人もいろいろ 代謝もいろいろ

生きる、死ぬ、病気になるということを語り、栄養を語るには代謝という概念がとても重要です。私も復習の意味も込めて今一度認識を確かにしておきたいと思います。

新陳代謝という学術用語が昔使われていましたが、戦後に行われた学術用語の全面的改訂で、新陳代謝は、物質代謝または物質交代とされました。これは、物質過程のことであることは決まっていますから、物質を省略して、代謝という用語が通常用いられています。

全ての生物体では、新しいものと古いものとの交代、すなわち代謝が不断に行われています。これが行われないということは、死です。つまり、生きているということは、代謝しているということになります。

爪が伸びる、髪の毛が生える(伸びる)、新しい皮膚ができる。これらは、爪でないもの、髪の毛でないもの、皮膚でないものから、つまり、原料となるものからつくられます。このような化学変化を代謝と言います。代謝とは、このような化学変化、化学反応のことをいい、物質の分子構造の変化のことです。

以前にも書きましたが、日焼けはメラニンの増加をいいますが、この色素の原料はアドレナリンとドーパです。ビタミンCにはこの原料がメラニンになるのを阻止するように作用します。この化学変化は生体内で行われますが、代謝とはいいません。なぜなら、この反応には酵素が働いていないからです。非酵素的なものは代謝とはいいません。

生体内の化学反応には、酵素的なものと非酵素的なものがあり、酵素的なものについてのみを代謝というのです。

生体は、代謝のために酵素という触媒を用意しています。生体特有の触媒を酵素といい、酵素が介在する化学反応を代謝というのです。代謝が生命の実体であるということは、酵素が生命を握っているということです。

酵素はタンパク質なのです。代謝が命なら、まずタンパク質が必要です。酵素を摂ればいいではないかというとそうはいきません。必要な酵素は無数にあります。

その酵素をタンパク質から製造するする方法は親から譲り受けています。それが遺伝子、遺伝情報というものです。一遺伝子一酵素の法則と呼ばれる法則があります。一つの遺伝子が一つの酵素の設計図を持っているのです。原料であるタンパク質が十分なら、必要な酵素は自ずとつくられるということです。健康に効く酵素というモノが手に入るようですが、これは不自然な強引な介入ということになりますので、特別に効果のある酵素があるのかもしれませんが、慎重に検討したほうが良いでしょう。

さて、酵素があればすべてよし、とはいきません。
酵素が主酵素というタンパク質分子と、補(助)酵素といわれる非タンパク質分子という二つの物質分子からできているからです。

補酵素とは、ビタミンとミネラルのことです。

ヒトの持つ遺伝子の数、すなわち遺伝情報は300万とも400万ともいわれます。この莫大な遺伝子の青写真・設計図によって、手の数足の数と指の数、目や耳の数とその位置と機能や色や形、肝臓や腎臓や膵臓の位置や形や機能など数多くの親譲りの因子を与えられています。その青写真は、これらのことを具現化するのに必要な酵素の製法ということになります。酵素が決定するということです。

主酵素に必要な十分なたんぱく質を摂り、その酵素が要求する補酵素であるビタミンとミネラルを摂取しなければ、我々が親から授かった身体を維持運営することができないということです。代謝が阻止されるのです。

この代謝というのが実に悩ましいものなのです。身体の中の仕組みはみな同じですが、全くイコールではないということです。顔も違えば、背の高さも違う。運動機能も、知能にも個体差があります。当然各内臓にも大きさと形と機能の違いがあります。同じ薬でも効く人と効かない人があり、同じ栄養素に対しても個体差があります。

島倉千代子は「人はいろいろ、男もいろいろ、女もいろいろ」と唄い、小泉純一郎は国会で、「会社もいろいろ」と言いました。この点に関しては全くその通りです。

健康に良いと言われる食品も運動もサプリメントも、効くか効かないかは個体差の前には何とも言いようがなくなるのです。なにしろ、まだまだ我々は、人間のこととヒトのことがよく分かっていないからです。わかっているのはほんの少しだけです。

万人に効果がある食品や薬や運動があるとは到底考えられません。だから、巷間宣伝される健康法も言いたい放題になっているのでしょう。信じたい気持ちとふんだんな経費が自由な人は構いませんが、健康情報や宣伝には慎重に対処したいものです。
スポンサーサイト
.26 2013 未分類 comment0 trackback0

脚気とその弟子

日清戦争で陸軍は戦闘によって1270人の死傷者を出した。ところが、戦争と無関係の「脚気」による死者は4064人でした。
現場の指揮官からの悲痛な要請を無視し続けた帝国陸軍は、そのまま日露戦争に突入しました。この日露戦争では戦死者を約47000人でしたが、「脚気」患者は約21万1600人。死亡者はなんと2万7800人を数えた。
一方、高木の指導に従った海軍では「脚気」患者はほとんど出なかったのです。

日清・日露の両戦争で陸軍第二軍軍医部長だった森林太郎はのちに軍医総監にまで上り詰めた。海軍を「脚気」から救った高木兼寛の功績は、森林太郎が死去するまで公的には封印されたままでした。

行政の医官も軍の医官も帝国大学の出身であり、ドイツ医学の信奉者であった。
高木らの功績を全員で無視し、多大な死者を出した失敗は黙視する。皆でかばい合い、皆で無視すればなかったことになる。その傷を舐め合う者たちのあいだでは誰も瑕疵はない。つまり、全員無罪だ。軍部に楯突くモノは存在しない。だから、何事もなかったということだ。

生来優秀な人物であった高木は、のちに英国留学をしたとはいえ、苦学の人でした。18歳のときから薩摩藩蘭方医に師事し戊辰戦争時は薩摩藩兵の軍医として従軍。明治2年、開成所洋学局に入学し英語と西洋医学を学んだ。明治3年、薩摩藩によって創設された鹿児島医学校(現鹿児島大医学部)に入学するも、校長の英国人ウイリアム・ウイリスに認められて教授に抜擢された。(この項、ウイキペディアより)

いわばたたき上げの医官の功績は到底認めるわけにはいかなかったということでしょう。
この理不尽な判断により死ななくてもよかった貴重な青年の命が無駄に散ってしまったのです。このようなことが現代でも起きていないとは言えません。各種予防接種などに、そのような愚かな面子の張合いがないのか。学閥の力学が国民の健康や命より優先されていないのか。医療行政官と製薬業界との癒着のほうが国民の命より優先事項となっていないのか。
私たちは、油断なくウオッチングを欠かせない。

これらについては、日本のマスコミはまず当てにならない。彼らが一大キャンペーンを張るときは、マスコミ業界内部の暗黙の了解がついているときか、行政による画策があるときや、他社に先行報道された時などに場合であって、常時マスコミの使命として行動しているのではない。

軍の指揮官で作戦遂行上瑕疵があれば責任を問われたてあろう。
「脚気」については、医務作戦遂行上の大失態で多数の兵士に死者を出した。しかも、海軍ではすでに解決済みの病を陸軍ではむざむざと放置して、いたずらに無駄な多数の死者を出した。森の陸軍医官としての怠慢と傲慢は許されざる大罪と言えましょう。

このような「官」の在り方は現代においても変化はないようです。

森林太郎こと森鴎外は、「出家とその弟子」を書いた倉田百三に倣って、「脚気とその弟子」でも書いて、自らの大罪を悔いて懺悔すべきであった。
自分の立身出世のためにドイツ留学時代のドイツ人の恋人に対する変心を題材にした「舞姫」を書くより、「軍医森林太郎」の懺悔でも書いた方が文豪としてより高位の地位を築き上げられたのかもしれない。
.24 2013 未分類 comment0 trackback0

鴎外の論外体質

コメを主食とする民族に特有の疾患に「脚気」というのがありました。この「脚気」については日本のみならず、アジア地域に軍隊を出していた欧米にとっても悩みの種でした。
この疾患についての研究は主として日本、そしてインドネシア(当時のオランダ領東インド)で行われました。

当時の軍隊には「白い飯を毎日食える」ことが魅力で、経済的に恵まれなかった農村の青年たちの入隊の動機の中心でした。軍隊は「白米飯」で若者を釣っていたわけです。そして、軍隊に「脚気」が蔓延するのは必然の流れでした。「江戸患い」と言われた病はまだ克服されていなかったのです。

「脚気」とは、初期には全身の倦怠感、食欲不振ですが、やがて多発性神経障害による感覚麻痺、運動障害、循環障害を発症し、ついには呼吸不全、心不全によっいぇ死亡する病気のことです。

海軍では間もなく解決しましたが、陸軍ではしばらく放置されました。

英国海軍を範としてできた帝国海軍は、海軍軍医である高木兼寛に英国留学を命じました。留学から帰国した海軍医官高木が直面した課題が、軍艦の遠洋航海で水平に多発する「脚気」でありました。

欧米の軍艦では全く発生していなかったことから、高木は、問題は食糧にあると判断し水平の食事の改善に努めた。そこで、欧米の海軍の食事に倣って、小麦のパン、牛乳、肉をメニューに加えた。

ところが、江戸時代の食習慣が色濃く残っているため、四足獣の肉やミルク、食べなれない小麦パンを水兵たちは海に捨ててしまっていました。次に高木が試みたのは、白米にオオムギを混ぜることと、糖質に偏りがちな点を、タンパク質を多く含むものに変えることでした。

この食事の効果をテストするために軍艦「筑波」を遠洋航海に出しました。287日の航海中、333人の乗員中脚気患者は14人。死者は0でした。こうして、海軍の「脚気」は解決しました。高木はアメリカからも招かれ各地で講演して回ったほどです。

一方、ドイツ医学を主流とする陸軍は英国医学を学んだ高木の研究を認めようとしませんでした。軍隊のみならず、国の医学行政自体がドイツ留学組が主流でした。英米医学を一段低く見ていた彼らは、高木の功績が世界で認められているにもかかわらず、高木の生存中は頑として認めようとしませんでした。ドイツ医学に染まった彼らの頭脳が「かっけ」に侵されているとしか思えない状況でした。

陸軍でも高木方式を採用して「脚気」の追放に成功した部隊があり、指揮官が上層部に具申したにもかかわらず頑として聞き入れないばかりか、この指揮官を左遷するありさまでした。

これは、森林太郎による白米食に問題なしとする報告があったからです。「脚気」は伝染病であると主張したのです。

コッホ一門が、伝染病をその原因菌を発見して次々と征服していくことに心酔していた彼らは、「脚気」は劣悪な環境と食事によって発症する伝染病であると主張し続けていたのです。

以下、次回に続く。
.23 2013 未分類 comment0 trackback0

パンか米飯か

この問題の論も活発のようです。私は、どちらがいいとか悪いとかの論はナンセンスだと思っています。どちらでも好きなほうを適度に食べればよいと思います。
私は、ご飯を食べるのは月に4~5回です。それも、白米だけのご飯ではなく、五目飯であったり、小豆やグリーンピースなどの入った豆ご飯を食べます。

炭水化物として、主として食べているのは100%全粒粉のパンです。
100%全粒粉の小麦粉と塩と天然酵母(卵 乳 バター不使用)で焼かれたパンです。ズシリとした質量感は心を豊かにしてくれます。卵や牛乳のアレルギーでもありませんが、余計な添加物が含有されていないことが気に入っています。
このパンは製法が難しいらしい上に、ペイさせるのも難しいらしい。

玄米、五穀米、雑穀米といろいろ食べ比べて見ましたが、どれも美味しくない。健康のため、栄養摂取の為とはいえ、せっかくの人生をこんな不味いモノをわざわざ食べることもないと思いました。こんなものをもぐもぐと何回も噛んで食事をするなんて耐えられません。それに、精米で失われた栄養分を補う簡単な方法がいくらでもありますから、ご飯をたべるときは白米でよいと、私は思っています。

親子丼、天丼、うな重、にぎり寿司など大好物ですから、白米ご飯を食べる機会はあります。とは申しましても、これらは外食でたべますから滅多に口にしません。
出来るだけ外食をしないで家で食べますので、最近これらを口にする事はあまりありません。

かくして、毎朝の食事での炭水化物はパンということになります。
ここで問題になるのは、ショートニングとマーガリンです。
このふたつは出来るだけ摂取したくない。お呼ばれのときや、旅行時は仕方なく食べますが、普段は。パンにしろお菓子ケーキの類でもショートニングとマーガリンを含有しているものは避けるようにしています。

高齢の私がわざわざ避けるほどのことか、とも思いますが、幾つかのこだわりを持つのも趣味にも似て面白いと思っています。
ですから、旅行時やお呼ばれのときは平気で禁を侵すのです。
何が何でも、というほどのことではないからです。それほどこだわらない拘りはストレスが少なくていいものですよ。世間も狭くなりません。

ショートニングとマーガリンを使っていないパンを探すのは大変です。まず手に入りません。殆どすべての市販のパンにはこの二つは使われていますし、空気をたくさん含むように工夫されていますので、スカスカの超軽量のパンばかりです。勢いよく咬むと歯と歯が強く当たるので要注意ですね。

一日の食事の具体的な食べ方ですが、我流の栄養摂取法を実践しています。
これとて、いつも疑心暗鬼状態でガチガチにこだわってはいません。いつも最新の研究結果を導入しますのでコロコロ変わります。このコロコロ変えるのも楽しいものです。飽きが来ません。マンネリに陥りません。

そうは言っても多少はこだわっています。楽しいからです。
自分で調合する朝の定番のモノと全粒粉パンで朝は始まります。
かなりのボリュームです。私は朝食をしっかりと摂ることにしています。

昼食は、その日の運動を含めた労働量に応じて摂ったり摂らなかったりします。摂るにしても、ごく軽い昼食にしています。空腹を感じるなら、その虫押さえ程度です。
夜は、繊維質たっぷりの野菜と海藻ふんだんの汁物や肉や魚のタンパク質を摂ります。
野菜は、フィトケミカルを意識しますのでカラフルです。サラダを少しと温野菜をたくさんです。

夕食の炭水化物は、ときおりご飯(豆ご飯やごま塩かけご飯)を食べますが全粒粉パンや大好物の黒豆大福二個をご飯の代わりに摂ります。甘党の私にとってささやかな楽しみなのです。無論、黒豆大福を食べるときは、ご飯もパンも食べません。糖質過剰を避ける為です。私の場合は、糖質過剰摂取は即、肥満につながります。
.20 2013 未分類 comment0 trackback0

栄養失調の野菜たちとサプリメント

水っぽくってトマト特有の匂いや味が薄くなった現代のトマトだから私も食べられるようになりましたし、いまや好物の一つになっています。これも困ったものですが、散々懲りた挙句のことですからご勘弁願いたいところです。

現代は、ビタミン・ミネラルなどの微量栄養素が極端に少なくなった栄養不足野菜が氾濫している時代になってしまいました。
原因は野菜を育てる土壌が大きく変化したからですが、その辺の事情は皆さんも十分ご承知ですからくどくは申しません。

しかし、どのようにひ弱なのかは時折確かめてきちんと認識しておかないと、食べている割には栄養不良な食生活になっていることを忘れてしまいます。

手元の資料によりますと、
ビタミンCについてトマトとほうれん草を、昔のものと比較してみます。
一日の摂取量(厚生労働省推奨)のビタミンCをほうれん草だけで摂ろうとすると、50年前は2株で十分だったものが、今では9株も必要です。つまり、現代のほうれん草は50年前のほうれん草の20~25%のビタミンCしか含んでいないことになります。

北海道中央農業試験場が発表したデータでは、
ほうれん草100グラムの中のビタミンCの量は、
1950年150mg, 1963年100mg, 1982年65mg, 1994年8mg となっています。
驚くほどの減少率です。

トマトについては、1950年当時と比べますと、ビタミンCは1/2、鉄分では1/25しか含まれていません。

さらに、食材のカロリーやビタミン含有量を計算するために使用される「五訂 日本食品標準成分表」の野菜の栄養成分を四訂(1982年)と比較したデータでは、ホウレンソウ コマツナ ブロッコリー などの15品目で減少していたそうです。
100グラムのビタミンCは
  ホウレンソウ 四訂で65mg 五訂で35mg
コマツナ   四訂で75mg 五訂で39mg となっています。

こうなると、せめて旬の野菜を摂るようにすべきだと思います。

私は割り切りました。
汚染された毒まみれの野菜でさえなければ現代の野菜を受け入れることにしました。
簡単に手に入るならば露地ものも買いますが、安全な野菜であればスーパーで買えるものでもよい。

サプリメントにつきましては、ほんの数年前までは関心がありませんでした。むしろ、反対の立場をとっていましたが、嫌いだったトマトが食べられるようになってから匂いもない味が薄い野菜を少々検討しているうちに、サプリメントの有用性に気づきました。

体内での「代謝」ということを考えますと、現代の野菜や果物ではおぎないきれないことに気づいたからです。

炭水化物、脂肪、タンパク質の三大栄養素に次ぐ重要な栄養素であるビタミン・ミネラルの摂取には現代科学を利用することにしました。フィトケミカルもそうです。

旬の野菜や果物を食べ必要な食物繊維を摂取し、微量栄養素を不足ながらも摂取、あとは三大栄養食品を過不足なく塩梅する。抗酸化対策を怠らずに適度な運動をする。ストレスは可能な限り溜め込まない。不要な争い事や過分な欲をかかない生活を心がける。

高齢者といえども人間は動物なのですから動いてナンボのものです。

まずは動くことです。身体が動けば心も動く。心が動けば頭も動く。
TVの前で鉢植えの盆栽のような生活をしないで、まずは身体を動かして動物らしく生きることをお勧めします。


.18 2013 未分類 comment0 trackback0

50年嫌い続けたトマトの話

急に野菜が届かなくなった頃、私は母への謝罪の気持ちからか自分で野菜を育てる気になりました。裏庭の奥の緩い斜面を切り崩して畳二枚ほどの畑を作り、そこにはトマトを、その切り出した土を運び、玄関前の隅の方に畳一枚ほどの畑を作り、そこにはキュウリとナスビを植えました。

隣家の家庭菜園夫婦の指導を仰いで肥料などを分けてもらいました。堆肥でしから、今で言う有機農法というわけです。
私の農業は大成功でした。土地、肥料は勿論、陽加減も水加減もたまたま良かったのでしょう。信じられないくらいの大豊作で、毎日鈴なり状態のトマト、キュウリ、ナスに欣喜雀躍しました。

シーズンにはいると、学校から帰宅するたびに鈴なりのトマトが迎えてくれました。美男美女のトマトもあり、筋骨隆々としたトマトもありました。それら不揃いのトマトたちが私の農業の成功を祝福するかのようでした。
でも、これがいけませんでした。

「はまって食べんシャイ」
「お天道様のお恵みだから、無駄にしちゃいかんばい」(以上、北九州筑豊弁)
妙に説得力のある言葉に乗せられて、ひと夏のあいだトマトを食べまくりました。

ナスやキュウリは母が漬物にしたり、味噌汁の具にしてくれましたが、トマトはそのまま食べるしかありません。当時は、洒落たイタリア料理を作れる時代ではありません。塩をふってかぶりつくしかありません。

匂いが鼻についてムッとするのに10日はかかりませんでした。一日に10個以上は食べていたのですから、終わりの方は拷問にも似た苦行となりました。今度は、収穫したトマトをザルに入れて近所の友人宅に持ち込み食べてもらう羽目になってしまいました。食べても食べても、次々とできてくるのです。そのうえさらに成長を待つ小トマトが鈴なりです。

もうトマトを見たくもありませんでした。想像しただけで、強烈なトマト臭が鼻腔を占領し、顎関節症の患者のごとく開口不能となり、食道の入り口を閉ざし胃の入り口に施錠してしまうのです。

勿体ない話ですが、夏の終わりの頃は大部分を腐らせてしまいました。それがまた気分をも腐らせました。

以来50年というものトマトを食べることはありませんでした。見ただけで、あのむせかえるような匂いに襲われる始末でした。

東京に来てから時折、私の食べず嫌いだと誤解した親しいフランス料理のシェフが美味しいドレッシングをかけて供してくれた時は義理で口にしたことはあります。巧みなドレッシングに惑わされてなんとか食べることは出来ました。トマトの味は無視してドレッシングを味わっていたのです。

この経験から、安い食材も高級醤油やソースで美味しく食べる技術とか、食べさせられる技術を身につけたような気がします。安物の刺身も上等の醤油で高級食材だと錯覚させられことも覚えました。ある人の通夜の精進料理で、安い刺身を安い醤油で食べさせられた時にしみじみといろんな食べさせ方があるのだと知りました。

食道でもレストランでもトマト味には敏感にですから、無意識のうちにトマトを選り分けて徹底して食べ残してきました。家庭でもいろんな試みをしてくれましたがすべて拒否してきました。このころになると、トマトを使った多彩な料理がることを知っていましたが、トマトというと連想ゲームのように、あの匂いとともにあの不揃いのトマトたちが勝ち誇ったように私に襲いかかる強迫的な光景が目に浮かぶのでした。

しかし、いつの頃からか「トマト臭」が消えていることには気づいていました。昔のトマトとは違う「無臭のトマト」に変わっていることに戸惑ったことすらあります。

虚弱な野菜、栄養不良な野菜、見せかけだけのひ弱な野菜の時代に入っていたのです。

抗酸化の観点からトマトのリコピンなども摂取しない手はないとばかりに、数年前からトマトに挑戦するようになりました。何のことはありません、あの忌まわしい強烈な臭いのかけらもありません。

見事に熟した真っ赤なトマトは私かつて恐れおののいたトマトとは全く別物でした。
工業化した農法がもたらす工業製品ともいうべきトマトは、個性も主張もない、体臭も口臭も腋臭もない、フラットな優等生のような無表情なものに変わっていました。

見てくれは見事に美しくなり、大きさも形も整然と整えられ、さながら南方のフルーツのような姿で誘惑するトマトを最近は好んで食べるようになりました。
昔の子供たちが嫌っていた野菜を最近の子供はよく食べるようになったという話を聞きますが、おそらく無臭で無個性な野菜だからカラフルな点が受け入れられているのではないかと思われます。

僅かな栄養素以外は水と食物繊維だけの野菜に添加物だらけのドレッシングをかけて、美味しい野菜をたっぷりとっている気になっていなければいいがと心配しています。
.18 2013 未分類 comment0 trackback0

野菜にまつわる苦い思い出

中学二年生の春、急に思い立ってトマトとナスとキュウリを育ててみたくなった懐かしい思い出があります。自宅の庭の一角に約四畳半くらいのスペースを私の畑として使用することになりました。夏にかけて、堆肥や人肥料を使い、いわゆる伝統的な農法を実施しました。

私のらしからぬ申し出に両親は訝ったようですが、結構よく協力してくれました。その頃、私は旧制中学だった高校に入るために越境通学をしていました。結局は、学区制が強化されて本来行くべき中学に他の生徒たちともども強制的に転向させられました。越境していた中学は農村部にありましたので、農村の子弟の友人ができました。

その友人たちの家に遊びに行きますと、あらゆる野菜が豊富に在り無造作に積み重ねられていたり、穫れたての野菜が瑞々しく並べられていたりしました。育ってきた環境との違いに大いに心が弾んだ記憶があります。

三人ほどの友達を子分として従えたのには下心がありました。その子分たちにおいしそうな野菜を献上させようとしたのです。命令というとおこがましいのですが、当時はその表現がぴったりのように振る舞っていました。

彼らが。私が望んだものを風呂敷に包んだりリュックに背負って我が家に持ってきたときは、母親に「貰ったよ」とか「くれるんだって」としか言いませんでしたから母親は喜んでいました。ところが、度重なると私の母親もいささか心配になったようです。それより先に、彼らの親が騒ぎ出したようでした。

なにしろ、私が「トマト」といえばそれをどっさり、「芋」と言えばそれをどっさりと運んでくるのですから問題になって当然です。時にはリヤカーで持ってくるのですから半端な量ではありません。我が家でも、近所にお裾分けししなければとても食べきれない量ですから。

ついに担任教師の知るところとなり、母親ともども学校に呼ばれしっかりと指導を受ける羽目になってしまいました。両親の嘆きは、それは大変なものでした。彼らの家に父親同伴で一軒一軒お詫び行脚をしたものです。今でいうところの「カツアゲ」なのです。私は、我が家に野菜がいっぱいのなるのが嬉しくて、母親が喜ぶ顔(最初のうちですが)をみるのが嬉しくて、このように貢いでくれる子分が居ることを誇りにしていたのです。

なぜなら、取引だと思っていたのです。その頃多少勉強ができていた私は、どちらかというと出来の悪い彼らの勉強の面倒を見ていたのです。その対価として、「お前は大根、お前はカボチャ、お前はきゅうり」などと指示していたのです。

本人たちも、こう度重なると家から持ち出すのに苦労したのでしょうし、それぞれの親からの詰問に耐えられなくなったのでしょう。学校にばれるのも時間の問題だったのです。
越境してきた生徒がとんでもない不祥事をしでかしたと職員間では大問題になったと、あとで担任教師から「笑い話」として聞かされた時はすっかり落ち込んだものです。

本来の学区に戻されたのはその事件のせいではなく学区制の強化によるものですが、いざ転校というときには、子分の彼らの親からたくさんの野菜がプレゼントされ、私の両親も戸惑いを隠せない様子だったことがおかしく感じられたものです。

この一件で、「知は金になる」ということを知ったような気がしました。ただ、私のその後は「知を金にする」という世過ぎ、世渡りとはかけ離れた肉体労働の人生になりました。

「知を金にする」ことの裏に潜む大罪や、その行為のいかがわしさに気づかされたのかもしれません。以来、その種の世過ぎの人士に多少ですが不信感を持っていることは否定できません。それはそうです。子分たちに指示しながら、心のうちでは「こんなことをしていいのかな~?」とか、重そうに背負ってきた彼らに申し訳ないという思いから逃れられない意識は常にありました。

浅薄な知識より、汗して働いた成果のほうがはるかに価値があると思っていたことは確かです。したがって、この取引は正当ではないという意識はありました。
学校時代に数々の不祥事を引き起こしてきた私ですが、この一件は、その中でも苦い思い出として頭から離れません。

このあとです。私が自宅で野菜を育ててみようという気になったのは。
.17 2013 未分類 comment0 trackback0

私の肥満と減量

食べ物をよく噛むと、脳の視床下部からヒスタミンというホルモンが作られ、脂肪組織から満腹物質と言われるレプチンが分泌されます。すると、そろそろ食べ終わろうということになります。

この満腹中枢が刺激を受けると、交感神経からノルアドレナリンが分泌され、副腎皮質を介してアドレナリンが分泌されます。前者は筋肉内の脂肪を、後者は中性脂肪を分解して遊離脂肪酸にして筋肉で利用されやすくします。

よく噛んで食事をすれば、それだけでも脂肪の燃焼力がアップして肥満の防止につながります。

歯を喪失させていたり、咬み合わせが悪かったり等の条件下ではゆっくり咬もうと思ってもよく咬めません。いまどき前歯を欠いたままという人は都会では見かけなくなりましたが、奥歯を数本欠いたままの人は多くいます。

このような人は、臼歯部咬合がうまくいかず咀嚼が十分にできません。揃っている前歯で咬んでいる人は次第に前歯が突出(出っ歯になる)することになり、これが故に臼歯部(奥歯)の咬合がさらに悪化します。こうなるとほとんど丸呑みということになります。

私は、臼歯部を一部欠損のまま数年を過ごしてみました。右側臼歯部を上下1本抜歯ということになりましたとき、このままでしばらく欠損している状態がどのようなものかを体験してみようと思った次第です。

・固いものは咀嚼しにくい
・咬みやすいものを選ぶようになる
・片側だけの咬合になんとなく不安が生じる
・この不安が食事のたびにストレスをもたらす
・咀嚼時間が短くなる
・咬合関与筋の片側だけが発達し反対側は筋力が衰える
・顔面の左右が不均衡になる
・片側咬合が原因の顎関節症発症の不安がある
・咬合している側の歯の摩耗が進行する不安がある
・その歯の摩耗(咬耗)により、顎関節のズレが生じる不安ー常に触診してチェックしてきました
等々を感じながらストレスいっぱいの食事を10年近くしてきました。

歯の欠損が故の食事時のストレス、仕事のストレス、私生活のストレスなど人生で一番ストレスの多い時期をリスキーな身体条件を抱えたまま過ごしてきました。

案の定、肥満です。90㌔超えの悲惨な事態になってしまいました。一念発起して、減量に取り組みました。時間医学と時間栄養学、分子生物学と分子栄養学に、悪い頭を駆使して取り組みました。

食事内容を検討し、摂食時間を規則正しくすることから始めました。睡眠時間の確保と就寝時間と起床時間も変えました。規則的ではなかったウオーキングなどの運動を規則化してみました。

69歳の半ばから70歳の一年間。約一年半の時間をかけて月当たり1~2㌔の減量に励みました。その間、筋力の低下を避けるため、毎日1万歩のウオーキングと軽いジョギングをし、鉄棒を使った上半身の運動と腹筋の強化などをしてきました。

現在の体重は25㌔減の67㌔を維持しています。1~2㌔の変動はありますが目下のところ順調な推移をしています。

若いころは、「食事なんかに時間をかけていられるか」というタイプの人間でしたし、生来早食いでした。やりたいことや、しなくてはならないことが山ほどある青壮年期に、健康のためにゆっくり自分と向き合う時間が取れるはずもありません。

仕事や夢を追うために時間が足りなくて仕方がない時に、十分な睡眠のお薦めなどに構ってはいられません。それが現実です。
死屍累々。現実は真面目に一生懸命に頑張った人たちほどバタバタと倒れるのが現実です。

「君はできる奴だ」「君の将来に期待している」とおだて挙げ、多量の仕事の責任を持たせれば早晩斃れるのは明らかです。それでも、人は頑張るのです。脳がそうさせるのです。身体の悲鳴は脳がかき消すのです。気づいたときは遅いのです。

それでも、生来頑健な身体の持ち主やストレスリリースの巧みな人は生き残ります。
長寿社会はこのような人たちによってつくられています。それでも半数は寝たきりですし、ただ息をしているだけという実態です。

先日、私の歯の治療が終わりました。毎日、快適な咀嚼をしています。
.09 2013 未分類 comment0 trackback0

日焼けとビタミンC

 野菜や果物のように、太陽をタップリ浴びると葉や 実がよくなり、根には養分がタップリと蓄えられる植物と人間が同じだと思っていたのでしょう。子供の頃は、夏になると、太陽をいっぱいに浴びて真っ黒に日焼けしろ。そうすれば、冬に風邪を引きにくくなり、元気に過ごせると言われたものです。まるで、野菜や果物並みでした。

オゾン層破壊の問題が表面化した頃からでしょうか、紫外線の害が注目されだしました。紫外線遮断グッズが盛んに出回り、紫外線防止化粧品が一大市場を獲得するようになりました。

今では、年寄りの私も、ゴルフの際には長袖を着て、露出部位は日焼け止めクリームを塗りたくっています。真っ黒になるまで日焼けして、肩や鼻の頭に火傷の水膨れを作っていた子供時代とは隔世の感があります。

顔にシミができることをさほど気にしませんが、体全体に強い紫外線を浴びることは避けたいのです。生きているだけで、宇宙線のアタックを四六時中受けていますし、年中紫外線のアタックを受けていますので、春から秋の終わりまでの強い日差しは特に避けています。冬ももちろんです。冬の紫外線の強さも侮れませんね。

具体的には、度入りサングラスを年中使っていますし、帽子は常に被っています。朝方の散歩で燦燦とふりそそぐ太陽に身を晒したあとは出来るだけ日陰を歩くようにしています。
体内時計の調整と骨形成のために必要な紫外線を浴びれば、後は余計だからです。

帽子も遊び心でいろんなモノを被りますし、サングラスをしていますので堅気の老人とは見られていないかもしれません。堅気でないと見られようが、グレた老人と見られようが、少しお軽いと見られようが平気です。身体を守りがてら帽子やメガネで遊んでいるのですから、余計なご意見は片腹痛しとばかりに無視しています。

もう一つ大事なことは、この時期の特に陽光がキツイ日はビタミンCを大量に摂取しています。身体の中からの対策です。普段の食事で、フィトケミカルの摂取などの抗酸化対策はとっていますが、さらにビタミンCの摂取を心がけています。

ビタミンCはヒトの体内で生成できない重要な物質です。40年前、ポーリング(米国 ノーベル賞二度受賞の科学者)が盛んに提唱し、日本では三石巌が盛んに唱えたビタミンCです。私が35歳頃でしたが、当時は二人の著書に没頭したものです。
お陰様で、私の臨床でも歯周病などにとても良い結果を出して来ました。特に、ストレスと歯周病には顕著な効果がありました。

大事なことを書き忘れていました。目の保護です。眼球の日焼けによる白内障の予防です。眼球はビタミンCを濃縮して含む器官であると言われています。紫外線による目の障害防止とビタミンCの関係はとても重要です。

老人性白内障は、日光、高エネルギー放射線(X線、中性子)、感染、糖尿病、栄養不良などが原因です。多くの研究報告によりますと、白内障になった眼の房水にはビタミンCが非常に少ないことと、白内障患者で、しばしば血漿のビタミンC濃度が低いことが報告されています。モンジュコワとフラドキンの報告によると、白内障になる前に、水晶体のビタミンC低くなる。したがって、低ビタミンCは白内障の原因であって結果ではない、と結論しています。老人の泣き所です。

直接太陽光や地面からの反射光で水晶体の日焼けが怖いので、高齢者としては常にビタミンCを補充しているわけです。
また、ビタミンCはメラニンの生成を阻止する作用があります。このメラトニンという褐色色素の原料はアドレナリンとドーパというものです。アドレナリンは副腎髄質から分泌される神経ホルモンであり、ドーパは神経ホルモンのノルアドレナリンの前駆物質です。ビタミンCは、このアドレナリンやドーパがメラニンになる反応を阻止する作用があるのです。つまり、皮膚の日焼け対策として欠かせない物質なのです。

暑い盛りに一日中外にいる場合は、皮膚の保護、目の保護、紫外線により全身に発生する活性酸素に対する抗酸化対策として、外部は衣服、帽子、サングラスとクリームを、そして、体の内部はビタミンCの大量摂取で万全の対策をとっています。

その日の疲れも感じませんし、翌日に疲れを感じることもありません。因みに、そのような場合に、私が摂取するビタミンCの量は一日当たり約6グラムです。普段は、2グラムから4グラムくらいです。

風邪をひいたり、インフルエンザにかかりそうになったりかかったりした場合、強いストレスを受けそうな時や受けた時はCの摂取量はさらに増しますが、幸いここ数年はその必要がありません。普段十分な量を摂取しているお蔭だと思っています。
私は、メガビタミン主義者のカテゴリーに入っていると思います。

ビタミンCやその他のビタミン、そしてサプリメントについては今後さらに述べてみたいと思っています。
.02 2013 未分類 comment0 trackback0

笑うが勝ち 落語家医師の早逝

最近、腹が痛くなるほど笑うということが少なくなったような気がします。
私は子供の頃からよく笑う方で、腹を抱えて転げまわって笑ったものです。「男があまり笑うと馬鹿だと思われるよ」と母親によく言われていました。

30歳代半ばころ、会員制のクラブのバーテンから、「須藤さんは、笑って居ても目が笑って居ない」と言われたことがあります。そのような人のことは知ってはいましたがまさか自分がそのように言われるとは意外でした。

元来、どちらかと言えばひねていた方ですし、30歳台や40歳台は一番手が付けられない生意気盛りですから、所作に格好をつけていたのかもしれませんし、あるいは、愛想笑いという社交性を身に着けていた頃なのかもしれません。

実際、腹を抱えて、腹が痛くなるほど笑った後は、身体に居着いていた不愉快なことやストレス源がどこかにすっ飛んで行ってしまったような爽快感があります。血液循環もよくなり、全身の筋肉をゆすったのですから、見も軽くなって頭も大掃除をした後のようにすっきりします。

米国のジャーナリストのノーマン・カズン氏は難病である強直性脊椎炎がもたらす強烈な痛みが笑うことで和らぐということを自らの体験として明らかにしました。これが一つの契機となって笑いの効用の研究が世界で幅広く行われるようになり多くの知見が得られました。

笑いが免疫細胞であるナツラルキラー細胞を活性化し、治癒力を高めることは広く知られています。

国際科学振興財団の「心と遺伝子研究会」(代表:筑波大学村上和雄名誉教授)が、糖尿病患者たちに漫才を見せて笑わせる実験をしたところ、食後の血糖値が大きく下がったという報告があります。ある大学病院では、吉本新喜劇などのお笑いを定期的に見せたところ、糖尿病や高血圧の患者の数値が10数㌫も改善したと報告しています。

笑いにはその他に、
*脳内ホルモンの分泌により、苦痛を感じにくくなる。
*内臓の働きが向上する。
*アルファ波が増えて全身が癒される。
*若返りホルモンの分泌が促される。
*忍耐力が高まり、やる気が出る。
などの効果が各方面から報告されています。

一方、笑わせるほう、笑ってもらう方は大変なストレスを感じる行為です。

これについて非常に残念な話があります。群馬県高崎市にある群馬脳神経外科病院の落語家医師として全国的に有名でありました中島英雄医師が67歳という若さで急逝されたことです。

小学校3年生で故十代目桂 文治師匠に入門。高校時代には、追手家(おいでや)あのこ、吾散家(あちらや)小ちらを、そして群馬大学時代は都家前橋(みやこやぜんきょう)を名乗り、昭和61年には文治師匠より初代桂前治の芸名をもらったという本格派の落語家でした。

「テレビで観るコントなどの視覚によるものより、落語のような聴覚刺激による笑いのほうが、大脳が活発に働く。また、古典落語のように笑いのツボや落ちがわかっていることが、脳をリラックスさせる」とは氏の主張する落語の効用でした。

月に一度、院内の寄席で、桂文治一門の桂前治として高座に上がり、自院の患者や近隣の人たちに落語を聞かせ、臨床成績の向上を身を挺して実践していました。テレビの健康番組にもよく登場していたドクターでした。
2012年06月29日、急性心不全で亡くなられました。ご冥福を祈るばかりです。

医師として多忙な日常、落語家医師としての「笑ってもらう」ストレス、TV出演、講演に執筆とその多忙さは常人の想像を超えると思われます。笑いと健康の普及と実践の戦場で「笑ってもらう」ストレスに斃れられたのかと思うと、言葉もありません。残念と申し上げるほかはありません。

「笑いと健康」、これは科学的にも実証された事実です。我々は大いに笑って健康を増進し、病を治したいものです。では、笑わせる人たちはどうすればいいのか。

この方たちにも、大いに笑っていただくしかありません。
「三年に方頬」。男は三年に一度くらい片方の頬をちょっと緩ませる程度に笑うがいいという言葉があります。こんな陰気なかっこつけの奴を、タガが外れたように大笑いさせてやるのも一興ですよ。
.02 2013 未分類 comment0 trackback0
 HOME 

プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR