音のお風呂に身を浸す

耳が開いた感じ
音が細胞の中に染み込んでくる感じ。
音のお風呂に入ってもらいたい。

音楽愉しむのにこのような表現を聞いことがない。
音楽のシャワーを浴びるという表現は聞くこともあるし自分でも表現したことはある。

音が、細胞に染み込んでくるとか、耳が開いた感じとか、音のお風呂とは実に上手い事を言う人がいるものだ。

これは、ある日のテレビで坂本龍一氏が話していたのだが、つい、視入り聴きいってしまった。

防音壁で囲まれたオーディオルームを持っている人は、浴室の他に音のお風呂を持っている果報者なのでしょう。

音のお風呂に身を浸して、全身の細胞に染み込むように音楽を愉しむひとときは至福であるでしょう。

上野の音楽ホールなどは、さしずめ音楽の大きなローマ風呂なのかもしれない。

音楽は、耳からだけでなく体で感じることは知っていましたが、湯船に浸かるような感覚は持っていなかった。

これからは、坂本氏の言うように、音楽の風呂に身を浸して全身の細胞に音を染み込ませるような聴き方をしてみたい。

それこそ、耳を開き、細胞を開いて、お風呂に身を浸すような聴き方をしてみたい。
スポンサーサイト
.30 2017 未分類 comment0 trackback0

燃え尽き 練習ラウンド

先日、町内会のゴルフコンペが8組で行われた。
殆どが、65歳から80歳位の年齢の人。

面白いのは、最下位の4人の老人たち。
82歳から88歳の人たちだ。

若い者には負けられないとのことで、開催日の1週間前に同じコースで練習ラウンドをしたそうなのです。

若い者といっても、私達70歳代の者たちなのですが、彼らから見れば若者ということになるらしい。

この4人の異常とも言えるゴルフに対する執念、熱心さには感服している次第ですが、我々には完全に秘密にした練習ラウンドをしたらしい。

4人の老人たちの密かな企てが楽しくもあり微笑ましい。
すでにバレているのに何食わぬ顔をして当日に臨んでいることがまた面白くて仕方がなかった。

案の定、老人の執念の炎は練習ラウンドで燃え尽きており、当日の元気のないことおびただしい。

散々な結果に、秘密練習の逆効果を嘆き始め、本人達から機密が漏れ始めたのはハーフが終わった頃。

だが、この老人達がそれぞれエージシュートを狙っていことは皆が知っている。

私も、普段大いに激励している。
何を隠そう、私も、この老人達のようにありたいと心にきしているのです。

空舞しても良いから、この意気が素晴らしい。
.30 2017 未分類 comment0 trackback0

肩甲骨という関節

普通、関節といえば骨と骨の接合部を可動性のいい構造で接合しているのだが、肩甲骨には相手になる骨がない。

されど、肩甲骨の部位は関節と考える人達も居る。最近、とみに関心を集めている肩甲骨。

若い頃、家具の隅に落としたものを取ろうとして腕を伸ばした時、肩甲骨のあたりに鋭い痛みを感じたことが再三あった。

若くても、動かしていない身体部位に負荷がかかると痛みが発生し、肩甲骨の存在に気付かされたものだ。

その肩甲骨健康法なるものがここ数年さかんに推奨されている。

大谷選手はもちろん、優秀なアスリート達に共通するのは肩甲骨の可動域の広さである。

昔の、剣豪達も、この肩甲骨の可動域の広さは不可欠の条件だったのだろう。

剣のツキであれ、槍であれ、居合であれ、肩甲骨の可動域の広さは絶対条件だったであろう。

とはいえ、戦国期の街中に「肩甲骨はがし道場」があったとは思えない。

ひたすら、剣を振ることで肩甲骨の可動域を広げようとしたのかもしれない。
身体同士の闘いで肩甲骨の可動域の優位性は絶対的であっただろう。

ところで、現在の私にとってこの肩甲骨問題は深刻でありまして、私のゴルフが上達しない最大の問題は肩甲骨の可動域の狭さにあるような気がしています(笑)。

肩甲骨剥がしなどと言う恐ろしげなことをやると壊れてしまいそうな古民家のような身体。

短い腕なのに(足も!)、肩甲骨の動きが悪いとするとこれはゴルフにとって致命的。

最近の日本女性の手足は長くなり、そのすんなりと伸びた腕と柔らかく動きの良い肩甲骨があいまっての所作は気品高く美しい。

それに比べ、短い腕とコチコチの肩甲骨関節を持つ私の所作は現代のロボットにもはるかに及ばないマンガチックな奇妙な所作に見えるだろう。

なんとなく、生きにくい世の中になったものだ。
.23 2017 未分類 comment0 trackback0

「髭」という悩ましきもの

最近、老人仲間集まりがあり、その中の2人に髭が生えていた。

1人の髭はそれはそれは気品のある素晴らしい髭だった。他の1人は可もなし不可もなし、至極普通の髭だった。

ローマ兵とゲルマニアの蛮族との識別の髭ではないが、日本的評価の一流企業とその他の区別として明確な一線が敷かれている「髭」。

引退したから、これからは蛮族として生きるぞという意気込みで生やしたわけでもなさそうだ。

かといって、髭のオシャレを始めたというほどの勇気はなさそうだ。
どこか気恥ずかしそうに振舞っているところを見ると、格別の主張はなさそうだ。

主張があるのかもしれないが、ローマ軍の厳しい起立から離れた兵士のごとく、自由を謳歌しているのかもしれないが、髭そのものに主張はなさそうだ。

私も、30歳代からなんども髭を生やしては、我が顔に愛想をつかして毟り取りはしないが剃り落としてきた。

被災地のあとの雑草のようでもあり、ささくれだった古畳のようでもあり、過疎地の若者の数のように絶対数が少ない。

その上、方向がまちまち。
白髪も多いから、離れたところから見ると裸地のごとく見える。

適度にびっしり生え、やや内巻き気味で白髪ではなくブラウンの髭を生やせるなら明日からでもやりたい。

私が髭を生やすと、本人は一生懸命に手入れをしているにもかかわらず単なる無精髭にしか見えず、しかも毛数か足りないので貧相な顔貌になってしまう。

一生のうち、髭のファッションを楽しみたいがこればかりは何ともならない。

「つけ髭」をやれば、とある人は勧めてくれたが、顔貌が日替わりメニューでは周りが迷惑するだろう。

友人のような、上品な知性的な「髭面」をご披露するわけにはいかない。
数々の恵まれない生まれつきの身体事情のうちの一つに、貧弱な髭事情があることは残念なことだ。
.23 2017 未分類 comment0 trackback0

微笑ましい 老々介護

奥方を乗せた車椅子を押すご主人、老妻の手を取りゆっくり歩くご主人。

この逆バージョンを見ることが少なくなったような気がしている。
身体不自由な夫は病院や施設に放り込まれたのかもしれない。

中年世代のみならず若い世代の夫婦恋人同士が手をつないで歩く光景を見ることは少ないが、高齢者、それも奥方に何らかの障害がある夫婦に手をつないで歩く姿を見ることが多い。

私が行くジムにも、毎日、奥方を連れて着て、少しばかりの運動に付き合い、彼女が風呂から出てくるのをじっと待って連れて帰る夫婦が二組居る。

奥方は2人ともさながら幼女のごとしで、傍目には可愛げを感じる。

だが、残念なことがある。
2人の旦那の表情が暗いことだ。

日本男性独特の照れなのかとも思うが、私から見ると仕方ない!といった風情に見える。

どうせやるなら、淑女をエスコートする紳士のごとくあってほしいと思うことが再三である。

程度の問題はあろうが、施設に放り込まずにせっかく手元で面倒を見て居るのなら、もう少し明るく振舞っていただきたい。

もともと、無愛想な男なのかもしれない。気持ちがストレートに出る正直な人なのかもしれない。

とはいえ、もう少し柔和な表情をして、優しくエスコートしてあげてもらいたい。
夫婦愛の素晴らしい姿を見せていてくれるのだから。

照れと仏頂面の区別がつきにくくて困ることは日常的に結構多い。
照れではない仏頂面ほど無礼なことはない。

たまたま、仏頂面の2人の旦那が揃って居るのだろうが、それぞれの奥方は柔和な表情をして幸せそうだ。

老いても、多少はボケても、女性の方が社交性を保っていることに感心する。
.23 2017 未分類 comment0 trackback0
 HOME 

プロフィール

須藤文弘

Author:須藤文弘




歯科医師(1942年2月生まれ)
医事評論家
歯科医療コンサルタント
NPO法人日本歯科保健機構 理事長
東京医科歯科大学 昭和43年卒

 

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR