閑話休題  あげる あげる と凧みたい

歯科医院で
「その歯をきれいに磨いてあげてください」
「この歯を抜いてあげて、入れ歯を入れてあげるとよく咬めるようになりますよ」
外科で
「がんになっている胃を切り取ってあげるとよくなりますよ」
内科で
「この薬を飲んで血圧を下げてあげるととても楽になりますよ」
美容外科で
「このあたりの皮膚を引っ張り上げてあげるととても若々しくなりますよ」
医療機関でもこのような「あげる言葉」がいまや自然にかわされているようです。

「やる」「あたえる」の謙譲語。
「てやる」の謙譲語。

この「あげる」が頻繁に不適格に使用されている今日ですが、いつからこのようになってしまったのでしょうか。

「花に水をやる」→「花に水をあげる」
「犬に餌をやる」→「犬に餌をあげる」
「魚を揚げる」→「魚を揚げてあげる」

TVに出ている料理研究家という大先生が、
「細かく切ってあげて」
「焼いてあげて、煮てあげて、炒めてあげて」
「皿に盛りつけてあげて」
「見た目もよくなるように並べてあげて」
「召し上がっていただくようにお出ししてあげて」など、
「あげて、あげて」の連発です。

やるとかするでは少々乱暴な感じがするので「あげる」と表現することによって、謙譲語としての「あげる」ではなく、ただ単に、物事を優しく美しく上品に表現したいと思って用いているのでしょう。このような語を「美化語」というそうです。

「余計な枝葉は切ってあげて」は家庭菜園の専門家の言。

聞いていて不自然に感じ、不愉快になるのは私が老人だからなのでしょうか。
間違っているよと注意したくなるのは現代とずれが生じていることに気づかない老人だからなのでしょうか。

そのうち、内科胃腸科で、
「この薬を飲んで、便を出してさしあげると、とっても楽におなりになられますよ」とか
眼科で、
「この点眼薬をさしてさしあげて、良く見えるようにしてさしあげてください」ということになるのでしょうか。

敬語、丁寧語、謙譲語が何を対象にどのように使われるかが判然としない不思議な言語世界が当たり前のようになってしまうのでしょうか。

長生きをすると、もっともっと摩訶不思議な世界を体験できるのかもしれませんね。
脳内に捩じれが生じて悶死しそうになるのかもしれません。

妙に優しげで、気持ち悪い上品さが漂う薄気味悪い言葉の世界が普通になってしまう。

これじゃー、国家権力はやりたい放題になってしまうでしょう。

「自衛隊を軍隊にしてあげて」
「アメリカの戦争に友軍として参加してあげて」
「日本の若者の血を流してあげて」
「隣国を爆撃してあげて」
「占領してさしあげて」

あー!心配!
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.31 2013 未分類 comment0 trackback0

閑話休題 「ヘソ手のお辞儀」

いつの頃からか、コンビニやスーパーでミスマッチな妙なお辞儀をされるようになりました。いまや全国どこに行っても同じように「ヘソ手のお辞儀」をされるらしい。
毎回、なんとなく落ち着かない気分になり、こんなお辞儀を強要されている店員に同情すらしていました。

なんと表現していいのかわかりませんでしたが、「ヘソ手のお辞儀」という言葉を知って、書き留めておきたい気になりました。

体育会系のごつごつ面のむくつけ男がヘソ手お辞儀をするさまは、なんとも滑稽であり、哀愁が漂い、おかまかゲイのようでもあり気色が悪い。
華奢で青白い若い男にされると、生煮えの魚を食べさせられているようで、気持ちが落ち着かない。

高級品店でされるならまだしも、安売りの店でこのお辞儀をされると、なんともはや表現のしようがないくらいに気分が落ち込んでしまう。

どこかの店が、礼儀作法の専門家(?)あたりに指導されて、お客様サービスとして始めたら、隣の店が真似をし、隣町の店が真似をし、隣県の店が追随し、気が付いたら全国的になってしまったのでしょう。

夕方のスーパーはラッシュアワー状態ですが、この時もいちいちヘソ手のお辞儀を欠かさない。忙しすぎてその手がずれた時など腹痛でも起こしたのかと心配になるくらいです。
疲労困憊の極に在るのに健気にヘソ手お辞儀をする若い女性のレジ係の姿を見ていると、痛々しくて、なんだか気の毒になってしまいます。

どの店にも中高年の管理職の男がいるはずです。男の店員にこんなお辞儀の仕方をさせることが不自然だとは思はないのでしょうか。よその店と同じにしていれば文句はなかろうと、思考停止状態なのでしょう。

明るい表情で目を見て「ありがとうございます」と言ってくれれば十分だと思います。

「ヘソ手のお辞儀」には、品格と間合いが大事です。
不相応な虚礼はもう止めにしてもらいたい。
ミスマッチな虚礼は、客を不愉快にさせ、買い物のたびにストレスすら感じてしまいます。
「やめてくれ~」と叫びたい心境です。
.31 2013 未分類 comment0 trackback0

医者から怒られました

右腕の一部に限局した湿疹ができ、時折痒くなるという症状が1か月間ほど出ていました。このような場合に効くと思われる「アンテベートローション0.05%」が何故か我が家には数本あります。しかし、医者に掛かるという機会がない私は良い機会だと思い近くの皮膚科を訪ねました。

今までは、健康診断というものを体験したい。特別病室というところに入ってみたい。このような思いを実現させたくて、数年前に母校の同級生の胸部外科の教授を頼り5日間の入院をして全身の検査を受けたことがあります。3年間世話になり、大学病院の実態を知りたい、悪名高い国立大学病院の医療サービスの実態を知りたいという目的もありました。これについては別稿にいたします。

何年も前に、ちょっと腰が痛い時に、整形外科を受診してみたくて大学の友人のもとを訪れたこともあります。何年も何年も前、神奈川に住んでいましたときに、ちょっとした風邪を引いたのをいい機会に近所の内科医にかかり、耳が痒くて仕方がない時にやはり近所の耳鼻科に掛ったことがあります。

いずれも、受診するほどのものではなくほっておけば治る程度のものでしたが、医者に掛かってみたかったのです。どの場合も、親友であったり、知人で会ったりの医者ばかりでしたので、何の問題もなくすみました。

今回の皮膚科は全く面識のない、言わば飛び込みの受診だったのです。簡単な問診を受け、例によって採血が行われ、処方箋をもらって初回は終わりました。

案の定、アンテベートの軟膏が処方されたのは良いとして、他に2種類の内用薬が処方されています。アレグラ錠60mgとゼスラン錠3mgです。2種類ともまったく同じような効能です。それに、軟膏です。

私は、まずは3日間、軟膏だけで試してみて治りが悪かったら内用薬の1種類を服用しようと決め、軟膏を使いましたところ、5~6回使用したところで快癒しました。

一週間後、2度目の受診をし、軟膏だけで治りましたので内服は使用しませんでしたと、報告しましたら、突然医者が顔を真っ赤にして怒り出したのです。
「軟膏の効きが悪いから内服を出したのだから服まなきゃダメじゃないか」と。

「だったら、軟膏を出さずに内服だけでよいのでは?それに、効能が似ている薬を2種類も出す必要はないのではないか?」
と、余計なことを言ったものですから、相手は益々激昂して、
「これは、広島大学の・・教授の指導に従って処方しているのだから間違っていないのだ」
ときました。権威に弱く下のものには居丈高になるタイプかもしれません。

私もむっとしてさらに意見を開陳しようかと思いましたが、一触即発の状況になってしまいましたので矛を収めて従順の体を装いました。

「今度は、2週間同じ処方をするので全部服んでほしい。そして、盆休み明けにもう一度来てください」ということになった。

盆休みがあるために、2週間分という長期投与になってしまいました。喉まで出かかったさらなる意見を呑み込んでその場を終わらせました。

勿論、処方箋は破棄し、薬局にはいきませんでした。

よく聞く話に「医者に怒られる」というのがあります。
自分で体験してみて患者さんたちの言うことが実際に在るのだということを知りました。

「なぜもっと早く来なかった」というのはよくあることですが、承知の上で、来ない理由や来れない理由があってのことですから、私はその言葉を口にしたことはありません。受診したその時が、その患者さんにとって一番早いうちに来たのですから。

「なぜ、注意を守らない」というのも、ついうっかりというのは誰にもあることですし、命に別条がなければ再び注意をすればよいのであって「怒る」必要はありません。

歯科医で、泣き暴れる子供の患者を叩いたり、縛り上げて治療するということも昔はよく聞きました。私は、怒ればますます子供の扱いは難しくなるので、怒ったり叩いたりはしませんでした。そうすると、他院でひどい目にあった子供たちが、「怒らない先生」という評判で、私のところに集中し、その対応に追われたことがありました。

今回の場合は、一国一城の田舎の医者によくある典型でしょう。私が医療者の端くれであることを告げていれば違ったのかもしれませんが、それでは医療の実態、医者の実態を知りたいという私の目的は達成されません。これからも機会をとらえて、「引退した爺さん」として受診して、時には「怒られる」のも良いのかもしれません。怒る医者は案外好人物なのかもしれません。
.23 2013 未分類 comment0 trackback0

藤圭子の死

15・16・17と、私の人生暗かった♫
無表情な蝋人形のように藤圭子が唄う歌。鬱陶しい、嫌な感じの歌手だなと思いながらも何となく聴かされた懐かしい歌。

当時の若者でこの歌に共感した者は多い。しけた飲み屋に行くと、「東京流れ者」とか「昭和枯れすすき」など、貧乏たらしい陰気な歌が常時流されていた。

何となく深刻ぶりたがる年頃の若者には、藤圭子の歌は心にしみる響きがあった。

江戸期の士農工商の身分差別と明治以来の富国強兵策の一方で塵芥のように使い捨てられた者たちの涙で濡れた衣を纏い、その濡れが乾く間もなく苦界に身を置く女たちのBGMとしては最高の効果を果たした。

どちらかといえば、明るさより暗さに身を委ねたがる傾向が強い日本人の、それも若者には、強いて言えば当時の若者には大いに支持された。

暗さの力が強いのか、負の吸引力が強いのか、どちらかと言えば暗さの方に靡きやすい性向がある日本人は、鬱陶しい暗さの中に身をおいた時に、それが他人事であればあるほどうっとりと住み心地がよさそうな表情をするところがある。

それらの暗い歌を背景に、何も考えてはいない若者でも哲学的で厭世的な雰囲気を醸し出し、自分で作り上げた舞台で、自分でうっとりしているような者たちも多かった。

何か喋って底の浅さを露呈するよりは、静かに黙って考えているふりをする役者のような若者に騙された女性たちも少なくない。男の私でもすっかり勘違いさせられたものです。

ある男に近づき話しかけた。東洋のソクラテスかプラトンのような表情の男。それが、たちまち、博多ニワカの如き表情に急変。脳天を突き抜けるようなハイテンションな声を発して話し始めた。あまりの落差に、「ジェジェジェ!!」と仰天したことが忘れられない。

また、このような世相雰囲気を憑依したような苦界の女たちが創作した身の上話が素晴らしかった。粉飾の極みだとは分かっていても、薄暗い電飾と陰気なBGMが彼女達の作り話を、さながら明治の大作家による深刻な物語に聞こえたものです。乏しい財布から随分と巻き上げられた気がします。下手な芝居を観たと思わざるを得ませんでした。

つまり、藤圭子の時代は世の中が芝居がかっていたような気がします。日本人の暗さ好きにつけこんだ仕掛けの中で我々は求められるままの役割を演じていたのかもしれません。

引退後の藤圭子のインタビューをテレビで観ました。

「藤圭子という歌手はもう居ません」
「歌は心です。心の無いものは相手に何も訴えることはできません」
「私は、与えられた詞と曲を生活の為に一生懸命歌っただけです」

矛盾だらけであるところがご愛嬌。
ただ、藤圭子が一番冷静だったというところに興味があります。
歌いながら聴衆の反応を伺い、今日と明日のメシの確保を確信し、さらに生活の為に心を込めて歌い続ける。

藤圭子聴く者は、心地よい暗さ湿っぽさに身を委ね、仕掛け人が計算したとおりを演じる。ひと時の浮世離れを欲する多くの人は、消費期限内の彼女を消費する。仕掛け人たちは、次の商品を準備する。何らかのブームが再び立ち上がる。騙そうとする側が騙されているのか、騙される側が騙しているのか。ミュージック、ファッション、出版、タレント、車、旅行、グルメと、ありとあらゆる分野で飽きずに繰り返されています。

藤圭子は騙す側の手先としての自分に疲れ果てたのかもしれません。もっと明るい歌を歌い、ステージで明るいパフォーマンスをしたかったのかもしれません。
案外、まともで、鋭い感性と常識的な知性の持ち主だったのかもしれません。

合掌。
.23 2013 未分類 comment0 trackback0

イチローの快挙 その食生活の仰天!

イチロー選手(39歳)の快挙は野球に興味も関心もない私でも素晴らしいことだと思います。それにしても、彼の食生活には驚かざるを得ません。数年前の記事に、極端な偏食者であることが報道されていましたが、あらためてその実態を知ると頭を抱えざるを得ません。いや、言葉をなくすほどの衝撃を受ける医者や医学者、管理栄養士や栄養学者、巷の健康論者は数多いるはずです。

まず、現役選手としては39歳というのは高齢のほうです。しかし、一般的には働き盛りと言われる年齢です。どの分野にいても、働き盛りの健康管理が難しい。健康が命で生きている時間に余裕がある高齢者にはできることが、働き盛りの人たちには実行が現実的には困難なことだらけです。現役の医者たちも、丼物やラーメン餃子で激務に追われている者はたくさんいます。患者の食生活についてとやくいえる資格ないものがいっぱいいます。

イチロー選手は、
・外国で仕事をしている・・そのストレスは強い
・現役選手として強度のストレスがかかっている
・典型的な偏食者である
焼肉と寿司が好物でかなり大量に食する
野菜が苦手である
本拠地での試合の時は、妻の作るカレーライスか雑煮。手作りのおにぎりをもって球場へ
遠征先ではファーストフード店のチーズピザだけを注文する
インスタントラーメンやスナック菓子が好物で夜中にチョコレートパフェを食べたりする
などなど。(この部分は今日発売の日刊現代の記事から抜粋)

科学的と自認する健康指南書、非科学的と非難される健康指導書など、現在街場に出回っているいずれの説にも合致しないイチロー選手の食生活です。

イチロー選手が現在何の疾患も持っていないか否かはわかりません。
しかし、現役選手として、アメリカの大リーグで活躍中であるという事実から、疾患を抱えているとしても深刻なものではないことは想像に難くありません。

この食生活が、今後の彼の人生にどのようなツケとして出てくるかもわかりません。

現役を引退してから、もしも食生活の大革命をしたとしても、それが吉と出るか凶と出るかもわかりません。これは、これ以降の彼を追ってみるほかはりません。
その結果として、彼を特殊な存在とするかどうかということになります。

健康本を読んでいていつも感じる限界は、著者それぞれの専門に偏りすぎているのではないかということです。つまり、健康指南書が枝葉末節のことにまで論を進めすぎているのではないかということです。

健康な生活を送るために必要な大原則を掲げ、個々の状況に応じて具体的なこまごましたことを指導する、かかりつけ医や企業の保健担当者や学校などの保健指導者がきめ細かく対応する必要があります。現実的ではないかもしれません。

夫婦の食事でも個体差で異なる、子供居る家庭ではさらに複雑になる、老人が同居する家庭では複雑さはさらに増してくる。有病者が居るとさらにさらに複雑化する。毎日、中華料理の大きな円卓に料理を並べなくてはならないような事態は現実的ではない。

あれを食べたがいい、これを食べたほうがいい、あれはダメこれはイイなどの指導書ではいたずらに混乱をきたすだけでしょう。

本当に避けるべき食べ物はかなりはっきりしているにもかかわらず、TVなどではスポンザー筋に抵触するものはスルーして論じているので、ことの本質から逃げた論理がまかり通っています。

イチロー選手の食生活から話が広がってしまい、雑駁な論の展開になりましたが、順次丁寧に論じていくつもりです。

それにしても、偉大な選手ですね。
野球音痴の私も脱帽の体です。
.22 2013 未分類 comment0 trackback0

焦熱地獄

朝5時半に自宅を出て、ウオーキングとジョギング擬きを交えて1時間ほどいつものコースをたどり、6時半からはラヂオ体操をし、柔軟体操を済ませて帰宅したのが7時過ぎ。
ジョギングは擬きとは言え、重力の負荷に筋肉が応じきれません。身体を重く感じます。普段、ウオーキングが主ですからジョギングには筋肉が耐えきれなくなっているのです。

さて、盆休みの最終日、外で人に会う予定もありませんので積読の本の中から一冊を選び、今朝の天声人語に倣い、どこかの緑陰で読書でもしながらまどろむのも一興かと思い出かけたのが10時過ぎ。

なじみの神社は樹木の背が高く、いまはイチョウの葉が生い茂っていますが椅子がない。適当な大きさの石が配置されていますが、どれも尻を痛くするような形状のものばかり。これまでに経験のない痔疾を今さら招くこともない。
徒歩で30分ほどの距離の中から思いつく公園を選び、出かけました。

方向音痴の私は、近道を行くなどの浅知恵を働かせるとあらぬ方向をとってしまいますので、国道を歩きわかり易い信号を目途に行かねばなりません。

その国道の凄まじさと言ったらありません。照りつける太陽と排気ガス、照り返す路面からの炎熱と沿線の民家やビルからの空調の排熱の猛攻撃を受ける羽目に陥りました。これは失敗したなと悔やみながら目的の公園に到着。

緑陰のベンチが空いていたのでホッとしながら軟体動物さながらにへたり込みました。生温かくなってしまった持参の水を飲み一息つきました。風は多少ありますが、どうもイメージとはかけ離れた実情です。

提供される緑陰は求めていたたものとはまるで違っていました。樹木が低い。葉の茂りが薄くてメッシュ状態。地面はコンクリートでさながら鉄板の如し。
オーブンか電子レンジでチンする状況にわが身を置いたことに気づくのに時間はかかりませんでした。

掌からも噴き出す汗で湿った本を持って逃げ出すことにしたのが10分後。早く帰宅したいが急ぎ足でというわけにはいきません。忍者のごとく日蔭伝いに帰路につきました。バス路線でもありませんしタクシーの姿もない。気の利いた喫茶店もない住宅地の中をぬけて、再び地獄の国道をトボトボ歩いて帰宅する他はありません。

緑陰で涼やかに読書をし、あらぬ妄想をしながら微睡むという至福の時を求めて出かけたはずが、何のことはない、わざわざ炎熱地獄、焦熱地獄の中に身を投じただけのことになりました。排気ガスを吸い、熱された空気を吸い、紫外線の強烈なシャワーを浴びたに過ぎません。

歩きながら、身体の中に酸化が起きていることが自覚できるほどの凄さでした。
これだったら、駅まで歩いて冷房の効いた電車に乗り、冷房の効いた地下道を歩いて目的のホテルなりビルに行き、冷房の効いたティールームでお茶をしながら友人と世間話に興じている方がよほど極楽だというものです。

帰宅後、空調をつけ、2度目の着換えをし、2度目のシャワーを浴びてやっと人心地がつきました。今日は、屋内を冷房して、どこかの高原か軽井沢をイメージしながら過ごすのが賢明のようです。

ビタミンCとEを摂って抗酸化対策をして、緑黄色野菜の冷えたサラダを食べてしばし冷気が満ちた室内に身を横たえました。
どうにか身体に再び生気がよみがえりました。

盛夏のさなかの海山で遊びまくっても遊び足りなかった少年時代。炎天下のゴルフ場で2ラウンド半のあとの宴会までもこなし、翌日の仕事を平然とできていた壮年期の自分が懐かしい。

今日の残された時間を、屋内の軽井沢でゆったり過ごし、読書と微睡みを満喫するほかはありません。
歳はとったでそれなりの愉しみ方はあるものです。若い者に伍して無理をすることはありません。ということを味あわされた「緑陰読書」の失敗談です。
.19 2013 未分類 comment0 trackback0

男も日傘の時代の到来か

今年も厳しい暑さに見舞われています。
かと言って、紫外線から避難して室内に逼塞しているわけにはいきません。敢然と暑さに向かって出かけなければならない要件も多々あるのが普通でしょう。普通でなければ、それは結構なご身分の方々の特権でしょう。

古来といっても、何万年前からではありませんが、日傘は女性の物だというのが世間のコンセンサスになっています。そのコンセンサスにも変化があってもよいのではないかと思うようになりました。

ゴルフ場ではだいぶ前から日傘というか、紫外線カットの考えが常識化していましたので、傘をさして身体を守ることは半ば常識化していました。それでも、傘をさす人が少ないのは、「女がすなる日傘を差す」などということは、男の沽券にかかわるという考えの人が多数だからでしょう。あるいは、面倒くさい!と言うところでしょうか!

あるいは、夏は日焼けをして真黒なのが恰好が良いという人もいまだに多数ですし、夏の日焼けはステイタス誇示という価値観の人も多数いるようです。
いますね、真っ黒に日焼けしてゴールドのネックレスとブレスレットでビカビカの筋肉もりもりの男性が、いまだに。

サングラスは、かつてヤクザや愚連隊(古い!)のシンボルだった時代がありました。私は、日差しがまぶしい体質なので若い頃から使用していましたが、建前としてまじめに生きている人たちには不評でした。

今の時代、ヤクザといえども、高級官僚か半沢直樹のような人も多いのでサングラスすなわちヤクザというものではなくなりました。こうして街場を見ると、サンブラス着用の男女が増えました。堅気の人たちです。

しかし、出勤のビジネスマンがサングラス着用というのはまだ無理でしょうし、外回りの営業マンがお客に合うまでの間サングラスを着用というのも無理でしょう。

我々日本人がサングラスの似合う骨格ではないのは致し方がないとして、もう、サングラスは解禁にしたらかがでしょうか。
それに、日傘に対する偏見も改めた方がいいのではないでしょうか。

目の水晶体はタンパク質でできています。しかも、新陳代謝がありません。生後出来上がった水晶体を一生使って生きていかなくてなりません。

経年的に劣化するに加えて、細菌のような強烈な紫外線で焼き続けてはたまったものではありません。

幼児から高齢者まで夏はサングラス着用が常識とすべきではないかと思います。それと、日傘を男性も差すようにしたらいかがでしょう。街の光景が一変するかもしれませんし、怪しげな世の中に変わるかもしれませんが目を守るためには躊躇っている場合ではないでしょう。

オゾン層についての問題提起が下火になっていますが、到達する紫外線量は確実に増えているそうです。都合次第で、マスコミがまた大騒ぎをすることがあるかもしれませんが、我々は忘れてしまってはいけません。

幸い、私は蚊文の一つもありません。不評に耐えてサングラスを使用してきたからだと思います。読書は私の最大の趣味です。さらに年をとってもこの趣味をあきらめなくても済むように、今年から日傘にチャレンジしています。

怪訝な眼差しを向けられますので多少の勇気は必要です。しかし、目のことを思うと、日傘は実に安心です。
なーに、いずれは日傘とサングラスが常識の時代になるでしょう。それまでの辛抱だと思っています。
とはいえ、結構辛いものではあります。
.16 2013 未分類 comment0 trackback0

幾つになっても不自由なまんま

鉢植えの花を育てていると旅行がしにくい。不自由ですね。
幸い、犬を飼っていないので、毎日の散歩などの義務がない。
ゴルフの会もだいぶ退会したので、この猛暑下でプレーをすることもない。カメラはクラブに所属していますが、会費会員ですから作品をもって出席する義務もないし、子供の遠足のような「撮影散歩」なる行事に出ることもない。
釣りは、時折竿の手入れをするくらいで、実際に釣行をすることもない。

ダンスの会もすっかりご無沙汰していますし、お茶会の誘いにもほとんど応じていません。
俳句の会にも10年以上参加していませんし、書道の会も会費会員となって久しくなります。

仕事は随分と長い間、電車の運転手のように時間厳守でやってきました。時は金なりとい生き方の方々を相手にしておりましたので、相手を絶対に待たせないようにしてきました。朝は、開院の2時間前に出勤し、スタッフを迎え、その日のスケジュールを確認し、予定通りに仕事をしてきましたが、最近は一線を引退しましたので、週に2~3日くらいしか拘束されていません。これくらいの拘束はむしろ生活のリズムを保つには好都合です。

いろんな縛りから解放されて何がいいかと申しますと、「自由」を獲得したかったのです。

生まれてこのかた、親の管理下に始まり学校の管理があり、仕事の管理下に生き、家族という避けることのできない縛り、社交に伴う拘束に社会的諸々の拘束とともに生きてきました。これらからもやっと解き放たれた気持ちです。

法治国家の民として法の縛りは避けようもありませんが、陋習とか因習や慣習などという連綿と引き継がれ、いまでも通奏低音のように纏わりついて離れない不気味な存在からも距離をおくようにしています。

借金とか月賦といえばわかり易いものを、ローンとかリースとかファイナンスという言葉で実感の薄いものに衣を変えて実態から目をそらせようとする奸計からも抜け出すことができました。自動車という便利この上ないが、これほど現代人の自由を奪い、身を拘束するものからも解放されています。

これで随分と自由になったかといえば「否」です。
身体の自由が利かなくなってくる年齢になってしまっているということです。
精神的自由を身体の不自由が梗塞し始めたということです。

幸いにして、今までも現在も、医師の管理や病院の管理下に入ったことはありません。
この管理下に入れば、当然諸種の指示命令、諸規則に拘束される人生になってしまいます。むしろ、元気に働いていた時代より「負の拘束」がわが身を縛り付けてしまいます。

となれば、これからは、わが身の自由を奪ってしまう「病気」という事態を避けなければなりません。この病気というものになったが最後、医師や医療者と病院という新たな権力者にわが身の自由をさしださねばならない。

わが身から、「希望と自由」を簒奪する最大の敵である「病気」から身を守るために新たな「不自由」を自ら買って出なくてはなりません。

自由を獲得するためにさんざん努力をした挙句、自由を奪うものを遠ざけるために新たな不自由を凌がなくてはならないというわけです。人生劇場とは、常に喜劇であり悲劇なのでしょうね。

自分の健康年齢をできるだけ長くしなければなりません。長生きをしたいとは思いません。

人工呼吸や胃婁では生きているとは思いません。われとわが身を認識できないようではもはや自分ではありません。排泄が自分でできないようでは存在の尊厳が保てません。

さあ、わが身の自由のためにどのような不自由を買うのか。どうせ買うのなら、買って楽しいと思えるような不自由を買わなくてはつまらない。

この不自由は価値がある。この不自由は楽しい。この不自由は面白い。この不自由なら続けたい。この不自由なら友達にも教えてあげたい。
被虐的響きを否定しづらいところが難点ですが、ごくわずかな自由を確保するために、自ら買って出る不自由は、このような「不自由」でなくてはならないと思っています。

自由100%というのは、あり得ない永遠の夢なのですね。
高齢者というものは、今まで見えなかった敵と戦う「老いた戦士」なのです。
自分の生き方を、自分で管理しなくてはなりません。自分で自分に命令しなくてはなりません。信号機を自分で設置して自分で判断しなくてはなりません

年寄りは忙しいのです。ますます、多忙な毎日なのです。
.11 2013 未分類 comment0 trackback0

梨園に行く

歌舞伎の世界を訪れたのではありません。私が、「女形」になりたいと言って歌舞伎の門をくぐったのでもありません。果物の梨園に行ったのです。

市川梨のあまりの美味さに衝撃を受けた昨夏以来、今年の夏を待ち焦がれていました。
やっと季節到来というわけです。今年のお中元の送り先の一部を、「残暑見舞い」として「市川梨」を送ることにしてお中元を保留にしていました。杓子定規なタイプの人には例年通りにしましたが、物事の解釈に幅広い糊代のある人を選び、今日まで黙っていました。なにしろ、今夏になって急に何も送らないのですから、「これもアリだ」と思ってくれる人でないと困ります。

さて、35℃を超す今日の午後、本八幡からバスに乗り、市川市の郊外、東部に在る大野という処に行ってきました。事前に場所の確認と顔つなぎのため一か月くらい前に訪問していましたので方向音痴の私も無事に目的の中村梨園に着きました。

作業場で当主夫妻が選別作業をして多忙なところに訪れ、約束通りに依頼に来た旨を告げて作業場に入っていきました。普通の表情で淡々と応じてくれるところがいかにも生産者らしい。諸手続きを終えて帰ろうとしましたら、なにしろ田舎のことですからバス便が少ない。すると、黙って「どうぞ」と小型トラックで最寄りの駅・市川大野駅まで送ってくれるというのです。嬉しかったですね、炎天下の田舎で一時間近くバスを待つのは辛い。

手続き中に、作業場の冷蔵庫から冷えた梨を出して振る舞ってくれましたが、美味いのなんのって!こんなおいしい梨を食べたことはありません。グルメ番組でタレントが「ジューシー」なんて肉の脂を喜んで見せているのとは違って、本当の果汁のジューシーさを味わいました。本当に美味しかった。私にとって今年の初物でした。

今年は、熟成した市川梨を存分に味わうために今日まで梨断ちをしていた甲斐があったというものです。幸せとはこういうことを言うのだと、心から感動しました。

「うちは、太陽光でギリギリまで熟成させてから出荷するので急かされては困るし、日時を指定されても困る」
「先代の梨園を継いで夫婦でやっていますので、近隣の梨園のように、ブランド化して手広く商売はできないしする気もない。ごく少数の限られた昔からのお馴染みさんだけを大切にしています」
「ご依頼を受けたところに一斉に発送することはできない。私が自信をもって出荷できるまで出せませんので順次発送ということにさせてください」

その言やすべて良し!

手土産に頂いた、多少傷はあるが味は上等のはずの梨をぶら下げ、猛暑の炎天下、身体はジリジリ、心はホカホカ。
内外から身体が温められて幸せな気分に浸りながらニコニコと帰宅しました。

今晩、戴いた梨が冷えたころ、生産者魂というか職人魂を感じながら齧りつく瞬間を、今から心をときめかせているところです。

~蛇足~
 梨園とは
1.梨の園
2.主に、歌舞伎役者の一族を指す。 ◦唐の玄宗皇帝が、宮廷の楽人の子弟を集め、教楽府を組織し、宮廷内の梨の木を植えた庭で自ら教えた。この時の子弟を、「梨園の弟子(ていし)」と言い、これがその後、演劇界全般を指して「梨園」と言うようになった。
.10 2013 未分類 comment0 trackback0

ラジオ体操

都内では至る所でラヂオ体操をしているようです。私も、市川に住むまでは高円寺2か所や練馬で2か所の群れに参加していました。6時半の開始時間までの間に方々を散歩して回り、日替わりで場所を変えていました。子供の頃から群れるということが苦手ですから、自然とそのような参加の仕方になっていました。

市川市に来ましてから、さっそくいろんな処を回り、ラヂオ体操をしているところを探しましたが見つかりませんでした。自分でやればいいのですが、自宅でやるのもなんとなく気が進みませんし、外で時間になったらラヂオをつけてやればいいのでしょうが、大道芸人か老いたパフォーマーのおっさんみたいで、これも恥ずかしい。

数日前、いつもの朝のウオーキングで八幡神社に行きましたら、夏休みの子供たちとその母親が数人集まってこじんまりした輪を作ってラヂオ体操をしていました。これは願ってもないと、その日は後半の第2体操から参加させてもらいました。これで、今年の夏は張合いができたと喜んでいましたら、なんと、7月31日の次は8月27~31日までというではありませんか。今の時代の子供たちは忙しいのでしょうね。

防犯対策なのでしょう、必ず父親が一人出てきています。あとはすべて母親が付き添ってきています。こちらは目の保養になって大歓迎ですが、何をやるにも親が出てこなくてはならないという昨今の諸事情は考えさせられます。それにひとつ気になるのは、体操終了後に子供たちに駄菓子を一袋ずつ配っていることです。その意味を考えてみますと、ここにも昨今の諸事情が現われているということです。今日のテーマではありませんので、これ以上は言及しませんが、感心できませんね。

さて、梯子を外された思いの私は、この際自分でラヂオを持参して始めて見ることにしました。神社の境内ですから無許可ではよろしくないのではないかとの懸念はありましたが、やってみることにしました。民家とは多少の距離があり、ボリュウムに配慮すれば騒音のことは問題ではありません。

神官が出てきて注意を受ける事態になれば、そこから得意の論理を展開すればいいし、最終的には市長に直談判して脅す、否、市長を味方につければいいかと肚を決めました。

8月1日、境内の適当な場所にラヂオを置き、始まるまでの数分間の間、我流のストレッチや柔軟体操をしていました。多くの犬の散歩者が怪訝なまなざしを送ってきていましたが、知らぬ顔の半兵衛を決め込んで無視していました。

さて、開始です。まず一人の老女が参加してきました。すると次第に参加者が増えて、終わってみると10人になっていました。2日は8人。3日は7人。今日4日は12人です。顔ぶれはその日で違うようです。
中の一人によりますと、昔、この同じ場所で体操をやっていたのだそうです。仲間割れが起こり、以来やらなくなったそうです。

終わった後、いくつかのグループが集まりだらだらと話し込む光景は都内でもありました。私が気に入っていたのは高円寺のグループでした。終わるとさっさと帰路につくか、再びウオーキングを始めるかで、さながら一夜限りの月下美人の花のような潔いというか儚いというか、そのようなラヂオ体操の群れでした。

私も、終わり次第ラヂオをしまって軽く挨拶をしてさっさとその場を離れてしまいます。後がどうなっているのか関心もありませんし、共に体操をするという以上の時間を共有する気もありません。

ただし、へそ曲がりの私が、今日はいきたくないという日に備えて代理の人は2~3人決めておきたいとは考えています。30~40人位になったら何方かに頼めばいいかと思っています。

ただし、問題が一つあります。私は体操のすべてをマスターしていないことです。毎回。ベテランの人の所作をカンニングしながらやっていたからです。その都度、がたがたする情けない愛好者であることです。

今回は、ラヂオの真ん前に位置しています上に、参加者が私の後ろにいますのでカンニングができません。これはなんとなく恥ずかしい。もう少ししたら、輪の中ほどに位置して他人のを盗み見しながら体操しなくてはなりません。

私の間抜けぶりを腹の中で笑って居る人がいるのかもしれません。でも、この体操にはつながりで不自然なところがあります。なんてことは通用しませんので、特訓でもしなければなりません。

年寄りは、なんとなくプライドが高いし、なんとなく恥ずかしがり屋ですし、なんとなく忙しいし、なんとなく面倒くさいのです。
.04 2013 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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