「禁止」という言葉

・「犬を公園に入れることは禁止」、 この公園は犬を入れることを練馬区は禁止しています。犬を入れている方を見かけたら皆さんで注意して下さい。

・リードをはなして犬を走らせる行為や糞尿の放置により、他の利用者が大変迷惑しています。「絶対に止めて下さい」

・「絶対に入らないでください」 これは、東電高圧線電柱下の囲いの中の看板。

・ゴルフ禁止。練馬区は公園の安全利用のためにゴルフを禁止しています。ゴルフクラブが人に当たるとそれが凶器になることはゴルファーの皆様がよく理解しているはずです。

・ネコにえさを与える方へ。ネコにエサを与える行為や死んだネコを埋める行為はやめてください。糞や死骸からから悪臭が発生し衛生上不適切です。絶対にやめて下さい。

・禁止!通路でのキャッチボールは、他の利用者の迷惑となりますので、禁止です。

・禁止!キャッチボール、サッカーなどは散歩する方および近隣の方に迷惑になります。

以上は、最近転居してきた練馬区の公園で見かける立て看板やフェンスに吊るしてある注意書きの一部である。練馬区のこの種の注意書きの文言の歯切れの良さに気付いたのは今朝の散歩のときである。

前に住んでいた神奈川県の横浜市や川崎市および全国各地の公園や公共施設における注意書きは、「ご遠慮下さい」と言うのが圧倒的に多かった。筆者が気づいた範囲のことであるから例外は多々あるとは思う。

練馬区の看板の文言は確かに歯切れがいい。一方、「ご遠慮下さい」という文言は如何にも歯切れが悪く、どこか、「注意はしたよ、しかし強制はしていないよ。出来ればそうしてね!」と言う責任逃れは否めないし、慇懃なずる賢さが透けて見える。嫌な感じである。

教師が生徒に対しても、親が子供に対しても、医師が患者に対しても、どこかはっきりと注意をしたり、諭したり、指導することを避けるような風潮が満ち満ちている。モンスターペアレンツ、モンスターペイシェント、執拗なクレーマーが異常に増殖した現代の日本では恐ろしくてはっきりした言葉は遣えないという消極的な姿勢に陥っているのであろう。

その中にあって、練馬区では断定的な表現がなされている(もっとも、練馬区全域を調査した訳ではないが)。歯切れがよくてすっきりはしているが、練馬区の断定的なはっきりした表現が必ずしも良いとは言えない。

子供たちは、空き地や公園内の広場があれば友達とキャッチボールやサッカーに興じたいであろう。フェンスがあればよじ登りたいであろう。ところが、散歩をする人の邪魔になるからやってはいけないという。

健康保持のために散歩する老人たち。バギーに赤ん坊を載せたママさんたち。このような人たちが公園で過ごしているときにキャッチボールやサッカーに夢中になって興ずる子供や若者がいると危険であることは確かである。

しかし、そのような子供たちがいるときは、散歩をする者は他の場所を歩き、ママさんたちは公園内の安全な場所を選んで「陽だまり」と「お喋り」を愉しんだらいかがであろう。

では、子供たちは何処でキャッチボールやサッカー等ができるのか。決められた場所でという事であろう。何日も前から申し込み、しかも抽選であったりする。面倒くさくてやってられない。下校したら、安全を第一にして過ごし、塾などに行きおとなしく過ごす。

老人や幼児に迷惑をかけるような行為は一切許されない。近隣が嫌がることはやってはならない。「公」が決めた禁止事項は絶対に遵守する。逆らってはいけない。反抗してはならない。反抗するのは悪い子だ。悪い子は罰せられる。とにかく「良い子」でいろの大合唱。

これは何を生むか。両極端を生むであろう。徹底的に従順な者たちと、徹底的には歯向かう者たち。公権力は後者を弾圧する。かくして、公権力に従順な国民ができ上がる。万事におとなしい国民ができ上がる。

悲惨な政治を目の当たりにする国民もおとなしい。無能なトップだと分かっていてもおとなしい政治家たち。国家の危機だと言うのに、争っておとなしさを表徴するマスコミ。おとなしさの先頭に立って、おとなしさの模範を示す日本の賢者・有識者・知識人。

このおとなしい国民の中から選ばれた総理も結局はおとなしいのであろう。大胆なこともできないし、強力な指導力も発揮できない。どこか、オドオドしているのは、禁止禁止に従って生きて来た現代の日本人の典型的なモデルなのであろう。菅総理を引き摺り下ろしたい勢力も、とにかくおとなしい。静かで優しいお国柄のようである。
剛腕と言われる人も、野党第一党のトップも、とにかくおとなしい。なぜなんだ!
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.31 2011 未分類 comment0 trackback0

読書する男が増えた

電車内で読書をする男性が増えたことに気がついた。
ある時気がついたので、その後注意深く観察をしてみたが、やはり、熱心に読書をする男性の数は確かに増加している。

数年前までは、電車内の男性といえば、年齢を問わず「マンが」に夢中になっていた。若い男性はもとより、立派な身なりの管理職風のビジネスマンの高価そうなカバンから堂々と取り出される「マンガ雑誌」に度肝を抜かれたものである。降車駅に着いた件の男性は再び大事そうにカバンの中に収め降りていく。その後ろ姿は何処から見てもインテリの管理職としか見えなかった。

不作法な座り方をして幅広く座席を占有し「マンガ本」をひろげたまま、いぎたなく眠りこける初老の男たちを散見するようになって深いため息をついたものだった。

一方、その頃の女性たちは年齢を問わず、つまり、女子生徒たちから老齢のご婦人に至るまで、読んでいるものはマンガではなく、いわゆる書物であった。

この差は大きいだろうなと感じざるを得なかった。つまり、男女間の文化的な力量の差は相当なものだろうと推測された。

明治の頃から女子の高等教育が始まったが、社会で女子が活躍する機会はなかった。男性は旧制中学・旧制高校・帝国大学や私立の大学で高等教育を受け、文明開化の先兵として西洋の学問の恩恵を十分に堪能した。

だが、一歩世の中に出たら、現実の社会、実学の社会の中に埋没し、学生時代に浸った教養的環境から大きく逸れた環境に身を置くことになった。

女子は、さに非ず。高等教育を受け高度の知性を身につけ、教養的空気をたっぷり吸いこんだ女子には充分な時間があった。その恵まれた時間を更に自分の内面を磨きあげるために費やすことが可能であった。知性を深め教養を高める充分な時間があった。

仕事には成功してはいるが、帝国大学を卒業した人とはとても思えない、脂ぎった生々しい夫の住む精神世界とは遥かに隔たった世界に心を置く妻たちが大勢いた。知性や教養とは無縁の世界に行ってしまった夫の稼ぎのお蔭で保証されている主婦の貴族的生活があってのことではあるが。

その女性の世界の伝統でもあるのか、電車の中で、しっとりと読書する麗人が本当に多かった。その傍らで、マンガ本を読み耽る男たちの姿は実に情けない光景であった。まさに、美女と野獣の読書版である。いくらストレスの発散だという言い訳があってもである。

ところが、その麗人たちの手から本が消えた。

その手にあるのは、いまや「携帯」と「i-phone」と「i-pod」である。向かいの座席に坐している人たちばかりか、立っている人たちまでほとんど全員が何やら妖しい指の動きをしている。しかも、年齢を問わずである。

中には、女武蔵というか二刀流の剣士の如く、両手に「携帯」という忙しない女性を見ることも珍しい光景ではない。情報収集といえば聞こえはいいが、井戸端会議に代わるメールの交換であろう。とにかくお喋りが好きなのは昔も今も女性の性である。「携帯」を握って声のない会話を喋々しているようだ。

たまに隣に立って覗いてみるとゲームに興じている中年の女性もいる。あの、しっとりと読書に勤しむ女性たちはどこに消えてしまったのか。

幸いというべきか、電車内読書者に男性の数が急に増えて来た。このことに気がついたのが、3・11大震災の後であるから、どうしても、この大震災が男性の価値観というか人生観を変えたのではないかと推測している。

先日も観察してみたが、山手線・地下鉄・私鉄に関わらず、確かに男性が読書する姿が増えている。そして、女性たちは、やはり、「携帯他」の虜になっている。

父親が仕事を口実にいい加減な生活をしていても、母親にしっかりとした知性と教養があれば子供はまともに育つ確率は高い。しかし、数年前は、マンガの男に読書の女という構図であったが、最近は、メールとゲームに浸る女と読書する男という構図に変わった。

浮かれまくった異常な日本社会から、収入格差とリストラ・早期退職社会に変化してきた渦中にある日本の男性たちの精神の何かが変化してきたのではないか。

その一方で、敢えて一部の女性と言うが、男性と対等という現代社会の流れの中で、男性の悪い面が一拍遅れで表れているのであろうし、子育てとか母性というものがその精神構造の中から流出してしまい、女性としての本能が希薄になってきているのかもしれないなどと、たかが電車内の風景から感じている。                
.29 2011 未分類 comment0 trackback0

注水続行の戯曲は信用できない

 福島原発の事故発生当日の注水に関する責任問題が侃侃諤々の論議を生んでいる。対応に窮した官邸と東電が考え出した一手が、「現場の所長は注水を止めなかった」、「問題となっている空白の時間も「現場の判断で注水が続行されていた」というストーリーのでっちあげである。

東電は、塩水注入による腐食を懸念し廃炉になるという展開を経営的に躊躇した。その決断を総理と官邸に委ねることで事後の展望を有利に展開しようとした。総理と官邸は、原発推進の国策をとって来た以上、早期の解決と同時に「危険な原発」のイメージを最小限にとどめたかった。

官邸も東電も「保身」と「言い逃れ」の勘ピューターがスパコン以上のスピードで作動したようだ。その結果生じた初期対応の遅れであったと、いまだに筆者は捉えている。

東電にとっては幸いというべきか、極度の混乱状態で正確な記録もメモも揃っている筈はない。穿った見方をすれば、東電内部でいかようにも書き換えや捏造はしたい放題であろう。辻褄の合わないところも混乱の故だと言い逃れがきく。マスコミが追及の手を緩めてくれさえすれば可能なことである。過去の手法と同じ事でマスコミ対応は乗り切れる。

総理と官邸は、事実なんかはどうでもよい。政治的に有効な選択であるか否かで筋道が構築される。

注水中断が大きな責任問題に発展し、国会においても野党党首の緩くて甘いながらも執拗な追求が行われた。そこで、「注水の中断はなかった」という新事実を前景化させる。東電幹部も知らなかったこと。現場の所長の独断で、注水中断の指令があったにも拘らず、注水し続けるべきだとの判断をし、続行したということになった。

ここに、永田町政権党文学と東電文学が合作した、下手な修飾をちりばめた歴史的戯曲の駄作が出来上がった。東電は「現場の判断で、注水中断という選択肢はあり得ない」、従って、専門家としての正当な判断を実行した。東電の専門家は立派なものだろう。東電の社員はきちんと責任を果たしているという事をクローズアップして見せた。

総理と官邸は、糾弾されていた初期対応の遅れは、この新事実の前に霞がかかり、有耶無耶のうちに収束させようと躍起になっている。

仮に、福島原発の所長の処置が真実だったとしよう。
納得が出来ないのが、担当役員の弁である。「事実を隠匿し、発表が遅れた咎で処分の対象にする」という。

細部にわたって構造を把握し、日夜、事故の恐れの中で仕事をしている現場の専門家であり現場の責任者に対するに対するこれほどの冒涜があるだろうか。

東電原子力チームのトップである件の役員は、本社ボケ、役員ボケしてしまったのであろう。誰に気兼ねしてこのような愚かな見解を口にしたのだろうか。

戦争を知らない世代(戦時中生まれ)の筆者が戦争を例えに引くのは憚られるが、交戦中の現場ではそこの指揮官の判断が最優先であろう。ましてや、想定外の未曽有の事態が発生したのだ。

輸血しながらの手術が必要で輸血を開始した途端に、「輸血が必要か否か検討するからしばし待て」では、すでにメスが入り、大量出血の中で手術中の医者なら、「輸血は止めない。文句があるなら、輸血を続けながら聞くから的確な指示があるなら言って来い」というはずだ。

マンモス東電は「総身に知恵が回りかね」の状態にあったのであろう。自分が担当の間は「事故は起きない」「事故が起きては困る」「事故は起きないでくれ」「事故は起きないはずだ」という、嘘に嘘、無理に無理を重ねた「安全神話」の呪文を唱えるのが役員たちの仕事であったのであろう。

「現場の所長を処分する」などという世迷言は何処をつつけば出てくるのか。むしろ、逆であろう。高く評価し報奨すべきであろう。

もし、ストーリーが本物ならば、注水を続行していたという報告が遅れたのは、東電の硬直した隠蔽体質の社風が故であろう。会社上層部と官邸の指令に反したという怖れからであろう。国民を危険から守り、自らを犠牲にして危機回避に専心する精神を鈍らせてしまうのは、このように愚かな東電のような、国民の危機より、国家の危機より、「我が社と自分の保身」がエートスとなっている体質である。

菅体制と東電という最悪のコンビの中で進められるこの事後処置に安心と信頼はない。自分の国の総理に悪口雑言を浴びせることほど後味の悪いものはない。この時期にいい歳をして「お誕生日会」をする愚物にも未来はない。しかし、次なる賢者が浮かんでこない。
総理を叩きっぱなしでなく、どなたか次なる賢者を教えて戴けない?だろうか。
.28 2011 未分類 comment0 trackback0

学者芸人たちの罪過

5月21日の朝日新聞朝刊に載ったオピニオン・政治時評2011はとても興味深い貴重な対談であった。宇野重規東大教授と飯田哲也氏(NPO法人・環境エネルギー政策研究所所長)の対談である。

宇野氏:原子力村の内部から変革する動きはなかったのか。

飯田氏:つぶされました。2000年代に六ケ所村の核燃料再処理工場について電中研の若手が見直しを提言したり、経済産業省の改革官僚が止めようとしたりしましたが、封じ込められた。福島県の佐藤栄佐久前知事も、自治体の長の立場から異議を唱えましたが、別のかたちで失脚した。こうした動きは05年までにことごとく消え、その後は「安政の大獄」の時代でした。電療会社と経産省が半ばグルになり、「安心・安全」と洗脳した。まともな議論ができない暗黒の時代でした。メディアも記者クラブを通じ、原子力妄想に付き合った。電力会社や国は圧倒的な広報予算を使い、先回りして異論をつぶした。ソフトな形で原子力洗脳が進んだのです。そこは変えなくてはいけません。

さらに飯田氏は続ける。
飯田氏:核廃棄物は今後何万年も残る。原子力に片足を突っ込んだ自身の人生のおとし前として、核廃絶の出口までの道筋はつける必要があると思っています。一方で、若い人のために我々が残していかないといけないのは、「第四の革命」としての自然エネルギーです。

以上は、飯田氏と宇野氏の対談のほんの一部を転載したものである。飯田氏の発言の行間に溢れる多くの真の科学者・良心的科学者群像の悔し涙を感じる。村八分という理不尽な処遇を受けた敬虔な科学者たちの怨念を感じる。私は、この記事を切り取り、何度も読み返し、飯田氏と多くの科学者たちの苦渋の涙を呑みこみ血肉化した。

「原子力村」といい「永田町村」といい「霞が関村」といい、それらには一貫した共通の体質が存在している。無責任という体質である。「利の追求」というお題目を前に一切の異論を廃し、邪魔ものは放擲してしまう力学である。

日本の学会は概ねシャンシャン総会のようなものである。原子力学会といえども同様であろう。大学閥が支配し、原始力発電安全神話の信者であるか否かが全てを決する。安全神話の原則にのっていさえすればすべて認められる。異議申し立てをする者は、学会のボスの一喝とヤジの圧力によって封殺されてしまう。

村の掟に従わない学者の発表すら事前審査で撥ねられたことだろう。これが日本の学界の常套手段である。

こうして原始力発電の安全を担保する「学者芸」を演ずる主流派が形成される。政治家・官僚・電力業界という旦那衆が求め、満足する芸をひたすら披露する。哀れな幇間の如きものである。

村の序列に従い潤沢な研究費のお手盛り具合も異なり、俗的接遇の格差がつけられとなれば、村人は自然科学者としての矜持もなにもかなぐり捨てて「旦那のために学者芸を磨く」事に狂奔する。

かくして、電力業界は、専門家のお墨付きがあるから、政治家が許してくれているから、官僚が推進しているから、という他責的ディスクールに従ってしまう。このサイクルを円滑に作動させる潤滑油が「カネ」である。

では有事の際には誰が責任を負うのか。誰も負わない。
私は、一番の有責者は学者であると思っている。確かに、学者の骨を抜き、彼らを凌辱したのは政治家であり官僚であり、悪徳であろうが何であろうが「利益」の前には節操のかけらもない業界である。しかし、学者が真理の探究を放擲することは、宗教者が自分たちの神を冒涜するに等しい。

ましてや、「核」という一旦事があれば人間の手には負えない怪物であることは常識のレベルにある。彼らが、権力に擦り寄りその威光で良識の府を牛耳り、カネの魔力に屈したという事の罪は看過出来るはずもない。

政治家や官僚の手口は対象によらず似たようなものである。

国土の破壊、国民の消滅につながるような「手に負えない危険物」を取り扱う事の大事と危機感が欠如した学者の罪は決して許されるものではない。

菅総理は確かに愚物の最たるものである。しかし、菅総理レベルの問題をはるかに超えた事態の展開であることは確かである。菅総理の愚行に帰着させるべきではない。

学者は真実を語るべきである。もし語れる真実を持っているならば、であるが。アメリカの研究結果の追試が主たる仕事であったならば、恐らく、語るべき真実すら持っていないのが「原子力村の学者ゴッコ」の学者もどきたちの真の姿ではないのか。
.25 2011 未分類 comment0 trackback0

散歩道を探す その二 南方向

官制散歩道の南方向を歩いてみた。三百歩で、鬱蒼とした緑の古い神社がある。そこで、二礼二拍手一礼。悪くない心境である。さらに五百歩行くと、なにやら由緒ありげな公園がある。さながら深山幽谷の趣である。敷地も広く、老若男女が集い来るような公園である。至るところ苔むし古木が立ち並んでいる。

さらに、千五百歩ほど歩いたが古びた住宅地の中を道が続いていた。なんの面白みもない道が続くだけであり、散歩者も少ない。小さな公園があり、「ここは俺のもん」といった感じの古老が身体をひねくり回していた。近づくと、朝の挨拶はしたが、結界を犯してはならないような厳しい拒否の雰囲気があった。

なにか魅力的なことはないかと千歩程歩を進めてみたが、さしたるものはなった。ただの官制散歩道にしか過ぎない。そういえば、教会があり、朝のミサに修道尼が三々五々と教会に吸い込まれていた。なぜか、男がいなかった。何故だろう!

途中に鍛錬用具があるのは古い公園だけだが、これで片道二千三百、往復五千歩は優に超すなと計算しながら復路に入った。深い緑と苔むした古い公園が気になったので立ち寄ってみた。なんと、ここでは、「太極拳」のグループがいた。

リーダーは初老の女性である。約10人ほどのメンバーがいた。殆ど女性たちであり、男性は2~3人いたが、見学者であり、時折見よう見まねをする程度である。片足で立って演技することが出来ずによろよろと今にも倒れそうで見ちゃいられないと言ったド素人のようだ。すでに太極拳を遣る身体の柔軟性は失ってしまっているとみた。

参加者はなかなかの手練ればかりで、見ていて美しい。古色蒼然とした公園の雰囲気といい、朝というのに何となく薄暗い雰囲気はなにやら秘密っぽく、北京の一角の公園で毎朝演じられる「太極拳」もかくやという感じである。

ここでも、新人勧誘にあったがこれも丁重にお断りした。なにしろ、朝早いことであり、自分の健康のための散歩だから他者と約束事はしたくない。散歩をやらない日もあれば、遣りたくない日もある。それゆえの負荷は負いたくない。

北方向では「武道風の鍛錬」の集団、南方向では「太極拳」のグループ。朝の散歩という他愛のないことの中にもさまざまな人間の営みに接することが出来るということは興味深いことである。

しかし、全般的に南方向は「暗い」とい感じは否めない。朝の明るい陽光の中にあるにも拘らず、なぜだか薄暗く埃っぽい。しかし、この方角の散歩道ではこの公園は外せない。なぜなら、古色ながらも敷地が広く用具が適当に揃っている。北に飽きれば南があるさ、という選択は可能である。それにしても、北京を思わせる暗さが太極拳のグループの発生と関係があるのだろうか?

尼僧姿の女性だけが集う教会、女性の指導者の下、女性が中心の太極拳のグループ。妙に気になる現象を見た思いがする。なにか、特殊な因果関係があるのか否か。例によって、余計な推理をしたくなったが、他に推理しなくてはならないことも多いことだから止めにした。

かくして、この方角でも取り敢えず五千歩余の道程は確保した。

住まいから、駅までが千五百歩だから、きちんと帰宅すれば(?)往復三千歩となる。朝の散歩で五千歩だから合わせて八千歩は担保される。あとは駅から先の勤務先との往復で、電車以外に千六百歩だから、合計一日九千六百歩となる。

こうしてみると一万歩というのは案外簡単に達成されることがわかる。それ以外にも、何かとうろうろと徘徊して回るのだから、一万歩以上は毎日歩くことになる。

ただし、毎朝の五千歩の確保が条件であるから、これが続かなければならない。
雨の日は?風の強い日は?
その時は、「菅総理方式」を採用して、他人のせい、天気のせい、言い訳は山ほどあるので心配することはないではないか。一国の総理ですらそうなのだから・・・。しかも長生きしたかったら「延命の効果」があるやもしれぬ。

運動をしたからといって延命の保証はない。運動をしなかったからと言って短命とは限らない。普通にしているのが一番かもしれない。人は何の保証もないことに血道を上げる。

「核」のことも実はたいして分かってはいない。分かっている振りをして「安心」を振り撒く。振り撒いているうちにその気になってしまう。そうすると目先にご馳走が並ぶ。その御馳走に目が眩み桃源郷を満喫する。待っているのは深刻なドンデンガエシである。

自分を含め、何も分かっちゃいない「健康神話」を信じて朝も早くから動き回る「神話の子ら」に大きな裏切りが起きないことを祈るのみである。日本中の「歩く人」に幸多かれと祈るばかりである。
.24 2011 未分類 comment0 trackback0

散歩道を探す その一 北方向

練馬に居を移した小生が最初に取り組んだ(?)のは、散歩道の選定である。
早朝の散歩で五千歩を確保しておけば、出勤途上とその他で一日に一万歩は軽くオーバー可能だからである。

一日に一万歩にいかほどの根拠があるのか確たることは認識していないが、ダラダラ歩きと一定のリズムでサッサと歩くのが同じであるはずがない。従って、少なくとも五千歩はきちんと、つまり正しいと言われている歩き方で確保したい。あとの五千歩が、ラッシュ時の駅などでの牛歩状態を含んでの都合一万歩は、一つの基準として適当だと思っている。たいがい、一日で一万五千歩くらいにはなっている。

朝の五千歩に加えて、その途中で鉄棒なり、腹筋を鍛える道具等が設置されている公園があればなお結構である。腰をねじり回転する用具と、ぶら下がりが可能な鉄の用具があれば更によし。

住まいの近くに区が定めた(準備してくれている)散歩道がある。官製散歩道にいささか抵抗を感じないでもないが、極端に車が少なく、歩道の並木とレンガ敷の舗装道路は散歩を安全で快適にしてくれる点では誠に結構である。

まずは北方向を探索してみた。
約千歩のところに児童公園がある。池もあり緑が濃いい。イギリスのガーデンチェアーと同じようなサイズのベンチがあり、座り心地がすこぶる良い。この様式のベンチは小生がとても気に入っているもので、昔買い求めたものを今も、室内に持ち込んで愛用している。落ち着いて読書が出来るし、好きな紅茶を愉しむのに最も適している手放せない愛用の椅子である。家人によれば、ガラクタの最たるものだという。哀しい評価である。

設備は児童用なので、低い鉄棒とブランコや滑り台しかない。爺さんが衰えた身体を鍛えるにはいささか気恥ずかしい。

さらに、五百歩先に公園がある。公園がやたらと多い地域のようだ。ここには球場とグランドがあり、大人も使える運動用具が充分ではないが揃っている。腹背筋を鍛えるに適当な台があり、腰を捩じる用具もある。鉄棒もあり、ぶら下がって伝わり移動が出来る用具(雲梯)もある。

更に、千歩先に、またまた公園がある。ここは単なる公園で、深い緑とベンチが設置してあり、若い男女の語らいの場であり、疲れ果てた老人の息つき場に相応しい。今のところ小生には通過する公園にしか過ぎない。

ここまでで片道約二千五百歩。往復で五千歩は確保できる。しかも、道程の途中に、老いた身体を鍛えることが出来る施設を有する公園があるので、小生の目的は達成されている。

このグランドでは朝のラヂオ体操をしている一団がいる。様子をウオッチングしていると、ラヂオ体操終了後はグランド周囲を一生懸命に歩き回っている。30分程経つと再び集合して今度は一人のリーダーの下に激しい武道の鍛錬の如きものが始まった。

どうやら、空手の武道者と思しき凛とした老練な逞しい指導者の下で顔を顰めながら真面目に取り組んでいる。年老いた老男老女の群れである。リーダーの老男の身体の動きを見ていると実に本格的な経歴を有する武道者である。カリスマ性があり古武士然としたリーダーの下、約30人ほどの「健康のためなら命は要らない、身体が壊れても構わない」という決意がうかがわれる。宗教的な雰囲気すら感じた。

その鍛錬が終わったあと、ゼイゼイ息を切らしながら二人の老女が近づいてきた。「一緒になさいませんか?」との勧誘であった。とっさに大学生の頃の「民青」の勧誘(ハイキング・キャンプファイヤー・フォークダンスの世界)を思い出した。危険を感じた(というほど大袈裟ではないが)小生は丁重に断った。なんとなく濃い人間関係のようである。このような群れを苦手する小生は近づかないに限る。

次の日は、時間を早めて行ってみた。そこには、全く違う顔ぶれの人々が自由気ままに歩き、体をひねったり延ばしたりしている。マイペースの世界である。このほうが自分には合っている。例の群れと会わずにこの自由世界で身体を鍛えるには、朝の5時半には住まいを出なければならない。

更に次の日は日曜日だったので、ワイフを誘って8時頃に住まいを出て件の場所に行ってみた。例の「武道式鍛錬組」が多少残っていて、「なんだ!この軟弱者」といった視線を感じたのは過剰な自意識だったのかもしれない。

ともあれ、最初が肝心。妙な人間関係に悩まされることなく、決められた時間に合わせることを強要されることもなく自由に散歩し用具を使って鍛錬するには多少は早めに出なければならないという不自由さを我慢しなければならない。何処にも本当の自由は存在しない。不自由なのが世の中なのだ。

かくして、朝の五千歩の確保はなった。明日は、官制散歩道の南方向を探ってみたい。
.23 2011 未分類 comment0 trackback0

転居とスリム化の失敗

川崎市の鷺沼から都内練馬区に転居して2週間が経過した。3.11以降のことだから海岸から少しでも内陸に逃げ出したのかと言われることもあるが、無関係である。38年間の田園都市線沿線での生活から実に久し振りに都民となった。

歌手のいしだあゆみさん程には徹底出来ないが(ex皿は一枚にした)、今までよりも多少手狭なところに移って、この際だから家具その他のガラクタを大整理してスリムになろうと家族で話し合った。話し合いは和気あいあい順調に推移した。

他人が見れば(自分たちでさえ)、こんなガラクタに囲まれて何が楽しいのかと嘲笑われそうな状況から脱皮したいと強く決心した筈だった。筈だったが、結果的には上手くいかなかった。

家族各自が自分のものは大切。自分のもの以外は何の価値もないつまらないもの。エゴのぶつかり合いで、ほんの少しばかりを粗大ゴミとして処分できただけであった。

例えば毛皮のコート。お抱え運手付の高級車で移動し、降車してから目的のホテルなどのクロークに預けるまでのつかの間のアクセサリーのようなモノに過ぎない。高温多湿のこの日本で毛皮なんか不必要だとかねてより主張していたが、どうしても手放せない。

トコトコ駅まで歩いて行き、電車に乗って出かけるような庶民が、汗をかきかき毛皮をはおる姿はマンガ以外の何物でもない。その昔、銀座のホステスが高価なミンクのコートを着て安アパートからドブ板を踏んで店に出ていた時代の滑稽にして微笑ましい話を思い出すが、我が家では今でもこの話は生きているようである。

古ぼけたガラクタは「想い出がいっぱい」、新しいものは使ってもいないのに「これから本番なのよ」、中途半端なものは「いつ必要になるかわからない」、毛皮はもとより古いセーターなども「電気・ガスの事情がどう変わるか不安がいっぱい、その時にこれらが威力を発揮するのよ」と、あながち否定し難い言い訳がいっぱい。

結局、顕著に処分したのは(されたのは)小生の蔵書であった。15年ほど前の転居の際に約10000冊を断腸の思いで処分して以来2度目の大処分を行った。それでも、転居先に占める蔵書の比率は結構高く、家人の冷たい眼差しに耐えている。

とは言っても、今回は幅広のメタルラックを仕入れ、本を両方から並べたので全てのタイトルを見ることが出来るようにした。従って、目に触れないデッドストックのような本はなくなった。しかし、図書館の超ミニ版の書庫に寝泊まりしているような落ち着かない気分であることは確かである。

なんとか引越しが出来たのは、他に一室をクロークとしての部屋を確保し、取り敢えず必要のないものはそちらに詰め込んだからである。滑稽極まる女物の衣料。着る機会がなかなかない膨大な和服の数々。使わない陶磁器類。飾らない絵画。いまや疎遠になっている小生の趣味の釣り道具いっさいと一部の蔵書。娘の成長の記録である膨大な写真アルバム・テープに今や飾ることもなくなった雛人形など。ついでに、小生自身の「ぜい肉」もここに収納したかったが叶わないことだった。

さて、新居だが、タコ部屋というかブタ小屋というか、いまだに整理がつかず極めて快適でない生活をしている。生活全般に至るサイズダウンとスリム化の計画は大失敗と言わざるを得ない。また近いうちに転居をせざるを得ないかと思っている。

70歳を目前にしての転居は結構身体に堪えたことは確かである。幼稚というか、子供っぽいというか、年齢相応の落ち着きというものが普遍的に存在するのなら大きくそれからはそれている小生だが、肉体的には相当に堪えた。

なにしろ、メインの引越しは専門業者に頼んだが、クロークとして使うところには小生がガラクタを自分で乗用車に積み込んで運びこんだからである。10回近くの運搬は大変だった。今度引越しをするときは、若い者の助力を恃むか一切を業者に依頼したいと思う。それまでに、本当に不要なモノを処分してスリムになっておきたいものである。

日常生活のスリム化は独り住まいなら可能なことも、複数の家族がいれば人生の時間的な差と価値観の多様性が故に実現できないことが多い。自分だけの人生という前提の上での決断が出来なければ到底不可能なことである。

「断捨離」という事を聞くが、その基準自体が家族それぞれで異なるのだから、所詮独り身であってはじめて可能なことであろう。理想的なスリム化や「断捨離」を敢行するためには「孤独」という究極のスリム状況に身を置くことが条件となるようだ。
.23 2011 未分類 comment0 trackback0

小佐古元内閣官房参与の涙

 小佐古敏荘氏(東大大学院教授・元内閣官房参与)の涙に嘘はない。転びバテレンが本来の信仰を取り戻したようなものであろう。学者が、自らの信じる学問をもうこれ以上凌辱されたくない。権力の御用学者としての辱めにこれ以上耐えられない事を辞任という行為で表明したものである。

官立学大学、現在国立大学変じて独立行政法人と称する大学は歴史学に顕著にみられるが、法学にしろ経済学にしろ「御用学問」の府であり、「御用学者」の集結するところである。それが、明治に創設されて以来の官学の使命であった。

文科系、理工系、医歯薬系の各分野において、西洋の学問を翻訳(誤訳も含め)し、或いは実験の追試を行う事を専らとしてきた。つまり、西洋の学問を輸入し販売する「学問の総合商社」であった。その実態は現在においても変わらない。

権力の下請けの商社マンのような教授以下の研究職は、潤沢な研究費に恵まれ、学界の主流として栄耀栄華を享受出来ることは常識となっている。
一方、学問の独立、学問の自由を主張し、大学の自治を主張する学者は大学内権力闘争から脱落し、乏しい研究費しか支給されず日陰に追い遣られてしまう。

筆者も40年ほど前、文部教官教育職x党等俸y号俸なるものを受給(当時は現金支給)していた身(官僚の端くれ)であったことを思い出した。当時、文部省の科学研究費(科研費)の支給を受けて「放射線障害の生物学的研究」を、公衆衛生学教授らと行っていたが、その研究費の申請の仕方の中に微妙な言い回しのノウハウがあったことを思い出す。

民主党政権になって官僚の人事が変わるかと思えば変化なし。東大を始めとした国立大学の研究方針に変化があるかと思えば変化なし。自民党長期政権時代のものをそのまま踏襲している。

菅総理は歴代総理の中で特に範としているのは中曽根元総理だという(2011・05・02 読売新聞・編集手帳より)。中曽根「ブレーン政治」を模倣しているようだ。そのブレーンの顔ぶれをみると自民党政権時代の顔ぶれと変わらない。

民主党は、政権を奪取したら君子豹変とも言うべき自民党政治の総パクリである。しかも、小佐古参与を、民主党の空本誠喜議員から推薦され、「大変高い知見をお持ちの方だと聞き、推薦者の見方を尊重して任命した」と説明した。「全ては、細野首相補佐官に一任し、私は議論に同席したり詳しく関わっていたわけではない」と語った(2011・05・03 産経新聞朝刊)とのこと。

広く叡智を糾合するにあたって側近等の意見を採用することはよし。しかし、その人物の事に対する認識がこの程度ならば、他の参与や、「・・委員会」の委員たちに同情を禁じ得ない。それは、政府の見解や方針を担保させるための「空芝居」の役者として急遽集められたにしか過ぎないからである。

どうにもならない、軽率極まりない五百旗頭氏などの学者を残し、学問的良心をまだ保持している学者諸氏の総退陣を薦めたい。

日本の原子力行政を日本の原子力関連学会と医学・生物関連学会は担保しないことを、国内外に学者の良心に乗っ取って宣言する必要があろう。

カネと権力という麻薬に群がるヤセ犬のような貧相な頭脳の輩を引き寄せ、学問に真摯にして敬虔な矜持を保持する日本が誇る本物の学者を排除する菅政権の遣り方は、人類に対して重大な責任を遂行すべき局面を担当する資格も能力もない。

仄聞するところ、官僚は「菅の顔を見るのも嫌だ」「菅以外なら誰が総理でも構わない」というほど無視されている由。

哲学なし、手腕もなし、いったん手に入れた総理の座にしがみつく哀れな総理。総理として長くいられるなら民主党が瓦解しようが知ったことではないし、日本がどうなろうと構わない。

かつてヒトラーが言った如く、民主党に政権を与えた国民、民主的手法で自分を総理に選んだのは国民である。その国民は自分(菅氏)と運命を共にするのが国民の責任であるとすら思っているのではないか。狂気の沙汰である。

もはや、民主党の中にも菅氏を退任させる力はないし、自民党やその他の政党も素振りばかりで実行能力はないようだ。次の選挙をにらめば、菅無能政権のままの方が有利だと思っている訳ではなかろう。悠長なことだ。

それでは間に合わないのではないか。政治家の責任放棄であり思考停止状態ではないのか。政治家の視点、国会議員とは何をすべきなのかと言う事が忘れられているのではないか。

次に 小佐古し辞任表明の前文を付して置きたい。
 平成23年4月29日
 内閣官房参与の辞任に(辞意表明) 内閣官房参与 小佐古敏荘
平成23年3月16日、私、小佐古敏荘は内閣官房参与に任ぜられ、原子力災害の収束に向けての活動を当日から開始いたしました。そして災害後、一ヶ月半以上が経過し、事態収束に向けての各種対策が講じられておりますので、4月30日付けで参与としての活動も一段落させて頂きたいと考え、本日、総理へ退任の報告を行ってきたところです。
 なお、この間の内閣官房参与としての活動は、報告書「福島第一発電所事故に対する対策について」にまとめました。これらは総理他、関係の皆様方にお届け致しました。
 私の任務は「総理に情報提供や助言」を行うことでありました。政府の行っている活動と重複することを避けるため、原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、文部科学省他の活動を逐次レビューし、それらの活動の足りざる部分、不適当と考えられる部分があれば、それに対して情報を提供し、さらに提言という形で助言を行って参りました。
 特に、原子力災害対策は「原子力プラントに係わる部分」、「環境、放射線、住民に係わる部分」に分かれますので、私、小佐古は、主として「環境、放射線、住民に係わる部分」といった『放射線防護』を中心とした部分を中心にカバーして参りました。
 ただ、プラントの状況と環境・住民への影響は相互に関連しあっておりますので、原子炉システム工学および原子力安全工学の専門家とも連携しながら活動を続けて参りました。
 さらに、全体は官邸の判断、政治家の判断とも関連するので、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志総理補佐官、総理から勅命を受けている空本誠喜衆議院議員とも連携して参りました。
 この間、特に対応が急を要する問題が多くあり、またプラント収束および環境影響・住民広報についての必要な対策が十分には講じられていなかったことから、3月16日、原子力災害対策本部および対策統合本部の支援のための「助言チーム(座長:空本誠喜衆議院議員)」を立ち上げていただきました。まとめた「提言」は、逐次迅速に、官邸および対策本部に提出しました。それらの一部は現実の対策として実現されました。
 ただ、まだ対策が講じられていない提言もあります。とりわけ、次に述べる、「法と正義に則り行われるべきこと」、「国際常識とヒューマニズムに則りやっていただくべきこと」の点では考えていることがいくつもあります。今後、政府の対策の内のいくつかのものについては、迅速な見直しおよび正しい対策の実施がなされるよう望むところです。
1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい
 この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。
 しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。
 
 とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。
 初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福井県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。
 また、文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会における判断と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるものがあります。例えば、放射線業務従事者の緊急時被ばくの「限度」ですが、この件は既に放射線審議会で国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告の国内法令取り入れの議論が、数年間にわたり行われ、審議終了事項として本年1月末に「放射線審議会基本部会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1Svとすることが勧告されています。法の手順としては、この件につき見解を求められれば、そう答えるべきであるが、立地指針等にしか現れない40-50年前の考え方に基づく、250mSvの数値使用が妥当かとの経済産業大臣、文部科学大臣等の諮問に対する放射線審議会の答申として、「それで妥当」としている。ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500mSvを限度へとの、再引き上げの議論も始まっている状況である。まさに「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスで官邸と行政機関がとっているように見える。放射線審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要があります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、「妥当」と判断するのもおかしいと思います。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。 以上原文のママ

.03 2011 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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