「復讐法廷] 日本の「法」と小沢氏の問題

復讐法廷(ヘンリー・デンカー 中野圭二訳 早川書房)という小説の最後に陪審員たちの評決が下る場面で陪審員たちは次のような評決を下した。

「われわれ陪審員一同は有罪の判決を、裁判制度に関して、くだすものである。被告人デニス・リオーダンについては、これを無罪とする」というものである。

この「小説復讐法廷」は、政治学者小室直樹氏が彼の著書「日本いまだ近代国家に非ず」のなかで熱心にとりあげ論述している。

「復讐法廷」に見る証拠とは何かを論ずる中で、違法証拠の排除原則(違法に収集した「証拠は、証拠として認めない原則」が主題となっている小説)であり、問題提起も然ることながら「デモクラシー諸国における裁判の本質は何か」を理解する格好の教材であるとしている。

若い白人の女性を黒人の男性が強姦して殺害した。彼は彼女から強奪もした。強盗・強姦・強奪殺人事件である。証拠は完璧に揃っている。にも拘らず、この黒人男性は無罪の判決を受けた。

逮捕の仕方が違法であったが故に、裁判所は黒人男性が白人女性を強姦し、彼女から強奪し、殺害した事実は認めるが、取り調べの経過で証明された証拠を採用しなかったのである。

いかなる状況で逮捕されたかは小説を読んでいただくしかないが、黒人男性は現場近くを歩いているところを法的に正当な理由がなく制止され身体検査をされた。それゆえに、「当然ながら、その逮捕によって収集した証拠は全て差し止めざるを得なかった」

事実は明らかに被告が犯人であることを示しているのに、無罪として放免され、被害者の親家族の悲しみを平然と無視する。
これが「冤罪を防止するために練りに練られた法」の副作用である。

小室氏は日本に馴染みが薄い(当時)国際的司法取引によって行われた「田中角栄・ロッキード裁判」を批判する論述の中で繰り返し述べている。毫釐千里(ごうりせんり)・・一ミクロンの違いが4000キロメートルの差を生む・・の用例としてあげている。これがデモクラシーの裁判であると。「裁判とは手続きである」事を理解するための格好の例として。

さて、私は「法の専門家」ではない。法に守られ、法に攻められる市井の無力なこの凡人である。この典型的な凡人の脳の片隅に居着いてしまった疑念が気になって仕方がない。
「小沢一郎氏」の「政治資金規正法違反の裁判」である。

一つは、検察がいったん不起訴と決定した事件を、検察審査会が「起訴相当」とし、これから裁判が行われようとしている。この、検察審査会は冤罪を防止するために、国民が法の暴力の前に犠牲とならないことを目途して設立されたはずである。その審査会が、検察が不起訴としたものを敢えて起訴すべきと決定したことが不可解である。しかも、秘書三人と小沢氏本人の取り調べの手続きに関していささか問題アリと指摘されているにも拘らず「起訴相当」という結論の出し方に、「国家権力と法」のありかたに危険な臭いがすることを禁じ得ない。

二つは、この重大な「法と国会議員」について国会議員諸氏が一向に問題としていない(一部の議員が検察審査会について調査をしているが国会議員全員の問題ではないのか)ということである。

法治国家で民主主義の手続きを踏んで選出された国会議員に対するかなり荒っぽい捜査に異議はないのか。問題にすべき案件ではないのか。不思議で仕方がない。

この国の国会議員は、「法」とか「国民の権利」とかの問題より、自分たちの権力闘争が第一なのか。強力なライバルを倒す為には「この際『法と人権』なんかどうでもいい。推定無罪の原則なんかどうでもいい。政敵のあいつを排除してしまえ」という感情と打算で「法の執行」を使嗾し、工作する。まさに、信じ難い暴挙である!

多くの国会議員は、「政治とカネ、つまり小沢氏とカネ」に国民の批判の「空気」が醸成され、永田町でもその「空気」が彼らを覆ってしまった現在、「法云々よりどの『空気』を吸った方が政治的地位の確保に有利であるか」の判断しかできなくなっているようである。

日本の宗主国と自認する彼の国と、日本の政権担当者たちの恣意にそって法の力を行使するような事態を許している刻下の状況を放置するならば、日本が民主主義国家であるとか、法治国家であると国民が安心して暮らせる世の中が来るのはいつのことかと暗澹たる思いである。

私は、小沢氏が清廉潔白であるとも思っていないし、小沢氏の政策には断固として反対すべき部分が多々あると思っている。小沢氏を擁護するものではなく、日本における「法の執行」と「法の現在」に大いなる不安と疑念を抱くが故に、一人の国会議員であり一国民である小沢氏への「法」の執行の仕方を注目しているのである。
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.21 2011 未分類 comment0 trackback0

消費税と新聞

エジプトのムバラク大統領退陣が決まった。短時日のうちに展開された今回の大規模デモも、市民を連帯させる紐帯となったのは、「ツイッター」「ユーチューブ」「フェイスブック」などのメディアだったという事は日本の新聞・TVも伝えている。

TV/・新聞といった、いわゆる「既存メディア」が、権力者と自社自身にとって都合のいい報道しかしていないのではないかという疑念は、インターネットというグローバルな情報空間において、専制国家・自由主義国家を問わず国民の間では世界的に共通認識となっていることはいまや否定できない。

人口の急激な減少と広告収入の大幅ダウン、インターネットなどの新メディアの台頭と若者の新聞・TV離れは、世界的に「既存メディア」の衰退をもたらしている。

かくのごとき時勢に、数%の消費税のアップが新聞業界の経営に深刻な影響を及ぼすことは容易に想定できるにも拘らず、新聞業界は何故に消費税アップを推進するような報道を連日行っているのか理解できない。

そこで、渡邊氏ら新聞界のトップが考えているのが、その報酬として、新聞だけは消費税の対象から除外するという分かりやすい策謀ではないかと推測することは容易い。

つまり、消費税アップの政策を大々的に支援する報道と引き換えに、新聞を消費税の軛から除外し、併せて何があっても死守したい「再販制度と特殊指定」の保護という密約が財務省と交わされているのではないか。

思い当たることがある。それは、昨年11月16日、丹呉泰健氏が読売新聞の社外監査役に就任するという人事があった。大新聞と財務省の癒着をうかがわせる報道は小さな扱いながら各紙に掲載された。丹呉氏といえば、2009年の政権交代直前に財務事務次官となり、2010年7月に退任したばかりの人で、財務省一家のなかでの影響力は大きい人物である。

新聞社は己が利得のために、政府の無駄の削減や、政策の誤りを国民の側に立ってきびしく追及する姿勢を放棄して、いまや国家権力と一体化し国民をさらなる窮乏に陥れる立場に立ってしまっている。

要は、読売新聞社に有力な元財務相事務次官という天下りを引き込むことで、新聞事業の安泰化を図るという事である。朝日・毎日他の大新聞も読売の渡部氏の意向に反旗を翻すことはできない。全ての新聞が、財務省の政策をこぞって国民にプロパガンダをしている事の真相は明らかである。読売新聞の意向の下、各社が横並び一線で財務省主導の政策を後押ししている所以である。

基本姿勢として消費税アップを実現させ、次には国民あるいは弱者の味方と謂う立場をとる。さらに、英国のように生活必需品(食品・医療費など)の税率をゼロ、もしくは軽減するよう大プロパガンダを行い、国民と弱者の世論を煽り、その生活必需品のなかに、さりげなく新聞をもぐりこませさせてもらうという密約が透けて見えてくる。
ここで、あらためて新聞綱領に目を通して、国民を欺き愚民扱いをしているのは新聞そのものではないかという事を検証してみたい。
新聞綱領(平成12年6月21日制定)(以下転載)
新聞倫理綱領は昭和21年7月23日、日本新聞協会の創立に当たって制定されたもので、社会・メディア状況が激変するなか、旧綱領の基本精神を継承し、21世紀にふさわしいものとして、平成12年に現在の新聞倫理綱領が制定された。
 21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。

 国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
 おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
 編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。

 自由と責任 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。

 正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。

 独立と寛容 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。

 人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。

 品格と節度 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。(以上転載)
綱領とあまりにもかけ離れた実態に、荒涼たる思いがする。我が国の新聞社のうち、一社でもこの綱領にそったものがあれば、活字メディアとしての新聞の存在は無視できない重要なものとなるであろう。じっくりと報道を読み込みたい購読者は少なくないはずである。
いまや、「チラシ挟み」と堕した新聞各社の奮起を期待したい。
.13 2011 未分類 comment0 trackback0

マップなきドライブ

民主党政権になって、官僚と政治家、マスコミと政治家、財界と政治家そしてアメリカと日本の政治家の関係が国民の前に鮮烈にその実態を明らかにした。これが今回の政権交代の功罪のうちの大きな「功」の側面である。

菅政権が民主党の公約を大きく修正しながら自民党政権時代と大差ない政策に舵を切っているのは、日本の政治はそれ以外に成り立たないという事を明らかにして国民に見せてくれている。

自民党時代の「公約は破るためにある」と嘯き、選挙が終われば密室政治という国民とは大きく径庭の在る政治に専念してきた自民党政権。派閥間の権力闘争が如何にも日本の命運をかけた政治家の命がけの闘争と見えたのも単なる矮小な政局にしか過ぎなかった。

戦後長く続いた「東西冷戦下」においては、迷うことなく米国と国交を密にし、国軍を保持しない日本としては軍事的脅威には自国の軍事予算を考量する必要もなく安保体制に身を委ね、経済的保護を受けつつ経済的発展に邁進出来た。

未曽有の経済発展を遂げた日本と国民はその恩恵に浴しながら生活レベルの向上を実感したものの、日本の政治を真剣に考えることを放棄してきた。

その間、我が国は真に指導力のある政治家の育成を怠って来たことは否めない。安全保障は米国に依存し、国家の方針は米国の指示に従い、官僚が敷いた路線に乗っていくことしかしない政治家に国の政治を任せて来たという事である。

選挙で民意を問うという「民主主義芝居」、この手続きさえ踏めばあとは官僚の指示に従って国会議員としての権力が利用されるだけであった。

その権力の行使には大きな利権が発生する。その利権をめぐる「利得の争い」がマスコミによって如何にも日本の命運をかける政治的理念の争いであり、日本の方針を左右する政策論争の如く粉飾して報道されてきた。

その茶番劇に国民は惑わされ、政治家や官僚が国と国民の為に汗してくれていると錯覚してきた。

ソ連の崩壊によって東西冷戦がその構造が瓦解したあと米国による一極支配の体制になった。皮肉にもその頃から米国の軍事・経済の世界支配に陰りが生じ始めた。

この事態を受けても、自民党の一極支配体制が維持され続けた日本の政治にも当然ながら陰りが生じ始めた。世界の時勢に乗り遅れるという島国特有の対応の鈍さである。

米国の衰退と中国・インドなどのアジア諸国の台頭と、日本が米国に抑制されている「核開発」による軍事的脅威が増大してきた。

安保の傘の下で安全と平和を安逸に貪って来た日本は、中国はおろか北朝鮮にまで核搭載ミサイルを日本国土全域にわたり照準を合わされてしまった。

米国の許可がなければ自主防衛も叶わぬ日本は、近隣諸国からの軍事的脅威の中で怖れ慄きながらの屈辱外交を強いられる事態に立ち至った。

核戦争がただちに起きるとは想像したくないが、有事の際の米国との安全保障に実は深刻な懸念があることを感じている国民は多い。

このような状況下で、米国との対等外交とか国民生活が第一とかの公約を掲げた民主党に政権を託してみようと半数以上の国民が民主党に票を投じた。

その結果が、限りなく自民党に近い民主党となった。与謝野氏や柳澤氏がクローズアップされる民主党政治は予想しがたかった。民主党の溶解か始まり、大連立の兆候がみえる。

実質米国による被占領構造の日本が反米路線を打ち出すことは現実問題ではない。官僚を駆使する力量のない政治家が政治主導を遂行できない。

既得権益擁護が第一のマスコミに中立公平な報道は望むべくもない。米国流儀を追求する財界に国民生活の保証は望めない。

菅内閣は刻下の日本にとって実は格好の内閣なのかもしれない。政治家としての実力は無く、政権運営のなんたるかを知らない。マップ無きドライブのようなもので、辻々で次の方向を指示される。何処に向かうかの展望はない。唯々運転したいだけの菅総理。

民主党も自民党も結局は同じことしかできない日本の政治の実態は完全に暴かれた。さすれば、「親米保守」と「親米革新」などの旗の下に再編を速やかに進めたらどうか。
その旗幟の下で、対アジア外交もじっくりと取り組んだら如何か。
.06 2011 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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