局員で大量に買ってもらえる相手のめどが立たない人は自腹を切って買い込み、金券ショップに持ち込み換金しているとのこと。その差額は局員の泣き寝入り。換金レートの高いところばかりではないし、持ち込んだ足取りが分からないように遠方の店に送ったりしているらしい。

局側としては、金券ショップなどを調査し、持ち込んだ局員の人物を特定して人事の査定に影響させるということで暗に恫喝しているとのことに、ブラック企業まがいのことが平然と行われている郵便事業というものに懐疑的にならざるを得ません。

子供の頃、60年以上も前のことになりますが、年末年始と言えば、お年玉、付録でパンパンに膨らんだ子供月刊誌、それに数枚しか書かない年賀状の楽しかった思い出があります。
以来、今日まで年末には年賀状を書くということが当然のごとくなっていました。

ところが、数年前から次第に年賀状はそろそろ終わりにしたいという気持ちが沸き上がり年々強く迫ってくるようになってきました。

子供の頃、一枚一枚手書きで、相手のことを思い浮かべ、相手のことを思いやって書いていた年賀状が懐かしい。
芋に絵柄を彫り込んで、一枚ごとに色付けをしてはがきにハン押しのようにして、毎年工夫していたことも今や懐かしい思い出です。

いつの間にか、印刷をして年賀状を作り、宛名書きだけが自筆という時代から、この10数年は、宛名すらパソコンで印刷してしまう。

便利になって手間がかからないと言えばそうですが、便利な時代は、便利な時代なりに面倒だということになります。

自分の出す年賀状が機械的、儀礼的になってしまっていることに多少の嫌悪感を抱いていますが、頂く年賀状も儀礼的、形式的なものが多くなり、あまり感情が動かされなくなってしまいました。

ここ数年、毎朝駅に到達し改札口を通るまでに3か所以上、電車を降りて改札口を出て目的の場所に到達するまでに同じく3か所以上の年賀状の販売場所があり、年末も押し詰まると、それぞれの場所で販売員の絶叫が響きます。
国民に年賀状という刷り込みを行い、足元の局員を恫喝して、半ば強制的に年賀はがきを売りつける主体はいったいどこにあるのでしょうか。年の瀬も迫り、郵便局員や委託販売の販売員の押し売りまがいの絶叫に、深く刷り込まれた感情が刺激され、ついつい購入してしまう人も少なくないだろう。

一年の間に、思い浮かべもしない相手、自分のことを忘れてしまっている相手との年賀状の遣り取りにどれほどの意味がるのでしょう。

日頃、気にかけている相手とは、いまの時代はメールという便利なツールがあります。
メールで年賀状とは失礼だと言われていましたが、いまや重要な仕事の遣り取りもメールが普通に使われる時代です。

70歳も過ぎますと、もはや卒業宣言したほうが賢明な選択と断言できる対象は多々あります。惰性で続けていることが結構たくさんあります。

まずは年賀状から卒業宣言することにしたいと、思い悩む昨今です。
.18 2013 未分類 comment0 trackback0

女の化粧は愉快だ!

 電車内で髭を剃る男を見たことはありません。
喫茶店の臨席で髭を剃る男も見たことはありません。

先日、喫茶店の臨席で化粧をする女性にはいささか閉口しました。
味と香りを楽しむ本格的喫茶店であるだけに、その人の傍若無人ぶりには、怒りを通り越してその度胸に感心してしまいました。

「君!止めてくれないか」
という勇気も度胸もなくした己の衰えに内心忸怩たるものを感じながら、横目でその変貌ぶりに見入ってしまってしまいました。50歳前後の女性で、世の中で一番自信にあふれた年頃の女性でした。

電車内で化粧をする姿は戦前からみられたそうです。
新聞雑誌で盛んに批判されているのが記録に残っているようです。百年以上の年期を重ねてきた現象です。その間、直接ではなく投書などの遠くから批判を繰り返しても消滅させえなかったことです。その後、増殖し続け、今後ますます増殖するでしょう。

慎み深かった控えめな「大和撫子」が死語になってしまいました。「なでしこジャパン」のなでしこってなんなの?と言われる現代ですからますます増殖するでしょう。

元々すべての女性が「大和撫子」だと思うのが間違いなのではないでしょうか。
日本は古来多民族国家であり、階級ががっちり固めらえた江戸時代でも法外の民が多数存在し、自由奔放に生活していた人たちもいたのです。

電車内の化粧も、喫茶店での化粧も、外国人の所業だと思えばわからなくもない。慎み深く控えめなのが日本女性の美徳だという価値観は端っから存在しない。見かけは似たような人でも、全く違う価値観や道徳観を基準にしている人たちであることは当然あり得ます。

いくら遠吠えして批判しても、増えこそすれ減ることはなくむしろ増殖する一方だと思ったほうがよさそうです。

私も、何かと五月蠅い中高年婦人たちと一緒になって批判的でしたが、思い直してみると、むしろ面白い楽しいライブショウを見せてくれていると思うようになってきました。

自宅でゆっくり化粧もできないほどの段取りの悪い、タイムマネジメントの悪い人だと思っているのはこちらの価値観であり、その人は、化粧は電車の中で、あるいは喫茶店でと初手から既定の行為なのです。彼女のタイムマネジメントが私のそれと根底から違っているということなのです。

何かを思いながら、何かにターゲットを絞って化粧に集中している若い女性を観察していると、その見事な変貌ぶりに感動すら覚えます。その集中力には脱帽するほどです。この彼女の集中力のエネルギーはこれで消耗されてしまい、あとはボーっと一日を過ごすのだろうと思いながら・・ですが。

昔の化粧法と違って、白粉が周辺に飛び散ることはなく、ペースト状のモノを塗り重ねていくようで、匂い以外の実害はありません。

私は、連れ合いが化粧を全然しない人なので身近で塗り重ねていく化粧の現場を見ることはりませんでしたから、外で、完璧に化粧ができている女性を見ると心に落ち着きをなくすことがままありました。

正直なところ、化粧に没頭する女性に興味があるのです。
更地のような顔面に、基礎工事が施され舗装道路開通し、近代的なビルが立ち並び先進的な都市が生まれてきます。キラキラと電飾装置まで付加され、昼間から宵まで通用する見事なまでの都市計画が完成するプロセスを見せてくれるのですから、見ていて飽きません。

女性によって、仕上がりは、表参道のようであり、銀座のようでもあります。また別の女性では、砂町銀座や浅草の縁日のごとしです。

たまにチラッと送った私の視線が彼女の視線にとらえられ、「何よっ!」と睨み付けられる危険はありますが、それがまたスリリングで面白い。

電車内で全員の女性が化粧をしてくれると趣味に応じて選択する楽しみが増しますし、叶うことなら、両足を踏ん張って「立ち化粧」というアクロバットを演じていただきたい。

そうなると見物乗車という乗客が増え、JRにも歓迎されるでしょう。また、暇な老人たちが喜んで乗車し、ますます元気になって意気盛んになるかもしれません。


.17 2013 未分類 comment0 trackback0

さらば MSN ,「いいねっ!」に閉口

 後輩に誘われてミクシへ。
知人に勧められてフェイスブックへ。
友人に教えられてツィッターへ。
なんとなく指が動いてLineへ。
その気になってグーグルへ。

いつの間にか、SNSのいろんなものに登録していました。
なのに、登録しただけでほとんど使ったことがありません。

人の日常にいちいち反応する気にもなりませんし、呟きに呟いて返す気にもなりません。
自分の写真をみんなに見られたいとは思いませんし、無料だからといって電話で無駄話をする趣味はありません。

なかでも、ファイスブックからは、「誰それさんが写真をアップしましたよ」、「あなたとお友達になりたいという人がいますよ」、「何々に『いいね!』と誰それさんが言ってますよ」などのメールが頻繁に入ります。
ほったらかしておくと、「しばらくご無沙汰ですね」とか、「お友達の近況をおしらせします」などと、実にマメにお誘いがかかる。

自分のファイスブックを開くと、顔写真をアップするようにソフトながらも強制的な誘導があります。なんだか怪しい雰囲気です。

無料で利用できる代償として、すべてのデータと交信内容が一括吸収されてどこかで個人情報として集積されていて、いずれ、規約を勝手に変更してそのデータが主催者の都合のいいように利用されることになるのでしょう。

Lineにいたってはびっくりしました。
登録したとたんに、自分の電話番号簿から、やはりLineに登録している人の名前と番号が出現しました。ということは、主催者は私の電話番号簿を全部吸い上げたということになります。そのうえで、どうぞ無料ですから何でも交信してくださいというわけです。つまり、その内容をすべてデータとして取り上げようということなのでしょう。

住基ネットにいくら抵抗しようが、一方で、住基ネットをはるかに上回るデータを無料交信の代償として嬉々として提供していることになりかねません。
私は、先が短い年寄りですから構いませんが、若い人たちは、将来由々しい事態に知らぬ間に連れていかれているのかもしれません。

また、閉口するのはファイスブックです。
いい大人たちまでが「いいね!」「いいね!」を連発していることです。
なんだか、「ついていけないな」という実感です。

「いいね!」とクリックするように準備されていますが、「駄目ね!」とか「大したことないね!」とか「つまらないね!」というボタンはない。

子供の頃から、「いいね!」「いい子ね!」と褒めておだてられて育った子は、成人して企業に就職しても、何か仕事を任された結果について上司から「いいね!」と褒めらえないと不満だそうですし、モチベーションをなくしたりするそうです。

そりゃそうですよ。
SNSで、埒もないことを書き込んだり、いま食べている食事の写真をアップして「いいね!」と承認しあったり、褒めあったりする世界に身を浸して「まったり」して生きているのですから。

いいオッサンたちまでもが「いいね!」とはしゃぎまわって、埒もない交信に血道を上げているのですから、原発がどうなろうが、消費税がどのように使われようが、個人情報がどのように集められようがまるで無関心。

高齢者のご同輩。
わざわざそのようなものに参入して、目の障害をはじめとして、残り少ないリソースをつまらない仕掛けに引っ掛かることはないのではないかと思います。
心と身体の健康第一でお過ごし願いたい。
.13 2013 未分類 comment0 trackback0

偽装より誤表示の方がたちが悪い

「誤表示」という言葉は、大漢語林(大修館書店)にも、広辞苑(岩波書店)にも、大辞林(三省堂)にも載っていません。また、「僞表示」という言葉も載っていません。
「偽装」はどの辞書にも載っています。
あえて表示しますと下記のごとくです。

偽装 
 偽りを装う。敵の目を欺いて、味方の設備などを隠すために施すいろいろな方法(大漢語林)
 ほかの物とよく似た色や形にして人目を欺くこと(広辞苑)
 他人の目をごまかすための装いや行動。カムフラージュ(大辞林)


何が何でも「偽装」と認めず「誤表示」といえばいくらかでも罪が軽くなり許されると思っている企業は、かえって、自分たちの無能ぶりを証明していることになっています。

犯罪には2種類あります。
故意に行った犯罪(A)と、悪事だとの認識がなく行った犯罪(B)です。

偽装というのは、(A)に相当します。
偽装なら、食材の区別がついた上で、あえてコストを削減するためにやっていたことになる。故意で悪質ではあるが、食材の見分けはついている。つまりプロです。

誤表示というのは、(B)に近いと思われます。
だから偽装ではなく誤表示と言えば悪質性が低いと思っているのでしょうが、偽装ではなく誤表示の方が実は救いようがなくたちが悪い。食材の区別すらできなかったということになる。自分たちが使っている食材がわかっていないということです。

、「私たちはプロではございますが、実は、食材を見分ける能力がありません」と宣言しているようなものです。
だから誤表示だという企業は営業禁止処分にすればいい。プロではないのだから。プロの料理人がいないということになるからです。

(A)は悪いとわかってわざとやっている。でも(B)は悪いという認識がまったくない。

(B)は故意でないから罪が軽いかといったらそうではないだろう。むしろどうしようもないバカといってよいでしょう。悪いとわかっていないで悪いことをしてしまう人は、注意されてもまた同じことを繰り返す。自分がやっている事の善悪がわからないからです。

故意の犯罪より、故意ではない犯罪の方がむしろタチが悪い。
故意の偽装だから悪質、故意ではない誤表示だから悪質ではない、と思ったら大間違い。

いまなら、「偽装」ではなくて「誤表示」で済ませられそうだとばかりに、次々と「誤表示でした」と表明する企業が続出しています。みんなで「偽装」すれば「誤表示」で済ませられるとでも思っているのでしょう。企業人の浅千恵が悲しくなります。

言葉の持つ雰囲気。言葉の持つニュアンス。
いま、日本で流行っている悪しき風潮が遺憾なく発揮されています。

巧妙に味付けされ、芸術的に盛り付けられた料理を、洗練されたサービス技術で目眩ましされて自己陶酔の中でその時は満足したのだから、今さら返金してくれとは言い難いのではないかと思います。今回は、身体に支障が起きたのではないことを僥倖とすることでいいのではないかと思います。

中身は変わらないのに、姿かたちが少しでもおかしいと買わない。見た目が第一という買い物をし、高い金を払わされている購買者も反省するいい機会でしょう。

消費税の引き上げ、秘密保護法案、原発事故処理などに関する、安倍総理や政府の言説の中で、どれが偽装でどれが誤表記に当たるのかをじっくり聞き分けていないと、オブラートされた実態を判断できなくなります。

誤表記・・・上手い表現を使いますね。
こういう小賢しい知恵ばかりがまかりとおる世の中になってしまいました。
気を付けましょう!
.06 2013 未分類 comment0 trackback0

運転免許 高齢者講習を受けました

長年の経験を誇り、慢心した運転をする高齢者の高慢の鼻をへし折ろうとするものらしい。日々老化は進行しているものの、いざ運転席に座ると、若い頃と大きな差を感じない。
ついつい、遅い前車を追い越し、空いている車線はスピードを上げる。

このような老人に、動体視力は落ち視界は狭窄している、とっさのブレーキ操作が遅れがちになっていることをしっかり自認させようということのようです。

案内通知を受け取ったときは、「あ~!俺もか!」と、いささか落ち込みましたが、調べますと受講は法律が制定するところであり、運転を続けたいならば受講を避けられないことを知り、止む無く近場の教習場に予約していたのが今日でした。

咬んで含めるような懇切丁寧な説明を受付で受けました。腹立たしさと、滑稽さを同時に感じながら、幼児扱いされる年齢に達したことを思い知らされました。
二人の指導員が待つ会場に導かれ、こういう場合に共通する特殊な雰囲気が待っていました。

6人の受講者が集まり講義が始まりました。
イントロがまだるっこしく、諦観と悲観の感情に浸ってしまいました。これから3時間の我慢だと自らに言い聞かせ、受講者に徹することに決めてかかることにしました。

最初のヴィデオでは全員がウトウトしだしたのには笑ってしまいました。私も例外ではありません。講師によると毎回同じ現象とのこと。オジーさんの集まりですね!

次は、視力を中心とした身体の反応検査。次は、ドライビングシミュレーションのマシーンのよる、運転時の反応検査。予告された事象に対してのドライビング中の反応ですが、予告を記憶するという「認知」のテストも兼ねているようです。
まるで、秋葉原で遊んでいるような気分になりましたが、バカバカしいがよくできているマシーンです。

さて次が、50有余年ぶりの、教習所のコースで試される運転実技試験です。3人ずつが一台の車に乗り助手席の指導員の指示通りに運転するというものです。一人の老人がやたらと縁石に乗り上げていました。

不慣れな車であること(全員同じ条件)、座席を前に出し過ぎたこと、緊張していることなど、言い訳がしばらくの間尽きませんでした。どうーということはないのに、この世代の男たちは、競争心が旺盛なのと、見栄っ張りであることが図らずも露呈されました。
結構、内心競っているのだと思うとなんとなくもの悲しくなりました。

結果は、全員が合格証書を受け取りました。

75歳か80歳で免許証は取り上げてもいいように思います。

自動車購入の対象者。車諸税の納入者。書き換え費用の支払者。石油の消費者。自動車保険のお客。車両損傷時修理の常連客。観光地や温泉地のお客。

まだまだ、美味しいお客として手放すのは惜しい。とことん絞り上げるには恰好なお客だから、脅したりすかしたりしながら、税金と自動車関連業界のお客として温存させておきたいということなのでしょう。

無謀な若者と、衰えを自覚していないという意味での無謀な老人は事故発生源としては双璧をなしています。日々身体機能と脳機能が衰える老人の危険度はいや増すばかり。

18歳まで運転免許を与えないのであれば、75歳か80歳で召し上げということがあってもしかるべきだと思います。


.04 2013 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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