むべなるかな!!

今回の大震災は原発事故が重なったため、阪神大震災における対応とは違ったものとなる。

菅総理
 防災服に身を固めた姿を避難されているが、よく似合っているところが悲しい。むしろ、総理大臣としてスーツ姿で決めているときの方に不釣り合いを感じるところに更なる哀しさがある。存在する場が違っているのであろう。
総理大臣としての器でないとか、市民運動上がりの菅氏にはその地位は重すぎるとか、政権与党と代表としての素養も覚悟もないとか、批判は尽きない。

内閣崩壊寸前の想定外の震災と津波の襲来は内閣の延命につながり、総理としての地位はひとまず失わずに済んだ。しかし、リーダーとしての真価を問われる新たな事態に対処する心構えはもとより備わってはいない。実に同情すべき事態になってしまった。

防災服は免罪符の役目をしているのであろう。災害対策第一だから、難しい問いを発しないでくれ、この際だから多少のミスは見逃してもらいたい、という意思表示の衣装なのであろう。
洵にお気の毒なことである。

マスコミ
 本当は言いたいことが沢山あるはずである。本当に国民に知らせたいことが沢山あるはずである。しかるに、新聞・TV各社の米櫃であるスポンサーの意向を無視はできない。ましてや政治権力に逆らうことは金輪際遣れるはずはない。意中の本音を隠してスポンサーを擁護し、政治権力に当たり障りのない範囲で怒りをぶつけるという猿芝居を演じ続けざるを得ない。お気の毒なことである。

独立した資本でやっているのでもなく、国の許可を得てやっている事業であるかぎり、自らが主張する「報道の自由」も「言論の自由」もあるはずがない。ときの政権の側に立った「報道の自由と言論の自由」があるのであって、本質的には「不自由」に嘆いているはずである。

反体制の立場に立とうが体制側に立とうが、それぞれの立場からの資金が保証されているかこそ出来ることである。大口スポンサーに敵対する立場は絶対にとらないという報道姿勢は自ずから自己矛盾に陥るはずであるが、いささかも感じない風を装う姿に同情せざるを得ない。お気の毒なことである。

ロンダリングされた原発関連コメンテーター
 普段の画面とは一味違った「カタギ」の方々の登場の故か、「ノンカタギ風」の方々に占拠されている平素の画面とは一味違った風合いを感じている。原子核の専門家も放射線医学や放射線障害の専門家たちが一躍クローズアップされている。画面が多少上品になったと言えるであろう。

学問の自由を実践し、学者としての良心をあくまで追求すれば研究者として研究を継続できなくなるという矛盾の中に生きる者の悲哀がある。学者の良心に立てば喉まで出かかった言葉がたくさんあるであろう。

しかし、コメンテーターとしてスタジオに登場するまでに充分なロンダリングのステップを経た者としては、学者としての良心は放棄せざるを得ない。この場で、学者の良心に乗っ取り本当のことを口にした途端に番組から降ろされるばかりではなく、今後の研究費の獲得もままならぬ立場に貶められるという事になる。

研究者として生き続けるという事は多くのことを我慢しなければならない。つまり、良心を捨て去り多くの「嘘」をつかなければならない。その我慢の結果として、潤沢な研究費と価値ある地位を得られ、各種政府委員などに就任でき、学者としての最高峰が約束されるのである。

「曲学阿世の徒」と非難はされても、世間的な栄光は獲得できるのだから、少しくらいの良心の呵責を無視する。国とマスコミが欲しがる話をしてやれば多少の嘘・・国民を安心させるための嘘なのだから許される筈だと自分を説得することはさほど難しいことではない。ほぼ全員が「御用学者」としてりっぱな烙印を押されてしまった。画面が多少下品な方向に針が振れることは否定しがたくなることは哀しいことである。
まことにお気の毒な事である。

 かくのごとき「お気の毒な人々」に、未曽有な大災害を被った我が国と国民は将来を託さなければならない。これを何と表現すればいいのか。言葉が出て来ない。

 民主主義的な手続きを踏んだ上での「独裁」が必要かもしれない。期限付きの「独裁」に頼まなければならないのかもしれない。

各種委員会を立ち上げ、皆で責任をなすり合い譲り合った結果、なんら明確な方針を出し得ない「似非民主義的リーダー」よりはよほど頼りになり、強く立ち上がる日本が実現するのかもしれない。
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.31 2011 未分類 comment0 trackback0

チャリティー・ゴルフコンペの怪

東北関東大地震・津波発生以来、私鉄沿線の駅前で「支援金」「義捐金」を呼びかける元気な子供の声が聞こえるようになった。降りる駅毎に、彼らの懸命な黄色い声に取り囲まれるような状況を呈している。

昔、チャリティーコンペなるものに参加したことがある。友人の企業家が主催するものであった。複数の主宰者のものに参加したので、年間6回くらいにはなった。

一回の参加費が一万円。ゴルフプレー代が三万五千円から四万円(有名コースの日曜日料金)であったから、一回の参加でかれこれ五万円近くの出費であった。勝手に試算すると、一回の開催につき約二百万位の「寄付」が可能であると思われた。

「寄付先」は、盲導犬協会であったり赤十字であったり、コンペ開催の地元自治体であった。今でも思い出すのは、あるコンペでの地元自治体に寄付した額が25万円であったことである。私は、恥ずかしくなりその場にいたたまれなくなったし、以後、そのようなチャリティーと称する催し物に参加することを止めてしまった。

200名近くが参加するのだから、少なくとも200万円近い「寄付」が出来るのなら参加しても意味があると思ったのだが、それは間違いであった。

参加者を集めるために、有名芸能人が数名と著名な評論家などが所謂人寄せパンダの役目として名前を連ねている。後で知ったことだが、この方々の参加費とプレー代は無料。人によっては交通費まで支給される。

コンペだからダブル・ぺリア方式で成績が発表され賞品が渡される。ここでも不可解な現象が起きてくる。芸能人や評論家などに何故か高額な賞品が配されるように手心がなされているとしか思えない事が起きてくる。

その場でアドリブ的に予期しない名称の「・・・賞」というのが発表される。曰く、「誕生月賞」であるとか、「最多スリーパット賞」であるとか、「最多OB賞」である等の当初配られた文書には記載のない「賞」が次々と決められてくる。

我々一般の参加者のうちの僅かの者が、それら有名人士たちの配られる賞品のおこぼれに与るという次第である。また、その有名人たちは当然のごとくそれら賞品を受け取り何ら臆するところがない。

つまり、一般参加者は、それら有名人たちの「足代と称する日当」と「当日のプレー代」を負担させられているという事である。

それ以外に、当日の世話係数名分のアルバイト代に実行事務所経費までも負担させられている事になる。

200名参加として、当日ゴルフ場で動いた金は九百万円から一千万円になるはずだが、本来の目的である地元自治体に手渡された(コンペの賞品授与式のあと)金額は25万円である。

バブル仕様の豪奢なゴルフ場。成金趣味の一見豪華な宴会場に200名近い有名人を含む大人の男女。食べ散らかされ、食べ残された数々の贅沢な料理。酒の入った赤ら顔。妙にはしゃぎまわる下卑た紳士淑女たち。そのパーティー会場のステージに呼ばれた地元自治体の人物に渡す「弱者救済が主旨の寄付金」。200名のうちの4~5名の拠出で賄えるような金額のために、何と大袈裟なことをするのか。

受け取る側の屈辱感と怒りを忖度すると、とてもその場にいたたまれない。

参加者全員が贅沢の限りを尽くし、主宰者は一切の諸経費を引き去って赤字なし。ごく僅かな余剰金を勿体ぶって渡す「儀式」まで執り行う心の貧しさにほとほと愛想が尽き果てた。この友人との付き合いもこれまでと、その後の誘いには応じないことを決めた。後に仄聞したところによると、主宰者は「勲章」を欲しさが動機であるとの由。何をかいわんやである。

黄色い声を限りに張り上げている子供たちを裏切らないようにしてもらいたい。募金や基金に応じた人々の善意がそのまま相手先に届くようにしてもらいたい。

このような行為が、事業としてなされてはならない。また、売名行為としてなされてはならない。有名人たちは、出演料(ギャラ)や名義使用料を取ってはならない。

我が国のこの種の善意にたいしての不信感は結構根強いものがある。この種の善意を利用した不祥事を起こしてはならない。

真摯にして純粋な善意の行為が疑いの目をもって見られている側面があることが残念であるが、ストレートに被災者に渡るようにしてもらいたいと切に祈る。
.27 2011 未分類 comment0 trackback0

プルトニウム

 「景気は穏やかに減速しつつ、引き続き拡大している」
これはバブル崩壊後の平成不況の折、当時の経済企画庁長官の某代議士(野田毅氏か船田元氏あたりかと推測されるが、詮索に意味はない)の歴史的迷言として今に語り伝えられ、小室等氏が著書にとりあげているものである。

小室氏は著書の中で、政府の景気予測の発表者、経済企画庁長官・某代議士を批判した者は誰もいない。どうせ大臣・代議士の発言なんか「役人の口移し」であり、傀儡を攻撃しても始まらない。責任は傀儡師にありと、人々が皆こう思ったからであった。責任のない木偶(でく)の業績は評価のしようもあるまい・・・と。

似たような迷言が、東北関東大地震に伴う福島原発に関して連日垂れ流されている。
「直ちに人体に影響のある数値ではない」
今回の災難にあたり、官房長官は連日TVを通じて国民に発表し続けている。放射線障害がただちに表れるという事は相当量の被曝があったということであり、この問題は素人の官房長官の域をはるかに超えている。官房長官には総理と共に他に重要な仕事があるはずである。

放射線の生物への影響は放射性物質による違いもあるが、長い時間をかけて発現するものであり、弁護士出身の枝野氏が担当すべき種類のものではない。官房長官の記者会見と謂う事は政治的会見であり、福島原発の事故の状況を伝える者としてはすでに不適格であると言わねばならない。

Late effect 、つまり後から出てくる影響について「JST科学技術用語日英対訳辞書」は次のように記している。
晩発障害; 遅発効果; 遅効; 後遺症; 後遺作用; 晩期効果; 晩発効果; 晩発作用; 晩発的影響; 後遺効果 などである。

戦後65年以上かけた米国の占領政策の late effect  の結果、刻下のごとき日本の政治家の劣化という絶望的事態にあたり、多くの識者が警鐘を鳴らし続け、根気強く提言を重ねて来た。

しかし、この未曽有の国家的危機状況に陥った日本の指導者として相応しい政治家の名前が浮上しない。この政権、というより、菅氏が総理大臣として存在しているという絶望的事態を如何にするかという根本的問題を抜きに、事態を乗り切り復興に向かう展望が描けない。これが、占領政策が狙った late effect そのものである。

東北から関東に至る広範囲な地域の「農業・漁業」が壊滅的被害を受け、工業立国日本を支えていた各種の産業が構造的に破壊された。さらに、全世界が固唾をのんで推移を注視している福島原子力発電所の極めて深刻な事故が起きてしまった。

この原発の3号機がはらむプルトニウムについての発言が一切行われていない。多くの日本人が不安に思い、諸外国が強い関心をもっているこの問題に関して、政府は一切の広報を行っていない。起きつつある危機は何か、予測される危機は何か、その危機は回避されそうなのか、肝腎な情報は伏せられている。国民の不安はつのるばかりである。

「政治家の徳」は、国民の安全な生活を保証することである。それ以外のことは求めていない。しかるに、我が国の政治家は「市民の徳」レベルの思想しかもっていない。市民運動家あがりの菅総理の現在の思想行動はこのレベル以上のものではない。

官僚を始め優秀な政治機構は極めて優れたコンピューターである。電源を入れ、それを立ち上げ、司令をインプットするのは、有能な政治家である。
この悲惨な状況下においても、おとなしく秩序だった行動をとって救援を待っている被災した国民と、支援を惜しまない国民は、ただおとなしくしているのではない。

こういう時こそ、優れた卓越した人材が揃っていると思うが故に「お上」を頼りにし、「お上」を許して来たのである。

菅総理以下日本の行政は、その静かな国民の負託に今こそ応えなくてはならない。自らの能力をはるかに超えた事態と認識するならば速やかに次善の策を講じるべきであろう。その認識すら持てない程に判断力を失っているならば、周囲の賢者(いるならば)が行動を起こさねばなるまい。ひたすら祈るばかりである。
.23 2011 未分類 comment0 trackback0

ダメな男たち

 私は、ワイフからダメな男と烙印を押されて久しい・・ような気がしている。
そのワイフがここ数日の顛末をみて叫んでいる。

「日本の男たちは一体何をしているんですか」
TVの映像を見て、
「男が男を選んだら、こんな程度の男たちしかいないの!」
「男が男を選ぶとこうなるのね!!」と。

これに対して反論できない。
あれを考えこれを考えする結果、結局何をすればよいのか訳が分からなくなり、何の決断も行動も出来ない日本男児の衰退を認めざるを得ない。

未曽有の被害を前にして、日に日に日本の男たちが久しく眠らせていた「何か」が蘇ってくるかもしれない。

薄氷を踏むような危なつかしいながらも、平和な日本で安逸をむさぼっていた日本の男たち。妙な男たちが利得を貪って来た日本。
文弱にして口舌の徒が大手を振って闊歩する今日の日本が、3.11を境にして変貌を遂げるかもしれない。

支援復興を祈りながら、3.11後の日本がまともな国に立ち戻る日を夢見てみたい。
.17 2011 未分類 comment0 trackback0

素晴らしい日本人

12日朝、自由が丘駅で東横線の電車に乗った。
ドアーが開いて乗車しようとした時、半円形に電車の床が見えた。普段そのような事を経験していないので一瞬怪訝な気がした。乗車する人のために既に乗っている人たちがスペースを空けてくれている事に気づくのに時間がかかった。実にすばらしい配慮であった。

きょうのTVで知ったことだが、中国のTVかネットに東京の映像がいくつか出ているらしい。そのひとつに、電車が止まった新橋駅の光景である。駅の階段に座り込んで開通を待っている人々の映像があった。
その映像には、座っている人たちの中央に、階段を歩く人のための通路になる部分が空けてあることが写されていた。

日本人のこの「思いやり」が素晴らしい。この精神に中国はとても敵わない。中国国民は日本人から学ばねばならないとコメントされているそうである。
深読みする必要を感じない。為政者として操縦しやすい国民になってほしいなどと政治的思惑が見え隠れするなどと詮索する必要はない。

15日、恵比寿の街で携帯に充電するための電池を購入したくて雑貨店に入った。支払の折に、「大変だね」と言ったら、「え~、大変ですが、『日本人の気持ちが一つになっていると感じて嬉しいです!』」と目を輝かせてきっぱりと言葉にした若い女性店員がいた。

私は、しばらく彼女の目を見つめて、「日本人が一体になっていると思うかい?」と言葉を返すと、再び「えっ、そう思っています」と爽やかにこたえた。

先のブログにも記したが、11日に帰宅難民の一員として道路を歩いて帰宅した折に、多数の歩行者のマナーがとても素晴らく、道を譲り合い肩が触れたりした時は、丁寧に詫びの声をかけあう老若の人々に感動しものだ。

平素は忘れてしまっていた日本人の気質が蘇ったということであろう。

敵が発砲しているのに、上官数人の許可が出るまでじっと耐えて多くの犠牲者を出したのちにやっと許可が出て応戦すかのごときであってはならない。

被災者が一秒も早い救援を求めているのに、謂うところの「役所」仕事であってはならない。超法規で緊急の対応をすべきにも拘らず、「担当者の責任の分散」が終了したのちの行動開始では後手後手に回ってしまい、被災者の叫びに応えられまい。

総理は的確な判断の下に、「私が全責任をもつ。超法規で迅速な対応を!」という早い決断を求めたい。

文字どおり未曽有の事態に当たり当事者の多くが茫然自失状態に陥ることはよく理解できる。半端な苦悩ではなかろう。

しかし、「出陣式」を行い、「常在戦場」という言葉をつかってなった政治家ではないのか。国家の危機に身体を投げ打って、「政治家生命をかけて対処したい」などと普段口にしているではないか。

国家元首の的確な超法規の判断が待たれる。

暴動を起こすこともなく整然として救援を待っている被災者に、遅々としてモタモタとした対応になってはならない。

世界が舌を巻く日本国民の期待を裏切ってはならない。国家元首の本当の指導力を日本人のみならず、世界が注目している。
.16 2011 未分類 comment0 trackback0

帰宅難民記

3月11日午後、職場が突然強く揺れた。仕事用のパソコン全てをTV放送に切り替え東北地震の報を知った。室内の揺れの治まりを待ちながら、仕事場の家主である某ホテルの館内緊急放送に耳をそばだてた。

インフラに支障のないこと、火災警報機が鳴ったが火災の事実はないなどの館内の情報は頻繁に在ったが、震度が幾つなのか、都内の交通を始めその他の放送は私がいた限りでは一切なかった。

午後4時半頃日比谷のホテルを出た。田園都市線の沿線にある自宅まで帰宅しなくてはならない。JRも地下鉄も運航を停止していた。「歩く」しかない。ひとまず、二子玉川まで歩くことを決意し、新橋からため池、そこから六本木経由で渋谷を通りR246を西に向かうことにした。

すでに歩道は人に溢れ、ヘルメットを装着し避難袋を背にした人も多く目にした。ため池のコンビニで飲料とチョコレートを仕込みひたすら歩いた。行進する群れの一人として孤独な行進を続けた。

途中、公衆電話に行列する人々の殿に並び少し時間を費やしたがすぐ列から離れた。バカバカしいことに携帯電話は一切使用できない。メールは送信したがいつ届くか分かったものではない。もっと先にも公衆電話はあるであろうし、明るいうちに出来るだけ距離を稼ぎたいので再び歩き始めた。

いい歳をして格好をつけた革靴を履いている自分に苦笑しながら苦しい歩行を続けた。この日は朝出かけるときにコートをもたず、いつもは被る帽子も持たずに出かけたので大いに不安を抱いたが、職場を出る折に何気なく持ち出したマスクが心強い暖かさをもたらしてくれた。冷気を直接吸い込まなくて済むということが、これほど効果があるとは予想していなかった。手にした皮鞄が重かった。

齢70ちかい老人の歩行が帰宅難民の群れのペースを乱してはならないとばかりに若い人々と同じテンポであることを心掛けた。心掛けはしたものの、身体が同じようには思ってくれない。行程が進むにつれて次第に追い越されるようになった。

不思議なことに、平素通勤の際に肩が触れたり、カバンがぶつかるとものすごい形相で睨みつけられることが普通なのに、この日の行進の全行程では全く違っていた。「すみません」、「失礼しました」等の言葉が全ての若者から発せられた。少々いい気分に浸りながら、「何故、朝のラッシュ時の不快さが生じるのか。恐らく種類の違う若者たちだろう」などと思いながら、怪しくなって来た股関節や膝関節を励ましながら、六本木を過ぎ、渋谷を過ぎた。

南平台から先はなだらかな下りになるので少しは楽になった。途中、全日空ホテル近くの公衆電話で3人しか並んでいないところがあったので待ってみた。「一人3分以内という事にしませんか」と提案し皆の賛同を得たので安心して待つことが出来た。私の後ろに急に5人が並んだので全員にその旨を伝えた。

家では散乱した食器や本の片付けに孤軍奮闘するワイフの疲れた声、一方その声をかきたてて歩いて帰宅する私への励ましの言葉の両方を複雑な気持ちで聞いた。

行進者の中には、私よりはるかに高齢者であると思しき人もいたが皆さん私なんかよりしっかりした足取りであった。しっかりしなくてはと思い直したものの足腰に不安を感じ始めたので、食事がてら休息しようとしたのが三軒茶屋の辺りであった。

前を歩く人が入った「飯屋」に引き込まれるように後を追う形になった。食卓に座ってホッとした。椅子と店内の暖房が有難かった。前の席の人が暖かそうな饂飩を食べていた。薄着の私は歩いていたから何とか体が温まっているが、ここでこんなに温かそうな饂飩を食したら下着の下に汗をかきその後風邪を引くことになりそうな気がしたので、「モツ煮定食」を頼んだ。これが実に美味く身も心も癒される思いがした。

小一時間の休憩の後再び行進者の群れに戻った。日暮れてすでに数時間、行進者の行列の密度は濃くなり、皆黙々と歩いていた。

普段、膝が冷えやすい体質のせいか夜の冷気が堪える。右ひざの関節が悲鳴を上げそうな気配を感じながらゆっくり歩行を進める。さながらマラソンにおける脱落者のような情けなさを感じながら二子玉川が指呼の間に入った時には、この老体にも僅かながら新しいエネルギーが湧いたような気がした。錯覚だったのかもしれない。

午後10時半頃やっと二子玉川に着いた。コンビニでトイレを借りた時間(行列!)と、公衆電話で並んだ時間、それに食事の時間を含めて約6時間ほど掛かったことになる。

特設の休憩所か避難所があったのでそこに転がり込んで、コンクリートの上に敷いたブルーのシートに崩れ落ちるように座り込んだ。足も腰もガチガチに凝ってしまったようで延ばすことが出来ない。見苦しい姿をさらしながらゆっくりと足をのばし、ホッと人心地がついた。

一時間ほど休憩して、多摩川を渡り神奈川県の道路(R246)を再び歩かなくてはならない。
しかし、身体のほうは悲鳴をあげている。気持ちと身体のギャップをこれほど感じたことはなかった。

二子玉川駅発の電車が動くまで待つか、再び歩き始めるか迷い始めた。恐らく、このまま行進すれば、身体はもつまいと思った。ここから更に歩くという事は、開通した電車の駅からは遠くなるし、コンビニ等の施設も少なくなる。薄着の身体は夜の冷気に耐えられなくなりダウンするかもしれないという怖れを感じた。

途中、走っている車にヒッチハイクを試みても止まってくれる魅力がこちらにはない。失望が更に身体を弱めるかもしれないなどと煩悶した。

30分程迷っているうちに、電車が動くらしいという囁きが聞こえて来た。それっとばかりに立ちあがり靴を履いて歩きだしところ、足がもつれて上手く歩けない。「足腰が不自由な人」の如き歩様で改札口に急いだ。エスカレータは止まり、エレベーターも止まっているので、この駅の長い急な階段を何とも無様な格好で登った。
やっと電車の座席に座ることが出来たときは生き返った気がした。

行進者たちが冷静だった。礼節が失われていなかった。コンビニが全てトイレを開放していた。2軒のコーヒーショップが、道行く人に「暖かいコーヒー」を無料で配り、歩行者を激励していた。車道いっぱいの車はどれもクラクションを鳴らしたりせず、歩行者よりも遅い速度にも拘わらず整然と運転していた。

歩道に亀裂や断裂は皆無であり、並び立つビルからガラスが降ってくることもなく、行進者は皆信号の指示に従っていた。実に整然たる様であった。沿道の店舗特にレストランや食事処はいい意味で稼ぎ時とばかりに活気づいていた。

被災地の方々の筆舌に尽くしがたい窮状に比べれば、今回の経験から語るべきものは何もない。いざというときの予行演習にすらならない。私の体験などちょっとした事件にしか過ぎない。

歩行中様々なことを想定してみたが、実際そのような事態になってみなければ分からない。歴史を今の視点で見るようなもので、その状況に放り出されたときの身の処し方は今の自分には見当がつかない。老いた身体を認識させられたことだけが確かなことである。
.13 2011 未分類 comment0 trackback0

 居直った菅閣下

 菅氏は民主党政権の発足時は「国家戦略室長」だった。このような人物が国家戦略を担当出来るはずがないというところから菅氏の力量に不安を感じた。そうか、室長だから国会議員の中からあるいは外部から有能な人物が起用されて菅氏は室長として機能するなら「国家戦略」という大それたことも可能かと、かすかな希望を抱いてみた。

ところが、機能するどころか開店休業状態のまま尻すぼみとなり、いまやその存在すら定かでなくなった。

恐らく菅氏は誰かに吹き込まれたのであろう。何もするな。小沢氏はカネの問題で沈没する。鳩山氏は人も知る虚なる理想主義者。政治の実の面で必ず転ぶし、カネの問題もある。
さすれば、民主党・三巨頭の一角である菅氏に代表・総理の座が自ずと転がり込むと。

沖縄の基地問題が如何に紛糾しても「私の担当ではないから」と難を避け、小沢氏・鳩山氏のカネの問題が喧しく追及されても我関せず。ニンマリしながらダンマリを決め込んだ。かくして、鳩山退陣が決まるや否や「今だ!」とばかりに代表選出馬の意向をいち早く表明し、無名の若い議員と代表選を争い楽勝で代表に選出された。

直近に迫った任期切れに伴う代表選(2010年9月)では、「小沢氏のカネの問題」を争点とし、クリーン菅をクローズアップさせた。小沢氏に抑圧されて冷や飯を食っていた一派がここを先途と菅支持に回った。

小沢氏を排除し鳩山氏を抑え込めばおれたちの時代だと勇躍したこの一派は、ダーティー小沢対クリーン菅という闘争を組んだ。小市民的というか一般大衆と基本的には何ら変わらない民主党内浮動票・民主党内日和見議員たちを糾合し、辛うじて菅氏を代表に選び菅政権を誕生させた。

この頃は政策の違いというものではなく、旧い金権体質の小沢氏と、その時まではカネに縁のない菅氏の闘い。つまり親小沢一派対反小沢一派という分かりやすい構図を打ち立て、小沢憎しのマスコミを味方につけての喧嘩沙汰。清水の次郎長対黒駒の勝五郎の喧嘩出入りレベルの、格調もなければ品もない愚劣な永田町内の勢力争いであった。

さて、ここから困った事態が出来した。
総理大臣になった菅氏が、狂ってしまったとしか思えないとんでもない「宰相」であったと気づいたときは後の祭り。

「総理でいたい」「閣下と呼ばれ続けたい」「どんなに罵倒されようが総理は俺だ」という滅茶苦茶な男であった。

そのためには、民主党が瓦解しようが構わない。民主党議員が選挙区で如何に辛酸を舐めようが知ったことではない。とにかく、任期いっぱい総理でいたい。

総理でいたいという目的のためには手段は選ばない。マニフェストだろうが何だろうが破棄しても構わない。政策を異にする政党との野合だって構わない。

この俺には強い味方がついている。アメリカ・官僚・財界・マスコミ全てが味方をしてくれる。幸い、衆議院は圧倒的多数である。議員たちだって選挙が怖いから偉そうなことはできるはずがない。

自民党も本音のところでは「消費税のアップ」は自分たちでは手をつけたくない。民主党のこの俺に遣ってもらいたいに決まっている。だから、野党第一党自民党の追及なんて恐れるに足らず。官僚の書いた答弁で(相手もそうだ)遊んでいればいいのだ。

勧進帳の弁慶が誰で義経が誰、富樫が誰かは明らかだ。大石内蔵助と立花右近のようなもの。日本人好みのこの勧進帳芝居を繰り返していれば国民も面白がってくれる。そうこうしているうちに、アメリカの要望であるTPPも、アメリカと財務省の要望である消費税アップも実現するだろう。政治は勧進帳だよ。

もしも実現しなければ野党が悪い。大衆に迎合する野党が悪いのだ。
不肖私菅閣下としては、国民や野党ごとき低俗な輩を相手にしてはいない。無論、民主党の議員をも相手にしていない。雲の上の聖人とも言うべき、あの米国や官僚様と語らって「国家百年の体系」を打ち立てようとしているのだ。

このような偉大なる政治家菅閣下である不肖私は、偉大なる政治家であるがゆえに重い十字架を背負って呻吟しているのだ。本音では、総理でいさせてくれれば、後は野となれ山となれと思っていない訳ではないが、「瓢箪から駒」で案外歴代総理の中では最大級の「偉大なる宰相」であったと後世で評価されるかもしれない。

いまは「宰相不幸社会」であるとか言われているようだが、最後までやらせてみてくれ。とにかく総理でいることが快感なのだ。批判も罵倒も全てが快感なのだから。

さて、どうしたものか!!
.02 2011 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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