「不揃いの葡萄たち」と松下政経塾

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かねてより、スーパーなどでラッピングされた綺麗な野菜に違和感を覚えている筆者は、この記事に強く心が騒いだ。早速発注し「不揃いの葡萄たち」の到着を鶴首した。

数日後に、待ちに待った(葡萄が大の好物でもあるが)件の「葡萄たち」が到着。
「美味い」実に「美味い」。味は期待を裏切らず、見事な味に仕上がっていた。

時折、TVなどで農家の人たちが登場し、天候不順で生産した野菜の育ちが悪く「形が悪いので商品にならない」と嘆く話を聞くたびに、何故そのようになってしまったのか、いつの間にそのような勿体無い考え方が定着してしまったのかと首をかしげていた。

生産した野菜の価格を上げるために、泥を落とし綺麗に水洗して清潔にし、人間でいえば手足に相当する部分を切り落とし胴体だけにして出荷する。販売店は、その形を整えられた野菜にラッピングを施し、野菜の生気を強調する照明の下に並べる。

都会の消費者である主として主婦たちは、そのような過剰に手を加えられた野菜を購入し、家事を楽にすることが出来、不必要な量を購入することなく、あるいは、不要部分として捨てることもなく料理で使いきる。

一見すると、きわめて合理的な印象を受ける。主婦は無駄をしない、無駄と思われる部分を切り落とし処分した生産者と販売人は価格を高く設定することで利益を確保する。

現代の消費者たちは、不揃いであったり美的でない野菜や果物は忌避し不快感を示すという。味よりも見た目の姿かたちを重視する風潮は現代の日本では各方面にみられる傾向であることはとかく批判の対象になっている。

農家の若い主婦は、自家の畑から野菜を調達することはないという。舅姑が畑から取ってきて泥を落とし水で十分に洗いあげた野菜を台所に置いておかないと使う事がなく、近くのスーパー等で綺麗に陳列されている野菜を購入してきて料理をするという話を親戚の者から聞いていた。

生産農家の主婦たちですらこのような購買の仕方をするという程に国民を洗脳してしまった「姿形重視」の風潮は、いまや日本中を支配する価値観として根づいてしまっている。

人間でいえば、学歴経歴重視であり、見た目の麗しさを備えた者のみが社会のステージにあがることが出来、華やかなスポットライトを浴びフューチャーされる。工業製品と化した野菜果物と工業製品のような人間の時代になったという事なのかもしれない。

人間としての成長とか成熟にじっくり時間をかけるより、合理的に効率よく学歴を積み上げ、美容整形で姿形を整えたような人間が社会の利得をより多く確保するという時代であるということである。

大学在学中に司法試験に合格した仙石氏のように、合格すれば大学には用はない。落ち着いて学問をすることより早く社会に出て同期の誰よりも多くの利得のありつきたいような人は、卒業しないで中退してしまう。挙句、現在のような政治家となり、国家を危うくしている。学問をしに大学に行ったのではなく、「司法の免許」を取得が目的であった。

大学を出た後、社会に出て荒波を被りながら政治的動機を培っていくよりは、「松下政経塾」などで、政治家のノウハウを短絡的に身につけ、実際の世の中を知らないまま政治家になった野田財務相のような「血の通った政治家というよりはサイボーグ」のような政治家になってしまう。暑苦しい風姿で人に近づき、強烈な体臭で相手を籠絡するという政治力(?)以外に何ら政治的能力を感じられないような政治家である。

我が家に到着した「不揃いの葡萄たち」には、生産農家の血の通った温かみが溢れ、そのような現代の商品の規格から外れた「葡萄たち」に注ぐ多くの人たちの現在の日本の価値観に対する高邁なる抵抗が充満している。それらの崇高な精神と、恵みに対する感謝の敬虔なる気持ちが「素晴らしい味」の源泉となっているかのようだった。秀逸な味といい、不揃いの美といい、久し振りに心穏やかな味わいという陶酔を感じた。
「貴方にしては珍しく良い買い物でしたわね」とワイフに褒められたことを書き忘れてはならない。
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.26 2010 未分類 comment0 trackback0

あまりにもひどい内閣改造

 
仙石官房長官は内閣改造の直前、「今回は入閣経験がないベテランを起用すればいい。だが、衆院選がいつあるかわからない。万が一の時はまた人事を刷新し、若手を前面に出せばいい」と周囲に伝えたという。(以上、読売新聞9月19日朝刊 再始動菅内閣上より)
内閣支持率66%、「脱小沢」を評価70%。(同じく読売新聞社 緊急世論調査より)

この記事を読んだとき正直のところ、もうこの国の政治には関心を持たない方が良いのではないかと感じた。この国の政治は、幼稚な国会議員の遊戯場と化してしまったとしかいえない。

「政治を官僚の手から政治家へ、そして国民手へ」というのは小沢氏だけの政治理念だったのか。「脱官僚依存」という明治以来の日本の政治を根底から覆そうという壮大な政治目標を民主党が掲げて政権交代を成し遂げたとき、正直なところこの国の政治家にこのような目標を遂行する能力があるのか否か疑問や不安を覚えた国民は多かったはずである。

一方、官僚のほうは、慌てた振りをしてみせたが、「才能も力量もない国会議員の実態を見透かしていた」ので、実のところいささかの痛痒を感じてはいなかった。
「出来るわけがない」と。

自民党が政権与党の時代、時の推移に連れて「官僚への依存度」をますます強め、内閣改造のたびに、派閥人事、論功行賞人事、当選回数による大臣待機組処遇人事を繰り返してきた。

つまり、どんな人物でもよい。官僚が全て支えてくれるから何の心配も要らない。官僚が敷くレールに乗っかり、官僚が書いた答弁をしていればよい。せめて、漢字を読み違えないように(そのために官僚は漢字にきめ細かくフリガナを付した)すればよい。

長年政権与党であった自民党が作り上げたこの悪しき伝統とも言える日本の閣僚のレベルは、論評のしようがない程に悲惨な状況に陥っていた。この期間に、日本の官僚はますます力をのばしてきた。当然であろう。莫迦な議員が担当大臣として任命されて来る。本人は「喜色満面」で、身を震わせて大臣であることに随喜の涙を流し続ける。

興奮の後に一段落した大臣が部下である官僚に発する第一声は「何をやればいいんだい?」では、官僚のヤル気は失せてしまうものだ。そうなれば、官僚たちは自分たちがしっかりしなければこの国はおかしくなると、ある意味まともな使命感に燃えるのは当然のことである。

その不適格大臣が熱心になるのは、利権の獲得や選挙区への利益配分だけとなれば、この際官僚たちも利益を確保しようとするのは人情というものである。

この国の官僚を悪くしたのは政治家であると断言出来る。本質的にたちの悪い人物を除けば、大部分の官僚は理想に燃えた崇高な意志を持って官僚になった者たちであろう。この国のあらゆる組織を眺めても、極めて優秀な人材の宝庫であることに異論はない。

この人たちに、邪な精神を植え付けて来たのも政治家である。
自分たちの地域から出ている政治家を冷静に評価すれば、あるいは所属職業団体から出ている政治家の脳力・識見を判断してみれば、その政治家たちのレベルは一目瞭然であろう。
無論、極々一部ではあるが、人格識見ともに優れ、高い学識と専門性を兼ね備えた国会議員がいることは、干天の慈雨の如く、砂漠のオアシスの如く、せめてもの救いである。

悪貨は良貨を駆逐する。この平凡な例えが全てを表している。輿望を担った新進気鋭の若手政治家が、当選を重ねるごとに次第に悪相になり、チンピラやくざのごとき口のきき方をし、虚勢を張って政界の大物面を演じていっぱしの実力者ぶるのをおおぜい目の当たりにしてきた。

ましてや、つい一年前まで野党であり、烏合の衆的野合の集団であった民主党の議員たちが、「脱官僚依存・政治主導」を唱導するなど正気の沙汰かと憂慮したものである。

案の定、それは小沢氏という、政権与党の経験を踏まえ、官僚から散々煮え湯を飲まされてきた特殊な経歴の政治家の政治理念であったにすぎない。

菅改造内閣の顔ぶれをみたら、もう笑ってしまうほかはない。この国の政治に夢を抱き、国の行く末を案じている事自体を放棄せざるを得ないような組閣である。

誰がこの国の財政を立て直し、誰が尊厳のある外交を行使できるのか。どの大臣がこの国の教育や医療の崩壊を立て直せるのか。

冒頭の、仙石官房長官の発言を知って、この国の政治家のレベルが治療不可能な症状を呈している事を確信した。

もし、この国に「シャドー内閣」なんて長閑な幼稚な遊戯ではなく、「シャドー国会議員」というものがあるのなら、一朝にして総入れ替えをしてもらいたい。
.19 2010 未分類 comment0 trackback0

丸善ジュンク堂渋谷店訪問とトルストイの「終着駅」


「開店を言祝ぐ」という拙文を当ブログに掲載して約一カ月後にめでたく開店の運びとなった丸善ジュンク堂を開店初日と2日後、更に12日の日曜日と3度行ってみた。

東急百貨店本店の7Fワンフロアーいっぱいに広がる景観はさすがに圧倒的な迫力を感じた。まずは店内マップを眺めて俯瞰的に店内を把握することにした。配置そのものに特別なものは感じないが、通路の広さと書棚の高さが適当であることに落ち着きと安心感がある。

ひととおり巡回してみたが、それぞれのジャンルの中における書籍の分類に工夫がみられ、目的をもって本を探す者には便利で親切な心配りだと思う。

受験参考書にかなりのスペースが割かれているが、筆者はこの種の書籍が本屋の大人の雰囲気と落ち着きをなくす原因であると思っている。

何処の本屋も「大人から子供まで」と、幅広い客層を狙っているようだが、受験参考書は専門店があってもよいのではないかとかねがね思っている。「あの本屋に行けば国内の受験参考書が漏れなく揃っている」という店舗が都内主要地域にあってもよいのではないか。

休憩用の椅子の数も都内の本屋としては充実している。ただし、携帯三昧の女性が数人占拠していたのには軽い憤りを覚えた。

店員スタッフについては養成中とみえて、多少頼りなげである。もとより、ニタニタデレデレした愛想笑いは不要であるし、慇懃な虚礼も不要である。キビキビとした有能な図書館司書のような店員が増えることを希望する。

付設の喫茶店は狭いのは難点だが、蔵書数の関係上我慢のしどころであろう。しかし、神戸の「萩原珈琲」と、同じく神戸の「BOCKSAN」のケーキはなかなか良い味であった。神戸の文化にひととき浸ってみるのも一興である。

購入した書籍を抱えて、文化村のカフェ「ドウ マゴ パリ」でゆっくり過ごすのもいい。ビルの地下一階、渋谷の谷底ともいえるロケーションで僅かに見える青空(夜空)を仰ぎ見るようだ。だからかえって落ち着けるし、パリ風の「勝手に楽しめ!勝手に語らえ!勝手に本でも読んでいろ!」という、構わないサービスが嬉しくてたまらない。

ともあれ、大型書店過疎地となっていた渋谷にやっと大型店舗が出来たことを心から嬉しく思う。繁盛してますます素晴らしい本屋になってほしい。

帰途、同じ文化村の「ル・シネマ」に立ち寄った。
トルストイの「終着駅」鑑賞の為である。ここにはしばしば映画を観に来るが、客に排他的な雰囲気があるのが気にかかる。

「ハリウッド映画のような莫迦な娯楽映画なんか観ないぞ俺(私)たち」とか「俺(私)たちは、映画の玄人だぞ」といった、妙な気負いがあるようだ。筆者のように、ハリウッド映画全般はおろか日本映画でもなんでも興味が湧けば何でも構わずに鑑賞する者には、来るたびに多少嫌みを感じるところが気にかかる。

きょうも、そのような排他的な客が行列をなし、排他的な人たちで満員の映画館で肩身の狭い複雑な思いに襲われながら、窮屈な鑑賞をしてきた。偏屈で、独りよがりな中高年の毒に当たらないように、意識的な距離感を保ちながらの鑑賞には少なからずスキルを必要とする・・・これも愉しみのうちである。

映画そのものはとても素晴らしい出来で、主演女優も男優も超ベテランであることはもちろん脇役も名優が揃い、安心して内容に没頭できた。映画評論ではないので、これ以上の記述は避けるが、お薦めしたい映画であることは確かである。

待ちに待った「丸善ジュンク堂」がこの一角にデビューし、この界隈の文化が一層充実しそうな予感を肌に感じながら、至福のひと時が過ごせたことに感謝したい。

頑張れ!「丸善ジュンク堂」!!
.16 2010 未分類 comment0 trackback0

民主党代表選を闘ったお二人へ

 菅 直人総理大臣閣下
代表選における貴下の勝利を言祝ぐことが出来ないところに我が国の深刻な病理が存在しています。選挙当日の貴下の演説には失望しました。一国の政治のリーダーたる人物の演説とは到底認められない、哀れなものでした。

所詮は、次の総理を虎視眈々と狙っている仙石氏や前原氏の露払いにしか過ぎないことが誰の目のも明らかな「風除け・スケープゴート」としての悲哀を感じました。

貴下の勝利を喜ぶのは、米国や中国その他ユーロ諸国でありましょう。就中、米・中の歓喜喝采が聞こえてくるようです。

15分間の貴重な時間の一部を、貴下は、民主党議員全員の前職を羅列し、全ての議員の自尊心を喚起したものと思われますが、これはまさに町内会レベルであり、市民運動家の目線以外の何物でもない。多彩な人材の活用を強調したかったのでしょうが、国家元首たらんとする者のセンスではない。

「412人内閣」「1億2000万人、国民のチームプレー」をと力説しておられましたが、「
私を総理大臣にして下さるのなら、私は皆の意見に従います」ということであり、「私は、この国をどのように引っ張って行くのかの展望は何一つありません」と自らの無能さを暴露しているという事になります。

貴下が散布した「アメ」を舐めた民主党議員は、いわゆる大衆レベルそのものであり、なんら政治信条も持たないどころか、国民から負託された自らの責任を一顧だにしないサラリーマン議員であることを証明しています。

このような小児的な愚挙を、貴下はどのように整合していくのでしょうか。「自分には責任がない、みながそうしたのだから」という逃げ口上しか想像できません。

一国の総理としての「力量も矜持」もなく、自信も感じられない貴下は「一日も長く総理でいたい、閣下閣下と呼ばれたい、専用機で外国に行ってみたい」という愚劣極まる低劣な人物にしか過ぎない。

「小沢叩き」で間接的に貴下を利したマスコミは貴下を買っている訳ではない。マスコミが次に行う事は、「己を知らない権力者」をトコトン叩くことによって貴下を嘲笑い、惨めな痩せた野良犬のようにして追放すことでありましょう。早く目を覚ますことです。

小沢一郎殿
あなたは今回初めて、一国の総理たらんとして前面に出た姿を国民に見せてくれました。陰の権力者であるとか「闇将軍」とか言われてきた方としてはさぞかし苦悩の選択だったでしょう。

あなたは、小石川高校から東大を目指し失敗、慶応大学に進学し弁護士を目指していたと聞きます。志半ばで亡き父上の地盤を継ぎ代議士に若くしてなられた由。つまり、普通の真面目な青年時代を送る、国会議員のボンボンだったという事です。

幸か不幸か、亡き父君の関係から田中角栄氏の寵愛を受けたことから、あなたの虚像が作られ始めました。時の最高権力者であり、吐き気がするような強烈な個性と緊密な関係になれば、誰でもその人のコピーのようになってしまいます。

あなたは、本来のご自分ではない道筋を無自覚なまま進んで来られたのではないかと拝察します。あなたが「悪」になれるはずがありません。普通のまじめな方だとしか思えません。ちょっと「田中角栄氏の毒を吸い込み過ぎた」のでしょう。

このような「ミニなんとか」とか「小型なんとか」というのはこの世に五万といますよ。あなたもそのうちの一人にしかすぎません。人間だれしも有頂天の時があります。そのさなかにちょっと田中角栄氏を真似て失敗したのでしょう。

今回は、「私はこのように日本国を導く」という主張が「私には出来ないが、みんなと話し合ってこの国の将来を考えたい」という主張に敗れました。この国を憂え真剣に国の将来を考える国民の誰もが「私はこのようにしたい」という人物に政治を託したいと願ったはずです。

民主党の中から選ぶとすれば、あなた以上の人物はいません。しかし、あなたはあなたの虚像に酔いしれていた頃の自分に敗れたのです。「日本の黒幕」「日本の政治のキングメーカー」たらんと錯覚した頃の自分の負債に押しつぶされたのだと思います。

検察審査会の行方は予断を許しません。しかし、これをクリアーした後のあなたに希望します。学生運動家上がりのアンチャンばかりが跋扈する現在の政権与党民主党の中では、貴方の力量は図抜けていると評価します。虚像を払拭し、「人間小沢一郎」の真実を国民にアピールして、いま一度、「この国の為に命をかけて戴きたい」と願っております。
.16 2010 未分類 comment0 trackback0

言葉のチカラ

 言葉は感情的で 残酷で ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞

何年か前に朝日新聞が大々的に全国に散布したコピーである。このポスターを目にしたとき、なんだかくすぐったいような、肌が泡立つような感情に襲われた事を思い出す。

「力」と言わずに「チカラ」としたところに特に異様な感覚を覚えた。「僕と結婚してくれない、なーんて言っちゃったりなんかして」という現代の若者特有の自分が傷つかないように逃げ場を作った表現にも似た覚悟のなさを滲ませている。

これが朝日新聞の発信する報道の姿勢なのかと、大いなる疑問と嘆きを禁じ得なかったものである。

昨今の「小沢叩き」に満ち満ちた報道の傾向をみると、大新聞とTV報道界の「談合」があるとしか思えない。足並みがそろい過ぎた奇々怪々にして空恐ろしいものを感じる。

そうなると、どこの新聞が、あるいはTVが、小沢氏を一番貶めているかの競争状態に陥っているのではないか。

読売新聞朝刊の「編集者手帳」欄のあまりにもひどい表現を毎朝読むにつけ、新聞記者たちはいまや自分たちの立ち位置や使命を放擲して、小児じみた「苛め合戦」を繰り返していると断じざるを得ない。

その表現の「幼稚さ、下品さ」すら、意識の外になってしまっている。とにかく悪態をつくことに専心する記者の心情を憶測すると、むしろ哀れさを感じるくらいである。

このように「感情的で 残酷で 無力」な言葉を毎日毎日吐き続ける「編集手帳」の担当者のジャーナリスト魂というものを訊いてみたいし、可視的なものなら是非見せてもらいたいものである。

言論の自由とは、私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。
その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。ただそれだけのことである。

だが、最近の過熱した「小沢叩き」報道には、その理非を判断する人々の知性に対する敬意は感じられない。国民という読者・視聴者を愚弄しきっている。

恐らく読者・視聴者の知的判断力を最も見誤っているのは報道界の人たちなのではないか。
毎日新聞を読み、TV報道を視聴するたびに暗澹たる思いにかられ、この国には冷静な知的な報道は存在しないのではないかと諦めにも似た心境に陥ってしまう。

菅氏が勝てば勝ったで「菅叩き」。小沢氏が勝てばさらなる「小沢叩き」とばかりに舌なめずりしているような報道姿勢で日本が一体どうなってしまうのか。

「政治とカネ」なのか「政治家とカネ」なのか定かではないが、国民の関心は「報道とカネ」、「記者とカネ」にも強い関心があることを忘れてはいけない。

しいて言えば「政治評論とカネ」も看過できない悪しき現実であると思っている国民も多数いることも忘れてはならない。

幸か不幸か、今回の民主党代表選挙は、「政治と報道」、「政治と政治評論」に関して、戦後長い間の我が国の悪しき側面が全面的に曝け出されているといえよう。

このような悪意に満ちた感情的な報道が公然とまかり通るような国に「真摯で勇気ある政治家」が育つのだろうか。

とにかく総理大臣になりたい。ひと時でもいいから「閣下と呼ばれ一国の最高権力者の椅子に座ってみたい」といったレベルの政治家ばかりになってしまうであろう。

外国に隷従すべきではない、官僚の走狗であってはならないと思っている政治家が皆無である筈はない。悪意に満ちた感情的な政治家叩きが報道記者ではないと思っている者も多数居るはずである。

現在のような報道が続く限り、日本国の品位はさらに下落し、国家有用な人材は排出せず、この国は没落の一途をたどるしかない。このような報道姿勢が「島国根性」の何よりの証であり、国際感覚もない、村落の壁新聞レベル以外の何物でもない。姿勢を正すべきはマスコミであろう。

新聞を売り、TVの視聴率を上げたいのならば、「談合的記事作りや報道ショー作り」から一社でもよいから抜け出て欲しいと願ってやまない。信頼できる新聞、良識溢れるTV報道番組の出現こそ、信頼できる政治と政治家の出現に先だって必要ではないかとさえ感じる昨今である。


.10 2010 未分類 comment0 trackback0

民主党代表候補者のお二人へ

菅直人閣下
一体どうなさったのですか?TVに映る貴方のお姿に一国の総理大臣としての自信も貫録も感じられません。何かに怯えているかのような落ち着きのなさが「流れる視線」に表れています。どうみても、本物の総理が外遊中の代理としか見えません。

小沢氏の前では、土佐犬に睨まれたチワワのようです。殆ど勝負になっていません。自分自身と総理大臣としての自分自身に大きな乖離があるのでしょう。その居心地の悪さが顕現しています。

軽井沢の休暇も、とってつけたような別荘のテラスでの読書姿もなぜか馴染めません。下手な役者の三文芝居みたいなもので見ている側もどこか落ち着きませんでした。

あれほど批判した麻生氏のホテルのバー通いでしたが、あなたの料理屋通いのほうが経費はかかります。問題なのは、あなたが「灘万の山茶花荘」や「千羽鶴」で食事をなさる場面の違和感のほうです。

総理大臣ですから、そのようなところで在任中毎日三度の食事をなさっても構いません。あなたとその取り巻きが幾ら食事をしても政官界の大いなる無駄遣いからすればささやかなものです。ただ、そのような料亭でのあなたはまったく「様にならない」ことが気になります。貴人でありたいなら、食事の内容はあからさまにしないことです。

市民運動家として、市民の風を読み、市民に阿る政治家としてのキャリア。殆ど野党の議員としてのキャリアしかない(厚生大臣を務めたこともありましたね)あなたには、一国の宰相としての風格や安心感を感じ取ることが出来ません。

「総理大臣になりたかった」というあなたの希望は達成されました。しかし、総理大臣になってこの国をどの様にしたいのかという政治理念を自らが育成することを怠りましたね。
ならば、どうあれ「歴代日本国総理」としての記録には残り、歴史上に名を残すことは出来たのですから「私には荷が重すぎた」ということで身を退くということもあります。

さもなくば、一国の総理大臣として「国民をうならせるような施政方針を力強く打ち出すこと」が必要です。

「総理候補が何か言ってるよ」と、官僚はあなたの指示を聴き流す態勢のようです。「菅敗」を予測している模様です。キョトキョト視線を泳がさず、毅然とした態度を取って下さい。

小沢一郎殿
随分と恐れられていますね。代表選に立候補しての記者会見では強者といわれる各社の記者が小学生新聞の記者かのような幼稚な質問しかできないという事は、あなたの前ではすっかり狼狽しているようでした。

あなたはあまり喋ってはいないのに、あれやこれや言われるのは、恐らく側近を自認する方々が憶測で代弁したことのほうが多いのでしょう。

あなたがかって「宮澤氏・渡辺氏・三塚氏」ら三人の総理候補を面接した例の「小沢面接」にも似た事態に直面しました。このようなことをお好みではなさそうなあなたが、総理大臣にはなりたくないと思ったということは想像が出来ます。

黒幕で居たい、政界の陰の実力者でいたいというあなたの気持ちは痛いほどわかります。秘密結社的奥の院で日本の政治を牛耳っていたいという気持ちもよく解ります。

しかし、あなたの場合は取り巻きに問題があります。「殿方お口が軽い」とは筆者がよく引用する言葉ですが、あなたの取り巻きはあなたのオーラを減弱するばかりです。あなたのハロー効果を使って自らを大きく見せようとするあまり、あなたの評価を貶めるばかりだったような気がします。

あなたは巷間言われているような「悪」ではありません。自分の思うような政治をやりたくて、壊したり作ったりを繰り返した「正直者」だし「分かりやすい人」です。
悪い人ではないのですが「敵」を作りすぎたようです。

あなたの「剛腕」の幻想に恐れを感じている人は多勢いるようです。しかし、「あの小沢がどのような政治をするのか」と、密かに期待をしている人もまた多勢です。

自民党的政治をあらためて日本の為に新たな政治を打ち立てたいのなら「他人」に任せてはなりません。あなた自らが決然と行うべきです。

それにしても、あなたの側近には風姿の宜しくない方がいますね。そのような人物が権勢を得た場合の悲惨さを憂えます。もし、勝利した場合は、その辺りの配慮が極めて重要です。姿かたちも重要です。
もし敗北すれば、あなたの時代は終わりです。それこそ「水沢に北帰行」もよろしいのじゃありませんか?
.04 2010 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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