新しい臓器が掌に

歩きスマホ禁止が叫ばれているが、ますます増えているのか現状。

さながら、人間に新しい臓器が手のひらに発生したようなもの。

元々勤勉といわれる日本人。その勤勉さがスマホで満たされているようだ。

電車の中でも、何か考え事をしている人、ぼーっとしいる人、読書をしている人は殆どいなくなってしまった。

下手な考え休むに似たりというが、休んでいるより何かをしていたい。勤勉な私には耐えられない。そうだ、スマホに触っていよう。

すると、何かをしている感じがして、休むに等しい思案などしていたくないということなのか。

脳という臓器の出店が掌に1つできてしまったようだ。

他者と会話ができる。何かを調べることができる。
何か話題を教えてくれる。
他力本願の脳が掌に鎮座している。

今や、取り出して何かをするという代物ではない。
掌に付属している臓器なのだ。

臓器は常に働いている。
掌の臓器も常に働いている。
臓器と共に人はある。
もはや、完全に一体化してしまっている。

危険な要素を孕む歩きスマホを最近は、爺さん婆さんまでやるようになった。

いや、やっているのではない。
呼吸のようなもので、自然なことになってしまっている。

脳、心臓、肝臓などと同じように常に働いている。
まごう事なき身体の一部なのだ。

人のありようの光景が異次元の世界のようになった。

電車の中で何か考え事をしている人間が異質に見え、変人に見えるようにすらなった。

電車の中でスマホをやっていない人間は異様で、危険人物にさえ見えるようになった。

人間はどこに行ってしまうのか。
どのように変質していくのか。
面白いような、怖いような、危険なような。

全てが、スマホをとおして洗脳され、スマホをとおしてコントロールされ、スマホをとおして指令されるようになるのか。

へー、考えて行動するなんて時代があったのか。
今は、スマホで知ったことをする時代なのだと言われそう。
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.14 2018 未分類 comment0 trackback0

足の美容と健康 指ソックス

指ソックスに慣れましたよ。
最近はなんの苦もなく、定番のソックスとなりました。

真夏などでは外出時に履き替えの指ソックスを持って出たりします。

たくさん歩いて汗ばんだ時にはすぐに履き替えたりしています。
勿論、小さなビニール袋に密封して持って帰ります。

そのせいか、この一年で足の表情がとても垢抜けて綺麗になりました。
姿形の異形さは変えようがありませんが、足の顔が解放されてとても伸び伸びして良い表情になりました。

そうすると欲が出るのが私の悪い癖で、もう少しフィットしたものが欲しくなりました。

脚は短いのですが、手足の指はどちらかといえば長い方なのです。
ですから、市販のものでは水掻きのあたりが今ひとつ気持ちよくない。

仕立てるほどのものでは勿論ありませんので、指の長い指ソックスを探そうということになったのですが、アマゾンで調べてみてもどれをみても足本体の先に豆粒が並んだようなものばかり。

さらに調べて見ると、どうやら指ソックスの本舗があることがわかりました。

ところが、所在地が立川市らしいのです。

これは遠い!。
たかがこれしきのことで立川まで行く気にはなりません。

でも、たかが指ソックスされど指ソックスです。

足の美容?と健康のために、ここはひとつ立川まで出張らなくてならないかと思案しているところです。

顔の美容は婆さんの仕事。
足の美容くらいは爺さんもやっていいだろうというところです。
.14 2018 未分類 comment0 trackback0

中指を意識して歩く

はたから見れば、ひとりの短足の老人が単に移動しているに過ぎない構図なのでしょうが、私としましては姿勢とともに足運びには気をつけているつもりです。

うっかりしているのと八の字型に出る足を気がつけば真っ直ぐに直したりしています。

それでも、踵で着地して親指を意識して蹴りながら歩いていましたが、どうやらこれは間違いではないかという説(?)があるようです。

親指はどちらかというとブレーキの働きをする。
だから、この歩き方では疲れやすいという事らしい。
アクセルとブレーキを同時に働かせながら歩いているようなものだというのです。

中指を意識して蹴ると良いらしいのです。すると、自然に程よく前傾して歩くに好都合な体勢になるというのです。

しからばと、最近は中指を意識して歩いてみてますが、これがなかなか難しい。

若い頃長らく、私の足には似つかわしくない上に不適合なイタリアンシューズなどを履いていたのて、指が窮屈な状態になっているのですから。

最近は、ウオーキングシューズなどを頻用していますので、足の指もだいぶ解放されていますが、機能するほどまでには至っていません。

大きく発達した親指を働かせる歩き方が習い性になっていますので、よほど強く意識しないと中指は木偶の坊のような動き方しかできません。

ゴルフの時も、母指球あたりに重心を乗せてなどと言われるので、足指で働いているのは親指だけです。
他の指は扶養家族のようにぶら下がっているだけです。

ところが、中指のことを聞いて以来、ゴルフのスタンスの時も親指を使いすぎると動きを制動しているのではないかと思うようになりました。

そこで、その際にも中指を使ってみようとしているのですが思うように働いてはくれません。

「アンヨが上手!」ではありませんが、この歳になって歩き方の練習をしている私も私ですが、効能が本当なら取り入れたいと、案外本気です。

これで、身体のバランスが良くなれば幸い。
転倒などの事故の予防になるのかもしれません。

しばらく、やってみますよ。
.14 2018 未分類 comment0 trackback0

事なきを得てなにより

想定外の一撃を食らった私は、意外なことになんだか爽快な気分になりました。

おー、威勢のいい男気のある奴だなーと感心してしまったのです。
余計なお節介をする自分の恥部に触れられた気恥ずかしさと、瞬時の勢いのある反応にある種の清々しさを覚えていたのです。

私は立ち止まり、どんな奴なのかとまじまじとその男の顔を眺めていたのです。
むしろ好意的な眼差しで、と自分では思っていました。

背丈は同じくらいでしたから、真正面から向き合う位置関係でした。

数秒の睨み合いになったのかもしれません。
男は、先ほどとは別人のような丁重さで、「どうも」と一言言って立ち去り、半ば覚悟した争いごとにはならずに済みました。

好意的眼差しの私の目が、珍しいことに?睨みつけるように眼光が鋭くなっていたのかもしれません。

そういえば、私の父は良く人から、「検事さんですか?」と言われたものです。

ピッと視線を向けた時の目が鋭いというか、目つきが悪いというか、そういう人でした。

性格は穏やかで、子供から見ると優しい眼差しのとても良い父でしたが、人様から見るとまた別の眼差しに見えたようです。

私も、そのことは意識していますので、他者を見る時の眼差しにはいつも注意しているつもりです。

でも、本人の思いとは裏腹に他者にはキツイ眼差しになっているのかもしれません。

反省が必要なような不必要なような判然としない一件でしたが、この種のお節介の後にしては爽快な気分に浸れたことは確かでした。
.14 2018 未分類 comment0 trackback0

解放された社会の窓 意外な展開

前方から歩いてくる同年輩の男の社会の窓(面妖な言い方)が風通し良く大らかに解放されている。

すれ違う際、「開いてますよ」と、いつものように声をかけました。
いつものようにとは、これまでに何度も経験しているからです。

すると、意外な言葉が返ってきて私は思わず立ち止まりました。

「つまらねー処を見てんじゃねーよ」と、食ってかからん勢いで目を釣り上げて激しい剣幕で怒鳴り返されたのです。

一瞬面食らいましたが、確かに「お説ごもっとも」という感なきにしもあらず。

だいたい、この種のお節介はあまり気分の良いものではない。
注意した後、良いことをしたなあという思いをしたことはない。

むしろ、忸怩たる思いというか、また余計なお節介をしたという後悔の念すらあった。

その私の心の真っ芯を矢で射抜かれたような気がしました。
.14 2018 未分類 comment0 trackback0
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プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

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