閑話休題 高齢出産とミトコンドリアと少子化 No2

さて、私たちの体の細胞の中にあるミトコンドリアはすべて母親譲りのものなのです。精子は受精時に尾っぽをふりふり健気にも卵子に到着し受精しますが、尾っぽはすぐ切り離されてしまいます。精子のミトコンドリアはこの尾っぽの中にしか存在しないのです。ですから、卵子のミトコンドリアしか子供には伝わらないのです。

卵子は女性の体の中で排卵の順番が来るまで長いこと待たされます。その間、宇宙線や放射線、医療用X線や医薬品、食品添加物や汚染された大気、紫外線やストレス、細菌やウイルス感染、喜怒哀楽などの情動による活性酸素の危険にさらされています。

ミトコンドリアによるエネルギー産生の際にも活性酸素が発生します。これにはSODという活性酸素除去物質が存在しますが加齢とともに減少します。しかも、ミトコンドリアのDNAが活性酸素によって障害ができたら修復がききません。

つまり、年齢がいくにしたがって、女性の体の中の卵子には不良ミトコンドリアができる確率が高まるといことです。この不良あるいは不活性ミトコンドリを持つ細胞の分裂の結果、人体ができ上るということになります。

人体各部位の機能の違いは卵割が終了してさらに複雑な機能分化の段階に入ります。よくご存じのごとく、外胚葉、中胚葉、内胚葉のステップに入ります。外肺葉からは胃。腸、肺、消化腺ができ、中胚葉からは心臓、血管、腎臓、性器、筋肉、骨格ができ、外肺葉からは脳、脊髄などの神経系や表皮などができます。

不良や不活性ミトコンドリアが細胞分裂の結果、どこに入り込んでいくかで、その個体の将来が決まるとすれば、卵子の障害の積分が進行しないうちに、若いうちに受精し出産することが大切であることは論を待ちません。

極論すれば、男は受精させた後は仕事に専心し餌を運ぶ役割です。育メンとか、家事全般をする主夫などと恍けたことを誘導するより、若いお母さんが安心して子育てをできる経済大国や高質の政治を行うことが、何よりの少子化対策です。論理矛盾がわかっているのにいたずらに議論しても対策は打てません。

消費者の員数増や、納税者の員数増を目途して、女性の権利向上を利用したのであれば、少子化と国家の衰退は政治にあることは明らかでしょう。
子供にとって絶対に必要な、母のあふれる愛情を保証される子育てができることと、女性の地位向上が両立できないはずはない。女性の社会進出と少子化対策は論理矛盾です。

それとも、婚外でも結構、女性は子供をどんどん生んでください。あとは、国家の施設で子育てはしますとでも言うつもりなのでしょうか。どこかに、養鶏場のような子育て施設をつくって、日本の未来を背負う有為な子供を保育するつもりなのでしょうか。

この私も、実は、生まれ変われるものなら今度は専業主婦になりたいと思っています。女性の権利が今より向上しているのが前提ですよ!夫と子供のために自分の叡智を尽くして尽くして幸せな家庭をつくり、自分の自由な時間を持って、人生を豊かに過ごしたいと思っています。その自由な時間で大学に行ったり、ショッピングをしたり、昼寝を愉しみたいと思っています。政治の安定と経済的保障も前提ですよ。外に出て、男たちと戦いながら仕事をするなんてまっぴら御免です。出来の悪い男たちと、社会に出てまで関わりたくありませんからね。

このような話をして別れました。この文章のうちのミトコンドリアのさわりだけですよ、話をしたのは。
勿論、結婚に不安や恐れを抱かないような話し方にはしましたが、このようなことが話題に上がったり、相談されたりしたときに、明るい展望をもって話し合うことが困難になり、ついつい避けて通る話題になっている現状から脱したいと、心から願っています。
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.31 2013 未分類 comment0 trackback0

閑話休題:高齢出産とミトコンドリアと少子化 No1

最初にミトコンドリアについて。 

今年39歳になるA子さんは、子供の頃、私の治療を受けていた患者さんです。
偶然、渋谷駅で会い、互いに、2時間ほど時間があるということで近くの喫茶店に入りました。久闊を除した後、仕事と結婚の話題になるのは自然の流れでした。私のことが中心なら、老化や病気の心配になるのですが、A子さんが中心です。

 女性と仕事という、社会学的な話や少子化問題での政治的話題は面白いのですが、話が多岐にわたり混迷するのは明らかですからこの際、話の核は、高齢出産の危険性について科学的側面からささやかな知見を述べることにしました。A子さんを不安に陥れ、結婚出産についての夢を砕いてはいけませんので、その点は十分に配慮したつもりです。

 ミトコンドリアは最近よくマスコミにも取り上げられるようになりました。50年以上も前、mitochondria のことを、マイトチョンドリアなどと称しながら日常的な話題でしたが、近年ミトコンドリア病というものまで明らかになり、よく知られるところとなりました。

 私たちの活動エネルギー生み出すシステムが2つあります。一つは解糖系であり、もう一つはミトコンドリア系です。解糖系は食物の栄養素の一つである糖質を分解してエネルギーを生み出し、ミトコンドリア系は栄養素と酸素を結び付けてエネルギーを生み出すシステムです。解糖系は酸素を必要としません。

太古の時代、生命が誕生したばかりの地球には、エネルギー源は外部から得た栄養素を分解し燃焼させるだけの解糖系というシンプルなシステムで生存し、分裂して増殖できる単細胞生物のみが生息していました。

 このような状況に大きな変化が訪れたのは約32億年前と言われています。太陽光をエネルギー源にして光合成をおこなう光合成細菌が現れ、大気中に酸素が大量に放出されるようになったからです。

大気中の酸素は、さまざまな物資と結びつき相手の電子を奪い(酸化させる)ます。酸化は老化でもあります。酸化が進めば生命は機能障害を起こし死滅していきます。無酸素下で生きてきた生命体にとって酸素は猛毒ガスなのです。長い時間を経て、有酸素下で生きることができる好気性菌が出現しました。

従来の生命体の中には、この好気性菌を取り込み、共存を図ることで、有毒なガスである酸素をエネルギー産生に利用する原始生命体が出現しました。

この取り込まれた好気性菌がミトコンドリアであり、取り込んだのが私たち人間のはるか昔の祖先だったのです。このミトコンドリア系のエネルギー産生は、無酸素下の解糖系が産生するエネルギーをはるかに上回るものです。この、高エネルギー発生装置を備えた生命体は素晴らしい進化の原動力を得たのです。

.31 2013 未分類 comment0 trackback0

私とウオーキング

私は、 ジョギングとランニングはいたしません。
シューズはそれなりのものを履いていますが、走るということは舗装道路から受ける強い衝撃を身体が受け止めるということです。
体内臓器は通常の生活でも重力によって下方へ垂れ下がって行くものです。時折、逆立ちをして臓器の位置修正をしているくらいですから、重力に加えて下方への衝撃で、わざわざ臓器を下へ下へと移動させている不安がつきまとうからです。

さらに、ウオーキングに比べてジョギングやランニングは空気の吸入、つまり、酸素の吸入が多くなります。ここで、心配になるのが活性酸素の急増です。疲労に伴う筋肉内の乳酸の増加もありますが、これは事後の休養とか、寝転がって両足を上にあげて曲げたり伸ばしたりをゆっくりやれば、血液循環の促進によって解消されますし、乳酸はそれなりに利用することができます。

ところが、活性酸素は感心しません。活性酸素のことは、このブログではこれから度々触れますのでここではこれ以上は申しませんが、むしろ、良かれと思う運動が体力を消耗し、老化を促進しかねないという不安があるからです。

もっとも、これは60歳以降の高齢者にとって適当でないと思っているのでして、循環器系や呼吸器系に欠陥のない元気いっぱいの若者や壮年期の人のことには言及していません。職業として走ったりする人や、スポーツ選手は仕方ありませんが、普通の人が健康のためということであるなら、私は賛成しかねます。

私は、30歳台後半から今日までウオーキングは欠かしません。働き盛りの時は不摂生な生活もしていましたので、毎日というわけにはいきませんでしたが、可能な限り継続してきました。横浜市の青葉区から皇居まで歩くなんてことも平気でやっていました。歩くことによって、街並みに新たな発見があって興味がつきませんでした。

原則として、自動車が多い道路や繁華街の人混みはさけて歩いていましたので、住宅地の奥にある静かな田園地帯を歩くのが好きです。
車の排気ガスを目一杯吸い込みながら、幹線道路脇を走ったり歩いたりする気はなりません。排気ガスも体内で活性酸素を大量に発生させますので、健康のために不健康になっているようなものだと思うからです。

繁華街を、人の波を縫うようにして走ったり、ウオーキングをしている人もいますが、私にはそんな器用なことはできませんし、一般通行者のおおいなる邪魔者ですから私はしません。さらに、ぶつからないように走ることは結構なストレスです。
このストレスが活性酸素の発生源となります。

わざわざ排気ガスを大量に吸い込んだり、人混みでストレスフルなウオーキングやジョギングをしている人にその効用を聞いてみたいと思っています。私の考えもつかない魅力的な効用があるのかもしれません。

私は、人や車が少ないところ、空気が可能な限り綺麗なところを選んで行った方が良いと思います。都会では難しいのですが、運動をしている姿を他人に見てもらいたがらなければ、其れなりによい場所があるのではないかと思います。
是非、安全で無理のないウオーキングやジョギングをしてください。

高齢者は、人を追いかけて走ることもないし、追いかけられて逃げることも想定できませんので、走る必要はないと思います。
重力に逆らいながら、筋肉を鍛え、可動部位を動かし、血液の循環をよくするための適度なウオーキングをお薦めします。歩行中に呼吸法に気をつければ呼吸機能のアップもはかれます。

現在71歳の私の毎日の歩行目標は15000歩です。そのうち、鍛錬としての歩行は7000歩くらいです。その時は、腹式呼吸でリズムをとり、短足ながらもできるだけ大股を心がけています。あとは、日常生活や仕事の行き帰りの歩数です。

何処かに行く時は、電車バスの利用と、歩くということを原則にしています。
車を離れて三年になりますが、駐停車や渋滞のストレス、ガソリン代のアップダウンのストレスから解放されて快適です。車にたかる税金ピラニア軍団から距離をおけたのも、物凄~く快適です。車は便利で魅力的ですが、不愉快なことも多いですね。



.29 2013 未分類 comment0 trackback0

便秘の人がとても多いようです IT受難者たちの悲劇

一人の標準的OLを観察してみましょう。朝、時間ギリギリに目を覚まし、先ずはスマホをみる。トイレに入るが、その時もスマホを手放せない。トイレで排尿はするが排便には至らない。便意そのものをあまり感じない。

出勤時間が気になり、ゆっくりトイレには居られない。
洗顔その他をそそくさと済ませてスマホを確認する。今朝も排便がないことは当然、ここ数日便秘気味であることが頭をかすめるが、トースト一枚にバターをぬり、牛乳で胃に流し込み、そのまま住まいを出る。

歩き始めるやいなやスマホを確認する。受信したり発信したりしながら足早に歩く。遅刻しそうになってしまい、駅まで小走りになる。朝、走っている若い女性は多い。
折角櫛をあてた髪の毛もザンバラになっている。
やっと乗車したと思えば、再びスマホ。大きなバッグを重そうに腕の筋肉に食い込ませて片方の手でスマホの操作。

どうにか座れた座席で取り出したのは化粧道具。周囲の嫌悪の眼差しを平然と無視して、やおら顔の拭き掃除からペインティングを開始。スマホを時折チェックしながらだから、眉毛を鼻の下に描きそうになりながら、どうにか自分なりに確信を持てる程度に仕上げてニンマリ。
そこでまたスマホ。

ここ数日の便秘の不安がよぎるが、スマホが打ち消してくれる。静かに思考する時間なんかがあると、便秘のこと以外にも心配事が積乱雲のごとく心に湧き上がり、不安に押しつぶされるようになる。常に何かに気を紛らわせていないと落ち着かない。

会社に着くと、相変わらず、強い体臭を発散するおじさんや、口臭を撒き散らすおじさんたちになんだかんだと取り囲まれる。生活のためだと、なんとか無視しながら毎日代わり映えのしない仕事を、感情を押さえ込んでこなす。逃げ出したいがそれもできない。

昼休みになって、トイレに行っても、気持ちが落ち着かないので排尿しかできない。
昼食も、近くの安売り弁当ですます。野菜が足りないのはわかっているが仕方が無い。自分で弁当を作って来たいが、遅く帰宅して、シャワーを浴びてスマホを操作しながらベッドインする毎日では、朝起きて弁当など作れるはずはない。
パソコンだってチェックしなければならないし、TVだって観なければならない。同僚との話題に支障があってはならない。
情報!情報!

情報と言ったって、旅行とグルメ、ファッションと芸能、映画と観劇などだが、この分野で後れを取るということは、友人とのコミュニケーションがスムーズにいかなくなる。自分のレーゾンデーテルを保てなくなる。メールには間髪を入れずに返信する
つまり、孤立する不安に苛まれる。

それに、これらの情報を追いかけていれば、結婚や、将来の不安を忘れられるし、便秘がもたらす体の深部からの警報から逃れられる。でも、便秘の通奏低音は響き続ける。
多少の経済的ゆとりができても、新しいIT情報機器をゲットしたいし、最先端のファッションを追いかけたい。
身体に良いことをしなければと思うが、お金も時間も足りない。
政府が少子化とか何とか言っているし、親は結婚結婚と騒ぐがどこ吹く風。スマホと同棲、スマホと抱擁、スマホと同衾。スマホを握りしめ情報を食べたり飲んだりで何の不満もない。

つまり、朝から晩まで”交感神経”を緊張させっぱなし。排便は、”副交感神経”が働かなければならないのに、その局面がない。

IT中毒、スマホ中毒、情報中毒ともいえます。
このストレッサーによるストレス反応に起因する多様な身体障害を治す必要が言われる日も近いような気がします。麻薬中毒やアルコール中毒などに対応する施設に似た施設が必要となる日も喫緊の課題になりそうです。
生活スタイルを抜本的に改めさせない限り、このような人たちには身体が壊滅的障害を起こすまで手を差し伸べる術はないし、自ら立ち直る展望は見えてこない。

薬害に匹敵しかねない副作用に対して、IT業界は知らぬ顔はできないかもしれませんね。売りっぱなし、煽りっぱなしで知らぬ顔の半兵衛とはいかないかもしれませんね。
アルコールもそうですが、静かに販売しているわけではない、猛烈な宣伝をして、煽りまくって販売しているのですから、人体に対しての責任も明らかにする必要があります。電磁波の害に対しても、タバコ並の警告文は必要ではないかと思います。

「大したことのない情報を追いかけすぎることは、あなたの身体に深刻な障害を引き起こす恐れがあります。また、機器が発する電磁波は明らかに人体には有害です。何が起きても、全ては貴方の自己責任です。当局は一切の責任は負いません」と、書けるものなら書いてみたらいかが!と言いたいですね。
.28 2013 未分類 comment0 trackback0

閑話休題 マイ・トイレのすすめ

これからの住宅には2つ以上のトイレを!
「快腸快便」は健康の基本と知ってはいても、現実はなかなかうまくいかないようです。
家族4人の標準家庭でも、共働きの夫婦の家庭でも、朝のトイレがラッシュの状況になることは稀ではないでしょう。
先に入った者は、後に続く者のことが気になり、落ち着いて排便に集中できないことは容易に起こりうる。当人は、途中で排便を諦め、他の者は便意を封じ込めてしまうということはよくあることでしょう。
学齢期の子供達は、朝、家でできなかった排便を、学校で便意を感じたからといってもできなくなったという。
排便したことを友達に知られることが恥ずかしいし、まさかと思うのですが、そのことでからかわれ、イジメの原因になるということです。
朝(午前4時~午後12時)というのは、時間医学的には排泄の時間です。この時間に狂いが生じた生理的ダメージは、便秘という身体にとって深刻な事態をもたらします。
そこで、提案したいのは、可能ならば1人に一室のトイレの設置です。
これからの一戸建であれ、マンションであれ、少なくとも二つ以上のトイレが設置されれば、家族の健康上とても素晴らしい住まいとなるでしょう。
実現が難しい提案であることはよくわかりますが、現代人は子供も含めて、ストレスフルな生活をしています。加えて、気忙しい生活をしています。何故か、眦を決して、忙しく動き回っています。
食事内容が消化・吸収・排泄にじゅうぶん配慮されていても、常に何かに追い立てられように切羽詰まった心理状態の人が大勢います。
せめて、朝の排泄の時間くらいは、マイトイレでその行為に集中できるようでありたい。早起きが前提条件ですが。
そのトイレを自分の好みの空間に作り上げることも素晴らしい。
一家に、二つ以上のトイレが存在するようになれば、便利なキッチン、豪華なリビング、快適な寝室などとは違った、人間の根本に関わる本質的に価値ある住まいになるのではないかと愚考する次第です。
建設関係の皆さんにご検討いただければ幸いと思います。

.28 2013 未分類 comment0 trackback0

喫茶店とトイレ

 私にとって、忘れられないエピソードの一つをご披露いたしましょう。
「須藤さん、うちの娘をホテルなんかに連れて行かないでください」と強く抗議されたことがあります。

私の大学時代は、慢性の金欠病でした。オケラとも当時は言っていました。この、オケラの大学生は、何故かデートの時はホテルの喫茶を使っていました。何故かというのは、お金をどのように工面したのか思い出せないという意味です。

理由ははっきりしていました。「ホテルのトイレ」です。
好意を寄せる女性たちは(多少見栄を張って複数になっています)、どういうわけか、会話を中断してトイレに行くことが多かったのです。

その女性たちを、当時(昭和30年代から40年代)の街中の喫茶店のトイレのような、汚くて不潔なトイレを使わせなくなかったからです。ホテルのトイレは街中の喫茶店のトイレと比べたら、清潔度といい、スペースといい、パウダー設備といい、そこには天と地の違いがありました。

加えて、珈琲は常に注ぎ足してくれますし、水も丁寧に追加してくれました。街中の、人気のある喫茶店では、珈琲を一杯飲んだら早く帰れと言わんばかりの態度を水の注ぎ足し方であらわしていました。足元に水を撒き散らし追い立てるような所作です。

当時のホテルは、帝国でもオークラでもオータニでも、広い空間にゆったりとテーブル&椅子を配置し、素敵なBGMを流し、よい香りすらしていました。私自身も、もの悲しい貧しい下宿アパートの辛さをひと時忘れられる幸せな時間でした。

そのような、当時(今でも?)の一流どころのホテルを選んだのは、これなら彼女に喜んでもらえるだろうということと、私が精いっぱい準備したホテルのトイレで快適に過ごしてもらいたかったからです。

当時、都内各地には♨マークの宿がありました。いろんな事情がある男女が、ひと時のコミュニケーションをはかる貴重な宿でした。彼女の母親は、ホテルと♨マークの宿との区別がつかなかったのでしょうね。私はがっかりしてしまい、その彼女とは疎遠になってしまいました。いわゆる山の手のお嬢さんで、気取りまくっていたご両親でしたが、私とはカルチャーギャップが大きいなと、青年須藤君は残念ながらスゴスゴと退散する他はなかったのです。

この喫茶店とトイレの関係は、喫茶店選びの大きなポイントであることは今でも変わりません。営業スペースより一段上のレベルを提供してほしいとすら思っています。初めて入る喫茶店でトイレを先にチェックするというのも無礼ですのでそこまではしませんが、がっかりするお店が多いですね。

お店という箱を作る際、トイレには細心の注意を払ってほしいものです。そのようにして出来上がった箱にふさわしいソフト、つまりスタッフがほしいですね。それから、どんな珈琲をどのように提供するかの順序にしてほしいと思います。

ミスマッチな人物(主観的ですが)が講釈して淹れてくれる珈琲ほど迷惑なものはありません。それでも、トイレが綺麗なら我慢が出来ますし、再度訪れることはあります。

(蛇足)
 いまや、高級ホテルはシティーホテルとよばれ、ラブホテルとは区別されているようです。ところが、そのシティーホテルが、かつての♨マークの宿と同じように使われているようです。現代なら、彼女の母親のほうに論理の分があるようです。
時代はどんどん変化し、平衡安定ということがありませんね。
一人の人間の健康も同じです。いつも変動し揺れ動いています。
私も健康について論じますが、健康の定義は病気でないことであるというほど単純なものではなさそうです。
蛇足が過ぎました。
.25 2013 未分類 comment0 trackback0

私と喫茶店

 喫茶店では,たいてい珈琲を飲みますが、どんな珈琲でも不満はありません。そこの値段で商売になるものを出しているのですから、文句を言い出したらキリがありません。
その時の気分や体調で味覚も違いますし、人間が飲んでもよいものなら、どんな珈琲でも構いません。私には、どこの珈琲も似たようなものです。

喫茶店は場所を借りに行っているのですから、場所や雰囲気に重点をおいています。利用したスペースが支払う代価に相応しいか否かはとても気になりますが、どんな有名な高級喫茶店に行っても、珈琲の味は気になりません。喫茶店には、友人と話をするために場所を借りに行っているのですし、一人で本を読みたくて行っているのですから。高級喫茶店というか、高額喫茶店というか知りませんが、そういう処の珈琲で美味しいと感じたことは何故か一度もありません。内装調度が素晴らしいことは確かですから、それらで幻惑させようという魂胆なのかもしれませんね。

黙って淹れてくれれば良いものを、勿体ぶって小うるさく講釈しながら淹れてくれる喫茶店は、煩わしいだけで2度と行きたくありません。場所代として注文する珈琲にもったいぶった薀蓄も講釈も、私の場合は不要なのです。

ですから、どこか珈琲が美味しい喫茶店を知っているかと訊かれても、答えることができません。どこかいい喫茶店を知らないかと訊かれれば、Aは照明がいい、Bはソファーがいい、Cは椅子の配置がゆったりしている、DはBGMがいい、Eのウエートレスは美人だ、Fは客層がよく静かだ、Gは店全体とスタッフに気品があって落ち着いた処だ、くらいは答えられますが、所詮私の趣味であり個人的感想にしかすぎません

喫茶店には、本とiPad・iPhoneを持ち込み、2~3時間滞在します。自宅でやるより読書や作業は集中できて捗りますが、いかんせん身体にはよくありません。眼も腰も悲鳴を上げます。ですから、最近は、できるだけ短時間で切り上げるようにしています。

読書やパソコン(ipad・iphone)に向かう時間が増えると運動不足になってしまいます。ブログなどをやるのは最も不健康です。喫茶店でストレッチや体操はしにくいので、これからはやはり自宅を使うのがいいのかなと思っています。どんな気分転換や運動をしようが自在ですからね。途中で外出も自在ですし、風呂に入ることさえできますからね。
そろそろ、学生気分から抜けたほうがいいのかもしれません。

そういえば、京都にいた時代、「名曲喫茶田園」という処で、朝10時から夜10時まで、珈琲一杯とトースト2枚で粘ったことが何度かあります。本は5冊くらい持ち込んでいました。金もないし、「田園」で一日を過ごそうと算段したのです。そういうことが可能だったいい時代でした。もっとも、本はほとんど読めず、空腹を抱えてウトウトしながら大半の時間を過ごしたのが実情ですが、もういちどやれと言われてもとてもできるものではありません。
.24 2013 未分類 comment0 trackback0

私と珈琲

  旧制高校生だった兄が帰省するたびに、珈琲豆を挽いて珈琲を淹れてくれました。当時のハイカラな若者ぶりを家族の前で見せたかったのでしょうね。13歳離れた兄でしたから、私が4歳の頃でした。

父も母も珈琲には興味がなくもっぱらお茶派ですから、兄は私を相手になんだかんだと講釈をしていました。私は帰省した兄と久しぶりに兄弟として接しているのですから、愛想良く拝聴していたと思います。正直、それほど美味しいとは思いませんでした。なんだか汚らしくて、苦い嫌な飲み物だというのが正直な実感でした。

むしろ、両親が飲む紅茶か日本茶の方が口に馴染んでいました。紅茶と言っても、当時手に入りやすいリプトン紅茶でした。なにしろ、父が下戸の我が家では、お客用の日本酒やウイスキー、それに赤玉ポートワインが多少は準備されていましたが、普段飲むものといえばもっぱらお茶か紅茶ばかりでした。晩酌風景とは無縁でした。

父も母も、お茶や紅茶に薀蓄を傾けたり、講釈をするタイプではありませんでした。黙って淡淡と飲んでいました。多くの趣味を持ち、碁や将棋は段持ち、花道や茶道は師範、琵琶を弾き尺八をたしなみ、テニスやゴルフを楽しみ、日曜大工でいろんなものを作っている父でした。思えば、昔のサラリーマンはよかったようです。人間関係以外は現代と違ってだいぶ楽だったとしか思えません。

そんな父でしたが、飲み物や食べ物について講釈したり、薀蓄を傾けていたことは記憶にありません。黙って食べ、黙って飲み、あとは好きなことをしていたのでしょう。

そのせいか、私もあまり薀蓄をかたむけたりはしません。その時美味しければそれでいいのです。飲み物は乾いた喉を潤してくれればそれでいいのです。同じ飲み物でも、その時の自分のコンディションで味が違いますし、水や空気でも違うのですから。毒でなければなんでも飲みます。

珈琲のいろんな道具を揃え、いろんな淹れ方をしましたが、そんな大袈裟にするほどのものでもないと思い、挽いたマメを買ってきてペーパーでドリップするくらいです。
格別こ、これでなければならないというほどの拘りはなく、何でもいいのが正直なところです。

珈琲と健康について、良いだの悪いだのといろんなことが言われていますが、バカバカしい話です。適当に楽しめばよいのです。こんなことで一喜一憂する人もいるようですが、幸せな人ですね。

動物実験でも、あのタールと発がんの実験のように、人であれば一日千本ものタバコを喫わなければならないようなことをして、鬼の首でも取ったように大騒ぎするようなこともあります。一本芸を競うような科学者もいますから、注意しなくてはなりません。

珈琲党の党首のような方もおられるようですが、私には辛い人生に思えます。それに拘りそれに拘束されて、わざわざ人生を狭く重苦しくしておられるようにしか見えません。「珈琲道」の旅人となると、もういい加減にしていただきたいと,ほうほうのていで逃げ出してしまいたい心境です。所詮、嗜好品ですし、功罪相半ばするものですから、「胃にやさしく」、「脳を刺激しすぎない」程度に、難しいことは言わないで美味しく愉しみましょう。

.23 2013 未分類 comment0 trackback0

私は甘党

酒を無理して飲んでいた反面、大好きな甘いものは随分長い間「痩せ我慢」をして来ました。
大学に入りたての頃、知り合った同級生の某君と喫茶店に入りました。私は珈琲を注文しましたが、彼は「僕、ミルク!」と来ました。私はドギマギしたことをいまだに記憶しています。居場所がないような居心地の悪さも同時に味わいました。「ミルク?」と聞き返すと、「身体にいいから」ときました。この男とは二度と付き合うまいと思いました。

彼にすれば、ブラック珈琲を啜りながらスパスパとタバコをふかす私のことがさぞかし「無知蒙昧な無教養者」にみえたことでしょう。それに違いないのですが、哀れな蔑みのまなざしを受けたような気がしました。
因みに、嘘のような話ですが、彼は50歳過ぎに発症した糖尿病でQOLがかなり低い生活を余儀なくされているそうです。人の身体は予定通りにはなりませんね。

今にして思うと、この男くらいはっきり堂々と主張出来ていたら、もっと早くから自分の甘党をカミングアウトできたはずです。そうすれば、ガールフレンドとデートの時に、珈琲か紅茶とケーキを食べることが出来たのにと悔やまれます。

「甘味処」の前を通るたびに、「餡蜜食べたい」「ぜんざい食べたい」と、唾を飲みこんだものです。その頃の私は、「果物や甘いもの」を好むなんて男の風上にもおけない軟弱者だ」と、果物まで巻き込んで、やけに突っ張っていました。ましてや、喫茶店で、男同士で話をしようと向かい合ったのに「ミルク」を頼むような男は苦手でした。私は、牛乳やミルクをいつまでも飲んでいる人は、いまだに乳離れしていない人だと固く信じています。子牛を育てる牛乳が人間にいいとはどうしても思えませんでした。飲んでいる姿が気持ち悪く感じるくらい嫌悪感をもって見ていました。この人とは、卒業後の今日まで口をきいていません。

 かくのごとく、甘いものや果物にはなぜか頑なになっていました。美学と言うほど高級なものではなく、安っぽい男らしさにこだわる偏屈者の虚しい突っ張りにすぎません。

 55歳になって、自分は酒を飲めない甘党であることを白状しました。
爾来、喫茶店ではケーキをたのみ、甘味処に立ち寄って、あの死ぬほど食べたかった「餡蜜」や「ぜんざい」に舌鼓を打ちながら至福のひと時を過ごすことができるようになりました。
無理をしない、格好をつけない生き方が、なんと素晴らしく幸せかを遅まきながら感じました。ストレスが随分なくなりました。

 現在は、時折、「豆大福」を二個買って帰り、10%の罪の意識、90%の至福を感じながら頬張る時が最高の幸せです。罪の意識は、砂糖に対するもので、肥満したくないからです。その日は、他の炭水化物を制限し、糖分には細心の注意を払っています。
私に合う豆大福を探し求めて、10数店を巡り、やっと素晴らしい豆大福に出会えた時は、「やった!!」と叫びたくなりました。

 無理をしないで、自分らしく生きていればいいものを、偏屈な突っ張りで随分と失ったものが多いことを、反省しきりの昨今です。
.21 2013 未分類 comment0 trackback0

私とスポーツジム

 30年以上入会していたスポーツジムを退会して3年になります。
仕事場と同じビル内にあるという地の利を生かして、運動不足を補う目的で、あるホテルのスポーツジムに所属していましたが、ほんの数回しか利用しませんでした。年会費が25万円でしたが、年に一度も利用しないか、年に一回サウナを使うくらいでした。一回が25万円のサウナはあまりにもバカバカしい話です。

 何度か身体を鍛えようと訪れましたが、どうも私には納得がいかないというか、私流とは違いすぎるような気がしていました。
窓もない地下室のような空間で閉塞感が気になりました。ベルトコンベアーの上でメーターをみながらランニングというのは実験ラットのようで、気に入りません。若いトレーナーによる個人指導も私の脳と身体は受け付けませんでした。こんことにまで指導者は不要だと思いました。マッサージをしてくれるならともかく、こんなことに若い者が従事するのは勿体ないと思い釈然としません。

 他のスポーツジムに何度か訪れたことがありますが、どこも同じパターンです。
閉鎖空間の中で皆さんが一生懸命トレーニングをしていますが、私には違和感だらけです。
やはり、運動は青空の下で新鮮な空気を吸いながらしたいのです。街中を歩いていてふと見上げると、通りを歩く者を睥睨するように一列に並んでランニングマシンの上で必死の形相で頑張っている様子には、「ものの哀れ」すら感じてしまいます。

 自分のペースで、自分の身体に必要な体操や運動をするのが性に合っているのです。ですから、ジムに年会費を払いながら、私はせっせと戸外でウオーキングやストレッチ、軽いジョギングを行い、公園の鉄棒を利用して筋肉トレーニングをしてきました。

 70歳になって、いろんな器具を使って身体を鍛えるのも悪くないかと思い直し、自宅の近くのジムに見学に行ってみました。こぼれんばかりの笑顔と笑顔!若い男女の職員が総出かと思うほどの大歓迎を受けました。しかも、女性は魅力的な人ばかり。

 このような施設は初めての振りをして、館内の諸設備とメニューの説明を受けましたが、それは見事なものでした。営業力がです。若さと健康が保証され、美と健康のパラダイスに招待された気がしました。私が求めているのとは大きな乖離があることは否めません。ここでも、大勢の若い男女が働く場所として適当なのかと疑問を感じました。

 私が以前所属していたクラブで現場に遭遇したことがありますが、高齢の会員が若い魅力的な女性トレーナーを奪い合ってちょっとした小競り合いをしていました。よくあることなのだそうです。嫉妬心が高じてフロントに抗議する会員も多いそうです。これが、現役時代は一流会社の役員であったり、元政府高官だというのですから、歳をとるということは悲しいものです。まだ、こういう世界にはまだ近づきたくはありません。

 朝からジムに入り、一日中過ごす人もたくさん居るようです。託児所ならぬ「託老所」状態ですね。嫉妬と妬み嫉みで張り合って、一日を過ごしているそうです。「託老児所」と言ったほうがよいのかもしれません。

 私は、もう少し歳をとり、多少ボケ始めたころに入会し、朝から入りびたり、嫉妬と妬み嫉みで残り少ない情念の炎を燃やしてみたいと思います。監視されながら、あやされながら、小児扱いされることに無上の悦びを感じるようになったら入会しようと思います。

.20 2013 未分類 comment0 trackback0

私とタバコ

酒とくればタバコに触れざるを得ません。さけて通りたいところなのですが。

小学生の頃、父の吸殻に火をつけて喫い、脳内が煙で充満し、締め付けられるような感覚と眩暈がして昏倒したことがあります。いっぱしの喫煙者になったのは高校を卒業してからです。以来、50年数年、途中何度も禁煙を繰り返しながら今日に至っております。いまは、ヴォーグのタール1mgニコチン0.1mgを喫っています。日によって違いますが、一日10本から20本です。表示が確かなら、かなり弱いタバコです。

私は昔からタバコの煙を深く吸い込むことはしません。殆ど口の中で味わいすぐ吐き出しています。なんの言い訳にもなりませんし、その吸い方でダメージが少ないという根拠にもなりません。家庭でも、外出先でも、他者に迷惑にならないよう最大限の注意はしています。ただし、喫煙するからには次のような注意はしています。
活性酸素対策です。

ビタミンCは、一日当たり2000~4000mg程、風邪気味や疲れを感じる日は6000mgを摂取しています。そのほかは大量の緑黄色野菜の摂取と、果物のホールフード式摂取(できるだけ皮ごと)です。禁煙すればいいのは当然ですが、手放せません。

人体に活性酸素を発生させるものは、排気ガス、医薬品、食品添加物、X線やCT、MRI、紫外線など挙げればキリがありません。最近はPM2.5という新手が現れました。しかし、それらを俎上にあげてタバコを擁護してもせんないことです。タバコはタバコです。ニコチンはアセチルコリンと同じ作用をし脳には効用がありボケ防止になるというデータも、禁煙を擁護する説得力に欠けます。

これほど人間が生きる環境としては劣悪になったのに、わざわざ喫煙して、自らの吸う空気をさらに汚染させることはありません。また、大気を汚染させていることも否定出来ません。

車を手放し、少なくとも排気ガスは出していないと強弁しても、過去に散々排気ガスをばら撒いたことの言い訳にはなりません。自分は酒を飲まないからタバコくらい、と言うのも、なんの説得力はありません。
そんな弱い、しけたタバコならすぐ止められるではないかと言われますが、これが難しいのです。強いタバコを喫う者から見れば、少しでも害を減らそうと弱いタバコを喫う者は、軟弱な卑怯者に見えるそうです。

でも、趣味のタバコですから他人の思惑など何も気にすることはない。
癒しであり、気分転換であり、局面打開のツールなのです。
全ては自己責任。すでに70歳を越した身には、タバコ故の何かが起きても今更の感です。
でも、人様にはタバコは勧めません。むしろ、人によっては禁煙を勧めています。

善悪を決めつけたがる日本人気質の中では、善人ぶりたいからです。医者の端くれでもある立場では当然というか、そうせざるを得ません。
タバコ以外の生活習慣をスッカリ改め、その点では優等生になった私の唯一の弱点であり欠点です。そんなに生活習慣を変えられたのに、なぜタバコをやめないのかと不思議がられますが、この程度の不良行為や悪事には堪らない快感もあるのです。

自分の悪事は棚に上げ、他人の悪事には集団ヒステリーで吊るし上げる日本社会の方が、ことタバコに関しては善です。タバコに適当量はありません。
それでも喫う人は、できるだけ本数をへらし、根元まで喫わない。
ビタミンCやポリフェノールなどの摂取をして、精々活性酸素対策を怠らないようにしてください。また、酒や珈琲と一緒の時は喫いすぎにご注意ください。害が倍増いたします。

.20 2013 未分類 comment0 trackback0

適度な酒

 酒には功罪があります。
酒飲みは「功」についてのみ力説していますが、下戸の私には「功罪相半ば」がよくみえます。「罪」も相当なものです。酒を酌み交わしながら「禁煙」を叫ぶ医者の集団ほど滑稽なものはありません。酒を飲む人間がふりまく周辺の人間への弊害とストレスも無視しがたいものがあります。タバコの副流煙にも匹敵するものです。

 酒を飲むのもタバコを喫うのも悪いことではありません。それを言い出せば、車は一台も走れません。工場はすべて閉鎖。原子力だろうが火力だろうが発電施設はすべて撤去など、あらゆるものが禁止になりかねません。
中国などは国ごとコンクリートで固めて息の根を止めてしまわねばならなくなります。
要は、周りの人に迷惑を及ぼさないようにすればいいのです。

 酒が故の一家離散。酒が故の暴力沙汰。酒が故の刃傷沙汰。飲酒による交通事故の大惨事。酒が故の健康破綻。これらをいかに避けられるかでしょう。
タバコが故の一家離散、暴力沙汰や刃傷沙汰、交通事故の大惨事はあまり考えられませんが健康破綻は起こります。周りの人に副流煙で迷惑をかけていることは確かです。この点に注意すればあとは個人の責任です。

健康という観点からタバコの製造を禁止するとかにまで論が及べば、酒をはじめ飲料や食品で製造禁止にすべきものは多々発生するでしょうし、車も使えなくなりますしTVも見られなくなってしまいます。女性にとっては化粧品が世の中から姿を消してしまうことになりかねません。現在、タバコがスケープゴートになっているようですが、酒はほぼ同列で論じられるべきものでしょう。

健康を説く医者も酒の好きな者は、「百薬の長」だの「適度な酒は健康を増進する」などと、自分の酒好きを擁護する始末です。
日本酒が好きな医者は日本酒を、ワインが好きな医者はワインをすすめています。
ウイスキーや焼酎ならば、かなりの量を飲んでもいいという医者もいます。
一方、下戸の医者は、アルコールの害を強調します。肝臓を傷め、脳細胞を破壊すると。
片やアルコールのメリットを、片やアルコールのデメリットを、という具合です。

「適度」とか「バランスのとれた」とかいう表現は極めて曖昧です。
「適度」なら悪いものは世の中からなくなります。なにごとも「適度に程よく」が難しいのが人間の悲しさです。それができる優等生というか劣等生というか、このような変人は面白くもなんともありません。

医者もご都合主義で勝手なことを説くものです。
つまりは、定説はないのです。
太っている医者は太り気味が良いといい、痩せている医者は体重をへらせと力説する。
これも現在のところ定説はないようです。個体差を論じきれていません。
定説がないなら「書き得」とばかりに、いろんな医者が競って健康本を出していますが、あまり感心しません。
.16 2013 未分類 comment0 trackback0

組織と酒

  聞くところによりますと、「私は酒は飲めません」とか、「仕事後の酒のお付き合いはお断りします」とはっきりと宣言する若いサラリーマンが増えたとのこと。羨ましい、いい時代だと思います。酒を酌み交わしながらコミュニケーションをはかることが大切だとの言説もまだ多い。しかしそれは、酒がなければ他者と話が出来ない酒飲みの言い分であり、
会社の金でタダ酒を飲みたい、さもしい奴の言い訳だと思います。

「酒飲みは信用出来ない」、「酒飲みは根性がきたない」とは、母が吐き捨てるように言っていた口癖です。しかし、私が酒を酌み交わしてきた相手にはそのような人は一人もいません。広い世間です。タダ酒にありつく為には、なんだかんだと口実作っては無理やり周りを巻き込む不届き者も沢山います。酒を飲みたいばかりに大ぼらを吹き、詐欺まがいのことをする奴もいます。

組織の上役が酒飲みで、部下が下戸というケースは最悪です。その上司の家庭が半壊状態てあれば、更に悲惨さは増大します。仕事が終わっても真っ直ぐ帰宅したくない。部下を、仕事の打ち合わせと称して束縛して酒を付き合わせる。部下のストレスを考えると気の毒の極みで言葉もありません。

私の大学時代も似た様な境遇でした。
私の研究は、昼間の診療が終わった夜、森閑とした不気味ささえ漂う放射線科の外来で、実験用ウサギにコバルトを照射し検体の血液採取し、顕微鏡で染色体を調べることでした。

一方、同じ放射線障害で大規模な実験が公衆衛生学のグループで行われていることを知りました。ところが、このグループへの参入資格がなんと、酒が飲めることでした。つまり、「飲んべー」のグループだったのです。私は、例によって「飲めます。酒が好きです。」と偽りを申告して仲間入りしましたが、資格試験のようなものがあるのには不安を覚えました。ある夜、公衆衛生学の助教授から神楽坂の料理屋に誘われ実験されることになりました。

丼に日本酒を注ぎ、その中にウイスキーを入れたグラスを入れ、一気に飲み干すことでした。気がついたら翌朝、医局のソファーで伸びていました。どうやら、飲み干してしまったらしいのです。酒に弱いことはバレましたが、心意気を認められ入会が許されました。医者の集まりですから、それ以来酒量は強要されませんでした。実験を始めるといえば酒盛り。疲れたといえば酒盛り。今日の実験は終わりといえば酒盛りの、大学内では「狂人の集まり」と呼ばれていたことはあとで知りました。
挙句に、私の主任教授はどちらかと言えば、できれば自宅に帰りたくない人でしたから、夜毎酒の相手をさせられ、私の家庭もおかしくなってしまいました。一年以上も家に帰らない生活が続いたのですから。

酒を飲むのが豪快で男らしいなどという、ある意味では幼稚な誤った観念が支配していた時代でした。しかし、大酒飲みの実態は、だらしなく哀れなものでした。
組織で強制される酒から解放されることは心身の健康にはどれほど良いかわかりません。
酒癖の悪いのも人事評価の主要なポイントにすれば、酒が飲めない部下にとってどれほど幸せかしれません。

.16 2013 未分類 comment0 trackback0

私と酒

 
私は下戸です。遺伝です。父も兄も下戸です。妹は全くの下戸ではなさそうです。
四才の頃、酒飲みの客が帰ったあと、飲み残しのお銚子から直接飲んだことがあります。親の目を盗んでのことですから、ちょっとした物音に怯えリズムが狂い、ガボット飲み込んでしまいました。当然、急性アルコール中毒状態になりました。社宅の隣家、会社の附属病院の院長さんも大慌てだったそうです。無事に生還した数日後、「あんたはお父さんに似て酒は飲めないのだから、よく覚えておきなさい!」と母に強く言われました。

 酒飲みの客が陽気で楽しげにしている様を見る度に、あのようになりたいと思いました。その後も何度も残り酒の盗み飲みをしました。慎重に量の調節をしたことは勿論です。しかし、ほんの少しの量でも子供のことですから、顔は真っ赤になり呼吸は荒くなるのでバレないわけはありません。その都度、こっぴどく叱られたものです。

 父は、自分は一滴も飲まずに客の相手をしていたのですから、客はさぞかし悪酔いしたことでしょう。
「お父さんも少しは飲めた方がいいのに」と、多少は酒が飲めるらしい母が何気無く口にしたことがあります。そうか、少しは飲めた方がいいのかと、何事も自分に都合よく解釈する私の脳に刻まれ、その言葉が居着いたようです。我が家の食卓は酒とは無縁ですから、大学に入ってからが酒との本格的な出会いになります。

 コンパで夜があけ、コンパで日が暮れる当時でしたから、下戸なんて言ったら孤立しかねません。上げ潮の日本のこの時代、酒と酒飲みが主役の時代でした。本来、酒が身体に合わない私には、酒は楽しいと同時に辛い苦しい飲み物でした。なぜ、みんなこんなに酒を飲まねばならないのかと煩悶する日々でもありました。わたしの肝臓はどれほど酷い目にあったのか想像もつきません。30歳台40歳台のわたしの身体には肝臓が悲鳴をあげている兆候が出ていました。疲れやすいし、手のひらがピンク色で常に汗ばんでいました。友人から、「肝臓がわるいんじゃない?」とは度々言われました。その都度、何ともない風を装うのですから、ストレスを封じ込めるという最悪のことをしていました。

 このままでは危ないと思い、「本当は酒がのめない」と宣言し、酒から遠ざかったのは55歳のなってからでした。仕事や家庭のストレスが重なり、このままの生活を続ければ倒れるとの、切羽詰まった危機感に襲われたからです。

 断酒宣言とは違います。私の「身体の声」に従ったまでです。
酒が飲めない本来の自分に戻っただけですから、辛さや苦しさなど何もあるはずがありません。
とても解放され、気持ちが落ち着く日々がやっと訪れました。
これは現在も続いています。当然ですね。酒は身体が受け付けないのですし、いったん自分の身体に正直になれば、酒は嫌いな飲み物だし、酒席には近づきたくはないのですから。
各種宴席や、パーティーでは「俺は酒は飲めない」と言いウーロン茶などを飲んでいます。酒のことでは、なんと思われようが、嫌われようが構わないのですから。



.16 2013 未分類 comment0 trackback0

義理食いNo3 菜食趣味者

半日かけた料理も、素材を数日間寝かせて作った料理も野蛮な亭主に出せば瞬時に呑み込まれる。さながら、ディスポーザーに放り込むような食べ方には失望したでしょう。口の中は、料理を冷やす場所。歯と舌は危険物の検知器具にすぎないようだ。しかも、間が空くとイライラしているのが手に取るようにわかる。こうなれば、亭主が気に入るように次々と料理を出して満足させればいいと思うのは自然な帰結です。

いうところの満腹中枢が指令を出す前に大量の料理を胃袋に送り込むような食べ方は、無知で野卑以外のなにものでもない。せめて、繊維質の豊富な野菜料理を先に食べさせるくらいしかないと思ったのでしょう。食事の前段は野菜料理攻めでした。この野菜を先に食べる方法は、最近よく言われるようになりましたね。この食べ方を強要されていたということは幸せなことだったようです。いまは感謝しています。

野菜や果物は面倒な食べ物であり、果物は女々しい食べ物だと思っていた私は戸惑ってしまいました。はじめに大量に出される野菜は苦痛でした。牧場で馬草を食む馬になり、子供の頃飼っていたウサギをイメージしながら情けない思いをしながら黙々と食べました。少しも美味しくありませんでした。でも、せっかく作ってくれた料理ですから残すのは申し訳ない。残せば、心遣いが無視されたと、悲しいだろうと思い、ひたすら我慢しながら食べました。

でも、お陰で、私も野菜料理に随分と慣らされたことは確かです。ストレスがいっぱいの毎日にもかかわらず、胃腸が無事だったのもこのお陰だったと思っています。

今回の「健康回復大作戦」では、食事の中心に野菜がすわりますが、何の抵抗もなく実行できています。結婚以来、怒られても、嫌がられても、遠慮がちに恐る恐る野菜料理を出し続けてくれたワイフのおかげです。

彼女は菜食主義者のようでした。肉も魚も食べますので不完全な菜食主義ですね。勿論、革靴はおろか革製品の一切を排除するビーガンでもありません
このことを問うてみると、「私は菜食趣味者です」とすまして答えました。結婚前は何でも食べていたようでしたからまさかとは思いましたが、誰でも結婚前と後では大なり小なり違いますよね。
大鉢いっぱいに刻んだキャベツを、ニカッと笑みを浮かべながら頬張る光景には奇怪なものを感じましたが、食性の違いも個性のうちだと、次第に気にもならなくなりました。

私の食事がすんだあと、彼女は私に気兼ねせずに思う存分菜食趣味者としての悦楽に浸れたというわけです。
心と体に合った食性という人生にとって大切なことを守れることは、結婚後、妥協というリングの上で意に染まぬ強制を強いられるよりよほど幸せなのかもしれません。爾来、私たち夫婦はそれぞれの「食の道」を歩くことになりました。
.14 2013 未分類 comment0 trackback0

義理食い No2 妻の料理

彼女は食べることが大好きで料理も大好きな女性ですから、夫としてはありがたいことです。でも、私の食事にはずいぶんと困ったでしょう。若い頃の私は、食事は餌だ、くらいにしか思っていなくて、たくさんの料理を早く作ってくれればいいという程度の野蛮人でしたから。
食事に時間はかけたくない。早く済ませるものだという考えでしたから。食における文化レベルがあまりにもかけ離れていたと思います。

出来上がった料理を食卓に並べて、「さあ、いただきましょう」とはならないからです。温かいものは温かいうちに一品ずつ出す。冷たいものは冷たいうちに一品ずつ出す。すると、瞬時に平らげ催促がましい視線が刺す。これでは、二人一緒に食べ始めるわけにはいかないからです。
私の食事の世話が終わってからあと、一人で食事をすることになります。同時に食事をするのは、外食時だけになります。

その外食時だって、どことなく気忙しい食べ方の連れ合いですから 閉口しただろうと思います。食前酒やワインを楽しみながらゆったりとしたくつろぎと語らいのひとときなどあらばこそ、食べ終わったら、もうそこには長居したくない。さっさと出てしまい、次の企画がなければまっすぐ帰宅しますから。「ちょっと待ってください。この料理は時間をかけて食べてください」と何度言わせたことか。

ワイフの料理も、作ってくれたものは全て平らげてきました。それも猛烈な早さで。多少塩気が足りない(減塩食がこの頃から始まった)のが気になりましたが、早く食べ終わってTVを観たり、読書をしたりと心はすでにそちらに飛んでいましたから。
食べることが好きで大飯食らいの割には食そのものに大した関心はない方だったのかもしれません。
食について何かと講釈する男のことはいまいましく思っていたくらいですから。

新婚の頃、毎回すべてを平らげ、「美味しい」などと嬉しそうにしていたためか、足りないのかもしれないと思ったのでしょう。次第に量が増えてきました。
それでも、残しては申し訳ないし、好意を無にしてはいけないと思い、一生懸命に食べ尽くしてきました。
所詮一人の人間の食べる量ですから限度というものはありますが、とにかく沢山作らなければ満足してくれないと思い込んでしまったようです。格好良く言えば、愛と感謝と少しばかりの義理で、「断捨離」風にいえば「愛謝理」で一生懸命に食べたような気がします。

ところが、初老期に入り、老人と言われはじめる頃になっても相変わらずの量が出されました。
残さない私が悪いのです。
「今の僕には多すぎる」とはっきり言えばいいのに、しっかり食べてしまうからいけないのです。「ノーと言えないダメな日本人?」なのか、案外気が弱いのかもしれません。

この食事の量も、今回の「健康回復大作戦」の大きなテーマでした。
大げさに表現すれば、革命的に減らさなければなりません。
結果的には簡単なことでしが・・・。

但し、私の食事が終わってからワイフが一人で食事をすることは、彼女にとって大きなメリットがあったことにあとで気がつきました。
「菜食趣味者であり菜食主義者に非ず」の彼女にとっては、かえって好都合だった側面もあったようです。
.12 2013 未分類 comment0 trackback0

早食い No2 温かいもの冷たいもの

父は「温かいものは温かいうちに食べろ」とわかりやすい。母は「冷たいものは冷たいうちに、温かいものは温かいうちによく咬んでゆっくり食べなさい」とあくまでもわかりにくい。
これも、私が早食いになった所以です。

 以来、本来温かいはずの食べ物が冷めていたり、冷たいはずの食べ物が生温かくなっていると無性に腹が立つようになってしまいました。
廊下のワゴンに積み上げられた料理がいっぱしの懐石料理のごとく順次運ばれる大型観光ホテルは苦手です。かと言って、仲居がべったり座り込んで、余計な話をしながら調理場から運ばれる料理を世話してくれる宿も鬱陶しくて苦手。なかなか、外で満足することはありません。

  寿司も握って出されたらサッと食べる。
ステーキも300gだろうと800gだろうと、最後の一切れがまだ温かいうちに食べてしまう。
こんな私では、一緒に行った人が呆れるどころか嫌になってしまうでしょう。こんな人とは一緒に食事したくないと思われたと思います。
余程飢えているか、育ちが悪いとでも思われたかもしれません。

 食性というと意味が違いますね。摂食の仕方というのは、家庭の教育か本人の性分なのかわかりませんが、私は性分だろうと思っています。
私の場合は、食事中は食事のあとのことに思いを巡らせていました。今現在食事中なのに、次の食事のことを考えたりしていました。
今の食事にきちんと向き合っていなかったような気がしています。
食事は、次の予定への単なる通過点だったような気がします。

 ですから、美味しかったとか不味かったくらいは記憶していますが、何処で何を食べたかはあまり覚えていないことが多かったような気がします。
このような食事の仕方は、今回取り組んだ「健康回復大作戦」の大いなる反省点となりました。

.11 2013 未分類 comment0 trackback0

早食い No1 矛盾する家庭の躾

「早飯早・・(排便)は武士のたしなみ」、「早めしも芸のうち」とは子供の頃よく耳にした言葉です。もう一つ「早駆け」というのもありました。戦場における武士のたしなみとされたものでしょう。
江戸時代風味の典型的な明治男の父は、武家の流れらしい矜恃を保っていました。

「いつまでもダラダラと食べるな」、「さっさと食べて次のことをしなさい」が食卓での父の口癖でした。
一方、母からは、せっかく作った料理を5分もしないうちに平らげられるのが気に入らないのでしょう、「よく咬んでゆっくり食べなさい」と言われていました。両親からの矛盾する注意を受けた私は舌を咬みそうな思いをしながら、せっせと丸呑みをしていました。

食事中の会話がとても良いと現代では定説です。しかし、私は「食事中にペチャクチャ喋るな」、「食事中に喋るのは行儀が悪い」と育てられました。生来お喋りで口数が多い私には辛いことでした。それでもその日に学校であったことを両親に話したい私は、咬みながら話し、呑み込みながら頷くという特技を身につけ、食事中のお喋りだけは今日に至るまで継続しています。唾を飛ばさない特技も身につけています。

13歳離れた兄がいますが、彼はゆっくりと食事をするタイプでした。戦時中の勤労動員先で、彼が一杯のご飯を食べ終わった時には他の連中は2杯も3杯も食べ終わり、兄がお代わりをしようとおひつを覗くと米粒がひとつぶものこっていなっかたという話をよく聞きました。
時代背景や状況にもよりますが、性分だと思います。
私は、相矛盾する両親の双方の顔を立て、「よく咬んでいる振りをして早く食べ終わる」という「芸」を身につけてしまいました。

爾来、「大飯早飯」という芸を演じながら長い人生を過ごしてまいりました。
ときには呆れられ、ときには感嘆され、ときには軽蔑されながらも、三つ子の魂百までもですね、習い性となったこの癖は、老境に入ってもなおせませんでした。

懐石料理やフランス料理をいただくときは間が持てず、今でも苦痛です。もっとも、酒を飲めないということが、間が持てないひとつの理由でもあります。酒を飲む人を前提とした食事の形式は、下戸にとっては困ったものです。

私は、懐石料理やフランス料理でも、さっさと済ませて、別席でゆったりと紅茶や珈琲というのがリズムにあっています。でも、浮世の辛さ。ちっとも美味しいとは思わないワインに口をつけ、顔を真っ赤にして愛想笑いをする”芸”も身につけています。
.11 2013 未分類 comment0 trackback0

義理食い No1 家庭の躾

 「お百姓(当時)さんの汗の結晶を無駄にするな」と食事のたびに厳しく言われたものです。闇ゴメを運んでくる度に母から強引に着物を剥ぎ取るようにしていた農家の女性に怒りと恨みを感じていた私には説得力はありませんでしたが、狭量な子供心にも大変な仕事だとの認識はあったようです。神様とお百姓さんに感謝して、一粒も残さず食べたものです。

 食卓にあがった食べ物は全て平らげることは善なり、というのは昭和に育った者にとっては当然のことでした。
私を招待してくださる方々は、「文弘 ちゃんだから」とか、「須藤さんだから」というわけで、食卓にはそれこそ山盛りの料理で持て成していただきました。このような場合も、出来るだけ沢山食べて喜んでもらえるように頑張ったものです。このようなことは、社会人になっても続きました。

「折角だから」
強力な殺し文句ですね。日本人特有の表現ではないかと思っていますが、この言葉は強い。
善意の押し付けなのか、「残すなよ。残すと承知しないぞ。残すと無駄になる。あんたの為に作ったものだから、全部食べるのは礼儀だろう」という強制、強迫にも似た勧め方には辟易とすることがありました。
笑顔で、「折角だから」と言われると抗い難く、泣く泣く全てを平らげ苦しさにもがいた事は再三です。

 腹七分だの腹八分だのは言っていられない。
全部食べなくてはもったいない。作った人の厚意に感謝。天の恵み、地の恵みを疎かにするな。神様の罰が当たるぞ。こういった言葉を浴びながら食事をして来た者にとって、腹七分だの八分だのは戯言以外のなにものでもなかった。
貝原益軒という、現代で言う学識経験者、当時の幕府御用学者が何と言おうが、そんな勿体ない無礼な事は出来ないと思っていました。
凶作時を乗り切るため、下々の者たちにたくさん食べさせないための政策的なものだと思っていました。

 腹七分も一年も続ければ満腹となる。さらに七分を続ければ「鳥のエサ」並みになってしまう。
「あ~食べたな~!」と感じたところで止めればいいのであって、そこからさらに「悪いから」「折角だから」「元を取らなければ」などと思って胃袋に詰め込まなければいいのです。ふと、満腹を感じる。その時に箸をおくことです。
身体を壊してまで義理に縛られなくてもいいのです。
最近やっと、残すということができるようになりました。
「いつか罰が当たる」という母の言葉をはっきりと聞きながら、残せるようになりました。

.10 2013 未分類 comment0 trackback0

馬鹿の大飯食らい 馬鹿の三杯汁

 戦時中の昭和17年の2月生まれの私は、出生直後から大飯食らいだったようだ。同じころに生まれた従弟と並べて寝かせてミルクを飲ませると、彼が一本を飲む半分の時間で2倍量を飲んでケロッとしていたそうです。両親から、戦時中の物資不足下、ミルクの手当てに苦労した話をよく聞かされました。
以来、「馬鹿の大飯」と「馬鹿の三杯汁」という言葉は、私の人生とともにありました。何処に住んでも、彼奴はよく食べると言われ、時にはその評価に沿わなくてはいけないとすら思って懸命に食べたこともあります。

 小児のころ、農家の人がコメを持ってきて、母が着物を何枚か渡していました。「これではコメは渡せない、あと何枚かもらわねば・・」と強欲な表情で強弁し、母が悲しそうにあと何枚かの着物を渡していた光景は目に焼き付いて離れません。
さらに悪いことは重なった。一升瓶の中に入れたコメを搗いていたとき、うっかりして瓶を落とし土間にコメをばら撒いてしまったことがあります。「自分が食べるコメなのだから全部きれいに拾いなさい」と言われ、泣く泣く拾い集めた苦い思い出があります。先ほどの母と農家の女性の遣り取りを聞いていただけに、こみ上げる涙を堪えることができなかったこともアリアリと脳裏に浮かんできます。

 「三つ子の胃袋百までも」という言葉はきいたことはありませんが、爾来今日に至るまで大飯ぐらいは変わらない。69歳の某日、心ひそかに減量を誓ってからも人並み以上には食べているようです。

 93キロ。55歳のころ、ゴルフ場の体重計で計った時の衝撃は忘れられません。当時、教育大学柔道部出身の友人がいました。100キロオーバーの猛者達でした。彼らが結成した「100キロクラブ」への入会資格が与えられそうな勢いでした。「お待ちしております」と揶揄されたものです。

 現在、67キロ±1ですから、25キロは減量したことになります。すでに、一年くらい経過ししましたが、幸い、リバウンドはしないようです。いや、もうあのような状態には戻りたくはありません。
学生時代は64キロでしたから、あと3~4キロの減量するという考えもありますが、目下きわめて体調がよく、多少は小太り気味のほうがよいという説を採用し、現状を維持したいと思っております。

 
.10 2013 未分類 comment0 trackback0

ご挨拶

2011年10月で休筆して以来、久しぶりに再開致します。
この間、各種の健康法を試行錯誤を重ねながら、自分の身体を使って人体実験をしていました。
20キロ減らした体重も安定し、疲れも感じない日々を過ごしております。

 その顛末、悲喜こもごもの顛末を記してまいりたいと思っております。
よろしくお願い申し上げます。

.09 2013 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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